第109話 ミラベルという少女
あの日から。
俺の仕事は変わらなかった。
あの少女、ミラベルの監視。
それだけだ。
何を調べているのか。
何を試しているのか。
詳しいことは、何も聞かされていない。
ただ一つ。
あの宮廷魔導師が来てから、妙なことが増えた。
「……今日もか」
俺は廊下の端にある椅子に腰を下ろし、格子窓の向こうを見る。
部屋の奥。
ミラベルと、あの魔導師。
何をしているのかは見えない。
聞こえてくるのは、ときどき魔力が弾ける音。
紙をめくる音。
そして――
「もう一度」
魔導師の淡々とした声。
「はい」
ミラベルの声。
それだけだった。
……一体、何をしているんだ。
そう思ったことは、一度や二度じゃない。
だが、俺に命令されたのは監視だけ。
余計なことをするつもりはなかった。
その時――
ドンッ!!
「……っ!?」
突然、扉の向こうから凄まじい衝撃音が響いた。
続いて――
ゴゴゴ……。
床まで震える。
「な、なんだ!?」
俺は椅子を蹴るように立ち上がった。
中から何かが倒れる音。
「おい!」
扉へ駆け寄る。
「何があった!?」
返事はない。
直後。
ガチャリ。
内側から扉が開いた。
「――水を」
魔導師だった。
濃紺のローブには、埃がいくつか付いている。
だが。
本人は、まるで何事もなかったかのように平然としていた。
「水を?」
思わず聞き返す。
「早く」
「いや、それより何が――」
魔導師の肩越し。
部屋の奥が見えた。
「……っ!」
ミラベルが倒れていた。
床に横たわり、目を閉じている。
「おい!」
俺は思わず声を荒げた。
「何があったんだ!?」
魔導師は振り返りもしない。
「構うな」
「は?」
「水だ」
「いや、しかし――」
「彼女は生きている」
淡々とした声。
「なら問題ない」
「問題ないって……」
俺は部屋の中へ踏み込もうとする。
その時。
「……う」
小さな声。
「……ん」
ミラベルが身じろぎした。
「……」
俺は固まった。
やがて。
ミラベルがゆっくり目を開ける。
「……あれ?」
ぼんやりと天井を見上げ。
「……終わったんですか?」
「終わった」
魔導師が答える。
「そうですか……」
ミラベルは小さく息を吐く。
そして。
「あ」
ふと俺を見る。
「すみません。びっくりさせました?」
「…………」
なんなんだ。
こいつら。
俺は言葉を失った。
さっきまで、部屋が吹き飛ぶんじゃないかと思うほどの音がした。
なのに。
当の本人は、けろりとしている。
魔導師は机の上に散らばった紙を拾い上げる。
「今日はここまでだ」
「はい」
「次は――」
そこで魔導師が言葉を止めた。
視線が、ミラベルの胸元へ向く。
ペンダント。
俺もつられて見る。
けれど。
何も起こらない。
魔導師はしばらく黙っていた。
そして。
「……興味深い」
それだけ呟いた。
◇
その夜。
俺は一人、廊下に座っていた。
手には水の入った桶。
結局、あの後も何事もなかった。
ミラベルも普通に飯を食っていた。
魔導師も何事もなかったように出ていった。
だが。
俺には、どうしても引っかかる。
あのペンダント。
あの魔力。
そして――
あの少女。
俺は格子窓の向こうを見る。
静かな部屋。
眠っているミラベルの姿が、ぼんやりと見えた。
王家は、あの子を「観察対象」と呼んでいる。
だが。
あんなものを見せられたら。
もう、ただの学生だとは思えない。
「……一体」
誰に聞かせるでもなく。
俺は呟いた。
「あの娘は……一体、何者なんだ?」
――その答えを知っているのは。
まだ、誰もいなかった。




