第104話 笑顔の欺天師(ぺてんし)
「さて――」
いつもの軽い笑み。
ただし。
今度は、ほんの少しだけ雰囲気が違った。
「そろそろ本題に入ろうか」
「……本題?」
「そうそう」
セドリックは、何でもないことのように頷く。
「君の本当の名前について」
ミラベルの表情が固まった。
「……私の本当の名前?」
「うん」
一歩。
セドリックが近づく。
「君自身が知らない、本当の名前」
「…………」
ミラベルは思わず後ずさる。
「どうして……先輩が、それを知ってるんですか?」
「んー?」
セドリックは顎に手を当てた。
「それは僕にも分からない」
「……え?」
「まあ、いいじゃない。細かいことはさ」
「…………」
真顔だった。
ミラベルは思わずため息をつく。
「……先輩って、真面目に話す気あります?」
「もちろん」
即答。
「ただ、真面目な話をすると疲れるからね」
「…………」
やっぱり、この人は信用していいのか分からない。
セドリックはそんなミラベルを見て、くすりと笑った。
「でもね」
声が少しだけ低くなる。
「君が思っているよりも―」
「うぅ……」
背後から、呻き声。
「……あ」
セドリックが振り返った。
床に倒れていた男が、頭を押さえながら起き上がっている。
「き、貴様……!」
「おや」
セドリックは目を丸くした。
「起きたかい?おはよう」
「お前!」
男の眉間に皺が寄る。
「どうしたの?そんなに怒って?」
セドリックは不思議そうな顔をする。
「貴様がやったんだろうが!」
男は顔を真っ赤にして、拳を振るわせている。
「ああ、そういえばそうだった」
「忘れるな!」
男が怒鳴る。
セドリックは困ったように笑った。
「いやぁ、すっかり忘れてた」
「貴様……!」
「ごめんごめん」
軽い。
あまりにも軽い。
「じゃあ、もう一回寝てて」
「ふざけ――」
男が拳を振り上げた。
次の瞬間。
セドリックの姿が消えた。
「え?」
ドンッ!
鈍い音。
男の身体が、再び床へ叩きつけられる。
「……」
ミラベルは目を瞬いた。
早すぎて、何をしたのかほとんど見えなかった。
セドリックは男の横にしゃがみ込む。
「ごめんね?」
男は白目を剥いている。
「……聞いてないね」
「先輩……」
「大丈夫大丈夫」
セドリックは立ち上がった。
「たぶん二度寝だから」
「そういう問題じゃないと思います……」
「そう?」
首を傾げる。
そして、何事もなかったようにミラベルを見る。
「じゃ、僕はこれで」
倒れた男を跨ぎながら、部屋の外へ向かう。
「ちょ、先輩!」
「私は、これからどうなるんですか?」
セドリックは足を止めた。
振り返る。
その笑顔は、いつものものだった。
「大丈夫」
「……?」
「どうせ君は自力でなんとかするでしょ?」
セドリックはひらひらと手を振り、部屋から出ていった。
◇
「…………」
残されたミラベルは、しばらく扉を見つめていた。
「……何だったんだろう?」
その疑問に答える者はいない。
ただ。
胸元のペンダントだけが――
静かに揺れていた。




