第102話 強制された帰路
「……ミラベルは?」
重い足取りで、一人戻ってきたノアに。
エルフィナが駆け寄った。
けれど。
ノアは答えなかった。
ただ、俯いたまま歩いていく。
その表情を見れば、それだけで分かった。
「……そう」
エルフィナの声が震える。
ガルドは拳を握り締めた。
「……くそ」
誰も、それ以上は聞けなかった。
◇
魔導車が、揺れながら研究所を離れていく。
誰も、口を開かなかった。
窓の外。
遠ざかっていく旧魔法研究所を、四人とも見ている。
やがて。
その姿が木々の向こうへ消えた。
「……」
ガルドが拳を握る。
「なんでだよ……」
低い声が漏れた。
「なんで、あいつを置いていくんだよ」
返事はない。
ノアも、ずっと黙ったままだった。
その手には。
まだ、あの時の感触が残っている気がした。
腕の中にいた、ミラベルの温もり。
伸ばした手。
届かなかった指先。
「……くそ」
ノアは、もう一度だけ呟いた。
エルフィナは俯いたまま、両手を強く握っている。
しばらくして。
「……もう」
ガルドが呟いた。
「何だったんだよ、あの試験」
その言葉に。
セレスが静かに口を開いた。
「……僕は」
三人が顔を上げる。
セレスは、しばらく黙っていた。
そして。
制服の内側から、一冊の古びた日記を取り出した。
「みんなに話してないことがある」
「……それは?」
ノアが尋ねる。
「日記」
セレスは表紙を撫でた。
「学園の図書館。その地下で見つけた」
ガルドが眉をひそめる。
「地下なんてあったのか?」
「僕も、あの時まで知らなかった」
セレスは苦笑した。
「ただ……これがね」
日記を開く。
「字がひどくて」
「そんなにか?」
「うん」
少しだけ、困ったように笑う。
「僕でも読めなかった」
「だから、何日も……?」
ノアが呟いた。
その瞬間。
あの数日のことが、ようやく繋がった。
授業にも姿を見せなかった。
食事にも来なかった。
何をしているのか聞いても、曖昧に笑っていた。
――ずっと、これを読んでいたのか。
「……そうだったのか」
ノアが小さく呟く。
セレスは頷いた。
「何日もかけて、少しずつ読んだ」
そして。
一枚の頁を開く。
「そこに書かれていた名前が――」
指先が止まる。
「アウレリア」
空気が変わった。
三人が黙り込む。
その名前。
研究所で見つけた日記にも、確かにあった。
「……今日の研究所でも」
セレスが続ける。
「同じ人物が書いたと思われる日記を見つけた」
「同じ人物……」
エルフィナが呟く。
「うん」
セレスは、ゆっくりと頁をめくった。
「そして――」
その先を見つめる。
「あのゴーレムが、それを守った」
誰も口を挟まない。
「僕を守ったのかもしれない」
セレスは静かに言った。
「でも……」
日記へ視線を落とす。
「最後まで、これを離さなかった」
ノアが眉を寄せる。
「……本を?」
「そう」
セレスは頷く。
「まるで、ずっと昔から」
一拍。
「この日記を知っていたみたいに」
馬車の中が静まり返る。
ガルドが腕を組んだ。
「じゃあ、あの研究所は……」
「僕たちが思っているような場所じゃない」
セレスが答えた。
「少なくとも、ただの廃研究所じゃない」
エルフィナが窓の外を見る。
もう研究所は見えない。
「……ミラベルも?」
セレスは答えなかった。
ただ。
手の中の日記を見つめる。
「……分からない」
そして、ゆっくりと顔を上げた。
「でも」
「ミラベルがあの場所で、あれほど強い魔力を出したことも」
「ゴーレムが彼女の前で反応したことも」
「全部、偶然とは思えない」
ノアの目が細くなる。
「……ミラベルは、何者なんだ」
誰も答えられない。
魔導車の車輪が、一定の音を刻んでいく。
ガタン。
ガタン。
窓の外では。
旧魔法研究所が、もう見えなくなっていた。
けれど。
四人の胸には――
あの場所で置いてきた少女の姿が。
消えずに残っていた。
そして。
セレスの手の中には。
まだ、古びた日記があった。
――アウレリア。
その名前だけが。
静かに、四人の間に残っていた。




