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69 あなたの為なら


 隣の部屋では深刻そうな話が続いていた。

 どうしてドアが閉まっているというのに私達がそれを知っているかというと、上級生達と私達のお喋りが終わったからだ。ベリザディーノとダヴィデアーレに話しかけた上級生達、身内から頼まれていた私をお茶会に招待するというミッションを完全に諦めた様子である。

 よかった。さすがにはっきり口に出された招待を断ったらもう協力関係解消の流れだったよ。


(無理に私をそういう場に引っ張り出すならお付き合いはここまでになるってダヴィ言っちゃったかな。私も母親は病死としか聞いてない状態で変な言質を取られたくないしね。子供達は母親の亡くなった理由を知らないと赤の他人に噂されるのも不愉快だし、知っていたら知っていたで、心にもない慰めの言葉を聞かなきゃならないし)


 所詮、男の子達だって女性が仕切るお茶会に興味があるわけじゃない。ゴリ押しして私が不愉快な目に遭ったら、お互いの仲がギスギスして今後がこじれる。

 これでも私、お茶会はミディタル大公妃が了承したものだけ出ることにしていますのよ、ほほほほほ。


(大公妃様、ローゼンお兄さんと大公家で侍女研修してる貴族令嬢同伴じゃないと、よそのお茶会に出さないって言ってくれたし。そりゃローゼンお兄さんと一緒なら、私をいびるよりもネトシル家次男狙いでいってくれるよね。どの家だって本家や分家に未婚の女の子はいるだろうし)


 それもあって私はローゼンゴットに逆らえない。彼は私の命綱だ。

 上級生達も、身内から頼まれていたお誘いはかなりまずいとダヴィデアーレ達に言われたことですっきりしたみたいだ。昨日の汚名挽回とばかりに体を動かすことはないかと、そっちをやる気になっていた。


(色々なお茶会に出席してどの家はお断り物件なのか調べてきた方がいいのかもしれないけど、本音を隠して笑顔で近づいてくるってこともある。和(かず)おじさん、大人になってもその可愛い系なら野暮ったい変装はできないんだから今のうちに嫌われておけとか言うし。センターのコネ目当てで近づいてきていた人達に私がどんだけ絶望してたか知ってるくせに)


 私を愛の妖精と呼ぶ父は、可愛い娘はどこに出しても可愛いからよその泥棒男などその瞳に映さなくていいんだよと微笑む。

 私のお姫様と呼ぶ叔父は、誰かに見つけられないように隠しておかなきゃね、素敵なものだけに囲まれていればいいんだよと頬にキスする。

 まだお子様な双子の兄は、こんな妹は自宅から一歩も出なくていいよ、僕だけで我慢できないわけ、それとも好きな奴でもいるのとすぐ詰ってくる。

 そんな私ラブな家族だが、和臣は遠く離れた故国にいるかつての弟こそが一番私を監禁する可能性が大きいと断言した。

 私はそれを否定したい。それなのに否定しきれない。

 かつての弟にお手本を提示すべく、素敵な男性とはどうあるべきかの参考物件を求めて私はさすらう。


(この先輩達ならすれてないしいい子ばかりだよね。下級生を弟のように庇う気持ちもあるしさ。やっぱりこういう青春時代の理想像が大事なんだよ。優斗はどうもねぇ。下級生がどんなに困っていても、それが私じゃないなら気にしなかったかも)


 義侠心あふれる上級生達はかなり私に同情している。そして自分達が思っていたよりも役立たなかったことに忸怩たるものを抱えていた。

 それなのに大人達は生徒というだけで子供扱いだ。こんなにも頼りになる上等学校生だというのに。都合いいことに、種の印が出ていて能力が上がっているのに、まだ擦れてないから上手く言いくるめれば便利に使えそうなところが魅力的。


『ねー、レイド。なんか思ったより長引いてません? 話すことなんてせいぜい意見のすり合わせ程度ですよね?』

『責任分野の問題だと思うよ。僕が城にいるなら近衛が動くけど、ここでは学校と相談して警備棟が決めてから城に承認とるんだよね。アレルも僕の護衛権限持っちゃってるけど子供に成人レベルなものを求める方がおかしいし、そこらへんの兼ね合いがあるんだと思う。叔父上は子供の内にやりたい放題やっておけって言ってたけど、ネトシル殿も大公命令と常識との間で板挟みってとこだと思うよ』

『私に何をさせる気なんでしょう、大公様。しかも私のことに何故私が外されてしまうのか。そこが全ての問題だ。私はそう思うのです』

『アレルが加わると危険な結論になるからじゃない? 僕、ガルディ兄上に、どんなにアレルに誘われてもこっそり抜け出して乱暴狼藉するんじゃないぞって言われたよ』

『いいですか、レイド。私はそんな子じゃありません。いつだってその場で一番穏便な手段を取るとても配慮のできるパーフェクトガールなんです』

『まあまあ、二人とも。エリー王子も楽しいガールフレンドじゃないですか。アレンと同じ顔してるのに、やることが違いすぎて面白すぎますよ』

『ガルディアス殿下もエリー王子に時間をとってくださってるんですね』

『昨日の映像を見せてもらったぐらいだよ。ガルディ兄上、ヴェラストールの件で僕のスケジュール漏洩に本気で怒ってるからね。今は戻ってくるなって言われてる』

『あー、ガルディアス様ですもんねぇ』

『在校時代、学校が数週間停止したって聞きましたよ』

『え。何それ。ガルディ兄上、何したの?』


 上等学校に通っていた頃、身分の低い女子生徒達をいびっている高位貴族な男子生徒達がいたらしいが、その根性の叩き直しでフォリ中尉は道場破りのようなことを各名門貴族達にやらかしたらしい。詳細を聞く気にはなれなかった。

 エインレイドやアレンルード、そして私の前ではどこかのんびりした人だが、学生時代にやんちゃしすぎると穏やかな大人へ変化するのかもしれない。

 所詮、誰もがやらかしてるってことだよ。

そうなると私達だって隣の部屋で何が話し合われているのか知りたくなる。

 つまり大人しくしていることに飽きた。私達、隣の情報が欲しくなっちゃったわけだよ。

 だって生徒を追い出してどんな話をしてるのか、とっても気になるよね? 誰だって気にしちゃうよね? それならもう聞き耳を立てるしかない。


(大人はさ、すぐ子供は黙ってなさいって言うけど、その子供に事態が集中してるんだから意味ないよ。昨日の人達だって王子の護衛をしている私ならまずいけど、私個人ならたかが子爵家の娘だって考えたわけで、そういう考え方が主流なんだしね)


 どうせ全ての事態は私を巻き込む。所詮は王族の妃になれない男達なんてただの部外者。独身貴族令嬢で、運命のファンファーレが鳴り響いたら王族の妃になり得てしまう立場にいるプリティでラブリーな私こそが全てだ。

 私を抜きにしてどれほど話し合ったところでムダムダ無駄無駄なんだよね。

 大事なのは私の覚悟。


(そうだ。王族との結婚もできた私だけど愛するあなたを選んだのよと言えば、大抵の男は感動して私を一生大切にする気がする。あとはパピーレベルで私を愛してくれるいい男を見つけるだけだ・・・! 結婚するならジェス兄様だけど、何も考えずに私の要望を聞き入れてくれるパピーと違ってジェス兄様の微笑はしっかり裏でチェックしていそうなところが・・・。いや、そういうしっかりした人じゃないと結婚したら苦労するんだけどさ)


 昨日はちょっとばかり騒ぎになったけれど、別荘と共に愛の妖精が爆破されそうになった事件に比べれば大した問題じゃなかったと思う。

 上級生達だって自分達の見せ場がなかったことに実はがっかりしていたし、クラブメンバーもなんでそんなことになったんだろう気分で困惑中。これはもう仕切り直すしかない。

 お互いの目を見交わした私達は頷きあうとフレッシュ情報を集めることにした。情報は大事だからね。


『ねえ、アレル。本当にこんなので聞こえるの?』

『やってみたら分かります。壁の薄い建物でも使えるテクニックですからね。覚えておくと便利ですよ』

『頼むからレイドに変なことを教えないでくれ。ここは人間の世界でビーバー帝国じゃないんだ』

『ディーノ、言っちゃなんだけどビーバーはコップなんて使わないと思うよ?』

『諦めろ、みんな。アレルが一人で窓の外にしがみついて聞き耳立ててくるより安全だ』


 そんな私達一年生を見守る上級生達は、所詮は学年が違いすぎているので気楽なものだ。色々とお付き合いもある立場だが、結局は王家と大公家が絡んでる方が勝ちグループと思っている。

 何より特等席で見物できるのが嬉しいみたい。


『やれやれ。エリー王子もいたずら小僧になりつつありますね』

『楽しい一年生達じゃないか。アレルちゃんはやっぱりたくましいねぇ。あ、今度よかったらあの服だけ切り裂くやり方教えてくれるかい?』

『それよな。囲まれててよく見えなかったしよ。しっかしなんで可愛い恋の子守唄(ララバイ)どころか腕白坊主の行進曲(マーチ)になってんだか』

『女の子より物静かでおっとりしてたから花の王子様と呼ばれてたのに育つもんだなぁ』


 上級生達にとってエインレイドは可愛くておとなしい王子のイメージが強いようで、そんなことをぼやいていた。


『え。花の王子様って淡紫の花色(ライラック)の髪とローズピンクの目からじゃなかったんですか? クラスメイトがそんなこと言ってました。でもって服だけ切るのって特別なワイヤカッターが必要だからちょっと無理かも。あれは特別貸し出しだったのです』

『それは残念。エリー王子はね、小さい頃は可愛いフリルやレースの服着ててさ、だから花の妖精の王子様って言われてた・・・んじゃなかったかな。みんなに愛されてたからね』

『へー。レイドったらみんなに愛されてたそうですよ』

『アレル、そこでにんまりしないの』


 こそこそと囁き合いながら、私達は耳にコップを当ててドアにぴたっとくっついてみる。所詮は続き部屋への室内扉なのであまり厚みは無いのだ。


――― どうも皆さん、ウェスギニー君に良からぬことをしようとしたという名目で秘密裏に一家全員殺されてしまうんじゃないかと怯えておいででしてね。さすがにウェスギニー君にはそんなことを聞かせたくないのです。

――― 学校長先生の前での猫かぶりは完璧なのですね。あのアレナフィル嬢がそれを知ったら、今度はその認識を利用して何をやらかすか分かりません。

――― はは。ウェスギニー君はとてもいい子ですよ。相変わらずネトシル君は真面目ですね。だから皆様もあなたにウェスギニー君を任せたのでしょう。私もあなたが送迎で来ているのを見て、何かあったらまず相談しようと思いましたからね。


 学校長に対して相槌を打つローゼンゴットの認識があまりにもひどい。そして学校長の私を見る目はたしかだが、ローゼンゴットを見る目がなさすぎる。


(話がなかなか決着つかなかったのは、保護者の心まではどうにもできないからってことか。生徒はまだ言い聞かせればどうにかなっても、親や家族はそうもいかないし、子供の学校の先生に何か言われた程度で引き下がらないよね)


 分かる、分かるよ。かつて私が愛華だった頃、やはり本人はどうにかなっても家族の感情まではどうにもならなかった。

 本人が私に惚れこんで尽くしたいだけなのに、その家族は私が色仕掛けでたぶらかしたと思いこんでいた。


(好みじゃないものを貢がれても困るし、受け取っても受け取らなくてもトラブルになったんだよなぁ。好きになってくれた気持ちをありがたいと思えても、それに付随してくるトラブルはどうしようもなかった。・・・だから分からないでもないんだよね。令嬢達に目をつけられて困る気持ちも)


 肝心の独身王族よりも、関係ない学校長がここまであたふたしなくてはならない不思議社会構造。

 昨夕、速報特集を見た保護者達が学校長や担任教師達の自宅にまで押しかけたり、そればかりか近所迷惑レベルで情報を寄越せと大声で喚いたり、言葉は控えめでもしつこく問い合わせをしてきたりと、実は大変だったそうだ。

 それもこれも、なんと私が脅威という理由で。

 脅威? この地上に降りた天使が? 可愛いウサギさん、いたずら子リスさんと、父さえメロメロにしてしまう私が? 

 よそのおうちの保護者は、誰もがまともな認識能力を持ち合わせていないようだ。やっぱり素敵なのはうちの保護者だけなんだね。


――― 担任教師として、ウェスギニー君の日頃の行動は模範的ですが何かと騒動の中心にいるところが不安です。混乱状態にあった保護者の方々にも落ち着くようにはお伝えしましたが、ヒトゴトのように言うなと罵倒される始末でした。

――― それは、殿下が粛清に入るのかもしれないと思われたということでしょうか。

――― ええ、はい。ガルディアス殿下の学生時代と言われても、明け方から記録を捜したものの特に問題ないと思うものばかりで、何が問題だったのかが・・・。リーデン先生がいらしたら話を聞こうと思っていたところです。

――― 記録としては一行ですむものでしたから、当時を知らなければそんなものだと思います。


 そんなやりとりが聞こえるが、学校で粛清なんてある筈ないよ。被害妄想甚(はなは)だしい保護者が沢山いると教師も大変だ。


――― 学校長先生。隣の部屋で大人しくお喋りしている筈の子供達は、なぜかここで聞き耳立ててるようですが?


 ガチャッ、バァンと大きく開けられた扉と共に、もつれ合うようにして私達は床に倒れ込んだ。


「んぎゃっ」

「悪いっ、アレルッ」

「ってごめんアレル、すぐどくよっ」

「うわあぁっ、ごめんアレルッ、ダヴィッ」


 背の高い人は高い位置に、そして一番背の低い私は一番低い位置でドアにコップを当てていたのだから、言うまでもなくいきなりドアを開けられたら私が一番下で押し潰される。その次がダヴィデアーレだ。

 上級生達はドアの横に立っていたり中腰になったりしていた人もいたので、お互いにさっと手を取り合い、転倒は免れた。

 ドアを大きく開けて床に倒れ込んだ私達を見下ろすドルトリ中尉。そのサングラスの奥にある瞳はきっと冷たいものだっただろう。ドルトリ中尉って絶対性格悪い。

 叔母のミディタル大公妃を見習って私に優しくなるよう心がけるべきだ。


(本当は連休中フォリ中尉にくっついていられたのを、私達が夜行列車で抜け出したと知らされたことで男子寮に戻されたことをまだ根に持ってる。そんな気がする。いつまでもどうでもいいことで臍を曲げるタイプだ)


 こちらを振り返ったローゼンゴットの表情は、窓から差し込む逆光でよく見えなかった。


「おやおや。令嬢というものは令息達と一緒に聞き耳立てちゃいけないことから教えなきゃいけないようですね。素敵なお嬢様への道は遠そうですね、アレルちゃん?」

「ご、誤解です。これは、・・・これは単に、みんなでこっちの部屋に来ようとした途端、いきなり扉を開けられてびっくりして、バランス崩して転んじゃっただけなのです。私達は、みんなでトイレに行こうとしていたのです」

「そうですか。アレルちゃん達はコップを持ってトイレに行くのですね」


 ローゼンゴットはネチネチ系だ。

 何かと絡んではいじめてくるドルトリ中尉とちょっと疎遠になって安心してたら、次はローゼンゴット。私は優しくて物分かりのいいネトシル侯爵家の三男グラスフォリオンを指名したい。


「あ、あら。飲み終わったコップを洗ってから返却しようとしていたのですよ、私達。ほほほほほ、そんなの当たり前ではありませんか。私達は使った物は綺麗に片付けておく模範的な上等学校生なのです」


 ほほほと、私はコップを後ろ手に隠しながら笑って誤魔化した。


「こういう時は潔く謝った方がいいよ。アレル、可愛いから素直に謝れば許してくれるよ」

「言い訳すればするほど窮地に陥る奴だな。その会話が聞こえてる時点で無理じゃないか、リオ?」

「コップを使った盗み聞きの方法を王子に教えた貴族令嬢という歴史を刻んでしまった事実の方が問題だろ? 王子が安く買い物しようとしただけでショック受けてたんだから」

「そう? 僕、面白いなって思ったよ。姉上にも教えてあげるんだ」

「やめとけって。王女殿下にそんなこと知られたらビーバーのなけなしの令嬢生命が始まる前に終わる」


 仲間のくせして他人(ひと)事(ごと)みたいな少年達がひどい。

 本来は盗み聞きなんてよくないことだけど、私達にもそれではまずいという危機感があった。だって何も知らなかったら思いがけない失敗をするかもしれない。


(関係者が増えれば増える程、思惑の種類も数も増える。なんてこったい)


 上級生達も昨日は母親のお付き合い問題をにおわされて防戦一方になってしまった。貴婦人達の表情に、確実に自分の母親や姉妹が困ることになると察したのだろう。

 それなのに帰宅して両親達に報告したら、そんなものなど気にせず取り囲んだ男達を叩きのめすべきだったと、男の家族や親戚達から怒られた。

 そりゃねえよというのが、上級生達の気持ちだ。

母親や姉妹の交際関係にヒビが入ろうと私を守って戦った方が家としては正解だったらしいが、ことが起きるまでどうでもいいと話半分でしか聞いていなかった父親や兄弟達が、いざコトが起きてから偉そうに言うんだからそりゃやってられないよね。


(先輩達にしてみれば再び誘拐されるようなことは阻止しとくかって程度の気分で、おうちの人達も息子が騎士道精神に目覚めてるがもう終わったことだろうにって気分だったわけだね。雇われのチンピラどころか、まさか本人達が接触してくるとは思ってなかったんだ)


 上級生達の祖母や母や姉妹達といった女性陣は、女の世界はそんな簡単なものじゃないし、ちょっとしたボディガードならともかく、そんな本気で恨みをかうようなことをしたなら後々まで響くことになっただろうと言ったらしい。

 先々のことを考えれば、そこはカッコ悪いと思っても引き下がって正解だったと女性だからこそ理解を示した。

 子爵家の娘を庇って恨みをかったら縁戚関係にある女性達のお付き合いや縁談にも差し支えたはずだと。

 あの貴婦人達の粘着質な気質を知っていればこそ、女社会に生きる貴婦人ならではの視点でその行動を支持した。

 しかし祖父や父兄といった男性陣は違う意見を示した。

 就職や昇進の際にあのウェスギニー子爵家令嬢を守り通した実績があった方がよほどメリットになる、女の世界と言ったところで夫の地位や身分なしに立ち行かないことをまず考えろと、女性陣の主張を蹴り飛ばしたのである。

 

(私を守り通したら推薦入社ができるとかいう奴だろうか。いつから私はそんな重要人物になった)


 ここが立場の違いだ。

 女の家族は、あの貴婦人達の恨みを買ったらどんな嫌がらせが行われるか分かったものじゃなく、反対にウェスギニー家長女を庇わなかったところで嫌がらせは起きないし、失うものはないと判断した。

 男の家族は、貴婦人達とて夫や実家の権力あってこその立場、国王や大公が目をかけているばかりか全国的に注目されているウェスギニー家長女を背に庇って貴婦人の機嫌など無視すべきだったとした。

 どちらも自分の家のメリットデメリットを考えての意見だが、肝心のウェスギニー家の意見が置き去りだ。


(王子の側近も王子妃も狙ってないのに、何故ウェスギニー家を巻きこむのだ)


 あの場所にいた上級生達は、あくまで義侠心から下級生を守ってあげようとしただけで見返りなど求めていないのだから変な色気を出さないでくれと親達に言ったが、国王夫妻、王弟夫妻、複数の基地責任者が注目している少女にどれだけの人間が接触したがっていると思っているのだと、父親達から叱責されたそうだ。

 それまでは子供のことは女親の担当だと言って、息子がウェスギニー家長女に協力していたことなど、

「全てが終わった後で暢気(のんき)なものだ。まだまだ子供だな」

と、バカにしていたくせに、いきなり昨日の事件後から仕切り始めようとしたのである。

 何やら聞き出したいことがあるからと、まずは私を茶会に招くようにとまで息子達に指示し始めた。

 扶養されている身は親に逆らえない。切ない現実である。


(さっき、ダヴィ達に私を自宅に招いてもいいのかどうかを聞いていたのもそれかぁ。そりゃ子供よりも親が乗り出したいよね。王子の学友で大公家預かりになってる上、他の貴族の手垢がついてない令嬢なら取り込んでおいて損はないし)


 だけど私はベリザディーノ、ダヴィデアーレの家であっても父親同伴でない限り招待を受けないと明言している人見知り大爆発なお嬢様だ。そして父は常に不在だ。

 私はおうちで父の帰りを待っている一途で健気な愛の天使。

 上級生達もべリザディーノ、ダヴィデアーレと話し合うことで、二人が周囲からどれだけ突き上げられても、更にはたとえ兄姉と険悪になろうとも、私にそんなお茶会や交流会への出席から守り通したと知り、改めて私をそういう場に連れて行くべきではないと考えてくれたようだ。

 こういう時にごねる人達じゃなくてよかった。


(一般部に進学した時点で、ウェスギニー家は私を社交界に出す気はないって表明してたわけだしね)


 いい人達だ。ミディタル大公夫妻に庇護されている私と今の内に交流関係を構築した方がいいと考える親や親戚に責められても私にそれを要求せずにいることをこの場で選択してくれた上級生達ってば本気でいい人達だ。

 それでも暴れ足りないってのはあるだろうし、ここは私達の次の手を考える為にも情報は手に入れておきたい。


(ま、確実に先輩達とは協力体制を敷いていいってことだよ。いつか使えるコネになるかもしれないしね)


 盗み聞きはよくないことだけど、コップで聞き耳立てる程度なら可愛いレベル。なんと言っても私のことを私が知らないのはいけないって思うんだ。

 何かとクラブルームにやってきてお喋りしてるので、私達にとって学校長先生は近所の優しい小父さん感覚になりつつある。ごめんなさいと言えば許してくれる気がするよね。

 実際、盗み聞きしていたと知っても学校長は怒らなかった。


「あまりウェスギニー君達を悩ませたくなかったのですがね」

「大丈夫です、学校長先生。大事なことはみんなで力を合わせることです。私達だけじゃ子供だから失敗してしまいます。そして先生達だって色々な事情もあってルールを破ることはできません。だからみんなで相談しながらこの苦境を解決していく積み重ねが明るい未来へと続くんだと思います」


 困った気配を漂わせて苦笑する学校長は私の味方だ。だからここはしっかり主張していきたい。


「アレルちゃん。みんなで力を合わせることは大事ですが、盗み聞きしていいことにはなりませんよ?」

「ローゼンお兄様。子供は体と心が小さいだけの大人なのです」

「それを未熟というのです」

「まあまあ。ネトシル殿、これでウェスギニー君は大人では思いつかないことを思いついてくれることもある頑張り屋さんなんですよ。学校側も生徒にこんなことで悩ませたくはないのですがね、こういうウェスギニー君の閃(ひらめ)きといった才能は伸ばしてあげたいのです」


 学校長が優しく私に微笑みかければ、ローゼンゴットが信じられないといった顔で目を見開いた。


「閃き・・・。ただの悪ガキでもキセラ学校長は見捨てないのですね」

「レイド、出番です。そこに学校長先生を褒めることで私をいじめる人がいます」

「残念。僕に権力はないんだ。その代わり、アレルを好きに空回りさせるより、情報交換をして連携を取っていた方がすぐに対応できて安心じゃないかなって提案はしてあげる。ね?」


 権力はなくてもこの場で一番身分の高いエインレイドの言葉を、大人達もどこか諦めた顔で受け入れる。

 学校長がミディタル大公家にいるローゼンゴットに相談したかったのは、保護者達の心配事に関する返答と対応方針についてだ。どうやらミディタル大公家を通して国王夫妻の意向も知りたかったらしい。

 それだけ他の生徒の保護者達の勢いが凄かったようだ。

 自宅まで押し寄せてきた彼らの心配事は、偶然私に肩がぶつかっただけでも家族までひどい目に遭わされるのではないか、本当は特殊訓練を受けた精鋭兵が童顔をいいことに一年生に成りすましているのではないか、お茶会に誘っただけで服を切られてしまうのかといった内容だったらしい。


「私はどんな反社会的人間と思われてるんでしょう。何の罪も穢れもない少女に悪のレッテルを貼って地獄に落とさせようという卑劣な犯罪工作が現在進行中です」


 そこには私の悪い噂を蔓延させるという大規模な凶悪犯罪が絡んでいた。

 すると、ぽりぽりとベリザディーノがまなじりの横を掻く。


「あー、悪いアレル。それ、僕が関係してたかもしれない。あまりにもしつこかったんで、ウェスギニー家令嬢を引っ張り出す前に、エリー王子の安全を子爵に命じられた国王陛下にまずはお伺いを立てるべきじゃないかって反論したことがあったんだ。それで余計に意固地になってダヴィまで絡まれたんだが」

「僕はディーノ程じゃなかったよ。でも、あまりにもアレルばっかり責められてたから、僕達もつい今までの友達と距離を取られたなら余程のことがあったんだろうって言ったんだ。それで余計に意固地になったかもしれない」

「へ? 何それ」


 なんでそんな起きてもいない妄想で学校長や担任教師の家まで押しかけて賑やかに騒ぐことになったのかと思ったら、どうやら私が気づいてないだけで今まで色々と嫌がらせっぽいことはみんなにもされていたそうだ。

 いきなり王子たるエインレイドが自分達を避けるなんておかしい、あの子爵家の娘をどうにかしろと。

 特に貴族でクラブメンバーのベリザディーノ、ダヴィデアーレが絡まれていたらしい。


「あ、あのね、アレル。今だから言えるけど、ダヴィ、歩いてたらぶつかってこられたりしてた。レイドがいない時、ふんって感じで。だから気晴らしにうちで土いじりしてたんだ」

「うちは押しかけられてもあちこちに出入り口があるから逃げられるがダヴィはそうもいかないだろ。ぶつかったお詫びにとか、学校では声をかけられなかったからとか、どうでもいい理由で訪ねてこられて。だから僕もよく大叔父の所に避難してた。あっちも今になって僕達にしてたことを思い返したらそりゃアレルの仕返しが怖くなるかもしれない」


全く顔見知りでも何でもない私では、誰もが声をかけにくかったようだ。それなりに知己であるベリザディーノやダヴィデアーレが矢面に立ち、ガードしてくれていたので私は気づいていなかった。

 二人はそれなりに貴族令息令嬢の顔も把握しているから、そういう時はさりげなくエインレイドと私を先に行かせるようにしていたらしい。あちらも王子の前でみっともない真似をしたくなかった。あくまでべリザディーノ達から仲間に入ってほしいと言わせたかったらしい。


「誰しもプライドがある。僕やディーノに自分からお願いするなんて許せなかったんだよ。だから彼なら信頼できるからって触れ込みで入りこみたかったらしくてね。兄まで味方し始めるし、かなりしつこかった。祖父や父は僕の味方をしてくれたんだが」

「どういう言い方で仲間に入れるかのセリフ案内書まで渡された時にはもう何も言えなかったな」


 そうだったのかと、学校長達や男子寮監達も興味深そうに聞き始めた。

 やはり当事者の情報は大事だ。

 どんな言い回しでその生徒達を仲間に入れるように持ちかけるかの問答集、更にはその後、自分では力不足だからと王子とのメンバーから外れる為の言い回しなど、勝手に脚本化されていたらしい。

 怖すぎる。

 誰かを利用して目的のいい男に近づきたい時によくやる手だけどね。よく女の子が、

「私、あの人が好きなの。協力してくれるよね?」

で、お願いポーズしながら自分の恋心を表明せずにいたおとなしい人を利用するやり方と同じだ。

 女の子ならみんなが知ってるあざとい方法だけど、王子にとってはショックだったらしい。


「僕、そういうのが嫌で距離置いたんだけど」


 不憫なエインレイド。これが一世代前の第二王子ならパワフルに全てを吹き飛ばしただろうに。


「そっか。ありがとね、ディーノ、ダヴィ」

「いや、僕達もみんなの悔しがる気持ちは分からないでもなかったんだ。考えてみればアレルに言いつけてるかもしれないって思うよな。いささか物理的にも乱暴な手段を取られたこともあったし」

「僕はアレルにも言っておくべきじゃないかと言ったんだが、ディーノがアレルをこれ以上悩ませたくないって言ったんだ。さすがに承諾するまで逃さないとかやられた時は、我慢できずにリオんちに逃げた」

「僕、ダヴィがマナーとか細かく教えてくれて助かってたよ。楽しかったし」


 少年達の誠実な友情を大人達が見守っているけど、なんかもう教師の立場がない。

 相談しても無駄だって分かっていたからクラブメンバーも教師に相談しなかったんだろう。


「なんでみんな僕に直接言わなかったんだろう」

「そりゃきっぱりと絶交されたくなかったからだろ。自分達だってレイドが変装してアレルと仲良くなった時点で、ちょっと自分達もやりすぎたかなって思うものはあったさ。だけど一番にそこをつついて、レイドからはっきりともう近づかないでくれって言われてしまったらもう望みがなくなるじゃないか。しかも・・・・・・」


 べリザディーノが不自然にそこで言葉を切る。

 私達はその続きを待った。皆の瞳が集まっているのにべリザディーノは視線を逸らす。

 仕方がないから私が促した。


「ねえ、ディーノ。しかもの次は何なの? そこまで言ったならさあ言っちゃえっ。男は度胸だっ」

「う・・・。えっと、いつも一緒なのがアレルだろ、寮にはアレンだ。文武それぞれのトップ、ウェスギニー家の最強双子がもうレイドにはいるじゃないか。だから自分達がお払い箱になったって思った・・・んじゃないかって」

「最強はない。私の成績は所詮テスト用だよ、本当に賢いわけじゃないもん。それに別にうちの兄、運動は好きだけどトップじゃないと思うな。大公邸でもぼろぼろに負けてたし。クラブだって先輩に追いつきたくて頑張ってるって聞いたよ。そりゃビリじゃないだろうけどトップじゃないよ」


 思い込みが激しい人達だったんだね。

 私達双子がそれなりに可愛らしいのは認めるけど、まだ体も出来上がってなければ種の印も出ていないアレンルードが一番強いってことはない。

 それなのにネトシル侯爵家のローゼンゴットが指先を顎に当てている。

 

「べリザディーノ君の意見はとても参考になりました。そうですね。かつて王女殿下が通学なさっておられた時、校内で襲われそうになった事件があったと聞きます。もしも学校内で非常事態が発生したら、誰もがアレンルード君にエインレイド殿下を守らせるでしょう。既に初陣をすませている生徒は彼しかいません」

「ローゼンお兄様。スポーツは所詮スポーツです。初陣とは呼びません」


 馬鹿馬鹿しい。

 昨日、ちょっと貴婦人達に言われた程度で上級生達が動きを止めてしまったのが現実だ。誰を傷つけようが殺そうがかまわないといった本気の暴徒相手に、正々堂々とまずは礼をとり、卑怯なことをせず相手に深刻な傷をつけぬよう競うスポーツマンが勝てる筈などない。

 ボール蹴りに夢中なうちの兄なんて無力もいいところだ。


「土壇場で躊躇うことなく敵を排除できる生徒はアレンルード君だけだということですよ、アレルちゃん。もしも不逞(ふてい)の輩(やから)が侵入して無差別暴力行為に及んだなら、アレンルード君はエインレイド殿下を守る為、即座にそいつらを殺すでしょう。大切なのはスポーツのルールを守ることではなく、どうすれば最短で人が死ぬかを理解した上で迷わず実行できる冷酷さです」


 うちのアレンルードに冷酷さなんてない。

 あの映像を見てしまえばそういう意見も出てくるだろう。

 だけど私に扮したあの映像は和臣プロデュースだ。そしてアレンルードだって私を守る為なら戦うだろうが、それ以外の人の為にその手を汚すとは思えない。


(学校でもしも何かが起こったらルード、レイドじゃなくて私のところに駆けつけるよ。そりゃ一緒にいるから変わんないけど)


 アレンルードは和臣の影響をどれだけ受けてしまっただろう。

 和臣は自分の手を汚してきた人だ。だから限度を理解している。たかが忠誠心という言葉に振り回されてその本当の意味もわからずに踊るような男ではない。

 世間知らずな子爵家の息子に、双子の妹を守る為に第二王子を利用する方法とか教えてなければいいけど。

 アールバリ伯爵家、グランルンド伯爵家の令息が寮に入った今、子爵家の息子はもう寮で王子エインレイドの一番近くにいる貴族ではなくなった。このまま舞台から退場していい気がする。

 男子寮で元気に過ごしているならいいけど、軍人達の影響を受けすぎるのは看過できない。


「それが大人のセリフでしょうか。子供は屈託なく健全に成長すべきです。私がいる限り、うちのアレンルードにそんな不健全な選択などさせません。不逞の輩など警備のお兄さん達が一捻(ひとひね)りなのです。・・・本人が強くなりたくて鍛えることを止める気はありませんが、大人のくせして子供に人殺しをさせようとするなら私は全力で阻止します。大人でさえ心に消えない傷を負うものを、保護されるべき子供に負わせるものではありません」


 毎朝、ネトシル少尉に稽古をつけてもらっているアレンルードだ。だから学校関係者が目をつけるのは分かる。それでも私は言いたい。

 子供は子供らしく大人達に守られ、健やかに成長すべきだと。あれはただの鍛錬に過ぎないのだと。

 すると濃いサングラスで瞳を隠したドルトリ中尉が一歩進み出てきた。


「たとえ子供であろうと非常時には通常時とは違う優先順位、特例が発生します。貴族子弟としての義務を果たさねばなりません。特権階級とは平民よりも多くの責任と義務を果たす為に存在するのです。学校もまた国の縮図です」

「それならうちの子より義務を負うべき人達がいるでしょう。我が家は吹けば飛ぶレベルな低位貴族です。そしてアレンルードは卒業後、経営分野の修行に入る子です。そういうのは現役軍人、そして軍に入って出世する予定のご立派なおうちの生徒達がこなしてください」


 母親が平民だからこそ、貴族としては格が落ちるとされていることを私はもうクラセン夫人から教わっている。普段は馬鹿にしておいて、いざという時には義務を果たせってふざけすぎだよ。


「あなたの兄とて経済軍事部の生徒でしょう」

「それこそ同級生達から平民の母を持つと馬鹿にされるようなね。それなら普段、うちの兄を馬鹿にしている子達が頑張ればいいじゃないですか。それこそ特権階級の義務と責任を果たす為に」


 普段は威張ってるくせにいざとなれば役に立たない人達が私は嫌いだ。

はっきり言えば、ただの寄生虫だと思ってる。

 アレンルードだって普段は妹を手下呼ばわりする我が儘坊やだけど、自分が弱いと知ったら父親の部下達に頭を下げて鍛えてもらって妹を守ろうとしちゃうぐらいに頑張る子なんだよ。領主代理の叔父を尊敬するからこそ、追いつきたいって憧れる子なんだよ。


「そこのクラブメンバーに押しつけると?」

「まさか。そこの二人よりも血筋のいい貴族令息達が経済軍事部にいないわけないですよね?」


 サングラスに隠れて見えないドルトリ中尉の瞳が揺れたような気がした。

実際、よその家は様々な係累がいる。おそらく寮監達の縁戚関係にあたる生徒達もこの上等学校に在籍していることだろう。


「兵士に対して命令することはできても戦士として使い物になる生徒などいません。素早く状況を読み取って相手を即死させ、生かしておくべきなら死ねずに苦しみ続ける部位を損傷させる。そして無力な子供を装って相手の油断を見逃さずに攻撃することができる。そんな生徒がアレンルード君の他にいるとでも?」


 そんなことだろうと思った。

 ミディタル大公邸に滞在中の和臣は様々な国を知り、軍事国家ファレンディア国において発明家の顔と兵器開発員の顔を持つ男だ。

 あまりにも子供を保護する法律が整備されたサルートス王国の実態に、色々と首を傾げるものがあったらしい。軍事はかなりの大金が動く分野だ。そして戦時は孤児が溢れる。

本来、国民の生活はそこまで手厚く保護されることも豊かに暮らせることもないと和臣は考え、街を旅行者としてぶらつきながら市井の人達の生活水準や収入、雇用条件、犯罪者の処罰等を調べた。

 毎日定時に帰宅できる軍人がいれば、うちの父のようにほとんど帰宅できない軍人もいる。

 領主の自治権が点在するがゆえに詳しく学ぶことのない地理と地方の歴史。

 そして和臣はサルートス国民の生活はあくまで楽園みたいに保護されたものだと結論づけたのである。ゆえに軍部も二極化している筈だと。


「あれだけ鍛えてもらったのだから、うちの兄が何もできないとは言いません。だけど人を殺して心に異常をきたさないわけでもないんです。どうしてアレンルードだけに押し付けられなきゃいけないんです? 他の生徒と同じく、うちの兄もまた生徒として保護されなくてはなりません。エインレイド様だって変装も逃走もできる王子様です。アレンルードを盾として使い捨てる気なら私はあの子を転校させます。父が常時不在な我が家において、私はアレンルードを健やかに育てる権利と義務があります」


 母親がいなくても、マーサを母親がわりにして私達は育った。そしてマーサがいない時は、私がアレンルードを育てたのである。

 お菓子を食べ過ぎたら消化にいい薬を飲ませ、熱っぽい時には氷枕を作って汗を拭いてパジャマを着替えさせた。

 黴菌や砂粒が入り込んだ傷口を洗ってやれば痛くて泣くアレンルードをあやし、いい子ねと抱きしめてキスし、痛さに耐えたご褒美に甘いお菓子で笑顔にさせてきた私以上に、アレンルードの教育に対して口出しできる人間はいない。


「いずれ子爵となるアレンルード君の貴族としての義務を理解する気はないと?」

「まずは他の王族、公爵家、侯爵家、伯爵家のお子さん達が、うちの兄をしのぐ努力でもって自らを鍛え、先頭に立つべきでは? アレンルードが自分を鍛えているのはエインレイド様の為じゃありません。自分の為に強くなろうとしてるんです。数ヶ月前に初めて会っただけの王子様への忠誠なんてアレンルードに求めないでください。王子様だろうが、兄にとっては顔を知ってるだけの同級生じゃないですか」


 男子寮監達から凄まじい殺気が向けられた。

 険しくなった表情を隠すこともなくドルトリ中尉が私を睨みつけてくる。


「その王子と泊まりがけの旅行に出掛けておいてそれを言うか」

「私だから言うんです」

「いざとなったら王子に何があろうが構わないと言うのか。それだけ一緒にいながら」

「誰がそんなこと言ったんです? だから使い物にならないんですよ、あなた。いいかげん、その甘ったれた根性を叩きのめされて一皮剥けてくるべきですね」


 胸ぐらを掴まれそうになったが、ローゼンゴットがドルトリ中尉の手をがしっと掴んだ。同じ虎の種の印を持っていても、やはり二人とも上級生達より強いのが分かる。


「気持ちは十分に理解しますが、アレナフィル嬢はミディタル大公が庇護なさっておられます」

「だからといって・・・っ」


 黙って見ていたエインレイドが軽く肩をすくめた。

 自分の名前を出されていた割に、不安げになることもなければ怒る様子もない王子はどこまでも自然体だ。怒っているのは教師のほとんどと男子寮監達である。

 甘いのだ。所詮、一人で全てを叩きのめして生き延びてきた和臣と覚悟が違う。


「別にアレンに守ってもらうつもりはないし、そこは安心していいよ、アレル」

「当たり前じゃないですか。人なんて3カウントあれば殺せるんです。部屋の階数も違えば、授業も休み時間も別々な兄に期待する時点で頭がお花畑なんですよ。・・・大丈夫です、レイド。役に立たない大人達なんて期待せず、私達で乗り越えていきましょう。私がレイドを守ってあげます」


 ふふんと偉そうに言えば、エインレイドが顔をほころばせる。

 表面だけのおべっかなど私達には無用だ。子供だからこそ心を見る。利害関係などないから心を分かち合える。

 だって私、保護者の誰もが貴族令嬢として王族の覚えをめでたくしてきてほしいと願っていない女の子。そして王子と親しくなったなら同じ家門の令嬢を紹介して親しくさせるようにといった命令をされることもない女の子だ。

 親の出世の足がかりという野望も、うちの父は成果がありすぎて出世をわざと足踏みさせられている状態らしいから意味がない。

 何より私は10代の少年に手を出す変質者ではなかった。常識的に考えろ。30代の女が14才の少年を恋愛感情でゲットしようとしていたらそいつはただの性犯罪者だ。

 どれだけの貴族子女がいたとしても、エインレイドにとって同世代でありながら恋愛感情など論外だとする女の子は私だけ。だって私、体は愛の天使、中身はほとんどクラブメンバー専用家庭教師だしね。


「あはは、言うと思った。うん、そっちかなって僕も思ってた。そうだね、アレル。だから僕は君を守るよ。みんなは何かとアレンが頼りになるって言うけど、僕は最初からアレルのそういうところが好きだしね」


 何が気に入ったのか、初対面の時からエインレイドは私に興味津々だ。王子として見てくる人ばかりに囲まれて育ってきたから、私の「これがこの国の王子様なんだなぁ」な気分を読み取ってしまったのかもしれない。

 お気楽モードなんだよね。

 だってファレンディア人の私にしてみれば、私が顔を合わせる外国の王族なんて祖父母や父の知人でもあった。始まりはセンターのお客さんだったにせよ、自宅に招いて子供を紹介するレベルになるともうお友達付き合い。

 あっちにしてみれば個人的に親しくなる価値が祖父母にはあったんだろうけど、ちょうどいいなごみ役で私も可愛がってもらった。

 勿論、全ての王族がそうというわけじゃなくて、中には同じ人間とも思っていない人達だっていた。

 だから私、王族に敬意は示すけどそれだけだ。国によって王族との距離感も色々だから、周りを見ながら学習中。今は王子と同じクラブメンバーとして仲良く遊んでいる。


「私もレイドのそういう大らかさが好きです。大体、不逞の輩が入り込んできたら一人、二人レベルで殺すの殺さないの、敵かどうかを判断するのしないのと言ってるからダメダメなんですよ。生きてる人間全員を一人残らず倒せばいいだけじゃないですか。そうでしょう?」


 笑い返せば、エインレイドも楽しそうに笑った。

私達はみんなで対等に議論し合い、対等に役割を分かち合い、そうしてみんなで結果をとりに行くクラブメンバーだ。大人の都合なんて、ぽいっとどこかに投げ捨てるのだ。

だって私達、子供だからね。

アレンルードだって王子様のことなんか気にせず、仲のいい友達を作って伸び伸びと過ごせばいいんだよ。


「やっぱり僕、アレルといるのが一番楽しい。でも、味方も倒しちゃうんだ?」

「物事に尊い犠牲はつきものですよ。うちなんかより義務と責任が確実に多い高貴な人達が自分で自分のことぐらいどうにかすべきです。自分の身ぐらい自分で守れってね。ローゼンお兄様だって、それは護衛の失態であって私達が責任取ることじゃないって言ってたじゃないですか」


 ヴェラストールのケーブルキャビンで、ネトシル侯爵家の次男ローゼンゴットは言った。


――― 自分が正しいと思ってやったことならどんな犠牲をはらおうとも進みなさい。そこで心が折れるような腑抜けた覚悟なら最初から何もすべきではないのです。


 れっきとした子爵家令嬢を駄犬呼ばわりし、何かと手首にペット用首輪と胴体に引き綱(リード)をつけようとしてくる変人だが、ローゼンゴットの信念は歪みを持たない。

 だからこそ名門侯爵家の実家に背を向け、大公家へ入ったのだろう。

 あの時のケーブルキャビンでの言葉をエインレイドも思い返したのか、ふっと柔らかい笑みを浮かべた。


「ネトシル殿は自分に厳しいからね」

「あの時、ローゼンお兄様、言いましたよね。たとえ罵(ののし)られても決めたらやりとげろって。そして護衛対象を逆恨みするようなクズの護衛はいないって。リオンお兄様だって、無駄に終わった警備が5000回、10000回あっても、10001回目に王子様を守れたならその無駄に終わった10000回に意味は出るって。・・・レイド、本来は護衛対象者が知らない状態で危険に対応するのが警備担当の仕事です。生徒達を導き守るのが教師です。それでも尚あなたに危険が迫るなら、私達はもうやっちゃっていいと思うんです」

「アレルが一人で危険なことするのは嫌だよ」


 危険なことはしない。というよりできない。

危ないことをした日には、そのどさくさに紛れて私を行方不明者に仕立てて拉致しかねない優斗がいる。帰国したかつての弟が母国でこっそり私の誘拐計画を立てていたとしても私は驚かない。


『あなたならアレルちゃんに惑わされないと思っていたのに』

『え。いや、それはうちが護衛している時の話ですよ。それを言うなら学校は学校できちんと警備システムが構築されているじゃないですか。あなた方もいて不安があるものでもないと・・・』


 和臣も優斗も私の幸せな日々をまず考える。サルートス王国での日々が危険ならすぐに引き取る気だ。しかしサルートス王国は子供の人権に手厚い国で、私も既におうちと一生の生活費が約束されたお嬢様。

 何より私は保護者が全権を握る未成年だ。

 ウェスギニー家と仲良くなっている和臣は誘拐する必要性を見出していないだろうが、私を助ける為に周囲全域を死の大地にすることはあり得る。

 どこまでも隙を見せない日々が大事だ。


「大丈夫です。次はみんなでいっしょにやるって決めたじゃないですか。大空にゴーストなんてケチケチしたことを言わず今度はビーストやクリーチャーをぶちかまし、みんなの度肝を抜きましょう。敵味方問わず誰もが倒れ伏した瓦礫の上に立ち、そして私達は物憂げに、

『勝利とは、・・・得てみれば虚しいものだな』

ってカッコよく呟いてみるんです。記念フォトも撮りましょうね」


 こてんっとエインレイドが小首を傾げた。


「そのセリフって決まってるわけ?」

「もっと馬鹿にしてるセリフも募集中です。意気揚々と乗り込んできた挙句に即負けした記録をきっちり残してやりましょう。号外トップニュース用に風にたなびくマントを翻したレイドの記念フォトを高く売りつけ、タイトルに王子の独白としてつけてもらうのです。そして逃げ延びた残党をくぅーっと歯噛みさせてほーほっほっほとグラス片手に高笑いしてみたい。レイドの記念フォト代で素敵なバーを予約しちゃうの」

「うわぁ。もう予定立ててる」


 いや、今度はベリザディーノ達でもいいかもしれない。エインレイドと私ばかり目立つ必要もないだろう。

 少年達は戦った。勇敢だった。

 そんなモノローグでもいい。埃まみれの勝利は夕焼けに照らされ、そこに少年達の友情が一番星のように輝くのだ。


「そして全員を取り調べ、不逞の輩とその協力者達は全員公園で展示して、どういうことをして捕らえられたか、それがどういう罪になるのかを説明した看板を立てます。ここまで守られている学校に入り込めるなら絶対に手引きした人がいますからね。それから、彼(かれ)等(ら)を雇う人を募集するのです」

「犯罪者を雇わせるの? しかも罰も与えず?」


 怪訝そうな顔になるエインレイドだが、その後の処罰こそが大事である。


「だから雇った人の出す給料が、そのまま壊れた物や怪我人の治療費に使われると周知するのです。普通より安く雇用できて、その給与は彼(かれ)等(ら)がやらかしたことの後始末代金として使われるとなれば、雇う方だって犯罪者の雇用が治安維持に貢献していると納得できるでしょう。皆もその仕事ぶりを見張る筈です」


 エインレイドがなるほどと考える顔になった。

 普通なら牢獄に繋がれるからだろう。

 だけどこの可愛い愛の天使を危険に巻き込んでおいて3食昼寝付きなんて許せない。きっちりと勤労に励んでもらわなきゃ嘘ってもんでしょ。


「普通に牢に入れられるより気の毒なことになりそうだね。そういうのって戦闘訓練を受けた人達が暴徒やテロリストを装って来ると思うんだけど、雇う人が危険にならない?」

「大丈夫ですよ。もう二度と乱暴なことはできない体にするから一般人でも管理できます。その上で労働して修理代を賄わせましょう。それが責任を負うということです。そして確実に模倣犯は出ないでしょう」


 和臣は言った。同じことを繰り返すことに意味はない。襲撃されたなら二度と襲撃する気になれないようにしろと。

 第二、第三の被害を防ぐからこそ大胆にやる価値があるのだ。

 私が上級生達を使いたいのはここがある。もしも昨日、和臣と一緒に出掛けていたら、きっと見えない位置から和臣はあの人達の衣服全てを切り裂いただろう。あの男に下着を残す甘さはない。

 やる。あの人はやる。容赦なくやる。今の和臣にとって大切なのは私だけだ。

 そんな和臣を刺激しない為、私も手加減などしていられない。


「乱暴できない体にされちゃうんだ。さりげなくアレルが容赦ない」

「子供達はそれを見て、悪いことをしたらこうして罰せられるんだと学ぶでしょう。国民全員で王子の苦難、そして侵入者達のせいで昏倒させられた全校生徒の苦痛を分かち合うのです。レイドといる私を煩わせるなど、誰が許しても私が許しません」

「昏倒させるのはアレルだよね? 侵入者達のせいになるの?」

「私にそうさせる犯罪者達、暴徒達が悪いのです。だからその責任を彼等は取らなくてはなりません」


 うん、完璧だね。

 他人の欲望の為に私の大切な時間を奪うなどあっていい筈がないし、王子だからって狙われていいわけがない。自業自得って奴だよ。


『どうして誰もがあんな身の程知らずな小娘に・・・!』

『苦情は大公妃殿下までお願いします』


 なんかローゼンゴットがドルトリ中尉から低い声でわちゃわちゃ責められてるけど気にすまい。

 ミディタル大公妃の雑用係な侯爵家の人と、ミディタル大公妃の実の甥な伯爵家の人と、どっちが偉い立場なんだろう。帰ったら聞いてみよう。


(子供だった優斗はせいぜい私の予定を尋ねることしかできなかった。そんなあの子ももう成人。何か口出し、いや手出ししてくるような隙は確実になくしておかねば。ジェス兄様、私の安全の為なら優斗に買収されそう)


 どうせなら和臣が授業参観に来てくれて、その日にテロリストがやってきてくれればいいのに。

 こんなありふれた解決法ではなく、もっと独創的に和臣はやらかしてくれるだろう。大漁旗とか言って、海の上で人を干物にしてたことなかったっけ・・・?


「信じらんねえ。全校生徒だけでどれだけいると思ってるんだ、このビーバー。それを含めて全員倒すって何をやる気だ、何を。大言壮語と言いたくてもあの全焼した別荘と無傷でピンピンしていた事実がそれを言わせない」

「アレルならやるだろ。声かけられようとしたレイドを逃がす為に大空にゴーストかましたアレルだ。テロリストが入り込んだら校舎ごと爆破ぐらいやるだろ、確実に。治療費はそいつら持ちってことか」

「そうかも。うん、生きてるならいいんじゃないかな。それに生徒だからって侵入者の共犯じゃない理由にはならないしね。その公園の看板、誰が書くんだろう。もしかして僕達?」


 ベリザディーノ、ダヴィデアーレ、マルコリリオがひそひそと囁きあっている。

 アレンルード一人に全てを背負わせられるぐらいなら、私はこの三人を巻き込んで大々的にやるだろう。それなら王子様関係者とやらが揉み消してくれる。

 私は、子爵家の息子一人に全てを背負わせるような流れを許容しない。


「その時はみんなも仲間だよ。ちゃんと手伝ってね。そして私達をその権力でレイドは守るのです」

「僕に権力はないけど、そんなことがあったら叔父上が乗り出すよ」


 そういう不吉な予言はいらない。大公が出てきたら私が全力を出せなくなる。だって私が持っているのは和臣特製兵器。ファレンディア国から流出していいものではなかった。

 もう寮監達は信用できない。


「学校長先生。そういうわけでうちの兄を決して護衛として使わないと一筆書いてください」


 王子エインレイドの護衛に一生徒であるアレンルードを使わないという確約を、私は学校長にしてもらうことにした。

 代わりに私がいるからいいでしょ。私はみんなに対して十分に配慮した慈愛の権化だよ。


「心配せずとも、生徒であるアレンルード君を護衛として考えてはいませんでしたよ。確約と言われても、学校側は生徒が殿下の護衛業務に就くことを認めていません。その為に軍から出向してもらっているのです」


 寮監達と違って、学校長は生徒に危険な任務を与えることに反対意見だ。警備棟や男子寮が必要と判断して手配したらあまり口出しはできない立場だが、学校としては認めない方針だとか。


「では、兄がそういうことを一切しないと学校長先生は断言できますか?」

「残念ながら私の管轄外ではあり得るから断言はできません。警備関係は学校側の管轄ではないのです。それ以前にこの学校に侵入して殿下を狙うというのはとても難しいのですよ。アレンルード君にも子供が無茶をしないようウェスギニー君からよく言っておけば大丈夫だと思いますがね。授業でも別々、寮でもフロアが違うんでしょう?」


 穏やかな口調は、アレンルードも守られるべき一生徒なのだと告げていた。

 やはり学校長は私の味方だ。あとは警備棟だな。寮監は駄目だ。

 双子の兄は私の言葉を素直に聞くだろうか。ここは学校長権限で命じてほしかったけれど。


「そうかもしれませんが、うちの兄は昔っから強くなりたい子なんです。誰かに貴族としての義務と言われてしまえば、無理でも、それこそ自分の命を投げ出してでも無茶をするかもしれません。ここぞとばかりに鍛えようとしすぎてムキムキになられたら可愛さがなくなってしまいます。学校長先生、私は兄にそういうものは求めてないのです」


 王子エインレイドの護衛として常駐しているネトシル少尉はアレンルードを鍛えてはいるものの、いざという時には自分一人でエインレイドを守るだろう。アレンルードを巻き込むとはとても思えない。そういう甘い人だ。

 だけどそれ以外の人はどうだろう。

 おそらく男子寮監達は自分達が敵を引きつけて戦い、アレンルードにエインレイドを守って安全な所まで逃がす役割を押し付けるだろう。敵はそういう逃走ルートも考えた上で襲撃してくるのに。

 大抵はそういう最後まで王子と一緒にいる人がめちゃめちゃ強い人に相対して敗れ、そして守れなかったことを責められるのである。

 それを分かってて強くなろうとしたら、アレンルードはクマみたいな筋肉ムキムキ男に成長するしかない。そんなの私が嫌だ。

 兄にはその遺伝子を最大限に活用して、父のようにうっとり素敵な肉体になるか、叔父のようにたくましさにすりすりしちゃう肉体になるか、そのどちらかであってほしい。

 何よりまだ子供のアレンルードでは取り返しのつかない大怪我を負う可能性が高かった。

 瞳の奥が熱い。あまりにも悲しい。

 アレンルードはこのままやんちゃで無邪気に育っていればいいんだよ。


「分かってください、学校長先生。私は兄にスポーツクラブのパンフレットを見せたり、素敵な男の人が出てくる御伽話を寝かしつけながら話したり、どういう男の子が女の子をきゅんっとさせるのかを睡眠学習で言い聞かせたり、肉体の一部だけが鍛えられて偏った体型にならないよう次々に違うスポーツを勧めたりして、何年もかけて自分好みに育ててきたのです。私はアレンルードに、妹を世界で一番大切にするセクシーでスタイリッシュな男の子に育って欲しいのです。そこに王子様とかなんて違う世界の話なのです。たかが数ヶ月前に兄を初めて知った人達が乗り出してくるなんて間違ってます」


 生意気で妹を手下呼ばわりするけど、アレンルードは妹が世界で一番大好きだ。寝る時は私がいないとすぐに探し始めるし、自分より優先されるボーイフレンドなんて認めないぐらいに独占欲が爆発している。

 かつての弟と違う点は、それでも自分が認められるぐらいに頼りになる男がいたら妹の結婚相手として考えてやってもいいといった気持ちがあるところだろう。

 独占欲はあるけれど、それ以上に妹の幸せを考えてしまう男の子だ。


「いつもにこにこ何も考えてないフリでそこまで考えているアレルが凄すぎる」

「感心するとこじゃないだろ、レイド。アレンの敵はあまりにも身近にいた海狸(ビーバー)だった」

「ここはアレンより僕らまでアレルの調教を受けているかもしれないことを恐れるべきじゃないか?」

「アレルって見た目は可愛いのにね、見た目は。僕、アレルが一般部なのって最初は貴族なのに可哀想にって思ったこともあったけど、今は全然思わないや」


 クラブメンバーがすり足で壁側へ寄りながらヒソヒソと囁きあっている。


「これこれ。アレンルード君にもアレンルード君の成長があって、妹であってもその変化を認めないことは間違ってますよ、ウェスギニー君。子供はいつか保護者の手を離れて独り立ちするものですからね」

「・・・分かってます。ですが未成年の内は保護者の管轄下。父が不在がちだからこそ、私は兄を健やかに育てなくてはなりません」


 不便なことも多い男子寮で生活することで、アレンルードはいつも世話してくれるマーサや私への感謝を育む筈だった。

 そして私は、平日は趣味に没頭し、週末には戻ってくる双子の兄の生意気さを笑って受け流しつつ充実した日々を過ごす予定だった。いつの間にそんな完璧スケジュールが崩壊したのか。


「ふむ。アレンルード君は他人のどんな思惑があったとしても、そんなものに惑わされないと思いますよ。何と言ってもアレンルード君はウェスギニー君を一番大切に思ってますからね」

「・・・学校長先生」


 そうかもしれない。アレンルードは誰よりも私を大切に思っているだろう。

 だから心配だ。

 フォリ中尉とネトシル少尉は子供に甘い人だし、オーバリ中尉も父に気兼ねするから大した問題じゃない。問題は私が関与していない人脈である。

 いつの間にあんな物騒なサーベルだのプロテクターだのをアレンルードは手に入れていたのか。

 第二王子を守る為に子爵家長男を利用しようとしている人が用意したなら納得である。あんなの子供が持っていていいものじゃない。そしてアレンルードはそれらの武器を、双子の妹を守る為に使う気満々だ。

 優斗が案じたように、子供だからこそ多感な時代に人を傷つけることを当たり前に考える価値観を植え付けられてはたまらない。


(仕方がない。もう全ての敵は私が始末しよう。そしてルードからあんな危ないものを取り上げないと。あの時は、優斗が本気になったらあんなものでもないとルードの命が危険すぎるって思えたから後回しにしてたけど)


 和臣は私が大事だから、使えるようならアレンルードを鍛えることも躊躇わない人だ。校舎や居住地が違うから私の護身を重視し、アレンルードを使わないと決めただけ。

 このままアレンルードは和臣と距離を置いていてほしいものだ。

 優斗だと、アレンルードの年齢を考えて攻撃力を与えてはいけないと自制している。私が優斗の環境に対して望んだことを忘れていない子だ。

 そしてエインレイドを大事に思う人達はアレンルードを利用することしか考えない。使用人にお世話されて生きてきた令息令嬢と違い、私達は自分で考えて動くくせがついているからだ。

 私を可愛いうさぎさん呼びする家族は、何かあったらアレンルードと協力して一緒に動きなさいと言う。二人で協力すれば普通の変質者ぐらいは退(しりぞ)けられるし、周囲に助けを求めやすい。

 色々な考えがあるけれど、何かあった時にはアレンルードを誰もが思い浮かべる。何故ならアレンルードにはそれだけの素質があるから。子供だけで動いている時、アレンルードを入れておくだけで違いが出てくるから。

 だけど私自身の考えは違う。

 どんなにしっかりしている少年であろうと、大人が守ってあげなくてはならない存在だ。かつての優斗のように。


「学校長先生。自我が確立した成人であっても、殺人を正当化する軍での戦果と一般社会での在り方の違いに価値観を壊され、心を狂わせていくのです。何を当然とするか、しないか。その時は許されるが違う時では許されない。そんなあやふやなものに心をおかしくされて、自分を壊してしまうのです。・・・数十もの戦場で人を殺し、一般社会で人を殺すどころか傷つけることもしない生活を送るという真逆な価値観の中で交互に生きることをこなしもしていないひよっこ軍人の言葉など何の参考にもなりません。アレンルードに人を殺傷することへの躊躇いをなくさせることなど言語道断。エインレイド殿下の近くには私がいるではありませんか。兄は即座に教室替えをし、エインレイド殿下から遠ざけてください。寮も退寮させます」


 いざという時には誰を理由にすることなく人を殺すことを選べる。そういった覚悟を持ち、実際に遂行してきた人は少ない。この学校の生徒では私ぐらいだろう。

 かつて弟の為ならばその犠牲は当然だと、私はその査定を受けて発注書にサインした。あの子以上に大切な存在などいなかったから。

 そして和臣は私が何かを言う必要もなく強かった。

口調の変わった私に、学校長がどこか戸惑った顔になる。


「アレル、心配しなくてもアレンは僕とかなり距離を置いてる。顔を見たら朝の挨拶するぐらいだよ」

「そういう問題じゃないです、レイド。うちの兄はいざとなれば自分が動けることを知ってます。そしてできてしまうんです。他に期待せず、言われればその指示に従って戦い、あなたを守るでしょう。・・・だけどレイド。私は知ってるんです。守るために戦い、人を傷つけ傷つけられた子供がどんな風に心を壊していくかを。そして子供に全てを負わせ、その責任を取らない大人達の卑怯と欺瞞を。王子様の為だから? 馬鹿馬鹿しい。そう言って他人を理由にして自分で責任取らない甘ったれた言い分など聞いてられません」


 寮監達は軍人として訓練を受けていてもそれだけだ。うちの父のように生きているわけじゃない。貴族の家に生まれた軍人とはこういうものかと、私もまた寮監達を観察していた。

 警備棟に所属する人でもそれなりの戦闘経験がある人は三分の一ぐらいだ。

 平然と人を殺し、それでいて私を決して傷つけない。そんな父に守られて私はこの国で生きてきた。

 私はエインレイドに向き直る。


「レイド。もしも私があなたの為に、誰か他の生徒に殺人をお願いするとしたら、その人の行動は私に帰属するとはっきり言います。王子様の為だからと、人に全てを押し付ける逃げ口上は使いません。王子様が傷つけられるのを防ぐ為にあなたに殺人をお願いするのだと伝えた上で、あなたが抱くその罪悪感も責任も全て私が代わりに背負うと言うでしょう」

「そういうのは軍の仕事だよ、アレル。君が背負うことじゃない」


 その軍人達は身分と身体能力は高くても地面の泥臭さを知らない。

 人を守ることは決して高尚ではないのだと知らないお坊っちゃま達だ。


「戦いで心を狂わせてしまった人達が収容される監獄のような療養所で死なせてくれと頼む涙を数えきれないほど見たことがありますか? それでもあなたに生きていてほしいと願う家族達の存在、その家族でさえも本当の苦しみに寄り添えていない事実を突きつけられて絶望していく苦悩と嗚咽と悲鳴を聞き続けたことはありますか? どれほどに耳を塞いでも聞こえる、目を閉じても見える記憶に苦しむその後を理解した上で、誰かの命を守るために誰かを殺すように命じる罪を知っていますか? 口先だけの薄っぺらい言葉など意味ないです」

「・・・え。・・・アレル?」

「私は自分の罪深さを知ってます。私は私の命を守る為に数十人、数百人の命が失われても仕方がない犠牲だと受け入れるでしょう。その絶命する瞬間まで立ち会っても後悔しない自己愛もあります。だけど、・・・ほとんどの人にそれだけの強さはないことも知っているんです」


 誰よりも傷つきやすかった優斗。あの子に自分の命を守るものを持たせたのは私だ。和臣が作成したそれはかなり高性能で、所定の手続きをしないと発注できないものだった。

 私は、私の為にあなたの命を守りなさいと、あの子に言った。


「レイド。私は、私の為に死なないでと願い、その為ならばあなたの命を守る為にどれだけの人命が失われても構わないと言ったことがあります。その結果、失われた命は数百、数千になるのかもしれません。だけど私はその願いを撤回しないし、失われた命は私が大切な人を失わずにすんだ為の犠牲だと割りきっています」


 優斗から渡されたブレスレットは私の二の腕にはめられている。それはあの子の願いだ。使い切っていた爆発物も和臣によって新しく装填されている。

 誰だって他の命よりも大切な人の命を願う。命は平等なんかじゃない。人は親しい命に高値を、疎い命には安値をつける。

 死が平等に訪れるからこそ、人はその平等さを回避する為にお金を使うのだ。命を凍えさせないように暖かな衣服と住まいを、命を弱めることがないように衛生的な環境と栄養価のある食事を、命を害されることなきように安全な環境と護衛を。

 私が優斗に与えた和臣特製の腕輪。私は優斗の命を守る為、それだけのものを支払った。

 軍人のくせして生徒に王子の命を守らせようとするような甘い考えなど、愛華は持たなかった。


「だからレイド。私はあなたを守ります。どれだけの人を傷つけ、殺すことになっても。それは私があなたという友達を失いたくないからです。そのことで私が心を壊すことはありません。たかが高級移動車、たかが別荘。そんなものがあなたの側にいた私の為に壊れたとしても気にしないように。あなたが王子だからじゃなくて、あなたが私の友達だからです。これでも私、自分の周囲の人間が勝手にいなくなるのは許せないんです」


 それを聞いたエインレイドの唇がほころぶ。


「アレルに守られなくても僕が守れるようになるつもりだけど、・・・うん、僕はもっと強くなりたい。僕にはまだそういう心を壊す程のそれが分かってないけど、今度教えてくれる? 僕もアレルが見てきたものを知りたい。アレルが僕を守る為に何かをするなら、僕はそれを一緒に背負うよ。だってアレルが生きててくれるから僕もアレルといられる。・・・みんなはアレンを勧めるけど、僕は最初からアレルが良かったんだ。だってアレンだと僕が守られるだけだけど、アレルなら一緒にお互いを支え合って守り合えるだろう?」


 いい子だ。本気でこの国の王子様っていい子だ。

 いつだって少年の心は今より大きくなりたいと叫んでいる。


「一方的なものより、僕はそういうアレルの考え方が好きだよ。アレルがいるから僕は強くなりたいって思える」


 ぎゅっと抱きしめられたから、その背中に私も腕を回してみた。背も高くて筋肉もついているけど物腰が優雅だからおっとりして見えるエインレイドはまだまだ成長途中だ。


「その意気です、レイド。そして私が成人したらとっても素敵な人をゲットするのに協力してくださいね。うちの父ぐらいにセクシーで、叔父ぐらいに頼りになる人を王子様の権力で見つけるんです。家事はできて当たり前。浪費家はお断り。そして私を大事にしない男なんて暗殺ホイホイな人達がついてきますけど、それに負けずに私を愛していて大事にしてくれる根性と経済力のある人がいいです」


 検知用エリアは広い方がいいの。そして高水準なものだけ見つけてちょうだい。王子様レーダーならいい男が引っかかりやすいでしょ?

 私は大切な愛の妖精だからおうちでごろごろしながら守られていたいけど、それではただの情報皆無者になっちゃう。

 私の代わりにいい男の候補者達を見つけておいてほしいの。それが友情。


「今、婚約中じゃなかったっけ? たしかその人、お金持ちなんだよね? 顔も悪くないってアレンが言ってたよ。アレルがセクシーがどうとか筋肉の配分がどうとかって理想を諦めたらそれでよくない? 理想は理想で、生きていく上で妥協はとても大切だって女官達も言ってたよ」


 さすがは王城で世話してくれる女達に囲まれてきた王子様。

 言うことがもっともすぎて反論できない。だが、私は妥協しなきゃいけない程のカウントダウンは始まっていないお子様だ。


「あの婚約者は、まあ、顔もそれなりにいいし、お金持ちですが、結婚しなくても貢いでくれるからそっちはどうでもいいのです。だけどあの婚約者、おうちも一緒、職場も一緒、誰かとのお出かけは許さないレベルで私を束縛する予定だろうなって今から分かってるから、私としてはいささか・・・愛が重すぎる」


 私は自分をたっぷり甘やかしてくれるお金持ちでスウィートなダーリンが欲しい。そして自分の時間も大事だから束縛系はお断りだ。

 優斗では私が甘やかす方だからね。うん、優斗に甘やかされた日には私のプライドが死ぬ。


「なんでそれで婚約なんかしたかなぁ」


 呆れた顔で、エインレイドが私の背中をぽんぽんと軽くタッチした。

 そろそろハグは終わりの合図だ。だって私達、お友達だから節度ある態度が必要。

 そしてこの王子、あまり表に出さないけど内心では私の婚約に腹を立てている。態度に出さずににこにこしているのは、大人達のパワーゲームを見てきたからだ。

 どう見ても作った笑顔だからすぐ気づいたよ。そろそろある程度の情報を渡してご機嫌をとっておかないと面倒なことになりそう。


「仕方ないのです。私の理想像とはあまりにも離れていても、あの婚約者は私に愛されてることを知ってるから引くわけがないのです。あのおねだりには逆らえなかったのです」

「・・・何のための理想像なのか分からない。しかもその外国人のこと、アレルってば愛してるの?」

「まあ、それなりに」


 息子として国王におねだりできるエインレイドに、私も否定的なことは言えずに肯定した。

 だってこの国でいちばんの権力者が国王様。法律も捻じ曲げてしまえる存在にいちばん強いコネを持っているエインレイドに優斗への憎悪を植え付けてしまったら終わりだ。


(恋しているのかって言われたら恋してないって言えたのにね)


 お互いの腕が離れたけれど、なんか周囲がしーんとしている。やはり14才で愛を語るのはおかしいだろうか。いいや、家族愛に年齢制限はない。

 好きかと問われたら嫌いじゃないと答えただろう。愛しているかと問われたら愛していないわけじゃないと答える。

 私があの子を否定するわけがない。

 そしてエインレイドに嘘は言えなかった。いつだって私の味方をしてくれるエインレイドに。

 私達の間にあるのは少年少女の淡い恋じゃない。言葉にできない仲間意識だ。

 だから本音で語ってしまう。いつだってお互いの心を大切にし合える友達だから。


(レイドは私に恋愛感情を求めない。可愛がりたい気持ちと特別な気持ちはあるみたいだから、10年後とかにはレイドの初恋は私だったとか言われちゃうかもしれないけど)


 私とて14才の少女で、目の前にいるのは性格も容姿も悪くない少年達だ。本来なら私こそが恋心を抱いていただろう。

 そう、私が私でなければアレナフィルはエインレイド達クラブメンバーの誰かに恋していたかもしれない。

 それでも私の中にある愛華の記憶がその可能性を切り捨てる。


(そう。私はみんなに優斗の面影を探すだけ。こんな風に、あの子もみんなと笑って過ごしてほしかったと)


 あの子には一生分の愛を注いだ。だからもう私の中には誰かを甘やかす愛情が枯渇しているんだと思う。

 双子の兄と暮らしていても、アレンルードには皆からの愛があった。

 あの頃の優斗には私の愛しかなかった。だから誰よりも多くの様々な愛をあの子にあげてしまっていたのだと今なら分かる。


「どれくらい好きなの?」

「・・・さあ。考えたこともないですね」


 私達はゆっくりと体を離した。

 だって恋なんかいつか終わりが来る。お断りしてお互いに決着をつけたらただの他人だ。

 目と目が合って優しく微笑めば手に入るのが恋心。愛華にとって恋は決して特別な感情じゃなかった。どちらかというと、厄介なおまけがつく面倒な感情だった。

 ならば今も私に執着している優斗の恋心を切り捨てたなら私達の関係に終わりは来るだろうか。いいや、来る筈がない。

 だってあの子は知っている。

 孫に甘い祖母のように、誰よりもあたたかな母のように、困った時には力を貸してくれるおばのように、猫可愛がりする姉のように、あの子には私の様々な愛が注がれていたことを。

 優斗の私に対する恋心が実らず枯れ果てても、私を家族として愛するあの子の気持ちが枯れることはないだろう。

 あの子が求めるどんな家族の愛情も、私は全て与えていたのだから。

 だから離れた。

 成長していくあの子の求めるものが、尊敬から男女の恋愛感情へと変わる前に。


「考えもせずに婚約しちゃったの?」

「・・・仕方ないのです」


 だってあの子が望んだんだもの。私を案じるあの子が、絶対にこの繋がりを失いたくないと私に願ったんだもの。

 今も私を求めるあの子を切り捨てることなどできなかった。

 誰よりも愛した私の宝物。私が育てた未来の光。決して私を裏切らない魂。


「恋したことも恋されたこともあります。それでも・・・あれ以上に私が愛した存在はいなかったから」


 誰かに分かってほしいなんて思わない。

 愛華が抱いていた気持ちは愛華だけのものだから。


(あそこまで私に依存しなくてよかったんだけどね。それでも私にとってはあなたが特別だったの)


 だから優斗。あなたが私に対して何かをしなきゃいけないことなんて何もない。もう私から解放されて構わない。自由に生きていいの。


(ねえ、優斗。手放すことも愛なんだと知って。あなたの枷となる私を切り捨ててもいいと思える程にあなたを愛していたのだと)


 だって私は覚えている。そして手に入れていた。

 あの頃の愛華が求めたものは、嘘のない愛情だけだったのだと。



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