70 ローゼンゴットの感傷はどこだ
現在、私は何故かウェスギニー子爵家長女アレナフィルの護衛担当の責任者をしている。侯爵家に生まれて子爵家の跡取りでもなければ王子妃に内定しているわけでもない、ただの性悪娘の護衛担当責任者。
こんな日が自分に訪れると予想もしていなかった。
しかもその護衛に対し、さりげなく手を抜いてアレナフィルがどこまでできるか明らかにしろという大公の命令と、何があろうと守り通して醜聞を近づけないでちょうだいねという大公妃の命令。
どうしろと言うのだ。
ミディタル大公の気持ちは分からないでもない。あのやられたら数倍にしてやり返す精神はどこまでタフなのか試してみたくなる。
同時にアレナフィルはグラスフォリオンの妻になるかもしれない少女だ。ガルディアスの妻になるかもしれないと考えている大公妃同様、私もそろそろスキャンダルは製造終了にしておけと言いたい。
今は大公妃に懐いているアレナフィルだ。ミディタル大公妃から言えば、素直に聞くだろう。しかし命令することで、土壇場でアレナフィルが反撃を躊躇って傷つけられてしまっては意味がない。
あのウサギ頭なりに考えた上で動いている時は自分の安全を確保した上で勝利をもぎ取りに行くが、突発事態にはパニックを起こして大騒ぎしながら走り回る子だ。下手に指示してしまうと何もできなくなってしまうらしく、アレナフィルの安全を考えるとお小言だけにすませるしかなかったウェスギニー家の事情がようやく理解できた。
だからミディタル大公妃は沈黙している。
アレナフィルは誘拐されても、自分で予測していたことなら手を抜くことなく破壊活動してから帰還したのだから。
ミディタル大公は、あの別荘で私が接触しなかった場合はどんな工作活動を行った上でなんと言い訳をしてみせたか、そっちを見てみたかったとぼやいた程だ。
(ただ甘えることしか知らん子ウサギなら、興味も失せていただろうに)
学校長室で、私は教師達の表情を観察しながらこの後の行動を考えていた。
「別にアレンに守ってもらうつもりはないし、そこは安心していいよ、アレル」
「当たり前じゃないですか。人なんて3カウントあれば殺せるんです。部屋の階数も違えば、授業も休み時間も別々な兄に期待する時点で頭がお花畑なんですよ。・・・大丈夫です、レイド。役に立たない大人達なんて期待せず、私達で乗り越えていきましょう。私がレイドを守ってあげます」
人の苦労も知らず、偉そうに王子たるエインレイドに守ってあげますとか言ってる子爵家の娘がいるが、腕力や脚力、持久力はエインレイドの方が上である。
破壊能力と非常識さのレベルはアレナフィルの方が遥か高みにあるとしても。
男子寮でエインレイドを見守っていた筈のガルディアスがいきなり方針転換したのは何故なのか。その答えはきっとこの王子にある。
「あはは、言うと思った。うん、そっちかなって僕も思ってた。そうだね、アレル。だから僕は君を守るよ。みんなは何かとアレンが頼りになるって言うけど、僕は最初からアレルのそういうところが好きだしね」
「私もレイドのそういう大らかさが好きです。大体、不逞の輩が入り込んできたら一人、二人レベルで殺すの殺さないの、敵かどうかを判断するのしないのと言ってるからダメダメなんですよ。生きてる人間全員を一人残らず倒せばいいだけじゃないですか。そうでしょう?」
見た目だけは可愛いアレナフィル。思考はどこまでも腐っているミニ悪女は、善良な生徒達をも倒す気満々だ。
礼儀作法までは調教できても、元々の思考回路をどうやれば矯正できるのか。これもこれで頭が痛かった。
今まではみんなの迷惑や立場を考えていつも自分を抑え込んでいた王子エインレイドがその影響を受けて王族としての道を踏み外しかけている。
エインレイドにとってアレナフィルは天から舞い降りた破壊の天使に見えているのかもしれない。神の御使たる存在が人を導くことがあっても世界には様々な神がいるわけで、悪辣ウサギが仕えているのは混乱の神かもしれないと思いついてくれればいいのだが。
「やっぱり僕、アレルといるのが一番楽しい。でも、味方も倒しちゃうんだ?」
「物事に尊い犠牲はつきものですよ。うちなんかより義務と責任が確実に多い高貴な人達が自分で自分のことぐらいどうにかすべきです。自分の身ぐらい自分で守れってね。ローゼンお兄様だって、それは護衛の失態であって私達が責任取ることじゃないって言ってたじゃないですか」
くすくす笑う王子に対し、私を巻き込んで自分を正当化する悪辣ウサギ。この後、前ウェスギー子爵セブリカミオに面会を申し込むべきか。
グラスフォリオンがちょくちょく訪れている為、私に対してウェスギニー子爵邸も好意的だ。跡取り息子であるアレンルードにとって、近衛にいるグラスフォリオンは頼れるお兄さんといったところか。
「ネトシル殿は自分に厳しいからね」
「あの時、ローゼンお兄様、言いましたよね。たとえ罵られても決めたらやりとげろって。そして護衛対象を逆恨みするようなクズの護衛はいないって。リオンお兄様だって、無駄に終わった警備が5000回、10000回あっても、10001回目に王子様を守れたならその無駄に終わった10000回に意味は出るって」
私だけでなくこの場にいないグラスフォリオンまで巻き込むか、このクソガキ。
おとなしく言うことを聞くのであれば面倒を見てやってもいい。このまま私の躾を受けていれば、どうにか貴族令嬢らしくなるだろう。
そう思った私の覚悟はどこまでも風前の灯だ。
「レイド、本来は護衛対象者が知らない状態で危険に対応するのが警備担当の仕事です。生徒達を導き守るのが教師です。それでも尚あなたに危険が迫るなら、私達はもうやっちゃっていいと思うんです」
大公妃、本来はこのウサギ娘の危険を取り除くのが我々護衛担当の仕事です。貴族の礼節を教え導くのが先輩の務めです。それでも尚救いようのない欠陥娘なら、もう捨てちゃってもいいと思うんです。
(箱に入れて期間限定婚約者に送りつけるか。二度と戻ってこないならこれ以上のトラブルも起きん)
ファレンディア国の期間限定婚約者は、アレンルードからガルディアスが聞き出したところによると、アレナフィルの尻に敷かれて言いなりになっている頼りない男だが、同時に他国で囚われたなら容赦無く周囲一帯を制圧して母国へ帰還する苛烈さもあるとか。
その外国人婚約者は、アレナフィルが誘拐された時のお守りにと、数十人が眠りにつくような薬を渡して去ったと、アレンルードがぼやいていたそうだ。
市立の幼年学校に通っていたアレンルードは貴族社会に染まっておらず、ガルディアスとグラスフォリオンを親戚のお兄さん気分で信頼しているが、それは双子の妹を守ってくれている前提ありきだ。
双子の妹を案じるアレンルードは、ガルディアスとグラスフォリオンにアレナフィルについての悩みを相談してはアドバイスをもらっていた。
(普通は妹との縁談が発生するかもしれない相手に妹の不出来さを相談するもんじゃない。良い縁談を自分から壊しにかかるようなもんだ。そりゃ壊れてくれた方がストレスたまらんが)
国立サルートス幼年学校に通わなかったアレンルードは座学でしか王侯貴族社会を理解していない。ゆえに仲良くなることで己の家が受ける利益を理解しておらず、せいぜいミディタル大公家とネトシル侯爵家が所有する邸宅に泊まりにいくことができる程度と思っている。
保護者である叔父のレミジェスは、子供達には市販されているおやつを買い与える程度にしてください、他の令息令嬢のように家への利益を匂わされたり実行されたりするとお兄さんができて仲良くなれたと喜んでいる子供達が傷つくのでしないでくださいと、内々に伝えてきたそうだ。
「あなたならアレルちゃんに惑わされないと思っていたのに」
「え。いや、それはうちが護衛している時の話ですよ。それを言うなら学校は学校できちんと警備システムが構築されているじゃないですか。あなた方もいて不安があるものでもないと・・・」
「男子寮内でやらかすわけじゃないんですが?」
「それを言うのなら大公邸内でやらかすわけでもないわけで・・・」
どうして私がマレイニアルの恨み節をぶつけられるのか。言い訳に終始する我が身が切ない。
大体、子供の躾は保護者の義務だ。
(双子の兄はまともに育てているのに、なんで妹はこれ。本来は男児よりも礼儀正しく育てなきゃならない女児を好き放題にさせてるってどういうことだよ)
どこまでも地に足をつけた生き方をするウェスギニー子爵家はアレンルードに出世としてのごますりを学ばせる気がない。それなら父親の子爵はどうなるのかと思うが、大公妃から教えてもらったところによると彼の出世は実はかなり抑えたものだとか。
先代と実弟が代理で出席することも多く、本人は思いがけない場所で見かけることがあるからそんなものだと思っていたが、双子達によるとウェスギニー子爵はかなり不在がちな男だった。
それがあまり知られていないのは子爵邸ではなく私邸で暮らしている上、先代が健在だからだろう。子爵自身は子供達と過ごしていると思っていたら、子供達は家政婦と暮らしていた。
「大丈夫です。次はみんなでいっしょにやるって決めたじゃないですか。大空にゴーストなんてケチケチしたことを言わず今度はビーストやクリーチャーをぶちかまし、みんなの度肝を抜きましょう。敵味方問わず誰もが倒れ伏した瓦礫の上に立ち、そして私達は物憂げに、
『勝利とは、・・・得てみれば虚しいものだな』
ってカッコよく呟いてみるんです。記念フォトも撮りましょうね」
調子に乗ってる子爵家の娘は、それで家政婦にしこたま怒られたことをもう忘れている。
観光旅行に行くようなノリで国立サルートス上等学校における破壊活動を予告宣言しているのだからどうしようもなかった。
「そのセリフって決まってるわけ?」
「もっと馬鹿にしてるセリフも募集中です。意気揚々と乗り込んできた挙句に即負けした記録をきっちり残してやりましょう。号外トップニュース用に風にたなびくマントを翻したレイドの記念フォトを高く売りつけ、タイトルに王子の独白としてつけてもらうのです。そして逃げ延びた残党をくぅーっと歯噛みさせてほーほっほっほとグラス片手に高笑いしてみたい。レイドの記念フォト代で素敵なバーを予約しちゃうの」
「うわぁ。もう予定立ててる」
未成年に酒を出すバーなど存在しない。公園でコップ片手にオレンジジュースでも飲んでろ。
親の顔が見てみたいところだが、それこそあれは誠実な顔をしただけの悪夢だ。
(哀れなものだな。叶わぬ皮算用をどれだけ弾いても親の掌の上だとは)
アレナフィルの慰謝料がっぽがっぽ計画をガルディアスに止めさせている間に、国庫にかなりの大金が入ったとか。
その成果を挙げたのはとある女性大臣だが、その大臣はアレナフィルの婚約をサルートス王国でも出せという一派を窘め、ウェスギニー家のことに他人が口出しすべきではなく未成年は家族に守られて生活するものだと主張していた筈だ。
その女性大臣がとある貴族達から巨額の寄付金を集めてきたのである。
つまりアレナフィルがもらう気だった慰謝料は、政治的な国への寄付金という名目でとっくに国庫へ納められた。
寄付金の一部は、王子エインレイドの私的な外出に対して手厚い支援と警護をしていたレスラ基地、そしてウェスギニー子爵家長男アレンルードにレスラ基地と共に戦略や戦闘技術を教え込んでいたサラビエ基地に金一封として与えられたという話である。
(ごますりとシッポ振りで出世したと言われても全く気にしてなかったわけだ。そっちが片手間じゃねえか)
ウェスギニー・ガイアロス・フェリルド。高位貴族に取り入るのはお手のものとされる男は、今や国王夫妻、大公夫妻からも一目置かれている。王子エインレイドの警備担当報告係に抜擢されながらもその任務を放棄した上で緊急任務を次々とこなしていることが明らかになったからだ。
今回も娘の安全を守る為にヴェラストールへ向かっていながら、決定的な証拠を幾つも確保した上で女性大臣を使って大金を吸い上げ、国庫へ納めさせた上で次の作戦への予算を融通させた。その女性大臣もかなり立場を上げたらしい。
ミディタル大公妃がアレナフィルを預かっておらず、ガイアロス侯爵家とウェスギニー子爵家との橋渡しをしていなければ、ここまでの情報は流れてこなかっただろう。
以前から大した仕事もせずに権力者のご機嫌伺いばかりしているという噂はあったが、どうでもいい仕事に就いていることを隠れ蓑に機動性が要求される任務をこなしていた。
だからだろうか。常識の範囲が少しおかしい。娘が誘拐されようが無事なら良しとする男だ。
そしてアレナフィルに危険な薬が渡されたと知っても、実際に誘拐されたならそういう薬を持っている方が安全だし、何もなければ使わないだろうとウェスギニー家は黙認している。
ちなみにアレナフィルはそんな薬をもらったことを未だに保護者に申告していなかった。
まずは娘を叱責し、全てにおいて報告義務を叩き込めと言いたい。
(渡す相手間違えてるだろ。こっちが欲しいわ。んな薬こっちがいるわ。子守代金で渡してこいっつーの。ざけんな、なんであんな性悪ウサギにんなもんが必要だってんだよ)
いや、羨ましさに口が悪くなってしまった。
双子の兄にはこっそり薬を分けてあげようかとアレナフィルは言ったらしいが、アレンルードは断った。どこかの建造物に侵入するならともかく、そんな物を持っていて誰かに盗まれたら大変だからと。
アレナフィルが盗まれることは心配しないのかと思ったが、アレナフィルは双子の兄と違って学校や寮でシャワーを浴びることはないし、常にバッグを持ってあちこちの教室を移動しているから盗まれる隙がない。
ガルディアスにはアレンルードのそんな思考が好ましく映っている。可愛いエインレイドにはアレンルードと友達になって健全に生活していてほしかったらしい。
その気持ちを無視して、エインレイドはアレナフィルがお気に入りだ。下町の子供達と元気に渡り合ってきたアレンルードはあまりにも活発すぎる上、見かける度に誰かと仲良いんだか悪いんだか、乱雑な会話を繰り広げているものだから純粋培養な王子にはとてもハードルが高いらしい。
「全員を取り調べ、不逞の輩とその協力者達は全員公園で展示して、どういうことをして捕らえられたか、それがどういう罪になるのかを説明した看板を立てます。ここまで守られている学校に入り込めるなら絶対に手引きした人がいますからね。それから、彼等を雇う人を募集するのです」
「犯罪者を雇わせるの? しかも罰も与えず?」
「だから雇った人の出す給料が、そのまま壊れた物や怪我人の治療費に使われると周知するのです。普通より安く雇用できて、その給与は彼等がやらかしたことの後始末代金として使われるとなれば、雇う方だって犯罪者の雇用が治安維持に貢献していると納得できるでしょう。皆もその仕事ぶりを見張る筈です」
私達から見れば、アレンルードの粗雑さよりもアレナフィルの思考の方がよほど危険で身勝手かつ権限侵害も甚だしいレベルでぶっ飛んでいるのだが、エインレイドはそれが分かっていない。
少女一人で何ができるものかと言いたいが、外国人からせしめた危険薬物を所持しているときた。
ウェスギニー子爵は娘にそんな薬物が与えられていて何もしないのかと思ったが、アレンルードが改めて叔父に尋ねたところ、アレナフィルが聞かされている薬の効果と解毒剤が本当にそうなのかの真偽は不明、しかも分析させて外国人婚約者の信頼を損ねるデメリットの方が大きいと判断して放置しているらしい。
その外国人が囚われたという地域は今も土壌が汚染されている可能性があり、サルートス国軍は死の土地を製造することに価値は見出していないと、レミジェスは甥に教えた。
けれどもアレナフィルが危険な目に遭ったなら遠慮なく使ってこいといったスタンスだ。
父親のことを叔父に聞くのもおかしい気がするが、ああいう素直な甥なら私も欲しかった。そういう意味でウェスギニー家が少々羨ましい。
(こいつだけは素直に褒めたくはないがな。しれっと相手を分けて態度決めてんだよ、この悪ガキ)
警戒心が皆無に見えても、アレナフィルは人を信じていない少女だった。
だからガルディアスのように私もアレナフィルを特別扱いしてしまうのかもしれない。
私が与える菓子は試作として納品されたものを簡単に包んだものだが、アレナフィルは何の疑いもなくその場で食べるからだ。
変な薬を仕込むような犯罪行為、唾液や体液をまぶしておくような変質的行為をする人間ではないと見極めているのか。
(大公邸でも偏屈だの社交的だの種類を問わず自分にとって敵に回らん、そして便宜をはかってくれる人間にだけ懐いてやがる。どいつもこいつも芯はあるときた)
本当に男を見る目だけはあるのだ、このミニ悪女。
そして自分を尊重してくれない男には暴言をかます。ミディタル大公邸でも、とても愛らしくて礼儀正しいという声と、礼儀知らずで生意気だという声の両極端だ。
(なんで自分に声かけてくれた男に向かって、自分を口説く時は財産目録書と借金の有無と性病検査表がまず必要なんですとか言うかね。奴も、成人してからなら相手にしてやってもいいぜというふざけた声かけだったらしいが、どっちもどっちだ)
素直にしてりゃ可愛がってやるよと大上段に構えた声かけをした容姿に自信のあった奴らは全て鼻っ柱を叩き折られた。しかもアレナフィル、
「私、お父様と叔父様が素敵な男性の基準だから・・・。ここに来て父と叔父がどんなに女性の扱い方が上級だったか改めて分かりました。どなたも足元にも及ばないんですもの」
と、重ねて侮辱することを忘れない。
さすがにむかっと来たギャラリーが、
「ミディタル大公閣下も足元に及ばないと?」
と、小娘の虚勢を鼻でせせら笑ったが、
「ミディタル大公様、隙あらば私を娘にするとおっしゃいますの。私、大公様をパパ様って呼ぶように言われてますのよ。奥方様のいるパパ様を素敵な男性枠に入れていいものなのかしら。私、大公妃様、大好きなんですもの。うちの父と叔父は独身ですけど」
と、喧嘩を売り返していた。
結果、戦闘能力がなくてもその気の強さがいいと、ミディタル大公軍参謀本部が可愛がっている。鬼に金棒だからやめてほしい。
「乱暴できない体にされちゃうんだ。さりげなくアレルが容赦ない」
「子供達はそれを見て、悪いことをしたらこうして罰せられるんだと学ぶでしょう。国民全員で王子の苦難、そして侵入者達のせいで昏倒させられた全校生徒の苦痛を分かち合うのです。レイドといる私を煩わせるなど、誰が許しても私が許しません」
「昏倒させるのはアレルだよね? 侵入者達のせいになるの?」
「私にそうさせる犯罪者達、暴徒達が悪いのです。だからその責任を彼等は取らなくてはなりません」
どこぞの当たり屋のセリフだ。
こんな奴に権力を持たせたら面白くはなるが、秩序が崩壊する。
男子寮の寮監達の頬がひくひくと引き攣っていた。
「どうして誰もがあんな身の程知らずな小娘に・・・!」
「苦情は大公妃殿下までお願いします。あの方に命じられている以上、私にもどうしようもできません」
甥の不満は叔母が引き受けてくれ。
マレイニアルの苦情受付まで私がこなさなきゃいけないのは誰がどう考えてもおかしい。
「なんであの人は・・・」
「落ち着いてください。気持ちは分かります。分かるんです、個人的には」
「個人的には・・・」
「あくまで私、雇用されている身ですから」
彼にしてみれば大事なガルディアスが気に入っている娘がアレナフィルということが認められないってことは理解するんだが。十分にその気持ちは分かるんだが。
こっちは弟が気に入っているものの家族は反対モードときて、もっと切実な状況だ。
私だってグラスフォリオンがアンジェラディータの件でぼろぼろになっていなかったら、アレナフィルへの気持ちを取り下げさせただろう。本人は良くてもお互いの一族の相性が悪すぎる。
だが、一度目の傷はどうにか乗り越えられても二度目はもう駄目だ。だから味方してやろうと思ったのだ。
(どう見ても権力者だけを押さえていってるよな。それ以外には可愛くする必要もないって思ってるよな。なんでこんなクソガキに惚れやがった、グラスフォリオン。そりゃリオンにも懐いてるから男を見る目はあるっちゃあるんだが、・・・確実にうちの愚兄には喧嘩を売るタイプだ)
ミディタル大公妃の甥であるドルトリ伯爵家のマレイニアル。アレナフィルの無礼さにむかつく気持ちも分かるが、それならアレナフィルを気に入っているガルディアスの方を説得した方がいい。
もうアレナフィルは修正不可能だ。
「信じらんねえ。全校生徒だけでどれだけいると思ってるんだ、このビーバー。それを含めて全員倒すって何をやる気だ、何を。大言壮語と言いたくてもあの全焼した別荘と無傷でピンピンしていた事実がそれを言わせない」
「アレルならやるだろ。声かけられようとしたレイドを逃がす為に大空にゴーストかましたアレルだ。テロリストが入り込んだら校舎ごと爆破ぐらいやるだろ、確実に。治療費はそいつら持ちってことか」
「そうかも。うん、生きてるならいいんじゃないかな。それに生徒だからって侵入者の共犯じゃない理由にはならないしね。その公園の看板、誰が書くんだろう。もしかして僕達?」
「その時はみんなも仲間だよ。ちゃんと手伝ってね。そして私達をその権力でレイドは守るのです」
「僕に権力はないけど、そんなことがあったら叔父上が乗り出すよ」
教師や寮監達の顔を見ることもなく少年少女達は勝手に盛り上がっていた。
文句を言いながらもアレナフィルへの信頼感が高い。内容はどうしようもないが、子供は元気だ。
家の事情とか、身分の差とか、社会の仕組みを理解しないままに子供は友達としての好きな気持ちを知ってしまう。普通は幼い時に卒業してしまう友達への大好きな感情を、アレナフィルの強引さに呑まれてクラブメンバーはこの年になっても維持していた。
困った奴だが根はいい奴なんだぜと、なんだか裏路地で展開されるような友情が出来上がっている上、見た目だけは愛らしいアレナフィルなので少年達ものめり込むのだろう。
(キセラ学校長も色々な学校で生徒達を見てきた上、クラブルームに出入りしてミニ悪女の男の捕まえ方を聞いていたんじゃな。そりゃ王子を誘惑するなんて思いもしないだろう)
学校長室で教師達の意見や寮監達の意見を聞いてみたところ、やはり子爵家の娘として王子は優良物件としてゲットしたくなる気持ちはあるだろうという意見が幾つかあった。
あれだけ賢い女子生徒なのだから王子の価値ぐらい理解していない筈がないと。
ただし学校長はその意見に否定的だ。
クラブルームによく出入りしているせいか、アレナフィルにとってエインレイドは誘惑する価値も無いと考えていることを学校長は知っている。
(ありゃ普通の賢さとは違う。賢いからこそ王子にメリットを見出さないんだ。そっちを考えて王子を手に入れようと思ったならとっくに手に入れてただろ)
アレナフィルはとても自分勝手な少女だ。
自分が幸せになれる男でなければ手にいれる価値はないと考えている。だから自由になる小遣い額が限られる上、使い途を親に報告される未成年は対象外だ。
自分をお姫様扱いしてくれるばかりか素敵な物をプレゼントしてくれるという叔父にメロメロなところがどうしようもない。
下心のない男からのプレゼントなど存在しないと割り切り、最初から自分に可愛さしか求めない叔父一択なアレナフィルの賢さに学校長も苦笑するしかあるまい。
そして男は成人して社会に出ると一気に変化することをアレナフィルは理解していた。社会を知ると、それまでの少年時代とは全く違う生き物に男は変化する。
そう、社会に出て揉まれて初めて男は真価を見せつける生き物だ。
それを分かった上で、今の少年時代のチェックは無駄だと言ってのけるアレナフィル。あれはただの横着者だ。金銭を巻き上げても後腐れのない大人だけをミニ悪女は狙っている。
(今の悪党ウサギはエリー王子に手を出さないだろうが、成人してからは誰をターゲットにするか考えると怖すぎだろ。さっさとうちの愚弟で手を打ちやがれ)
王子エインレイドは、その身勝手さを隠さない子爵家の娘に執着している。自分が王子だからじゃない、誰かの血を引いているからでもない、王子という肩書きを持つだけのただの少年として真っ直ぐに見つめ、堂々と利用宣言してくる少女を。
利用と言っても、あそこまでくだらないことしか考えないのだからエインレイドにとって全く脅威ではなかろう。アレナフィルは利用宣言しても、反対にエインレイドに利用されている間抜けウサギだ。
入試と第一回の試験で満点を取り、入学早々全学年のテストを受けて卒業資格を得た少女を学友としたエインレイドは賢さを評価する王子だと皆に認識された。
自分に使った金銭や手間に回収を考えない太っ腹な男が好みなアレナフィルは、王子エインレイドを誘惑する気が全くない。正常な思考があれば家の為に王子を籠絡するだろうに、どこまで欠陥貴族令嬢なのか。
おかげでエインレイドはアレナフィルを隠れ蓑にしてクラブメンバーと楽しく男の友情を築いていた。少年達だって自分達はオマケみたいなものだと思っているから気負わずに済むのだろう。
そんな間抜けミニ悪女はどこまでも自分に対して優しくない男に喧嘩を売る。
今は双子の兄を取り戻そうと鋭意努力中だ。
「学校長先生。そういうわけでうちの兄を決して護衛として使わないと一筆書いてください」
「心配せずとも、生徒であるアレンルード君を護衛として考えてはいませんでしたよ。確約と言われても、学校側は生徒が殿下の護衛業務に就くことを認めていません。その為に軍から出向してもらっているのです」
「では、兄がそういうことを一切しないと学校長先生は断言できますか?」
今度は上等学校における最高権力者を巻き込もうとする悪辣ウサギに、キセラ学校長は穏やかに微笑みかけた。
「残念ながら私の管轄外ではあり得るから断言はできません。警備関係は学校側の管轄ではないのです。それ以前にこの学校に侵入して殿下を狙うというのはとても難しいのですよ。アレンルード君にも子供が無茶をしないようウェスギニー君からよく言っておけば大丈夫だと思いますがね。授業でも別々、寮でもフロアが違うんでしょう?」
実際、その場にいなければ何もできないのだから、授業もクラブ活動も別、男子寮内でも食堂ですれ違う程度のアレンルードが護衛として役立つことはまずないのだ。
あくまで保険として考えているだけで、誰もがそこまで期待はしていない。アレンルードにしても、もしも突発的な非常事態が起きたら即座に動くといった感覚だろう。
それなのにアレナフィルだけがピーピーと騒ぎ立てる。
「そうかもしれませんが、うちの兄は昔っから強くなりたい子なんです。誰かに貴族としての義務と言われてしまえば、無理でも、それこそ自分の命を投げ出してでも無茶をするかもしれません。ここぞとばかりに鍛えようとしすぎてムキムキになられたら可愛さがなくなってしまいます。学校長先生、私は兄にそういうものは求めてないのです」
「・・・ビーバーがどこまでも身勝手すぎる」
ベリザディーノに同感だ。なんでこの小娘だけが一人で違う方向へ突っ走っているのだろう。誰が聞いても脱力するくだらなさ。世界で自分が一番偉いと思っているに違いない。
だからドルトリ伯爵家のマレイニアルを怒らせるのだ。
しかも反省などせず、自分を嫌うなんて性格捻れてるんじゃないですかとばかりに挑発するのだからどうしようもない。
子爵家の娘ごときに偉そうな態度を取られて尚耐えねばならない彼の状況に同情せずにはいられなかった。
「分かってください、学校長先生。私は兄にスポーツクラブのパンフレットを見せたり、素敵な男の人が出てくる御伽話を寝かしつけながら話したり、どういう男の子が女の子をきゅんっとさせるのかを睡眠学習で言い聞かせたり、肉体の一部だけが鍛えられて偏った体型にならないよう次々に違うスポーツを勧めたりして、何年もかけて自分好みに育ててきたのです」
室内にいた教師達の顔が放心し始める。
国立サルートス上等学校でこんな馬鹿馬鹿しい主張を繰り広げる生徒がいるとは世も末だ。アレナフィルはグラスフォリオンを毒牙にかける前に自分の兄を調理中である。
「私はアレンルードに、妹を世界で一番大切にするセクシーでスタイリッシュな男の子に育って欲しいのです。そこに王子様とかなんて違う世界の話なのです。たかが数ヶ月前に兄を初めて知った人達が乗り出してくるなんて間違ってます」
堂々とせつなげな顔で主張するアホ娘、ウェスギニー家は獅子身中の虫として駆除しろよ。大切な跡取り息子が侵食されてるだろが。
どこまでも悲しげだが、私もこれが弟の妻になるかもしれない少女かと思うと頭痛が止まらない。
大切なガルディアスにこんな小娘がと怒りに震えるマレイニアルと本来なら語り明かしたいくらいだ。
だがガルディアスはエインレイド達クラブメンバーの成長を確認した上でアレナフィルを高く評価していると、私は知っている。マレイニアルも知らない筈がないが、怒りを抑えきれないってとこか。
「これこれ。アレンルード君にもアレンルード君の成長があって、妹であってもその変化を認めないことは間違ってますよ、ウェスギニー君。子供はいつか保護者の手を離れて独り立ちするものですからね」
「・・・分かってます。ですが未成年の内は保護者の管轄下。父が不在がちだからこそ、私は兄を健やかに育てなくてはなりません」
何故、経験を積んできた教育者達を前にお前が子育てを語る。
いつから双子の兄の母親になった。
(子爵家の息子が就学中に王子の護衛として抜擢されたんだ。普通は家族もろとも誇るべきだろうに)
実際、アレンルードはサルートス幼年学校に通っていなかったのは不出来だからだろうと言われていたが、一気に評価を覆している。
全国放送されたアレナフィルの去勢宣言。あれは双子の妹になりすましたアレンルードだったと、知る者は知っているからだ。
いざとなれば女装もこなし、少年ならではの下品な喧嘩も売ってみせる。あれを見て国王も爆笑したらしい。将来はどんな青年に育つやらと、今から好感度急上昇中だ。
子爵位を継ぎ領主となるアレンルードの真価を誰もが見定めようとするのは当然だった。
(あの少年には早めに縁組を取り付けた方がいい。問題はうちの一族はプライドが高く、侯爵家の血筋を有り難がれといった思考があることだ。言い聞かせても平民の母親を持つ少年を侮る思考を手放しはしないだろう。グラスフォリオンが親しい以上、うちにウェスギニー家を侮るところさえなければさっさと顔合わせできたってのに・・・)
私がネトシル侯爵家を継ぐ身であれば、一門の中から選りすぐった娘にウェスギニー家の価値を教え込んだ上でアレンルードと引き合わせただろう。あの少年はいずれ化ける。
ミディタル大公邸で、アレナフィルと間違えて声をかけてきた男を蹴り飛ばしたアレンルードだが、あの後でグラスフォリオンを通じて、彼に渡してほしいと詫び状と見舞いの品を私に渡してきた。その見舞いの品が美味しかった保存食品というのは不思議なチョイスだったが、詫び状を読んだ彼はどこか穏やかな顔つきになっていた。
改めて彼はウェスギニー子爵邸を訪問して祖父である先代子爵に自分が巻き込まれた事情と流れを説明した上で謝罪し、週末にはウェスギニー子爵邸へ招待されて夕食を共にして一泊した翌日、グラスフォリオンとアレンルードの三人で科学博物館に出かけた。
白いシャツに焦茶色のパンツスカート、髪をおろしてクマ耳フードのついた上着を着ていたアレンルードはアレナフィルのふりをしていたわけだが、将来性のある男を見繕う貴族令嬢は博物館に来るわけがないことを失念していたのではないだろうか。
博物館では彼もアレンルードの疑問に丁寧な説明を行い、グラスフォリオンの質問にも幾つかの参考文献をあげていたらしい。三人はとても仲の良い兄妹に見えていたようだ。
お兄様呼びしていても他人なのがばればれなアレナフィルと、さん呼びしていても兄妹のように見えてしまうアレンルードとの違いはなんなのか。
やはりアレンルードの見せる笑顔が健全なものだからか。
実際、ウェスギニー家の双子は愛らしい。
しかしアレンルードが男に好感を抱かれやすいのは、あのまっすぐな気性が理由だろう。悪いと思ったら謝る。相手がそれを受け入れても受け入れなくても、アレンルードはその結果を受け入れる。
お預かり様としてどこかおずおずとしていた彼は、ウェスギニー子爵邸を訪れてから憑き物が落ちたかのように顔つきが変わった。今から違う道へ進むつもりなのか、色々と調べている様子だ。
(見た目は可愛くても、中身はどこまでもガッツ精神溢れる少年。影響されて上級生達もどんどん成長していくとは聞いていたが、彼もまたそうか。だからエリー王子には兄の方と仲良くなってほしいと寮監達が願ってるってのに、肝心のエリー王子は妹一択ときた)
そんなアレンルードにアレナフィルの心配は必要か? 完全に不要だ。
妹の好みと思考を無視してアレンルードは健やかに成長中だ。
アレンルードは年上の男が自分に足りていない身長や身体能力、知識や経験を持っていることがとても羨ましいらしく、真似できることは真似して吸収し、追いつきたいと努力している。
アレンルードが自分の背中を追いかけてきているからこそ、上級生達も追い越されまいと自分を高めていくのだ。たとえ追い越されたとしても、アレンルードがその上級生を侮ることはない。自分を導いてくれた人は、他にも優れた資質をもっていると考えているからだ。
(違う意味であそこまで誰でも彼でも尊敬できるってのも凄いよな。普通はもっと好き嫌いが出てくるだろうに。そりゃ市立の幼年学校時代に比べりゃ幼い頃から高い水準の教育を受けた貴族は違うだろうけどよ)
それなのにアレナフィルはキセラ学校長へ訴え続けていた。
ホント、兄が周囲から学びとって必死に成長しようとしているのに妹はどこまで腐ってんだか。
「学校長先生。自我が確立した成人であっても、殺人を正当化する軍での戦果と一般社会での在り方の違いに価値観を壊され、心を狂わせていくのです。何を当然とするか、しないか。その時は許されるが違う時では許されない。そんなあやふやなものに心をおかしくされて、自分を壊してしまうのです。・・・数十もの戦場で人を殺し、一般社会で人を殺すどころか傷つけることもしない生活を送るという真逆な価値観の中で交互に生きることをこなしもしていないひよっこ軍人の言葉など何の参考にもなりません」
前半はともかく、後半がどうしようもない。
私は男子寮監達からそっと視線を外した。ひよっこ呼ばわりされた彼らの怒りを見たくない。
こいつは男に喧嘩を売らないと死んでしまう生き物なのか?
双子の兄が素直な分、ひねくれ担当が妹なのか?
どうしてそこで当てこするんだ?
父親がまずは責任持って娘に礼儀を叩き込めよ。あの男は工作部隊を率いていても、王城ではどこまでも腰が低くにこやかで礼儀正しい。その物腰は文官か侍従職のように柔らかだ。
(そういう男だと思っていたから考えもしなかったが、あの出世のためならごますりもお手のものだとされる男が苛烈な戦績をあげている方がおかしいのか。あの男は戦場でのそれと子爵としての生活との乖離に苦悩することはないのか・・・?)
殺せば殺す程讃えられる戦場と、殺すどころか人を傷つけることも非難される日常と、その乖離に悩む者は多い。やがて心を壊す程に。
何が理由でアレナフィルがそういうことを考えるようになったのかと思考を揺らしている間に、本人は学校長に主張を続けていた。
「アレンルードに人を殺傷することへの躊躇いをなくさせることなど言語道断。エインレイド殿下の近くには私がいるではありませんか。兄は即座に教室替えをし、エインレイド殿下から遠ざけてください。寮も退寮させます」
「えっと、落ち着いてくださいね、ウェスギニー君」
「アレル、心配しなくてもアレンは僕とかなり距離を置いてる。顔を見たら朝の挨拶するぐらいだよ」
戸惑う学校長にエインレイドも言葉を重ねる。
双子の兄が妹を案じるなら納得だが、妹が兄を案じるのはどう考えてもおかしかった。
「そういう問題じゃないです、レイド。うちの兄はいざとなれば自分が動けることを知ってます。そしてできてしまうんです。他に期待せず、言われればその指示に従って戦い、あなたを守るでしょう」
そうだろう。そうでなければガルディアスが目をつける筈もない。グラスフォリオンが世話を焼くこともなかった。
即戦力になりうる上、手付かずの原石。まだ子供だからこそ育ててみたくなる。
「だけどレイド。私は知ってるんです。守るために戦い、人を傷つけ傷つけられた子供がどんな風に心を壊していくかを。そして子供に全てを負わせ、その責任を取らない大人達の卑怯と欺瞞を。王子様の為だから? 馬鹿馬鹿しい。そう言って他人を理由にして自分で責任取らない甘ったれた言い分など聞いてられません」
エインレイドが困ったように目尻を下げるのを確認した私は見なかったことにしようと思った。
もう私は帰っていいだろうか。
アレナフィルは正しい。ここで王子を守る為に警備棟及び男子寮にいる者達は、任務もしくは仕事として配置されている。それを雇用や報酬などの契約もしていない一生徒に責任と義務を押し付けていい筈がないのだ。
王族への敬意と忠誠は、まずは未成年ではなく己の確固たる意志で成人した者が果たすべきである。
問題は理由とされた王子がどう思うかだ。エインレイドはアレンルードに護衛業務など望んでいない。
(次のウェスギニー子爵としての実績などといった名目で行動を縛っても、双子の妹が賢すぎたか。だが、次の子爵になることが確定していて、しかも本人の伸び代を期待できる以上は鍛えてしまうものだ。幼年学校時代はノーマークだった子供達がここまで頭角を表すとは誰も想像していなかっただろう)
痛いところを突かれた男子寮監達の気持ちが手に取るように分かった。同時に学内に生徒として出入りできる手駒があればもっと深くエインレイドを守れると分かっていて手を伸ばさずにいられない気持ちも。
足踏みしていては何も守れない。
この状況を分かっていても、言い募るアレナフィルを私は制止しなかった。
(さあ、どうします? お気に入りのクラブ長の言いなりになるのか、それとも・・・)
エインレイドという王子を成長させるのにアレナフィルはとても都合がいい。親身になった上で現実を叩き込むからだ。
だからガルディアスも面白がっているような顔でアレナフィルを止めない。私もまた男子寮監達に動くなと視線で合図した。
愚かな王族は国を滅ぼす。
そしてアレナフィルの特別許可を出した将軍の名前が未だに出てこない事実。国王は沈黙している。
「レイド。もしも私があなたの為に、誰か他の生徒に殺人をお願いするとしたら、その人の行動は私に帰属するとはっきり言います。王子様の為だからと、人に全てを押し付ける逃げ口上は使いません」
エインレイドに対して言葉を連ねて説明するアレナフィルは分かっているだろうか。それは同等の立場で夫を補佐する妃の在り方にも通じることを。
綺麗に着飾って微笑む妃も平和な時代にはいいだろう。けれども激動の時代には賢く全ての清濁を飲み込んで実行できる妃が必要となる。
どうしてミディタル大公が伯爵令嬢トレンフィエラを妃にしたのか。それは同じ場所で共に戦ってくれる女性だからだ。
いつかは王子エインレイドも妃という立場が背負う重みを理解する。その時、彼は誰を選ぼうとするのか。
ついガルディアスの気持ちに同調してしまう私の前で、アレナフィルはエインレイドを見つめていた。
「王子様が傷つけられるのを防ぐ為にあなたに殺人をお願いするのだと伝えた上で、あなたが抱くその罪悪感も責任も全て私が代わりに背負うと言うでしょう」
「そういうのは軍の仕事だよ、アレル。君が背負うことじゃない」
さすが共にいただけあって、エインレイドは流されずに指摘する。
悲しげな眼差しでアレナフィルは小さく首を横に振った。
「戦いで心を狂わせてしまった人達が収容される監獄のような療養所で死なせてくれと頼む涙を数えきれないほど見たことがありますか?」
いきなり話を変えてきたアレナフィルはどこか遠くを見つめる。
私は戦傷者専用の精神病院をいくつか脳裏に思い浮かべた。
ある筈がない。アレナフィルがそんなところへ行くことができた筈がない。子供が立ち入ることを許される場所ではない。
「それでもあなたに生きていてほしいと願う家族達の存在、その家族でさえも本当の苦しみに寄り添えていない事実を突きつけられて絶望していく苦悩と嗚咽と悲鳴を聞き続けたことはありますか? どれほどに耳を塞いでも聞こえる、目を閉じても見える記憶に苦しむその後を理解した上で、誰かの命を守るために誰かを殺すように命じる罪を知っていますか? 口先だけの薄っぺらい言葉など意味ないです」
「・・・え。・・・アレル?」
戸惑うエインレイドは知らないだろう。そういう精神病院、療養所、監禁施設といった存在を。
知ってしまえば立ち止まってしまう。未来を担う存在が立ち止まってしまえば国の守りが瓦解する。だから教えられる筈のない施設や存在を。
王族は王国を支える揺らぐことなき柱でなくてはならない。その背に全ての国民を背負い守るからこそ、民もまた国の為に尽くすのだ。心を折られた王族では国を守ることなどできはしない。
「私は自分の罪深さを知ってます。私は私の命を守る為に数十人、数百人の命が失われても仕方がない犠牲だと受け入れるでしょう。その絶命する瞬間まで立ち会っても後悔しない自己愛もあります。だけど、・・・ほとんどの人にそれだけの強さはないことも知っているんです」
王子に知らせてはならないことを告げるアレナフィルの口を閉ざさせるべきだ。分かってはいる。その一方でガルディアスの心を知ればこそ私は躊躇わずにはいられなかった。
この子爵家の娘は知っている。話し合いなどなく暴力や殺害を選択する存在を。邪魔だと思えば子供を誘拐して変質者に売りつけて恥じない思考を。
この国はとても恵まれた生活を送ることができる国だ。他国に行けば決してそうではない。弱い者が襲われて奪われるのは当然だという国もある。工作部隊、実戦部隊と呼ばれる隊員達がどうして作戦を終えて様々な部署に配置されるのか。それは少しでも使える者を増やす為だ。
恵まれて育った者だからこそ現地の残酷さに心を壊すことはあって、だから少しずつ精神をも鍛えるべく様々な基地が努力している。
理性や制限のない欲望の為に罪なき者や弱き者を踏み躙って恥じない輩はとても多い。アレナフィルはそんな奴らに人権を認めないと言いたいのだろう。
(苛烈でなければより深い残酷さで蹂躙される。法など権力者がその日の気分で決める地は多い。知らずに行った我が国の人間がどんな目に遭ったことか)
数十人、数百人が亡くなろうと自分の命が大事だと言ってのけたアレナフィル。それぐらいの根性がないと外国では生き延びられない。怯えて躊躇ったなら死体になっても利用され尽くすだけだ。身を守る護衛をそれなりにつけていない限り。
私がグラスフォリオンを近衛に入れさせたのはそれがあった。あの愚直な弟では耐えられない。近衛であればどの国もそこそこ尊重してくるが、人の命が花一輪より軽い国もある。
(あの男、どうしてこんな娘を作り上げやがった・・・!)
ウェスギニー家当主フェリルド。彼が隠して育てていた娘は、可愛いだけのウサギに見せかけてどこまでも極端な中身の持ち主だ。様々な貴族子女と共に育ったエインレイドが心奪われた程に。
それでもガルディアスと同じく私もアレナフィルを止めない。なぜならアレナフィルは、そこで王子に対して綺麗事だけを並べて無茶な理想論をかざすわけじゃないからだ。
無邪気に笑っている間抜けなウサギ娘。
それなのにウェスギニー家が嫁に出す気もなく慈しみ、王妃や大公妃が可愛がってしまうのは、こういう娘の存在がどれ程に男を支え守るものかを知っているからなのか。
「レイド。私は、私の為に死なないでと願い、その為ならばあなたの命を守る為にどれだけの人命が失われても構わないと言ったことがあります。その結果、失われた命は数百、数千になるのかもしれません。だけど私はその願いを撤回しないし、失われた命は私が大切な人を失わずにすんだ為の犠牲だと割りきっています」
ちょっと待て。
なんだ、それは。誰のことだ。
大きく目を見開いたエインレイドだが、この少年とて馬鹿ではない。
悲しげに微笑むアレナフィルに、エインレイドは何を見たのだろう。
「だからレイド。私はあなたを守ります。どれだけの人を傷つけ、殺すことになっても。それは私があなたを失いたくないからです」
これはプライベートではなく仕事だ。だから私は目を閉じることなく二人を見ていた。
誰もが定型文を繰り返す婚姻時の誓いより、様式美と化した軍人の誓いより、ただ己の感情のままに守護を約束する少女の言葉の方が重く感じられるのは何故だろう。
アレナフィルは己の手を汚す意味を知っている。その上で約した。
(本当にこっちの予測をしれっと躱していきやがる。担当じゃなきゃ面白がれたってのに)
きっとエインレイドは誰よりも幸せな王子だ。
金や利益では手に入れられない、目に見えることもない、そんな儚くも得難い何かを手に入れようとしている。
「そのことで私が心を壊すことはありません。たかが高級移動車、たかが別荘。そんなものがあなたの側にいた私の為に壊れたとしても気にしないように。あなたが王子だからじゃなくて、あなたが私の友達だからです。これでも私、自分の周囲の人間が勝手にいなくなるのは許せないんです」
少女の主張にエインレイドがちょっと困った感情を含ませて微笑んだ。
「アレルに守られなくても僕が守れるようになるつもりだけど」
やはりそこは少年も譲れないのか。
エインレイドは一度言葉を切ったが、少し考えて再び口を開いた。
「うん、僕はもっと強くなりたい。僕にはまだそういう心を壊す程のそれが分かってないけど、今度教えてくれる? 僕もアレルが見てきたものを知りたい。アレルが僕を守る為に何かをするなら、僕はそれを一緒に背負うよ。だってアレルが生きててくれるから僕もアレルといられる」
ああ、本当にアレナフィルは少年を成長させる少女だ。
王族としての資質を芽生えさせ、育む。ここにガルディアスがいたら満足そうに笑っていただろう。
その横にアレナフィルがいる限り、エインレイドはあの精神病院や隔離施設の実態を知っても心折れることはない。その犠牲がこの国の民の笑顔を守ったのだと理解し、誇りを持って歩き出せる筈だ。
「みんなはアレンを勧めるけど、僕は最初からアレルが良かったんだ。だってアレンだと僕が守られるだけだけど、アレルなら一緒にお互いを支え合って守り合えるだろう? 一方的なものより、僕はそういうアレルの考え方が好きだよ。アレルがいるから僕は強くなりたいって思える」
民があってこその王。王がいてこその民。
押し付けては破綻し、依存しても崩れる。
(目の前でハグしてる王子と女子生徒、これって止めるべきなのか? 学校長は感動で目をぬぐっているが、その前に一年生の女子生徒がどんなヤバい過去を持っているのか悩む方が先じゃないのか、おい)
まだ幼いんです、子供なんですと、その容姿を利用して皆に甘えまくっているアレナフィルだが、本当に中身が幼ければありえないことが多すぎた。たしかに中身はババアだ。
就寝前、アレナフィルに茶を運ばせるミディタル大公妃。彼女はアレナフィルと過ごす時間を楽しみにしている。
たまに執務室で秘書業務を手伝っているアレナフィルは大公妃のお気に入りだ。あの甘ったれた性格を理解していても、王妃と大公妃はアレナフィルを可愛がっている。母親がいないせいか年上の既婚女性に弱く、ゆえに成人してもあそこまで可愛がった自分達に敵対することはないと確信できる娘を。
しかもあのやられたらやり返すド根性と、何があろうと安全なところまで逃げ帰る卑怯っぷり。
「その意気です、レイド。そして私が成人したらとっても素敵な人をゲットするのに協力してくださいね。うちの父ぐらいにセクシーで、叔父ぐらいに頼りになる人を王子様の権力で見つけるんです。家事はできて当たり前。浪費家はお断り。そして私を大事にしない男なんて暗殺ホイホイな人達がついてきますけど、それに負けずに私を愛していて大事にしてくれる根性と経済力のある人がいいです」
感動は、長くは続かなかった。
友情を盾にろくでもない要求を王子に突きつけるアレナフィルは秘密のカーテンの内側に次から次へと切り札をいくつも隠し持つ小悪魔ウサギだ。
いつか徹底的に躾け直してやる。
「今、婚約中じゃなかったっけ? たしかその人、お金持ちなんだよね? 顔も悪くないってアレンが言ってたよ。アレルがセクシーがどうとか筋肉の配分がどうとかって理想を諦めたらそれでよくない? 理想は理想で、生きていく上で妥協はとても大切だって女官達も言ってたよ」
身の程知らずな子爵家の娘に、王子が結婚に対する妥協を教え始めた。
暗殺ホイホイは聞かなかったことにしたらしい。
あれこれ世話してくれる侍女や女官達に囲まれて育った王子は耳年増だ。彼女達も子供の王子が聞いていることを深く考えず、仕事中にお喋りしてしまうのだろう。
(大事にしない男を暗殺するって誰がだよ。最初から大事にしてくれる男に嫁げよ。うちの弟とか)
手遅れで不幸な結婚をしてしまった時に相手を暗殺するのは父親か、双子の兄か。どちらもあり得そうだが、うちの弟かもしれない。
アンジェラディータのことであそこまで荒れたグラスフォリオンだ。成人した今、何故か執着し始めたウェスギニー家の娘が不幸な結婚をしようものなら暗殺の一つや二つ平気で実行するかもしれない。
私には弟の犯罪行為を隠蔽する作業が待っているのか?
どうして誰も彼もがこんなミニ悪女にのめり込みやがる。
「あの婚約者は、まあ、顔もそれなりにいいし、お金持ちですが、結婚しなくても貢いでくれるからそっちはどうでもいいのです。だけどあの婚約者、おうちも一緒、職場も一緒、誰かとのお出かけは許さないレベルで私を束縛する予定だろうなって今から分かってるから、私としてはいささか・・・愛が重すぎる」
困った顔でぼやいているアレナフィルは、結婚しなくても貢がせるつもりだ。どうしようもねえ。
不満そうな顔のエインレイドは、アレナフィルの婚約がなされた時点で自分の妃候補からアレナフィルの名前が削除されたことを知っているだろうか。
「なんでそれで婚約なんかしたかなぁ」
少し頬を膨らませて、ハグの終わりを軽く背中をタッチすることでタイミングをはかるエインレイド。
軽く両肩をすくめているが、婚約を知った後、自室でかなり荒れていたとガルディアスがぼやいていた。その婚約に伴う脱税と密輸と結婚詐欺疑惑を聞いてからは経過を見守ることにして落ち着いたらしい。
愛されて育った末っ子王子は、結婚とは国の利益を見込んだ政略的なものだけではなく、相手を利用尽くした挙句、己の経歴は白くすませておく詐欺的なものもあるのだと学んでしまった。
そんなエインレイドにガルディアスは過去の王族達の恋に落ちた瞬間のエピソードなどを話して聞かせては正常な恋愛を経験するように言い聞かせているそうだ。
その努力が身を結ぶことを私も願わずにいられない。
「仕方ないのです。私の理想像とはあまりにも離れていても、あの婚約者は私に愛されてることを知ってるから引くわけがないのです。あのおねだりには逆らえなかったのです」
成人した男が未成年の少女に何をおねだりするというのか。そんな変質者など穴掘って埋めてこい。
誰もが気になっていたアレナフィルの婚約だけに、室内はとても静かだった。みんなその情報を聞きたいからだ。
まさかアレナフィルがその外国人婚約者に愛情を抱いていると、誰が想像しただろう。
エインレイドもどこか逡巡した表情を浮かべている。
「何のための理想像なのか分からない。しかもその外国人のこと、アレルってば愛してるの?」
「まあ、それなりに」
ストレートに尋ねたエインレイドの質問を、アレナフィルは肯定した。
「どれくらい好きなの?」
「・・・さあ。考えたこともないですね」
傷ついた表情を隠す為か、エインレイドはアレナフィルと体を離すことで下を向く。アレナフィルは自分の感情に忙しいのか気づいた様子はなかった。
おそらくは大事な友達であるエインレイドの質問だからアレナフィルも誠実に答えたのだろう。これが私や他の大人からなら、アレナフィルは何も答えなかったか、もしくは誤魔化しにかかった。
それを分かってしまうからエインレイドも責められない。
少なくともエインレイドが特別な友達だとアレナフィルは思っている。
「考えもせずに婚約しちゃったの?」
「・・・仕方ないのです」
周囲から愛されて育ってきた王子に、アレナフィルの婚約は不可解なものでしかなかった。
普通なら家族が、王子の場合は国と国王が吟味した上で婚約はなされる。
ウェスギニー子爵家令嬢アレナフィルの婚約は父親に対して素晴らしい結果をもたらすものであり、その利益を受けるガルディアス以下、軍部にとっても有益なものだった。
そんな婚約を仕方がないと呟いたなら、それは婚約一つで国の為になるなら仕方ないという自己犠牲だっただろう。普通ならば。
けれどもアレナフィルはどこまでもアレナフィルだった。
「恋したことも恋されたこともあります。それでも・・・あれ以上に私が愛した存在はいなかったから」
・・・・・・・・・色々と言いたいことはある。
だが、大事なのはそこじゃない。
初めてこの国を訪れた外国人と即座に婚約したアレナフィルは、いつどこでその男と知り合っていたというのか。
ウェスギニー子爵の、愛娘を外国に放置して身代わりの娘を市井の幼年学校に通わせていた説が肯定された瞬間だった。
― ☆ ― ★ ― ◇ ― ★ ― ☆ ―
私はミディタル大公軍に所属しているが、現在はアレナフィルの護衛担当責任者である。エスコートして茶会や夜会にも同行できるからだ。
その実態は大公妃お気に入りペットの世話係ではないかと、自分でも疑いを持ち始めている。
(大公軍を選んだ時点で四輪のメンテナンスだろうが馬の餌やりだろうが軍旗の手入れだろうがこなすつもりはあった。だが、愛玩用小動物の世話をする覚悟はしていなかったな)
全校集会を知らせにいった教師達やクラスに向かった生徒達もいなくなり、アレナフィルは学校長室で待機ということになった。さすがに学校長も全校生徒に何か言わなくてはならないと考えていたらしい。
私は学校長室の隣部屋で制服姿のアレナフィルと向かい合った。
「いいですか、アレルちゃん。あなたは子爵家の娘です。ただの兵士になりすましていようが、れっきとした伯爵家令息たるドルトリ殿に喧嘩を売ってはいけません。どうしてあなたはすぐに相手を侮辱するのですか」
中腰になってアレナフィルの両肩に手を置き、同じ高さで視線を合わせるとアレナフィルの暗い緑色の瞳が翳りを帯びる。
「それはとても切実な理由があるのです。同じいじめっ子でもローゼンお兄様はいざとなれば大公様にお願いしたら牙を抜くことができますが、ドルトリ先生はそうじゃないのです。ことあるごとに私の方が上なのだと教え込んでおかないと、すぐに自分が偉いと思って私を卑屈な『はい、分かりました』しか言えない女の子にしようとするのです」
「黙れクソガキ」
「またクソガキって言ったぁっ」
子供の躾は本当に手間がかかると、溜め息を押し殺した。
泣きそうな顔になっているが、アレナフィルの場合はあまり意味がない。垂れ目だから元々がしゅんっとして見えてしまうのだ。
「誰の牙を抜くっつったよ、おい。ナマかましてっと婚約届出すぞ、オラ。成人するまで俺との婚約届出して堂々と躾けてくれてもいいって先代子爵も認めてっからな」
「はにゃああっ!? 私っ、私っ、婚約中ですよっ!?」
「この国では無効のな。婚約届出したら引き取って親と同等の管理権限持てんだよ。口のきき方っつーもん一から教えてやる。クソ生意気な悪ガキ躾ける為ならすぐに許可も下りるさ。なんつっても国家最強権力者様が味方だかんな」
子爵家の娘に常時護衛をつけるのは難しいが、婚約者という肩書きを持つ貴族の私ならどんな茶会や夜会にも同行できる。そんな話が出ていないわけではなかった。
決してアレナフィルに手を出さないという信頼あってのことだろうが、王子可愛さのあまり、私の数年間を犠牲にするのもやむなしと考える王族達の横暴がひどい。
それでもアレナフィルの予定に付き合う為に他の仕事を放り出しても構わないと言えて、そこそこの身分がある独身男を用意できるのがミディタル大公夫妻というのも事実だ。国王夫妻は国の頂点だからこそ、王城のルールを著しく脱線させられない。
「うそぉっ。まさか本当に私と結婚する気じゃないですよねっ!?」
「双方の合意がありゃ破棄は可能さ。てめえがまともになるまで5年か6年ってとこか。今はせいぜい護衛業務のオマケでしか教育できんが、婚約者の素行管理は当然の権利だ。見る読む言う聞く飲む食べる着る買う寝る起きる出かける全て1秒たりとも逃さず徹底的に俺に成人するまで管理されてりゃ少しは人間の皮もかぶれるだろうよ」
「ぃやああっ」
あわあわと慌て始めたアレナフィルの百面相にちょっと心が爽やかさを取り戻す。
「ロ、ローゼンお兄様っ、・・・あ、あれはちょっと心にもないことを言ってしまっただけなのですっ。ローゼンお兄様はとても素敵で強くて頼りになって、大公様だって無条件で信頼してらっしゃるって知ってますぅっ。生意気なこと言ってごめんなさいぃっ、だから許してぇっ」
この性悪ウサギは甘えれば許してくれると思っているからどうしようもなかった。
いきなり全力でしがみつかれて涙目で見上げられても、・・・まあな、見た目は可愛い。
(口さえ開かなきゃもじもじしながら甘えてくるところもキュートなんだ。ガルディアス殿下が頭撫でて抱きしめたくなるっつーのも分かる。全体的に愛玩動物っぽいし、所詮は子供でほっといても誰かが世話してくれるから後腐れがない)
いつもは一つにまとめて括っている髪を、今日は王子とのいちゃいちゃカモフラージュとかで女の子っぽく編み込んでもらってひらひらリボンをつけているから余計に持ち帰って独り占めしたくなる愛らしさだ。
中身はクソだが。
アレナフィルの背後で護衛メンバーが腹を抱えて声を出さずに笑っている。絶対あとで揶揄われる。
(親兄弟でもなんでもない男に令嬢が抱きついちゃいかんだろ。って、この悪辣ウサギが自分から抱きつくのは身内だけか。保護者としては認めてるところがあざとすぎる)
どうしようもないクズ令嬢だが男を見る目だけはあるし、甘えてくる時はウサギの耳とシッポをつけたくなるぐらいに瞳もくりくりした丸っこさだ。ひっそりとウサギパジャマなアレナフィルを愛でる会が発足している程に。
ガルディアスお気に入りな令嬢なので触れて可愛がっていいのは大公夫妻だけと決まっているが、私の場合はヴェラストールで色々とあった為、なし崩しになっていた。
「その気持ちを忘れないのですよ? 今度ふざけたことをぬかしたら、王妃様の教えを受けても直らないあなたのお口についてウェスギニー家と話し合いますからね? 私は駄犬の生活全てを管理して令嬢もどきに変身させる試練を数年続けることになりますが、あなたの為、檻と鞭と首輪と鎖ぐらい用意しましょう」
「・・・だ、駄犬じゃないもん。ちゃ、ちゃんといい子だもん」
ぴるぴると震えながらもしがみつくアレナフィルを片手で抱え上げた私は、もう片方の手でポケットを探った。
ご機嫌取りのつもりなのか、私の首に両手を回してせっせと上着にすりすり頬擦りしてくるのだからどうしようもない。本当に令嬢としての慎みというものを・・・・・・。
(いや、所詮は手のかかるペットだ。こんなものか)
令嬢として考えるから腹が立つのだ。人類への尊重を適用しようとした己が間違っていたのだろう。
これが子犬や子猫が頭すりすりしてくると考えれば可愛いだけじゃないか。
どれほどに躾けても粗相してしまうペットだって、好きで愚鈍に生まれたわけじゃない。その愚かさを受け入れた上で人間が考えるしかないのだ。
「ああ、野良な駄犬でしたね。飼い犬を見習って素敵な犬に進化するのですよ?」
「ひどくなってるっ!?」
愕然としている表情が、どうしてこの可愛い仕草が効いていないのかという疑問を物語っている。
この私に抱き上げてもらってそのありがたみを理解していないのだから少女としても失格な駄犬だろうが。
「いいですか、アレルちゃん? あなたがすべきことはくだらない反論じゃありません。私の命じるままに動くことを己に言い聞かせることです。そうすれば立派な令嬢もどきの皮をかぶることもできるでしょう」
「それのどこに立派さがあるのだ」
「何か文句でも?」
「ローゼンお兄様のお言葉に文句なんてありません。ローゼンお兄様はいつだって正しいです」
「よろしい」
ヌガーキャンディを一つ、その唇の中に入れてやれば途端に嬉しそうな顔になる。どこで判断しているのか、アレナフィルは私が与える食べ物を疑うことはなかった。
「ローゼンお兄様、これやっぱり美味しいです。もっとありますか? レイド達にもあげたいです。さっきのはキャラメルと濃厚ミルクと塩っぽいのが混じってましたけど、こっちは甘い濃厚果汁っぽいのとカカオっぽい何かと酸味のある何かが練り込まれてる気がしますっ。さっきの方が好みですが、こっちもこっちで美味しいですっ」
ほっぺたを両手で挟んでその甘さに感動し、大好きですオーラ全開で甘えてくる。
実は自分、かなりこの子に好かれているのではないかと錯覚しそうになった。なんという不覚。
「自分達のおやつは自分達の小遣いで賄いなさい。・・・で、どうしてドルトリ殿にあなたは喧嘩を売るのですか。彼は大公妃様のご実家、伯爵家の嫡男です。あなたは子爵家の娘として礼儀正しく受け答えしなくてはなりません。あなたの評価が下がれば下がる程、いずれあなたの兄やその子達の縁談にも差し支えるのですよ? あなたのご家族だって娘がまともな礼儀作法も心得ていないと恥をかくのです」
外国人婚約者のあれこれなんぞ知ったことか。
まずは一般常識を叩き込まねばならない。
「そんな未来よりも今そこにある私の危機です。ネトシル侯爵家は虎の種が沢山なんじゃなかったんですか。虎の種のドルトリ先生の危険さも分かってないんですか。私は切実にドルトリ先生を倒しておかないと私の危機なのです」
「・・・別に彼は常識的で変な輩との付き合いもなく、女性に対しても礼儀正しい筈ですよ」
いきなり建物を爆破するような小娘に比べたら誰もが紳士だ。
「そっちじゃなくて・・・! 虎に心酔してるっつーか入れ込んでる虎はその虎の為なら無条件な信奉者になっちゃうのです。虎の種多い一族なら知ってますよね? 一族でそういう人いますよね?」
「・・・・・・生憎と、虎の種の印が出た者がそこそこいる一族であろうと、入れ込んだことなどないので分かりませんね」
ネトシル侯爵家は虎の種の印が出た者を多く輩出しているが、心酔と言われる程の何かなどあっただろうか。
あんな考えなしなアホや老害共に入れ込む程、私も趣味は悪くなかった。
「その言い草・・・! さてはローゼンお兄様、大公様に心酔してませんねっ!?」
「・・・・・・私は大公妃様直属なのです。そして妃殿下に不届きな感情を抱くことはありません」
「話にならないぃっ」
ミディタル大公を尊敬はするが、心酔なんかしていたらどうなることか。私は犯罪行為のオンパレードが当たり前になる日々など送りたくはない。
必要とあれば考えるが、人間として大事なものを失って無頼の輩として生きていきたいとは思わなかった。
(大公についてたらどんな人生になるやらだろが。大公妃とはお互いにいい関係でいられるにしても)
ミディタル大公妃直属の部下として働いている私は、ちょうどいいバランスをとっている。大公は最愛の妃にネトシル侯爵家直系の人間をつけることで重用しているというアピールになるし、大公妃は己の力不足を直視せずに重用されたがるアホ男達の篩として私を使えるわけだ。
そして私も実家の愚兄より大公妃の下にいる方が気楽でやりがいがある。
問題はその大公妃からの信頼が、こんな愛玩動物の世話をするといった仕事となってふりかかってくることだが。
ぱたぱたと手足を動かそうとするウサギ娘はどうやらそれなりの理由があって喧嘩を売っていたらしい。服を汚されたくないので両の足首をすかさず指で掴んで私も考えた。子供の足首は細く弱いので私も力加減に苦労する。
(マレイニアル殿の場合は心酔というより、ガルディアス殿下がドルトリ伯爵家から出た大公妃の息子だってところにある。何があろうと付き従うだろう。これは確認した方がいい)
アレナフィルに痛みを与えていないことを表情で確認し、私も考えた。
なんと言っても私の運動能力を上げてみせた小娘。この言葉を軽視すべきではない。
「アレルちゃん。暴れるのをやめていい子になったら違うお菓子を一個あげます。・・・悪いがちょっと出ていてくれ」
「違うお菓子」
ぴたっと手足の動きが止まった。針葉樹林の深い緑色の瞳がキラキラと輝く。そして護衛メンバーも苦笑して部屋から出ていった。
二人きりになった室内で私は片手抱っこしているアレナフィルを見つめる。
「つまり虎の種の印が出ている者に心酔している虎の種は、その相手の為なら何をやるか分からないということですか? マレイニアル殿が子供のあなたに要求する何かなど想像できないのですが」
「ドルトリ先生はフォリ先生が絡むとすぐ反応するのです。毎回言い返しているからこの程度ですんでますが、私が何も言わなかったらフォリ先生に対する言葉遣いから礼儀や何から何まで命令していた筈なのです。何故ならドルトリ先生は、自分の理想とするフォリ先生の近くにいるお嬢様像があって譲る気ないからです。私にそれをやれと、このまま上下関係を教えずにいると私を誘拐して脅迫しかねません。私は切実に危機一歩手前なのです」
「・・・そこまで血迷いますかね。校内でそこまで顔を合わすこともないでしょうに」
誰だってこんな礼儀知らずな小娘、注意の一つや二つはするだろう。それを危機と言われても、ガルディアス相手に礼儀知らずな方が悪い。
子爵家の娘に当然の礼儀を要求するマレイニアルは、貴族として常識人だ。
それにガルディアスへの礼儀を徹底しようとしていたなら私とやっていることは変わらない。
「甘いのです。その証拠にうちの父に心酔しているオーバリ中尉は私なんて対象外のくせして、父との同居目指して私との結婚を考え始めてます。ドルトリ先生はいずれ私を妻として手に入れればフォリ先生に貸し出せるとか考えかねません」
「・・・そこまで倫理観を失ったら収監が妥当です。それはありませんよ、アレルちゃん」
どんな爛れた関係だ。あり得ない。そういうことを嫌うのがガルディアスだ。
何よりガルディアスがアレナフィルを妻とする未来もあり得る中で、どうしてマレイニアルが出てくるというのか。
「甘いです。フォリ先生の為にお妃候補な令嬢リストを作る一方で、ドルトリ先生は私を確保することを画策します。今は私が子供だから思いついていなくても、いずれ私がセクシーで魅力的な大人の女性に成長したら考えます。私は今からそんな思考に辿り着かないよう勝利しておかねばなりません」
せくしーでみりょくてき・・・。
一瞬、言葉の意味が分からなくなった。
「ここだけの話、あなたが大人になった時の縁談相手にガルディアス様やエインレイド様、ダヴィデアーレ君にベリザディーノ君、そしてうちの弟が出てくる可能性はあっても、あのマレイニアル殿が出てくるとはとても思えませんね。皆様、あなたとの相性を重視する筈です。・・・私とてあなたが不本意な縁組を結ばされそうになるなら阻止する程度の義侠心はあるつもりですよ? ドルトリ家は名家ですが、ネトシル家も負けるつもりはありません」
二人きりの室内でよその令嬢を抱き上げるなど言語道断だが、こいつはペット。育てたペットがいずれ嫁いでいくにせよ、信頼できる里親兼嫁入り先探しまでが人間の義務だ。
餌をやって頭を撫でて終わりではない。愛玩動物には責任がつきまとう。
抱き上げている腕とは反対の手で頭を撫でていると、アレナフィルも少し落ち着いてきた。
「本気になった虎の種がいきなり仕掛けてきて既成事実作られたら終わりって、大公妃様だって言ってましたっ」
「その時は私があなたの側で一日中でも守りましょう。大公妃様も私を貸し出すぐらいしますよ。しかしマレイニアル殿があなたに・・・、そこまで血迷いますかねぇ。好みとは真逆なあなたを」
この生意気さにあそこまでむかついていて?
しかもドルトリ家の家風として男性を立てる女性が多い。アレナフィルとは真逆だ。
万が一、縁談が成立しても1日で破談、いや、顔合わせの挨拶に行ったその場で返品手続きがなされるだろう。
それとも妻という名目で邸に閉じ込めてガルディアスの前から消し去るとか? それならありそうだ。
「私に蝶の種の印が出た時に、その意見をローゼンお兄様は恥じることになるのです。私はとても魅力的な大人の女性になるのです。カ・・・ニッシーさんレベルの虎の種がいない限り、私は狙われてしまうのです。それなのにニッシーさんレベルの虎の種なんて、大公様とうちの父しかいないのです。どっちも多忙すぎてなんの守りもないのです」
「はあ。アレルちゃんが魅力的に・・・ですか。蝶の種の印がねぇ」
「くっ、信じてないっ」
こうして抱き上げていると、唇を引き結んで悔しがる顔も可愛らしい。
ミディタル大公夫妻がちょくちょく抱き上げて撫でてしまうのも納得するが、犬も猫もそんなものではないのか。これはウサギだからそれに準じるとして不思議ではない。
蝶の種の印が出ようが出まいが、そんなものよりも人間としての資質こそが大事だろうに。
それでも私の腕から降りようとしないところがどこまでも甘えん坊な小娘だ。
「信じてないわけではありませんが、蝶がどうこうは決して口にしてはなりません。誰かに目をつけられたらどうするのですか」
「だって、・・・ローゼンお兄様、そういう人じゃないし」
唇を突き出すようにとがらせて反論してくるアレナフィルは怒られるとすぐ拗ねる。
「いいですか、アレルちゃん。あなたは誠実さで知られる子爵家に生まれたくせにどこまでも身勝手な失格娘です。成績がいいからエインレイド様の学友に選ばれただけの駄犬にすぎません。その誇りを持って蝶の種云々は決して口にせず、あなたはまず礼儀正しさを身につけなさい。女の子が狙われる理由など増やすものではありません」
「・・・どこに誇りがあるのだ」
更にぷぅっと膨れるほっぺたが不満を表していた。
「あなたが言っていい言葉は『はい、分かりました』だけです。怖いと感じる何かがあればすぐ言いなさい。その時にあなたが大公邸にいようが子爵家に戻っていようが即座に駆けつけます。他の名家が相手であろうとあなたを守りましょう」
「・・・それってガルディアス様が他の令嬢といい感じになったらぽいってされる奴ですよね? リオンお兄さんがルードと仲いいからですか? それだってリオンお兄さんが誰かとくっついたら終わりですよね?」
なるほど、この子はちゃんと理解している。今の特別待遇はそれありきなのだと。
王族との関与があればこその特別扱いは、他の令嬢が浮上してきたらすぐに取って代わられると最初から切り捨てているのだ。
「それとは別口です。エインレイド殿下の護衛に就くべき私があなたを護衛した以上、あなたが結婚してウェスギニー家から離れるまで守られていなくては私の価値が暴落ではありませんか。・・・これは殿下方も大公家も関係なく私個人との約束です。あなたが恐れることにはさせません。私は強くなる為に大公家に入った人間です。子供に借りを作ったままでは気分が悪いですからね」
その意味が分かったのか、さっきまで不安そうだった顔がぱあっと一気に明るくなった。
泣きそうな顔で笑って、アレナフィルの手が私の上着をぎゅっとつかむ。
「ローゼンお兄様の筋が通ってて義理堅いところ、男らしくて立派だって思います。懐の広さも女心を鷲掴みです」
「当たり前です。誰を疑っても私のことは信じなさい」
「はい」
「よろしい。・・・全く一個だけあげるつもりが三つとも取られるとはね」
ポケットから取り出した菓子をアレナフィルの唇に押し込めば、目を丸くしたかと思うと両手で両頬を押さえてきゅーっとした顔になった。
「とろけるぅ、キャンディがとろけちゃうぅっ」
幸せそうな感情が流れ込んできたような気がしたかと思うと、続いて体内の何かが壊れたような衝撃を感じる。
さすがに二回目ともなれば、小娘を抱えていてもふらつくこともなかった。前回よりは小さい衝撃だったこともあるだろう。
だから顔に出すことなくアレナフィルの頭を撫でる。
(やれやれ、またもや調整トレーニングか)
本当に見る目だけはあるのだ。だから自分を追い詰めずに個人的な感情で庇護してくれると分かっている大公妃と私にここまでしてくる。
大公妃は亡き女性の血を継ぐ娘として、私は弟の心を癒した娘としてアレナフィルを特別視しているが、それは自分にとって特別な相手の大事な存在がアレナフィルというだけだ。最初から一歩引いているがゆえにおたおたすることもない。
「子供にあげるような安い菓子じゃないんですから、その分いい子になるんですよ?」
「はいっ」
いい返事だが、いつまで心に残っているやら。
いずれ弟の妻になるかもしれない少女はどこまでも手がかかる。
(虎の種に心酔する虎の種か。マレイニアル殿を抑えるとしたら大公妃から言ってもらった方が確実だ)
ミディタル大公妃に報告後、調べてみるべきだろう。大公妃とて自分の息子と甥なら息子を優先する。
元々が強きを求めるミディタル大公軍は心酔も何もミディタル大公が全てで参考にならなかった。
バイゲル侯爵家の方がそういう虎に心当たりもあるかもしれない。跡取りの従兄はかなり信奉者も多いのだから。




