35 お世話係レナの心は今日もブルー
いい職場と出会えることはとても幸運だと思う。
そういう意味で、私はとても運が良かった。私の雇い主は、生活に関するマネージャーとして私と雇用契約を結んでくれたからだ。
その内容は家政婦に毛が生えたようなもので、買い物代行、掃除、洗濯、料理や私的な用事の手配、雑用だ。その雇い主には仕事での秘書も別にいるわけで、私の仕事は雇い主とその婚約者にあたるお嬢さんの世話係といった方が分かりやすいだろう。
それだけ聞いたら、「それ、かなり大変じゃない?」とか言われるけど、そうでもない。例えば掃除なら、出しっぱなしのものを棚や引き出しに片づけたりはするが、週に一度、清掃業者の手配をするといった程度で終わるからだ。洗濯だって洗濯業者に出すだけだし、料理は食堂の食事を確保しておくだけでいい。勿論、余裕がある時は私が掃除したり、洗濯したり、調理したりしてもいいのだが、大切なのは雇用主の生活を支援することなのである。
その割には給料も良く、急な休みも取りやすく、そして残業もない。
だからだろうか。雇用主の秘書とうまくやることがとても大事だ。
(あの人達、私が抜け駆けするんじゃないかって嫌がらせが多すぎるのよね。雑用を引き受けることで、ライバルにはなりません宣言してるつもりなんだけど)
私の名前は、麗奈・佐々木。
独身男性を雇用主としているおかげで、彼の恋人の座を狙っているのではないかと変な探りを入れられたりすることにうんざりしているが、中身はともかく外見は目が覚めるような美少女を婚約者としている雇用主に迫る程、身の程知らずではないつもりだ。
(そりゃまだ愛華さんは子供だけど、これだけの美少女だもの。大人になったら誰もが振り返る美女になるわよ。そんな美貌を見慣れてる人に言い寄る程、自分の顔に自信は持てないわ)
それぐらいなら二人にとって一番信頼できる座をキープし、長く働き続けた方がいい。
だが、なんということだろうか。
雇用主は美少女な婚約者をキープした上で、外国の可愛い貴族令嬢と婚約してきた。愛華さんによると、本妻と愛人として両方と結婚するつもりだとか。
(あれだけ美少女な愛華さんが、自分よりも年下にしか見えなくて、しかも今までの人生で一、二を争う可愛らしさだったと断言した・・・!)
私の雇用主は今まで婚約者の愛華さんだけを可愛がり、どこかに行く時にはお土産を欠かさない人だった。今回も愛華さんが喜ぶような物を沢山買ってきていた。
だけど私は知っている。
帰国した途端、雇用主が外国人の婚約者の為に自宅の改装まで考え始めたことを。しかもファレンディア国で一番の高級寝具を買うとまで言いきった。
(ま、まさか、・・・まさか、遊びに来た時に寝室に連れこんで襲う気なんじゃ・・・!?)
どうすればいいのだろう。
私はさりげなく雇用主のお父様に相談するよう、愛華さんに勧めた。私の立場で雇用主に対して背信行為はできないけれど、人間として道を踏み外さないお手伝いはできるかもしれない。
お金持ちで有能、物腰は柔らかく容姿も素敵な雇用主は、女性に対してセクシャルハラスメントなど全くしない立派な青年だ。
そんな彼は愛華さんという美少女を婚約者にしており、皆はそれを微笑ましく見守っていた。どう見てもただの子守りだからだ。
実の所、誰も婚約を本気にしていなかった。
だが、違ったのだ。
私の雇用主、実はホンモノの少女趣味だった。
― ☆ ― ★ ― ◇ ― ★ ― ☆ ―
私の雇用主も自宅はあるが、センター内にある独身宿舎で寝泊まりしていることがほとんどだ。そして愛華さんのご両親も結婚しているというのに、独身宿舎をそれぞれ別に借りている。いわゆる別居婚だ。
そして一人娘の愛華さんは、両親が定時で仕事を終わらせることを忘れなければ親の所で、夕方になっても宿舎に戻ってこない親に見切りをつけた日にはセンター長の所で過ごしている。つまり、ほとんど毎日をセンター長の所で過ごしている。
センターでも優秀とされている研究者なので非難できないが、親として失格もいいところだ。学校の制服の手配や入学式の参列まで親ではなくセンター長が行く時点でどうしようもなさすぎる。
勿論、普段のセンター長が定時で終わることはあまりないが、愛華さんがやってきた時点で私がそのお世話をすると決まっていた。
私の雇用主はこのセンターの代表者なので、独身宿舎でも広いスペースを使っている。だから愛華さんの部屋も用意されているのだ。
愛華さんの両親は子育てを自分達の雇用主に完全に任せていると言っても過言ではないだろう。愛華さんの宿題を見てあげたり、愛華さんの買い物に付き合ったり、愛華さんが風邪をひいたら一晩中看病してあげたりと、親がすべきことをセンター長が負担しながら、彼は愛華さんを特別に可愛がってきた。
(センター長にとっては私の雇用も、愛華さんのお世話をする人を雇ったって感覚よね)
愛華さんの父親と縁戚関係にあるらしいセンター長だが、いくら親戚でもそこまでするものだろうか。
だけど関係者全員がそれでいいと思っているのだから、他人が口を挟むことでもない。
センターに戻る前に、私は駅の近くにある大手の語学スクールへと向かった。
(あとは愛華さんに頼まれたサルートス語会話のパンフレットね)
私の仕事は朝と夕方の勤務で、昼は自由時間として帰宅が許されている。だから朝、雇用主や愛華さんがちらかした物や洗濯物などを片づけて軽く掃除したら、仕事は一度終了だ。昼前には帰宅し、家族の看護に時間を取ることができる。
そして夕方になる前に再び仕事に戻り、愛華さんの帰宅を待ってお世話をする。さすがに楽すぎて申し訳ないので、雇用主が代表を務めるセンターで雑用を引き受けることもあるが、このところは昼の帰宅ついでにパンフレットの手配を頼まれることが増えていた。
雇用主が婚約した外国人少女の為だ。
愛華さんは婚約者の浮気相手とお友達になる為に外国語を覚えるつもりらしい。いや、今となっては愛華さんが元婚約者なのか。
婚約は期間限定だそうで、センターにいる秘書達は何らかの事情があるのだろうとしか考えていないが、自宅改装の資料を集めている私はそこまで楽観視できない。
家族に日中の看護が必要な私にとって、今のこの仕事は決して失いたくないものだ。だからといって雇用主の性犯罪をどうして見過ごせようか。
勿論センター長のことだから愛華さんと同じで、ただ見て可愛がるだけなのかもしれないけれど。
それ以前に、婚約しても遠距離すぎて休日ですらまず会えない。
・・・・・・あら? それならいいのかも?
それこそ「触らないでください、見るだけです」ならいいのだろうか。現時点で見ることもできないけど。
(婚約者のアレナフィルさんも、かなりいい子っぽいから余計に不安なのよね。だって通話した際も思ったけれど、とても礼儀正しい子だったし。・・・15才であそこまでファレンディア語を喋ることができるんだもの。なんて優秀なのかしら)
雇用主が外国で見つけてきた婚約者は、昼過ぎから夕方にかけての時間帯に国際通話通信を入れてくることがある。時差の都合で、外国人婚約者の学校が終わって帰宅して夕食を食べ終えたあたりが、こちらの昼過ぎなのだ。
雇用主が仕事を終えてからだと、あちらは真夜中となる。つまり睡眠中だ。
だからだろう。雇用主はセンターの直通通話アドレスを、その外国人婚約者に教えた。本来は前センター長や親しい関係者しか使えない直通アドレスだ。
基本的にはセンター長が出るが、不在の時も多い。ゆえに室内を片づけている時に通信が入ると私が出るわけだが、センター長が不在時に、
「ただいま、このアドレスオーナーは留守にしております」
ということで出たら、伝言を頼まれた。それ以来、ちょっとだけお喋りをすることもある。
(アレナフィルさんの中では私、秘書ってことになっちゃってるのよね。そりゃ、いつかはそういった仕事を任せてもらえたら嬉しいけど)
センター長は私が通話に出てお喋りしたと聞いても、話した内容さえ報告してくれればそれでいいといった様子で終わった。
その時、雇用主がどこに出かけているかとか、どういう予定が入っているかとか、そういったことも話してかまわないと言われたけれど、部外者にそんなことを話していい筈もなく、そのあたりがとても不安だ。
彼は新しい婚約者に溺れすぎて、ここのセンター代表者としての理性を手放していないだろうか。
しかしどこに行ってるかを知れば、外国人婚約者も居留守ではないと理解できるし、不安にもならないだろうから気にせず伝えるようにと、センター長は言うのである。センターに対する背信行為ではないかと思うが、センターにおける最高責任者の指示だ。どうすればいいのだろう。
(今日は個人レッスンしてくれる所も見てきたけど、やっぱり性格がね。愛華さんの為に女の人って言われてたけど、三番目の男の先生の方が人当たりも良く、生徒さんも早く覚えてるみたいだし、そこをメモ書きしておけばいいかな)
愛華さんはスクールに通うつもりだが、センター長は個人レッスンの方がいいだろうと思っている。
雇用主から「パンフレットを集めるように」と言われたということは、ただ集めるのではなく、「(いい学校や先生のいるところの)パンフレットを集めるように」の意味だと、私は考えていた。
パンフレットにも、私から見たその先生の特徴などを書いておくつもりだ。だから私を雇ってくれているのだと思っている。彼が望んでいることを察して処理してこそ、個人秘書だと。
特別勤務形態にしてもらっている分、感謝を示す為にも雇用主がしてほしいことを察して片づけていく必要があると私は考えていた。
今日はその見学などで時間を使った為、夕方は愛華さんの食事の用意だけして帰っていいと言われている。だけど私にとって愛華さんと夕食を取りながらお喋りするのは楽しい時間だ。そもそも私の給料と勤務時間を考えるなら夕方はもっと遅くまで働いていてもいい。
(どう考えても私ってば愛華さんの為に雇われているものね。だけど数年後には愛華さんも私を必要としなくなる。なるべくセンターでの仕事をできるようになっていなくちゃお払い箱だわ)
信頼を築くというのは難しい。
センター長の休憩室を片づけたり、季節ごとに衣服の交換をしたり、物を持ちだすような作業をする時には扉を全開にし、何をしているのかを秘書の人達が分かるようにしている。大切な書類などを勝手に持ち出したりしたという疑いを掛けられない為だ。
色々と悩ましい思いを抱えながら、私はセンターへと戻った。
愛華さんの学校が終わるまでは、私も雇用主の雑用ぐらいしかすることがない。
だからセンター長室の手前にある秘書室に行き、まずは秘書の人達に尋ねることにした。秘書室といっても、センターには秘書がついている研究者も多い為、ここはその総括みたいなものだ。
「何かすることはありますか? お茶でも淹れましょうか」
「そうね。まずはその荷物を置いてきたらいかが?」
「そうします」
センター長室に行き、その奥にある休憩室のテーブルに頼まれていたパンフレットなどを置く。すると休憩室にある通話装置がカランコロンといったベルの音を鳴り響かせた。
慌ててそちらを見れば、通話通信が入っている。
「こんにちは、この通話アドレスのオーナーはただいま留守にしております」
『こんにちは。その声は佐々木さんですね。アレナフィルですけど、優斗、また留守ですか?』
「はい。本日はナツ製造へ出かけております。私も今日はもうお会いしない予定ですが、伝言がありましたらお預かりいたします」
すぐに秘書室に行くつもりだったから、全ての扉が開けっぱなしである。
まずいと思った。私が通話通信に出たのだと、秘書室にも聞こえているだろう。行き先を部外者に伝えるなどしてはいけないことだ。
だけど今、雇用主の心はこの外国人少女にある。冷たい対応などできなかった。
『ナツ製造なら長引きそうですね。もし途中で連絡が入っても、私から通話通信があったとは伝えないでください。かけ直されても私、出られませんから』
「はい、分かりました。それでもメッセージを楽しみになされていらっしゃいますので、何かご伝言をいただけますか?」
なんで外国人がナツ製造と言われて分かっているのか。それが分からない。
そして外国人は年長者に対して呼び捨てる文化なのか。それも分からない。
『じゃあ、コインのイラストたっぷりな便箋と、お札のイラストたっぷりな便箋のどっちに愛を感じるかの返事が欲しいって伝えておいてください。あと、国際送金は手数料がかかるから二度とするなって伝えておいてください』
そんなイラストに誰が愛を感じるのだろう。そして国際送金を手配したのは私なのだが、やはりまずかったのか。手数料はこちらの負担だったのだけど。
「かしこまりました。あの・・・」
『はい、何か? 別にそれぐらいで優斗怒りませんよ』
「いえ。えっと、実は、・・・飲み物のお好みはおありですか? 実はいつか遊びに来てくださる時には私が用意させていただくのですが、どういったものがお好きかを先にお尋ねしておきたくて・・・。優斗様は適当に用意してくれればいいと、そんな感じで・・・」
適当という言葉はとても難しい。相手の味覚に合わなければ終わりだ。
センター長は、この少女の前で自分のことをセンター長と言わないようにと言った。この外国人少女は前センター長がまだセンター長だと信じているらしい。
訂正してあげればいいだけだと思うのに、絶対に教えるなと強く命じられている。
『別にあるものでいいですけど。あ、そうか。優斗に任しといたら一番高いのを用意しそう。えっとですね、それならメモを用意してもらっていいですか?』
「はい」
私は愛華さんを見守ってきただけに、やはり愛華さん派だ。
だけどこうして話していると、いい子だなと思わずにはいられない。というより、15才に思えない。
実は愛華さんも、たまに直通通話がかかってくると知ってお喋りしたいと言ってはいるのだが、微妙に時間帯が合わないのだ。
愛華さんが学校から帰ってくる頃にはサルートス国では深夜にさしかかっていて、センター長が業務終了といった時刻には真夜中だ。
『優斗、一人暮らしって言ってたけど、どこにあるんですか? センターに納品している業者から買うんですか? それとも近くのお店?』
「どちらでも取り扱いがある店で用意いたします。優斗様のご自宅はここから少し歩いたカナツ駅近くにあるのですが・・・」
地名を伝えても、そもそも外国人に理解できるのだろうか。
『え。ちょっと待って。一人暮らしって言ったから、てっきり・・・。それって自宅じゃない。つまり融・相田さんと園子さんがいるってことでしょ。私、行かないから。嘘つきって言っておいて』
「え。いえっ。ソノコさん? は存じ上げませんが、センター長は違う所でお住まいですっ。ですが実家とは呼ばないかと思います。あの家にはセ・・・優斗様のお部屋しかなく、建てて数年とかいう話でしたから。キッチンルームにはケトルしか使われた形跡がないぐらいで、どう見ても男の一人暮らしですっ」
一気に不機嫌になった口調は、今にも通話をオフにする気だった。慌てて私も早口で説明する。
たしかこの外国人少女は前センター長がまだセンター長だと信じているということだった。
『そうなの? ならいいけど。いや、よくないけど。家政婦ぐらい雇える給料もらってるんだろうから、ちゃんと人を入れればいいのに。どうして人間らしい生活しないのかな。・・・それならいいです。ところでその融さんご夫妻はその近くに住んでるんですか?』
「いえ。郊外の方が住みやすいからと、かなり離れたところでお住まいです」
婚約者の親を嫌がるって何なのだろう。
だけど心が痛い。その家政婦は私だったりするからだ。やはりセンターの食堂が作る食事じゃなく、手料理じゃないといけないのだろうか。だけど食堂の食事はけっこう美味しい。
『それなら建て直したのかな。駅前にタドツマーケットってまだありますか?』
「はい、あります」
『じゃあ、タドツマーケットに入ってるソウヤコーヒーのレヴィアンかソウヤブレンドかナンシーを豆で買っておいてほしいです。あと、コーヒー豆用の密封容器も。どこのでもいいけど、もしもあるならテミタツの遮光密封真空タイプ。
それからコジイのコーヒーミルは少なくとも5段階のをお願いします。
あと、お茶はミトリのセランシリーズで、茉莉花とホワイトグレース。それからカラク茶店の特選カナ茶を今の内に買っておいて真空カレイン容器2号に入れてから冷凍保存しといてください。売り切れていたら入手の必要はないです。
あと、ジナリのモーニングブレンドティーと、ケナリのアフタヌーンブレンドも一つずつ。どちらも他に店頭でお勧めのを試飲した上で一つずつ足しておいてください。ラクラクティーポットはカナロディアンの目盛り付きセッター、ダリアラインがいいです。
問題は私が一人で行ければいいんだけど、もしかしたら他にも増えるかもしれないところなんですよね。一人で行くならせいぜいポットは3人分でいいんだけど。・・・無理かも。じゃあ、六人分のティーポットを二つ買っておいてください。あと、茶こしは18サイズの網目57号でお願いします』
「かしこまりました」
『他のはこっちから持っていくから大丈夫です。あと、センターのストックがあるようなら、検出値オール1.5から3.0の乾燥葉をそれぞれ2ジレンずつ用意してほしいです。まずはハブとジュウヤク、そして・・・』
言っていいだろうか。何故、ここまで図々しく要求できるのだろう。
全て用意しなくていいと言われたが、あまりにも指定が細かすぎないだろうか。
(やっぱり聞いておいてよかった。私が用意したなら適当なコーヒーをせいぜい二種類、お茶もそんな感じだったわよ)
まさかティーポットまで指定されると誰が思うだろう。そんなの何でも一緒じゃないの?
『これらをあるって言わないってことは、どうせ優斗、作ってくれる人がいないからってお蔵入りにしたか捨てちゃったかしたんですね。それ、優斗に言えば用意してくれると思います。壊したならセンター長の秘書さん、江夏さんか城戸さんに可愛らしくお願いしてみればホイホイ用意してくれます』
「そうですか。・・・もしかして、これらは優斗様が飲む為に用意するのですか?」
江夏さんか城戸さんが用意できるのなら、外国人少女の好みとは関係ないのかもしれない。
『はい。どれも優斗が飲みやすい味のですから。短期滞在なんて何でも飲めればいいんです。だけど買うなら暮らしている人の好みに合わせた方がいいじゃないですか。私なら豆を自分で挽こうなんて思いませんけど、優斗は豆をガリガリする香りで胃を刺激されるのか、食欲が少し出るんです』
「そうでしたか。きっと喜ぶと思います」
なんて我が儘な子だろうと思ったけれど、実はそうじゃなかったと知って、私は反省した。この細かい指定はあくまでセンター長の為だったのだ。
通話が入っていたことと、会話したその内容を清書したメモをテーブルの上に置いたが、その江夏さんと城戸さんは、それこそ秘書室の権力者だ。私など声もかけられない相手である。
秘書にだって序列というものがある。可愛く言えばいいというが、あの二人におねだりできるのなんて愛華さんぐらいだ。
(私、ここまでセンター長に細かい指定されたことないんだけど。もしかしてこれができて当たり前だったの? しかも作ってくれる人がいないからお蔵入りって、そりゃ秘書さんがそこまでできなくても、私は世話係なんだからできた方がいいってことよね?)
どちらにしてもサルートスの少女がやってくるのはまだ先だ。
次にもし通話に出ることがあったら、できればキッチンルームの好みも聞いておきたい。センター長も注文に細かい人だとか思ってたけれど、本人の方がもっと細かいかもしれない。
恥を忍んで江夏さんか城戸さんに教えてもらった方がいいのだろうか。そもそもこれらをどうすればセンター長好みになるのかも、私にはさっぱりだ。
問題は江夏さんと城戸さんも、できるようには見えないことだろう。前のセンター長時代から秘書として働いている彼らがコーヒーやお茶を淹れているところなんて見たこともない。
― ◇ – ★ – ◇ ―
通話通信をオフにした後、私なりに言われた物を調べてみようと思っていたら、部屋を出た時点で秘書達に囲まれて怒られた。
「ちょっと佐々木さん、声が聞こえたけれど、センター長の予定を喋るだなんて何を考えているの。あなた、それで秘書資格、本当に持ってるの?」
「いくら現在、愛華さんの世話係でも、それではどうしようもないだろう。何を考えてるんだ」
「す、すみません。ですが、センター長からお伝えして構わないと言われていたので・・・」
「ちょっと見せてちょうだい。何をあなたは部外者の言いなりになってるのっ。変な物をセンター長に出すつもりじゃないでしょうねっ」
「何よ、これっ。センター長がお嫌いなものばかりじゃないっ」
持っていたメモを奪われたが、返してくれないと私が用意できない。そりゃセンター長のテーブルに清書したものがあるからいいけど。
ついでにアレナフィルさん。これら、センター長が嫌いなものばかりだそうですけど、お金の力で婚約を決められたことに対する形を変えた抗議ですか?
「それを見せてくれたまえ」
ああ、城戸室長が見ると知っていたら、こんな殴り書きにしておかなかったのに。
けれどもそのメモを見た城戸室長は、表情を強張らせた。
「佐々木さん。これらを用意するように言われたのかね? それをセンター長に?」
「えっと、・・・はい。センター長が婚約したお嬢さんがいずれこちらに遊びにいらっしゃる時に用意しておくものをお尋ねしたところ、これらをご要望いただきました。センター長に報告後、用意させていただくことになろうかと思います」
「そうですか。何故これらを選んだのか、言ってましたか?」
「センター長好みの味だからだそうです。センター長、もしくは城戸室長か江夏さんにお尋ねすれば、器具は分かると言われましたが」
「城戸室長か私ですか?」
その言葉を聞きつけ、立ち上がって城戸室長の所へやってきた江夏さんが、城戸室長の手元にあるメモの内容に顔を歪ませる。
「なんて嫌がらせだ。いや、どうして・・・。どこが仕掛けてきたっ。城戸室長、スパイを洗い出す必要があります」
「落ち着きなさい、江夏君。退職している人間かもしれないでしょう。いや、その可能性の方が高い。今更です」
どうしてスパイということになるのか。そこらの飲み物ぐらいで。
なんでこうなったのかと思っていたところに、早めに終わったと、センター長が秘書と共に戻ってきた。
「騒がしいが、何かあったのか?」
私はあくまでセンター長の生活方面における雑用係だ。いじめられているように見えたのだろうか。
こういうところ、本当に優しい雇用主である。
だから私は、誤解されないようにと口を開いた。
「えっと、すみません、センター長。休憩室にアレナフィル様から通話通信が入りまして、本日、センター長はナツ製造へ出かけていることをお伝えした上で、いずれこちらに遊びに来る時には用意しておいた方がいいお好みの飲み物がおありかをお尋ねしましたら・・・。アレナフィル様からはセンター長好みのものだと言われたのですが、どうやら勘違いがあったようです。どれもセンター長がお嫌いなものだったそうで、今度機会がありましたら訂正しておきます」
行き先を伝えたことは、センター長の了承があったからだ。私は自分から申告することで、皆に対して自分は悪いことをしていないのだと、さりげなく主張しておく。
思った通り、センター長はそのことについて咎めることはなかった。
「ふうん? ちょっと見せて」
城戸室長の手にあったメモが、センター長に奪い取られる。
こんなことならもっと綺麗な字で書いておくんだった。
「ああ、そういうことか。うん、言われた通りに用意しといて。普段は飲みたくなんてないけど、あの子が私の為に淹れてくれるなら喜んで飲むから。江夏さんに言えば全部揃うよ」
「センター長。だけどこれは・・・。ふざけてるにも程があります」
「いいから。なんで江夏さんも怒ってるわけ? 私が全部壊した時、止めたくせに。それより一緒に揃えてあげてよ。佐々木さんより江夏さんの方が詳しいんだから」
「怒らずにいられますかっ。誰がわざわざこんなものをっ」
嫌いなものを飲まされようとしているセンター長が笑顔で、何故か江夏さんが顔を真っ赤にして怒っている。
今度から絶対に扉を閉めて通話通信に出ようと、私は決意した。
「構わないから用意してくれ。アレナフィルは私が大好きだから、自分が飲むなら出来上がり品のお徳用液体コーヒーですませるのに、私の為なら豆を挽くところからやってくれるんだよね。だけどアレナフィル、子供舌だからキャラメルソースやチョコレートシロップも必要か。そうだな、アカシア蜂蜜に黒砂糖、三盆糖も。あの子は甘いのが大好きなんだ」
私は慌ててそれらもメモする。
「ですがセンター長。・・・それに子供舌なら、炭酸飲料とかの方が喜ばれるでしょう。どうしてあなたも怒らないんです。なんてことやらかしてくれるんだ」
「保護者がついてくるかもしれないからね。アレナフィルはあるものでいいって子だけど、どちらにしてもあの子が淹れてくれるならそれでいい。江夏さん、あの人が好んだものを用意しといて。頼んだよ」
「・・・え」
よく分からないけど、私が用意しなくていいようだ。
すると、私を取り囲んでいた秘書の一人が顔を上げる。
「あの、センター長。これらはお嫌いなものだと思ってここのラインナップからも外しておりましたが、出した方がいいのでしょうか?」
「やめてくれ。あの子が淹れてくれるから飲むのであって、他の人が淹れたものなんて冗談じゃない」
「・・・・・・はい」
嫌いなものでも可愛い少女から出されたなら飲むのか、センター長。そんな変質者に対し、さりげない仕返しを考えてのリクエストだったのか、外国人婚約者。
私はこの一幕を忘れることで精神の安寧を保つことにした。
― ☆ ― ★ ― ◇ ― ★ ― ☆ ―
早めに戻ってきたから夕食は愛華さんと一緒に取るのかと思いきや、再びセンター長は出かけてしまった。
何かと慌ただしい人だ。
「今日はトンカツにしておきました、愛華さん。お魚続きでしたからね」
「良かった。私、もうお魚の骨に押し潰さる夢にうなされる一歩手前だったわ」
「それは大変です」
私は食堂で確保しておいた食事を温め直すと、愛華さんと一緒に食べ始めた。社員割引きが適用されるのでとても安上がりだ。早く帰っていいと言われたが、夜の看護は他の家族に任せたいという私の気持ちもあって、あまり早く帰りたくない。
実際、私が昼に帰宅できるのはいいが、他の家族が感謝してくれたのは最初の内だけで、今では休みを取った日も昼間の看護は私の仕事だと決めつけて、全く手伝ってくれなくなった。
「え? スクールじゃなくて?」
「個人レッスンにして一緒に教えてもらえばいいんじゃないかとセンター長はお考えのようでしたが、愛華さんのことを考えて女の先生をと言われてたんです。センター長はどうしても受けられない日が多いですし。ですが見学してきたところ、この男の先生が教え方も上手な感じでした。スクールでも教えているみたいなので、体験しに行ってもいいのではないかと思っているのですが、良かったら私と一緒に行ってみませんか?」
「一緒に?」
「ええ。センター長はお忙しい方ですので、予定を合わせていたらいつになるやら。個人的に私もサルートス語に興味があるんです。アレナフィルさんはファレンディア語がお上手ですけど、できれば私もサルートス語を話せた方がいいかと思いまして」
「そうねっ。それって楽しそう」
そんなことを話しているとチャイムが鳴った。
「あら、お父様がおいでになりましたよ」
「パパがっ? じゃあ、今日は早く終わったのね」
やってきた轟さんは愛華さんを見るなり、がばぁっと抱きしめる。
轟さんは夕食を取ったのだろうか。今から食堂に行けばもらえるだろうか。
「愛華ちゃあん、やっと会えたぁっ。パパ、ずっと会いたかったよぉっ」
「んまあ、私をほったらかしにしてたくせに。仕事、仕事って、パパってば仕事と私とどっちが大事なのっ? 私、一人寂しくパパが三年前に買ってくれたぬいぐるみを抱きしめて寝てたのよっ」
ぷんぷんと怒っている愛華さんが可愛すぎるけど、言っている内容がちょっとアレだ。
「ごめんよお。あのクソガキセンター長が、さっさとサルートスから抜け出したからって、愛華ちゃんに会えないよう仕事ばっかり入れてくれやがったんだよぉ。やっと今日は監視が外れたんだ。さあ、パパの所へ帰ろう。もうあんなセンター長なんて捨てちゃえぇ」
「だけどパパ。私、ご飯食べてるところよ?」
「大丈夫。パパのお部屋に愛華ちゃんのご飯も取ってきたから」
愛華さんは両親のことが大好きだけど、ちゃんと世話をしてくれるのは私がいるセンター長の部屋だと理解している。
迎えに来たからと、すぐに帰るわけがなかった。
轟さんのことだから夕食のトレイは持ってきていても、お茶とかは忘れ去られてお水しかなさそうだし。
「あの、轟さん。それでしたらこちらに持ってこられたらいかがですか? センター長、今夜は遅くなるということでしたし、食事を終えたら一緒に片づけておきます」
「え? そうなのかい? じゃあ、愛華ちゃんの分はママの所に置いてくればいいか。うん、そうするよ」
轟さん夫妻の部屋は同じフロアにあるので、すぐに戻ってくる。娘の分は確保しても、妻の分は取ってこなかったってどういう夫婦関係なんだろう。私が口出しすることじゃないけど。
何でも今、サルートス国からセンター長よりも先に帰国したというので嫌がらせのように仕事を押しつけられているそうだ。轟さんはヘトヘトな顔になっていた。
「優斗ってば大人げないのよね。結局、私が一人ぼっちじゃない。ねえ、パパ。そのサルートスの女の子ってば、優斗に通話通信入れてくるんですって。だけど時間帯がいつも昼間なの。だから優斗もなかなか出られないのよ。それなら休日に通話通信入れてくればいいのに」
休日なら自分もお喋りできるんじゃないかと考えている愛華さんは、アレナフィルさんに興味津々だ。
恋のライバルといった実感がないからだろうか。センター長に色々と話をねだろうにも、なかなか時間がとれないのでふてくされている。
「え? ああ、あの悪評だらけの子爵家令嬢が? だけどサルートスはここと休日のペースが違うから無理じゃないかなぁ。こっちの国では休日でも、あっちの国では平日で、反対にあっちの国では休日でもこっちは平日だったりするんだ」
悪評だらけの子爵家令嬢って何? 何かあるの? もしかして地雷物件なの?
だけど私の立場を考えると、あまり下世話な様子を見せるわけにはいかない。
「そうなの? ねえ、パパ。悪評だらけって何? その子ってば悪い子なの?」
「うーん。どうだろなぁ。悪評のわりに優秀なのはたしかだね。まだ子供だってのに、税関に逆ねじ食らわせた子とうちのセンター長が婚約したってんで、なりふり構わぬハンティングぶりだなって言われたよ」
私は耳を疑った。やはりセンター長は優秀な少女を婚約という形で手に入れてきたのだろうか。
だけどあの様子を見る限り、人材獲得といったものとは無縁に思える。
(伝言内容だって真面目なものとは言い難いわよね、どう考えても)
私と愛華さんはメイン料理に豚肉のフライを選んでいたが、轟さんは魚のフライだった。
カリッと揚がったフライならではのバリバリな咀嚼音が響く。
「それって悪い子なの? いい子なの?」
「うーん。悪評といっても子供の頃らしいし、パパも会ってないから分からないんだよ。ただ、学校関係者は優秀だと言ってたし、実際、優秀なんだろうね。双子のお兄ちゃんの方は王子様とお友達だって噂だったかな。外国人と友達になっても遠すぎるけど、愛華ちゃんのペンフレンドに外国の貴族令嬢ってのは悪くないかもね」
「えっ、王子様?」
肉を噛みきろうとして格闘していた愛華さんがぴょんっと顔を上げた。
そんな娘の反応に目を細めて苦笑するのは、やはり女の子だなぁと思ったからだろうか。
「学校でクラスが同じだそうだよ。サルートスでは王族や貴族が多く通う学校があって、その女の子の双子のお兄ちゃんは、王子様と仲がいいらしい。その女の子自身は学部も違うので会ったこともないらしいけどね」
「そうなんだ。ねえねえ、パパ。王子様って冠かぶってるの? そしたら学校でも金の冠つけてるの? 護衛の人がマントつけて見守ったりしてるの? 白馬に乗ってたりする?」
「さあ? お友達になって聞いてみたらどうだい? お友達がいない女の子らしいけど、かえって外国人なら仲良くなれるかもね」
私は首を傾げた。
「お友達ができないタイプには思えませんでしたが・・・。センター長も、愛華さんにとって望ましいお友達だろうといった様子でしたし」
「そうなのかい? 佐々木さんは話したんだ? こっちはセンター長しか会ってないんだよ」
どこまで話していいのか考えると悩ましいけど、轟さんはサルートス王国へセンター長と一緒に行っている。ある程度の情報交換は許されるだろう。
「たまに通話通信が入るんです。時差の都合上、センター長もあまり出られず、だから私が代わりに出て伝言を受け取ることがあります。私が最初に出た時、幾つか質問を受けて、それで私のことを秘書だと勘違いなさったようですけど」
「そうなんだ? 何を聞かれたんだい?」
実は轟さんもあの少女に興味ある様子だ。
そうかもしれない。今や秘書室でも次にあの少女から通話通信が入ってきた時には自分が出たいと言い出している人ばかりだ。
「私の所属と業務内容とその権限ですね。センター長への直通アドレスだったので、代わりに出て不在であることだけお伝えして、何か伝言があるようなら伺いますと言ったら、センター長の研究助手か秘書かと尋ねられまして、それで生活におけるマネージャーだと答えたのですが、業務内容を確認されて、要はマネージャー寄りの秘書ですねと、まとめられました」
本当はそんな穏やかなものではなかったけど、今はいい関係だからそういうことにしておく。
センター長から人物保証されない限り信用しないという警戒心の強い少女だった。
「へえ。直通アドレスを教えるだなんて本当にのぼせてるんだねぇ」
「え? パパ、その子嫌いなの?」
「どうだろうね。愛華ちゃんがお友達になるのはいいと思うけど、それは子供同士のお話だ。大人には大人の立場があって、信用はできないよ」
「そうなの? だけどパパ、私ね、サルートス語を習いたいの。だってその子、とってもとっても可愛いのよ。パパにだけこっそり見せてあげる」
愛華さんが轟さんを引っ張ってセンター長の寝室に連れていく。父親として愛華さんを止めなくていいのだろうか。だけど私も興味がある。
愛華さんはセンター長のベッドに備え付けられている棚から何かの装置を取り出し、幾つかの操作をしたかと思うと、室内を暗くした。
すると白い壁がスクリーンとなって映像が現れる。どうやらそれは船の中のようだった。
『ねえ、優斗。まさかと思うけど移動中も仕事してるんじゃないでしょうね』
『そこまで仕事中毒なんかじゃないよ。体を動かす装置だってある。あれのスコア見てみるといいよ』
『なあに? 紐が下がってる』
『音楽と映像があそこに立つ人にだけ分かるようにスタートするんだ。やってみるといいよ。あ、今は音楽オフにしてたかも』
『そうなんだ? やってみる』
オレンジがかった黄色い髪の女の子が紐を握って、映像に従って体を動かしている。その向こうに同じ顔をした男の子がいて、本当にそっくりだ。
「見て。可愛いでしょ。リズムとるのも上手なのよ」
「この子が? なんてこった。本当にまだ子供じゃないか」
私も驚いた。通話通信だとしっかりしているイメージだったけれど、こうして映像を見てしまうと可愛らしいとしか言えない。大人達に囲まれても笑顔で会話している少女は、センター長とも仲良さそうにしていた。
センター長と女の子の会話はファレンディア語だけど、女の子が違う人と話している時はサルートス語なので、何を言っているかが全く分からない。
「双子だからおんなじ顔してるの。何言ってるか分かんないけど、とっても仲良さそう。同じ髪と目の色の人がお父さんの子爵なんですって。赤い目の人がその弟なの。優斗はね、この優しそうな人に通訳してもらったって言ってたわ。この女たらしみたいな人は、よく分かんないけど」
「あの、愛華さん。これ、勝手に見ちゃいけないんじゃないですか?」
「ばれなきゃいいのよ。それにパパだって佐々木さんだって見たら分かったでしょ? とってもいい子だと思うわ。だからね、私、サルートス語を習ってお友達になりたいの」
「だがねえ、愛華ちゃん。この子に出会った途端、センター長はおかしくなったんだよ。近づかない方がいいんじゃないかい?」
何故だろう。轟さんは深刻そうな顔で言い出した。
何かアレナフィルさんに感じるものがあったのだろうか。いきなり友達付き合いは勧めない方針を打ち出している。
だけど私には微笑ましい家族にしか見えなかった。愛華さんにとって素敵な友達になるだろうとしか思えなかったのに。
「なんで? パパ、さっきまでお友達になってもいいんじゃないかって言ってたじゃない」
「だってその周りが悪すぎる。見たら何なんだ。通訳はともかく、父親も叔父も護衛らしき男もまさにって感じじゃないか。
いいかい、愛華ちゃん? ああいうタイプってのは女を泣かせて当たり前とか思ってるんだ。道理でこの子爵、悪評が多かったわけだ。普通、妻に先立たれたらもっとわびしそうな感じになってるもんだろう」
「パパ、たとえママに先立たれてもパパは素敵だと思う」
愛華さんは冷静だった。
だけど誰もが見たらほんわかするような空気を持つ轟さんを素敵だと言ってあげるのは、奥さんと娘さんの二人だけではなかろうか。
この親子が一緒にいると、まさにビッグサイズなクマのぬいぐるみと高級磁器人形だ。
「なんっていい子なんだっ、愛華ちゃんっ。だがね、この子爵は色男すぎるよ。この男の子もそんな風に育つに違いない。近寄っちゃ駄目だよ? 愛華ちゃんが襲われてしまう」
きりっとした顔で真面目そうに言っている内容が、あまりにも独断で満ち溢れていた。
双子の兄は少年ながらも女の子のように可愛らしい顔立ちで、礼儀正しく挨拶していたし、背筋もぴしっと伸びていた。
しかもこの映像、揃いも揃ってサルートス人が素敵すぎる。誰もが違うタイプでいい男だった。目の保養と言ってもいい。
センター長もいい男だと思っていたけれど、体の厚みが違う。しかも父親だというのに、娘に対するエスコートが完璧すぎた。船に乗り込む時も、段差がある時も、すかさず手を差し伸べているのだ。
轟さんは妻に先立たれたらわびしく暮らさなきゃいけないなんて自論を、まずは撤回すべきだ。
(今はアレナフィルさんに警戒している秘書室だけど、この人達が来たら一気に群がるんじゃないかしら。だって子爵様なのに奥様いなくて独身なのよね? しかも双子の男の子は王子様のお友達だなんて、まさに外国の生きた上流階級じゃない)
それ以前に目の保養だ。アレナフィルさんがファレンディアに来る時には、是非保護者同伴でお願いしたい。兄妹一緒に来てくれるともっと嬉しい。
私は、センター長に言われている部屋の内装パンフレットの男性向けにも力を入れて集めようと決意した。
黄緑色の髪をした若い男性が通訳かなと思ったら、通訳をしてくれているだけで子爵のお友達だとか。
「ううん、止めないで、パパ。女には行かなくてはいけない時があるのよ」
そうかもしれない。
百聞は一見に如かずと言うべきか。これはお友達になる価値があると、私だって思った。
アレナフィルさん一人とお友達になりたいなら、ファレンディア語を話してもらえばいいだけだ。けれども双子の兄や他の人達は話せない。
うん。サルートス語スクール、行かないとだめよ。これは行くべきね。個人レッスンでもいい。
「愛華ちゃあんっ。駄目だよぉ。パパ、あんなカッコいい人達に勝てないじゃないかぁ」
「そんなことないわ、パパ。パパは世界で一番素敵なパパだもの」
変だなと思ったら轟さんは父親として子爵と自分を比べていたらしい。
観賞用だと思えばいいのに。
「それならサルートスには行かないでくれよぉ」
「ごめんなさい、パパ。女は時に、今までとは違うタイプにそそられちゃうものなの」
「愛華ちゃあんっ」
愛華さんは今までセンター長が身近すぎて、同世代のお友達ができにくかった。身につけているものもそれなりに高いものが多く、どうしても高嶺の花に思われがちなのだ。
だけどあんなにも可愛らしい服を着ている外国人の貴族ならそういったこともない。しかも双子。
貴族ならば誰もが気取った喋り方をしているのかなと思いきや、双子の兄は当たり前のように笑顔で大人達に話しかけてるし、大人は双子の妹を呆れながらも愛おし気に見守っている。
何を話しているのかは分からないけれど、当たり前のようにセンター長にも話しかけていた。すぐに黄緑色の髪をした男性がファレンディア語で通訳し始め、雑談だと分かる。
誰も彼もが気位の高いタイプではないのだ。
だからこそ愛華さんも、保護者も良い人そうだし、お友達になりたいと思ったのだろう。
(まさに愛華さんとは違うタイプだわ。甲乙なんてつけられない。もう愛華さんの両側に双子を一人ずつ並べたら、それだけでみんながフォト撮りまくりだわよ)
だけど一つだけ疑問がある。どうして寝室のベッドの棚に投影装置があったのだろう。
愛華さんが知っていたのは、どうせベッドにもぐりこんだ時に教えてもらったのだろうが、愛華さんの年齢的にそれはそろそろまずい気がする。
いや、何よりまずいのはこんな少女の映像を寝室に置いている成人男性ではないのか。
(ううん、見てるだけだもの。それならいいのよ、きっと)
だけど寝室で元婚約者と一緒に眠りながら、今の婚約者の映像を見せる男。
・・・・・・。
最低すぎる。そりゃ愛華さんが気にしてないどころか、喜んで見てるから何も言えないけど。
(寝る前にこの映像見てるわけ? 結婚できない年齢の少女の映像を?)
ああ、だけど愛華さんによると、センター長の数年後予定図は、二人を日替わりで正妻と愛人。
・・・・・・。
鬼畜すぎる。そりゃ未来はどうなるかなんて誰にも分からないから、今は何も言えないけど。
(秘書室全員が絶句した程の特別扱いをセンター長は見せ始めている。結局、三人用ポットも六人用ポットも用意するよう命じていらしたし)
ああ、愛華さんはちゃんとセンター長のお父様に相談してくれたのだろうか。確認なんて入れて、愛華さんの口からセンター長に、私が勧めたなんて言われたらまずいから尋ねることもできない。
・・・・・・。
保身すぎる。分かってる。だけど仕方がなかった。ここよりもいい条件の職場なんてまずない。
(あの飲み物にしてもセンター長、アレナフィルさん以外の人が用意するのは完全拒否してたもの。センター長がそこまで許すのはアレナフィルさんだけなのよね、多分)
ここはお給料もお仕事内容もとてもいい職場な上、雇用主はとても素晴らしい人だ。
ただ、雇用主が綺麗な女の子と可愛い女の子の二股宣言をしているだけで。
・・・・・・。
せめて父親として、轟さんが毅然とした態度に出てくれることを期待するしかない。
「愛華ちゃあんっ。パパは愛華ちゃんしかいないんだよぉ」
「ママがいるわ、パパ。たまにはママに愛の言葉ぐらい言わなきゃ」
「ママはパパと約束しても、それを忘れてすっぽかすんだよぉ」
どうしよう。
未来に何ら明るい展望が見えない。




