34 ユウトは父に弱かった
サルートス国からファレンディア国に戻り、私の帰りを待ちわびていた愛華から浮気だの愛人だの慰謝料だのと言われた。お土産でご機嫌取りはしておいたが、愛華のことだから色々な人に泣きつくだろうなと、予想していた。
口先だけの婚約者となっている愛華だったが、通常なら愛華がどれだけ喚いても、それは私が心変わりしたと、それだけの話だ。
私が愛華を大事にしていることに変わりはないし、何より愛華はまだ子供だ。真面目に受け止める人などいないだろうと思っていた。
何故なら愛華が成人するまで待つより、違う誰かとさっさと結婚してくれという気配が周囲に濃厚だったからだ。私が愛華を可愛がることはともかく、結婚の約束をしたことに対して非難と憐憫の目で見る人は多かった。
「それなのに、どうしてあなたがやってくるんですか。まさか愛華が和成お父さんまで巻き込むなんて」
「あ、違う違う。僕は優紀から聞いただけで、愛華ちゃんからは何も聞いてないよ。優紀は融さんから聞いたんだけど、愛華ちゃんが泣きついたのは融さんだけ。それも愛華ちゃん、優斗君と結婚しないなら、融さんと結婚して優斗君のママになるのもいいねって話になってたみたいだよ。それで気がすんだみたい。そっちの方が優斗君より偉くなれるって聞いて乗り気なんだって」
「現金すぎる。所詮、女なんて金と権力しか見てないんですよ」
一番言ってほしくない人に泣きついているあたりが愛華だな。
慌てて手を横に振って否定してきた彼は、和成・田宮。目じりの皺も優しい温和な男性だ。
私がお父さんと呼ぶ人ではあるが、血の繋がりは全くない。私の遺伝子上の父親のパートナーだからだ。
この人がわざわざセンターまでやってくるとは思わなかった。
「おやおや。先に愛華ちゃんを裏切ったのは優斗君なんだろう? 裏切りに対する天誅を見せてやるとか言ってたらしいよ。まずは優斗君にその泥棒猫? とやらを差し出させて一緒にフェリンキングダムに遊びに行くんだって。お財布代わりに融さんでも優斗君でもお供をさせてもらえるそうだよ」
「どうせ二人で私をオモチャにしてたんでしょう。全く愛華も私のことならすぐにお父さんに言えばいいと思って」
軽い口調ではあるが、和成の眼差しが私の表情を観察しているのが分かる。
だからあえて私も拗ねておいた。
どうやら私がどこまで踏み込まれたら怒るのかを心配しているらしい。怒るようなことではないが、さすがにこれはちょっと勘弁してほしい。
私は和成の鞄に入っているその資料をちらりと見て、がっくりとした思いを抱いた。
「仕方ないよ。いつか僕も、おじいちゃんと結婚するって言われてみたいなぁ。愛華ちゃん、本当に可愛いよね。僕もあんな孫が欲しいんだけど、そこはいつか娘になってくれると信じてたんだよね」
「婚約者が心変わりしたからって慰謝料を分捕ってやると宣言し、その心変わり相手とはお友達になれるように協力しろと要請し、更に婚約者の父親に泣きついている子ですよ? お父さんにはちょっと強烈すぎると思います」
「そうなんだ? お友達になりたかったなんて、愛華ちゃんは本当に可愛いね。まだまだ恋とか嫉妬とか分からないよね、それは」
穏やかに笑う和成は、とてもいい人だ。いい人すぎて、たまにどうしてこの人のパートナーがあの人なのかと思わずにはいられない。
私の遺伝子上の父親は怒らせると苛烈としか言いようのない性格をしているというのに、和成は陽だまりのように温和な人だ。
「そう言いながら、精神科の名医特集を持ってこられても。お父さん、世間の人は婚約解消して違う婚約者を作っても、精神科は受診しませんよ?」
「頼むから気を悪くしないでくれ、優斗君。僕だって君が聞く耳持たないぐらいに意固地になっていたなら出さなかった。だけどまだ君は正常に話が通じる。そうだね?」
「あの、・・・何を心配していたんでしょう、和成お父さん」
和成はとてもいい人だが、私とは違うステージで生きている人だ。
だけどきっとこういう自分とは違う価値観を持つ人達との繋がりを作ってほしいと、あの人は願っていただろう。
そう思って付き合い続けてきた。
彼は私を根本的に誤解している。そして私はその誤解をどうやって解けばいいのか全く分からない。それでも会話は成り立つのだ。
「心配するのは当たり前だよ。愛華ちゃんへの執着も異常だったけど、そこはもうしょうがないって諦めてたんだ。いつか大きくなった愛華ちゃんにフラれたら、優斗君も前を向けるだろうって、そう信じてたんだよ。だけど今度は外国人の、しかも愛華ちゃんより幼い女の子と婚約してきたというじゃないか。優斗君、お願いだから診察を受けよう? 気休めでもいいんだ。お願いだから一緒に受診しよう? もう君を一人にしない。うちで一緒に暮らそう」
大きく身を乗り出してくる和成は、善意の人だ。だから手厳しいことも言えない。本人はぽやぽやした表情で結構ひどいことを言ってるような気もしたが、そこは聞かなかったことにした。
だが、同居は断る。
今の私は自宅の改装を予定中で忙しいからだ。
「あの・・・、そもそも私、異常じゃなくて普通に欲しい人を欲しがってるだけなんですが。ついでにあの子は愛華より年上ですよ」
「じゃあ成人してるのかい?」
「いえ、未成年です」
「ほらあっ、やっぱりっ」
ぽろっと、和成の青い瞳から涙が零れた。うっうっと、ハンカチを瞼に当てて泣き始める。
この人の中で私は一体どんな人間だと思われていたのだろうと、先程からぽろぽろ零れ出ていた本音に少し気が遠くなった。
「君にはずっと辛い思いをさせてたって思ってたんだ。だから君が愛華ちゃんに執着したのもしょうがないって思ってた。だけど、いずれ立ち直ってくれると信じていたんだ。ごめん、ごめんね、優斗君。僕達は、もっと早くに君の心の傷と向き合わなきゃいけなかった。それを君がしっかりしていることに甘えて、だけど君はずっと苦しんでて、ついに自棄になって破滅の道に・・・!」
「お願いですから、和成お父さん。どちらかというと私の心の傷を治してくれたのが、今回の外国人の子なんです。ついでに自棄になんかなってません。お願いですから、破滅の道だとか、そんなのはないですから誤解だけはしないでください。って、もしかして父さんとお父さんもそんな愉快な誤解を・・・」
思わず立ち上がった私は、和成の方へと歩み寄って抱きしめたが、なんだか知らない内に変な話になっている。
あっさりした意味でのボディタッチは和成から教わった。好きになった相手が男だっただけだと考えている和成は他の男に対して性的な興味を抱かないばかりか、普通に友情を構築している人だ。
私のこともちょくちょく顔を見にきて元気にしているかと案じてくれている。
問題は、彼が笑顔の裏で考えている内容だ。
まさかと思うが、外国で洗脳され、センターを裏切ることを決意したとか思われているのだろうか。
ちょっと待ってくれという思いで否定してほしくて問えば、和成は頷いた。
「愉快も何も笑えないよ。それに僕達は責めてるわけじゃない。君を責めてるわけじゃないんだ、優斗君。今の君は、君が信じていることを正義だと信じているだろう。それは君にとっての今の真実なんだって分かってる。だけどね、・・・君が幼女に執着したのはしょうがないって、僕達も思ってた。愛華ちゃんだからね。だけど、全く関係ない少女にまでとなったら、もうおかしいって誰でも分かるだろう。・・・まだ君の心はぼろぼろだって分かってたのに、どうしてっ、どうして僕達は君を一人で行かせてしまったんだっ」
「・・・一人じゃなくて、何人か連れて行きましたけど」
自分を責め続ける和成は、とてもいい人だ。本来は憎まれても仕方ないのに、私を実子のように可愛がってくれる。私に罪は全くない、全ては大人達の罪なんだと、出会った時から私に同情してくれていた。
だから他の人が訪ねてきても忙しい時は勝手にメモだけ残して帰ってもらうのだが、この人の時だけは何があろうと時間を空けるようにしている。私を訪ねてくる時点で、かなり思いつめるような事態が発生しているからだ。
善意で思いつきの行動を取ったり、綺麗事で他人を引っ掻き回すタイプなら無視するが、彼は善意で悩みに悩み、調べに調べた上で動くから無視できない。
(今回、それを逆手に取られたのだろうか。思えば優紀父さんなら予定が空くまで放置だし、融お父さんなら勝手に入ってきて勝手に用事をすませるだろうってことでやっぱり放置だし)
これはもしかして、さっさと報告に来いという意味だろうか。
思ったよりも留守が長引いた挙句、調査や人選に時間を取っていたから後回しにしていたのだが、実は勝手に婚約しておいて全く報告がないという事実にあの二人こそがむかついていたのかもしれないと、私は悟った。
「和成お父さん。これでも私だってお父さん達に報告に行こうとは思ってたんです。ただ、やることが多くて・・・。とりあえず急ですが、今夜、時間を空けていただけますか? できればお父さん達の意見も聞きたいんです」
「外国人未成年者との婚約の是非を? それとも金銭で未成年者との婚約を締結させたことへの倫理的問題について?」
「・・・違います。だけどそういうことにしておいてもいいです」
温和だが、和成の思考は決して甘くない。
強行的に受診させられる前に、私もまた時間を調節するしかなかった。
― ☆ ― ★ ― ◇ ― ★ ― ☆ ―
体調を崩したことにして無理矢理に時間を空けて遺伝子上の父親が住んでいる家に行けば、三人の父親が揃っていた。
まずは私の母と結婚したことにより義父となった融・相田。
母が薬を使って妊娠に持ちこんだことにより私の遺伝子上の父となった優紀・田宮。
そして優紀のパートナーとして同性婚した和成・田宮。
言うまでもなく、私が父親と思っているのはこの中で融・相田一人だけだが、では残りの二人をなんと呼べばいいのかと、お互いに試行錯誤した結果、全員を父と呼ぶことで合意した。
色合いは違っても、私は遺伝子上の父である優紀によく似た顔立ちで、赤の他人というには似すぎていたのだ。だから母の犯行もばれた。いや、それは忘れておこう。
上着を脱いでダイニングルームの椅子に座れば、ちまちまと手のこんだ料理が並べられている。
「今日は和成お父さんの手料理なんですね。いつも私が来る時は優紀父さんが作るので珍しくて驚きました」
「優紀が作るのってオーブン任せの料理が多いからね。今日は僕が作ったんだ。融さんも口に合えばいいんだけど、面白そうに見学されてたよ。普段は料理なんて運ばれてくるものだからって。普通の人が言ったら、なんてお金持ちなんだろうって嫉妬しちゃうけど、融さんが言うなら納得しちゃうから不思議だよねぇ。あはは」
「そうですか? なかなかよそのお宅のキッチンルームに入る機会もなく、新鮮でした。新婚の頃を思い出しましたよ」
「俺より相田さんと仲良くやってるんだもんな、和成ってば。帰宅したら二人で『あーん』とか味見してんだぜ? やったことなかったから思いつきもしなかった。やっぱり若い時に告白から始めてお付き合いしていちゃいちゃを楽しまないとそういうスキルって身につかないんだな、俺が思うに」
複雑な三人の関係だが、外野が思う程こんがらがってもいなくて、全くタイプの違う者同士で仲良くやっている。
まずはフェンネルの香り高いスープを口に運べば、爽やかさが咽喉を通り過ぎていった。
「それで優斗。愛華と婚約解消して外国人の女の子と婚約しなきゃいけないようなことをしてきたんだって?」
「誤解です、融お父さん。婚約はしてきましたが、それはあの子にウミヘビをあげるのに税金がかからないようにする為ですよ。そのことでお話があります。そして優紀父さんにも意見を聞かせてほしいことがあって、だからもう相談に乗ってほしいと言ったんです」
「あーっと、そういうことなら、僕は席を外そうか?」
「いいえ、和成お父さん。できれば第三者としての意見も欲しいんです。きっと融お父さんや僕では、正常な判断ができません。そして優紀父さんも正義感が強すぎるので・・・。後で優紀父さんから相談を持ち掛けられても、和成お父さんが何も知らないんじゃ説明だって二度手間じゃないですか」
はっきり言って和成は部外者もいいところだが、ストッパーが必要だと私は思っていた。
おたおたと、自分がいてはまずいのではないかと慌てふためく和成だが、たまにお父さんじゃなくお母さんと呼びたくなってしまう。
水を一口飲んで呼吸を整えると、私は義父の融をまっすぐ見た。
「まず、これは融お父さんの所へ、愛華姉さんの友人だったというサルートス国女性の忘れ形見の女の子から手紙が届いたことから始まります。手紙をよこしたのは、アレナフィルという14才の女の子。そして愛華姉さんの友達だったというサルートス国女性はもう亡くなっています。愛華姉さんが亡くなったのとほとんど同時期に。亡くなった女性の名前はリンデリーナ。
その亡くなった事情については知らなかったものの、愛華姉さんに外国人の友達がいた筈がない。私は融お父さんに調査を命じられ、折角だからとその顔を見にサルートス国へ行きました」
「私は警戒しろと言っただけで、サルートスまで行けとか調査しろとか言った覚えはないのだが。どうせお前のことだ。愛華の名前を出されたというので、警告代わりに何かを仕掛けに行ったのだろう。全く苗字まで変えて乗り込んだと聞いて、私がどんなに呆れたと思っている」
聞こえなかったフリで、私はささっとムール貝を口に運ぶ。
義理であろうと父と子として生きてきた日々が、私に義父の願いを悟らせたということにしておこう。
「クラセンという男の住所から手紙は出されていました。アレナフィルの父親は子爵で軍人だった為、融お父さんがそれを知ったら警戒すると考えて、アレナフィルはあえて自分の本当の住所と苗字を書かなかったそうです。
クラセンという男にファレンディア語を教わったと手紙には書いてありましたが、ファレンディア語能力だけはアレナフィルの方が上。アレナフィルの目的は、轟の家に入りこむこと。どうやら前トドロキセンター長の残した資料をこっそり取り出して持ち帰りたいみたいですね」
「お義父さんの資料を? なんでまた。何の資料だ?」
「内容は聞きませんでした。アレナフィルは、愛華姉さんが亡くなったことを知った上で、わざと何も知らない外国人の女の子として手紙を書いてきたんです。融お父さん、あなたが受け取って読むだろうと考えて。
アレナフィルは、轟の家は無人で郵便物もセンターまで転送されると考えていたようです。融お父さんがあの手紙を読んだら、自分が知らない隠し場所があるのかと思って訪問を受け入れるか、もしくは愛華姉さんが亡くなったという返事を秘書に書かせるだろうと考えたそうです。その返事を受け取ったら、墓の場所はどこかと、お墓参りをいつかしたいからと尋ねる手紙を寄越すつもりだったとか」
「へえ。なかなか頭の回る14才じゃないか。ま、所詮は外国人だな。そんなので絆されて入りこめるセンターはない」
呆れたような声で呟き、優紀が炒めたライスを口に運んだ。
大前提として矛盾するのだと、ここにいる誰もが分かっているからだ。だからこそ、誰もが馬鹿にしたような顔つきになっている。
「アレナフィルは何でもよかったんですよ。愛華姉さんとリンデリーナさんが隠した思い出の品の場所だろうが墓だろうが何だろうが、やりとりさえできれば。
それを理由にファレンディアへやってくることができる。アレナフィルは自分の家族に対しても、そしてこちらに対しても、無理なく旅行ができる言い訳を作ろうとしていたんです」
「はっ。女の子の旅行理由に亡くなった母親の交流関係? ちょっと無理があるな」
「優紀ってば言い方がきつすぎるよ。まだ14才なんだよ。それに、大人に言われたらそう信じちゃうの、仕方ないよ」
女に仕掛けられるトラップというものにトラウマを抱えている優紀は、かなりムカムカきているようだ。
いやホント、生まれてきてすみません。
そのトラウマの結晶が私だ。
「馬鹿にする気持ちは分かりますが口を慎んでください、優紀父さん。アレナフィルは知らなかったんだからしょうがないでしょう。アレナフィルの中では、融お父さんのことだから、自分の知らない隠し場所があるなら、それはどこだと興味を持つんじゃないかと思ってたんです」
「つまり私が目的だったわけか? 優斗、お前ではなく? なめられたものだな」
義父にしてみれば、そこが疑問だろう。
罠を仕掛けるなら老獪さのある義父よりも私を狙うものだ。
「いえ。融お父さんでも私でもなく、アレナフィルの目的は、前トドロキセンター長の残した資料です。それをこっそり取り出して持ち帰りたい、あの子の望みはそれだけですよ」
「ほう。何の為に?」
「内容をよく覚えてないからだそうです。それにそれは人に見せたくないとか言ってました」
「色々とおかしい点がありすぎるが、子供だからか? 私が訪問を断ったら終わりだろう」
やれやれと呆れた顔になった義父が湯通しした野菜を食べ始めたが、その口角が少し上がっている。
こんな分かりやすくも愚かしい接触をされたことなど、今までの人生でなかったからだろうか。
いいや、違う。義父もまた感じているのだ。私が初めてアレナフィルと見つめ合った時に感じたものを。
他人や常識的な価値観や行動を無視して、あくまで自分の感情だけで突っ走る行動力。それはおかしいだろうと言いたくなる周囲こそが協力せずにはいられないあの魅力。
「別にどっちでも良かったみたいですよ。存在しない思い出の品にしても、訪問を了承されたなら適当な場所を案内して、
『おかしいですねー。ないですねー。愛華さん、どっかに移動させちゃったのかなあ』
ですませるつもりだったそうですから。その場合、どこに隠し場所があったことにするのかと尋ねたら、
『いっぱいあるから大丈夫。あそこ、色々な隠し戸棚があるんだ』
とか言ってました。しかも実はデタラメな資料をまるで大切に保管してあるように見えるトラップもあるとか言ってましたね」
「え? ちょっと待ってくれ。優斗君、ちょっと待ってくれ。そのトドロキの家って内部公開されてるのか? なんでそんなことが知られてるんだ」
遺伝子上の父親である優紀は私に対して遠慮があるのか、優斗君と呼ぶ。
大きくなってからお互いに存在を知った父と息子は、この辺りが微妙な関係だ。
砕けた調子で父さんと呼ぶことで気にしないでもらいたいと私は言外に伝えているのだが、どうしても優紀は私に対して一歩引いてしまう。
優紀がうちとは違うセンターに所属していることもあって、お互いの仕事関係のことを少しでも話し始めたら「ああ、あれが今開発中だったな」と、ピンときてしまうわけで機密情報を漏洩するわけにもいかず、しかしお互いの仕事に触れずに会話しようとしたらなかなか話題も見つからず、本気で微妙な関係だ。
「まさか。あの家は一般個人の家です。知っているのは建てた前トドロキセンター長夫妻、そして一人娘の百合奈さんと結婚した融お父さん、そして愛華姉さんだけです」
「だよな。何にせよ、家政婦か何かから漏れたのか? わざわざ外国人、しかも子供を使うとは。はっ、子供でも所詮は女だな」
下を向いて首を左右に振る優紀は、嫌悪感を隠さない。
ほんと、すみません。どこまでもうちの母がすみません。
テーブルの下で優紀を軽く蹴り、口を閉ざさせようとしている和成の努力が、心の底から申し訳なさすぎた。
「アレナフィルは自分で考えて動いたんですよ、優紀父さん。
そして融お父さん。あなたが忙しいからと手紙を無視しても家が無人なら入りこめる、そして一度は手紙を出したのだから訪れたとしても無理はないと、アレナフィルは自分がファレンディア国を訪れても不自然じゃない筋書きの為に、手紙を寄越したんです。愛華姉さんのお墓はどうせ轟家の墓だろうとか言ってましたけど。あと、愛華姉さんが亡くなる直前まで住んでいた部屋のお隣のお婆さんが今も生きているのか、もし亡くなっていたとしたら花を手向けたいとも言ってましたか」
話を聞いていた三人の手が止まった。
気持ちは分かる。私は薄切りにされていた肉にソースを絡めて口に運んだ。
「優斗君、自分の言ってる意味分かってるか? 何だそりゃ。サルートス人の14才だろ? なんでそんなことになる。優斗君、自分の言葉をよく考え直せ。どうして外国人が勝手に家に侵入してカビの生えた資料を欲しがり、しかも墓参りだとか生存確認だとかいう話になるんだ」
「分かってるつもりです、優紀父さん。色々とおかしい点がありすぎですよね。そんな愚かなことを本気でやるのは一人だけでした。融お父さんにしても私にしても、いつだって面食らいながらそれに振り回されてきたんです」
「え? ちょっと待ってくれ。それ、外国人の女の子の話だよな? なんで昔語り?」
私にとって遺伝子上の父である優紀と、義姉である愛華との間に面識はなかった。
優紀と和成が知っているのは、私から聞いた話だけだ。
「融お父さん、お分かりでしょう。だから私はアレナフィルに婚約書類を書かせたんです。サルートス国では無効であっても。
アレナフィルがねだるウミヘビもあげると言いました。そうすればアレナフィルの父親である子爵も私を無下にはできない。アレナフィルが未成年では取り戻せません。アレナフィルはファレンディア旅行を終えたら私と婚約解消する気ですが、何があろうと成人まで延ばし、合法的に手に入れたいんです。
その為なら愛華をエサにもしましょう。だから、・・・話を聞いてくれますか?」
「聞くしかないだろう。優斗、まるでそれは・・・」
本当はもっと確実な証拠を集めてから、義父には伝えたかった。
「私は帰国後、アレナフィルから聞いた話を元に、愛華姉さんのことを調べ直していました。
アレナフィルが言うには、愛華姉さんが自殺とされた旅館での身投げですが、その時、愛華姉さんは失業中で、給料数ヶ月分の謝礼と高級旅館で寝泊まりという好待遇に目がくらんで治験に参加していたそうです。あの旅館は治験協力者で貸し切りになっていたとか。
そこで愛華姉さんはサルートス国の幻覚、つまり4才のアレナフィルを庇って母親のリンデリーナが殺されるという幻覚を見て驚き、それで足を滑らせたら地面に墜落したそうです。
愛華姉さんが身を投げたとされる時間と、リンデリーナが殺された時間がほとんど同じであろうことは、いずれアレナフィルの父親からリンデリーナの殺害時刻を聞き出さねば確実とはなりません。その裏付けはまだです。
そして愛華姉さんはファレンディア国では死亡し、サルートス国ではいきなり今までの記憶を失って、愛華姉さんの記憶を持つ幼女アレナフィルが誕生したわけですね。
アレナフィルは愛華が亡くなって生まれ変わったものの、母親の死がショックで生まれ変わる前の記憶を取り戻したのだと思っていたそうです。私の年齢を聞いて、すぐに修正しましたが。
尚、ウェスギニー子爵家のアレナフィルといえば、母親が亡くなったショックで頭がおかしくなった令嬢として有名だそうです」
「・・・え?」
和成の表情が固まっている。
「融お父さん、そして優紀父さん。愛華姉さんが亡くなった際、治験を受けていたなどとは聞いていません。恐らくその製薬会社が巧妙にその事実を隠したのでしょう。
アレナフィルは自分が言葉の通じない国にいると知って、まずは脳の手術を疑ったり、自分が何かに巻きこまれたのかと周囲を警戒したりしていたそうですが、全くその気配はなかったそうです。
今になって手紙を寄越したのも、貴族令嬢のお茶会に招かれて、それで手紙を書いて接触するという手段を思いついたからだとか。
アレナフィルの暢気さと薄情さはともかく、今、その後に世に出た薬を全て洗い出させているところです。いずれ優紀父さんには意見を頂けたらと思っています」
「あ、ああ。だけど待ってくれ、優斗君。君が騙されているという可能性もある」
「そうですね。だから私は帰国後、愛華姉さんしか知らない情報の裏付けを取ってました」
優紀の言う通りだ。
義姉に対する執着をいいように手玉に取られただけじゃないかと、疑う気持ちは私にも分かる。
「愛華姉さんがくれた銀色の腕輪は、薬や爆発物がセットされたものでした。爆発物に関しては使いきりだったので、同じ物が欲しくて捜していたのですが、今まで製作者は見つかっていません。
アレナフィルによると、製作者は和臣・仁科。今、仁科先生の現住所を調べさせています。
あの腕輪の暗証番号を知るのは愛華姉さんと私だけで、私に名乗るつもりなどなかったアレナフィルは、私があげたあの腕輪を自分の部屋に持ち帰ってフンフン鼻歌を歌いながら簡単に開け、自分の腕に合わせて調整してみせました。私が見ていたことに気づいたら、さすがに観念して正体を白状しましたけど」
「その間抜けさは愛華によく似ているが・・・」
信じきれない義父の気持ちは、私にもよく分かった。そしてその間抜けさが彼女を思い出させることも。
誰だって信じられないだろう。あり得ない話だ。
それでもあの眼差しは同じだった。人を警戒している時に浮かべる表情も、行動パターンも、容姿は全く違うのに彼女を感じさせずにはいられなかった。
「そうですね。名乗る気なんてなくて、この私に向かって、怪しいと思うなら近寄ってこなければいいだろうとまで言ってのけましたよ、アレナフィルは。自分から手紙を寄越しておきながら。
しかも人が下手に出てるってのに、私が私だと分かっておきながら、名乗りもせずに別れる気だったんです。ふざけてますよ、ほんと」
「えっと、落ち着いて。ね、落ち着いて、優斗君」
「しかもあの子爵家。アレナフィルには同じ顔した双子の兄がいて、その兄が可愛いだの何だのとアレナフィルは一緒のベッドで寝てるし、何かというと頬にキスしてるし、父親と叔父には何かとその腕の中に飛びこんでいって抱きついてるし。
しかもアレナフィルがファレンディア人と接触したってことに、家族はまだ手紙をアレナフィルから出したのだからと静観していましたが、他の奴らはアレナフィルに近づく外国人なんて許せないとばかりに妨害を入れまくってくれて、本当に何様のつもりだか。
ちょっと目を離したらすぐに男を次から次へと落としてるんだから信じられないですよ。何なんですか、あれ」
「優斗君、だけどその女の子、よそのお宅の子だから。ね、落ち着いて、優斗君。現実的・客観的に君達、赤の他人だから」
和成がさっきから冷静になるように呼び掛けてくるが、誰だってむかつくと思う。
私はポケットから隠し撮りのフォトを取り出した。
テーブルの中央にまとめて出せば、皆が興味深そうな顔で手に取る。
特に義父は首を傾げていた。全く似ていないからだろう。
「これがアレナフィルのフォトです。外見があまりにも違いすぎますが、中身は愛華姉さんそのもの。私がお肉を食べられないと信じているし、トマトケチャップソースも薄めて出してくるし、肝臓が弱いんだからお酒は飲むなと説教してきましたよ」
「え? 優斗君、お肉駄目だったの? それならそのお酒、飲んだら駄目だよ」
「違います、和成お父さん。・・・アレナフィルが愛華姉さんの誤解を持ち続けてるだけで、そんな事実はありません。
だからてっきり愛華姉さんの何らかの情報がサルートスに渡ったのかと思ってアレナフィルから聞き出そうとしたんです。昔、ちょっと愛華姉さんの前で吐いたことがあって、適当にごまかしたので」
税関事務所、そしてマーケットでの行動はあまりにも愛華そのもので、だからそこまでのデータを構築した施設があるのならば全ての情報を持ち帰ろうと思った。
その為にかつての自分を思い出しながら演技したものの、アレナフィルの黒幕が何を目的としているのかが全く分からなかったのだ。サルートス王国にそこまでの研究機関があるのかと、ある程度の接触を許したが全くそれらしき気配はなかった。
だからアレナフィル自身と話し合い、そのまま持ち帰ろうとさえ考えた。
特別工作員だと思いながらも、あまりにも愛華に似た少女にこの手を緩めずにはいられなくて・・・。
だけどそれでよかったのだろう。あの人を傷つけることをせずにすんだのだから。どこにも破綻はなかった筈だ。
言えなかったことがある。
自分があまり食べられない体質なのだと思われている方が良かった。本当のことを知られるぐらいなら。
「それで優斗。どうしてウミヘビをあげるとか言う話になったんだ?」
「実はあまりにもアレナフィルとの接触を邪魔しようとする奴らが多すぎまして、もうアレナフィルを誘拐して話を聞こうとしたんです。薬を嗅がせて二人きりになったのはいいんですが、武装した軍が周囲を封鎖し、双子の兄がブレード付き装甲で窓割って乗りこんできましたよ。
その際、私を貴族子女誘拐犯にしたくないアレナフィルが、口止め料にウミヘビを持ちだして私に協力を迫ったわけです。誘拐じゃなく、ファレンディアの珍しい品を購入できないかの話を持ちかけていたことにしようとか言って。軍を動かした相手に賄賂でウミヘビをくれてやって黙らせると。
あの時、誘拐という醜聞が嫌なら恋人同士の逢瀬にしようと提案したところ、世界の男が全滅して私しか残らなくてもお断りだと、アレナフィルは言いきりましたね。愛華姉さんもよくあんな感じで怒鳴ってたなって思うと懐かしくて、だから手に入れようと思ったんです」
三人中、二人の父が頭を抱えている。
「ちょっと待ってくれ。優斗君、君が愛華さんを大切に思っていたのは知ってたが、ちょっと待ってくれ。一体、君達はどんな姉弟関係だったんだ。なんで誘拐騒ぎなんて起こしてるんだ。この可愛さにくらっときただけなことを、ごまかしてるわけじゃないだろうな」
「普通の姉弟関係ですけど。愛華姉さんは私のことを、お父さんに利用されている可哀想な子供だと誤解してたんです。そして昔、愛華姉さんの前で吐いて倒れたことがあって、それから更に過保護になったんです。私の健康を守る為にって、秘書みたいな仕事もしてくれるようになって」
「愛華が寂しくないならいいかと思ってたからな、私も。愛華は無駄に行動力があるから、誤解させておいた方が良かったんだ」
そんな理由で、義姉の愛華は情報制限されていた。
真実を教えたら何をやらかすか分からなかったからだ。彼女はやるとなったら思いきりがいい。
アレナフィルの行動があまりにもセンターというものを分かっていないと最初は呆れていた三人だが、アレナフィルにしてみればセンターなど自分の別荘、何も知らないことなどないと思っていたのだから仕方がなかった。
「だけどお父さん。今のアレナフィルも似たような状態らしくて、双子の兄にしても、勝手に保護者を自任している男達にしても、アレナフィルにちょっかいを出されるのは許せないって反発が凄かったですよ。
本当に愛華姉さんってば、なんでいつもああなんでしょうね。一生懸命なのにいつも考え無しすぎて、本当にむかむかする」
税関事務所でバイトしているような貴族の娘がいなくなったところで、普通はそう簡単に居場所など突き止められる筈がない。それなのに双子の少年が飛び込んできた時の装備、そして通訳ができる男の到着はあまりにも早すぎた。
父親が軍にいるから? それだけではないだろう。
何よりも貿易都市サンリラの夕食の際にいた男達はどう見ても教員というにはたくましすぎた。
子爵という地位がどれ程の権限を持つのか分からないが、センターに居た頃と同じで、本人は普通に働いているつもりでも、それこそ周囲に監視体制が敷かれていた可能性がある。
だからウミヘビの贈与にも同意したのだ。あそこで食い込んでおかないと、きっとあの子は豪華な檻の中に仕舞い込まれてしまうだろうと。
「まさか、愛華が・・・。だが、信じられん」
「どうせアレナフィルは冬か夏の長期休暇にでもやってきますよ、融お父さん。私と早く婚約解消したいアレナフィルは、隔離期間を無しにする為に婚約したんです。
アレナフィルは、あの家が放置されていると信じています。のほほんとやってくることでしょう。私も今、製薬会社に潜り込ませる研究者を見繕っているところです」
「そういうことなら私の方でも心当たりを当たってみよう。研究秘書の方がいいかもしれん」
「それも考えましたが、過去の資料となると・・・。何よりどこの会社か、まだ割り出せていません。愛華姉さんは高級旅館の高級寝具に釣られたようですが」
「詳しく後でその子から聞いた事情を聞かせなさい、優斗。そういうことなら私の方が割り出せるかもしれん」
たしかに義父の方が各会社の資本力など、私より把握していることだろう。ましてや当時のことであれば。
「はい。どうかお父さんの力を貸してください。できればセンターに戻ってきてほしいんです。あと、ウミヘビは輸送だと盗難が心配なので、私が運んであげようと思っています。愛華が一緒に行きたがっているので、どうせなら連れて行ってあげようかと。いいお友達になれると思うんです。何より愛華の存在を知ったらアレナフィル、私から離れられませんから」
義父は今、無職だ。そして私が不在の間、センター長の仕事ができる唯一の人でもある。
当時のことを調べるにしても、その時間を捻出することに私は苦労していた。
「愛華を連れていくことは許さん、優斗。そしてお前は残りなさい。運ぶというのなら私が行こう」
「・・・え。ちょっと待ってください、お父さん。アレナフィルはお父さんのことを誤解したままなんですよ? 何と言って現れる気ですか。それにお父さん自ら運ぶだなんてあまりにもおかしすぎるでしょう。私、お父さんには何も言わないって約束してきたのに」
「別に。サルートス国にいるのは、アレナフィルという名前の子爵家の娘だろう? その子が知らないファレンディア人が荷物を運んできたからと言って、何があるというのだね」
駄目だ。義父の目が本気だ。
「えっと、融お父さん。ほら、まだアレナフィルの話は裏付けが取れていません。もしかしたら巧妙な罠かもしれないんです。ここは私に任せて、融お父さんはセンターでどどんっと構えていてくだされば・・・」
「私はもう引退した身だ。お前こそがセンターでどどんと構えて仕事しておく立場だろう」
「・・・・・・」
「それから和臣・仁科は、轟家の隣の街で暮らしている。たまにビジョンで、発明家ニッシーとか名乗って、面白おかしく変な物を紹介しているからすぐ見つかるだろう」
「知ってたんなら教えてくださいよ、お父さん。私が腕輪の製作者を調べていたの、知っていたくせに」
「愛華が腕輪を作ってもらったとまでは知らなかったんだ。・・・14才か。いい通訳を用意しなくては」
そう。アレナフィルは知りすぎていた。
家族ですら知らない情報をあまりにも知りすぎていたのだ。
「それならアレナフィルがいますが? 父親の友人のクラセンという男も話せます。クラセンは国立サルートス習得専門学校で言語学の講師をしているとか。ファレンディアと教育制度が異なるからどんなものかよく分かりませんが、あのクラセン氏に頼んだ方がいいかもしれませんね。
アレナフィルの通訳はかなりいい加減ですよ。自分勝手に都合よく改竄してきます」
「そうか。アレナフィルという娘に私のことは言うなよ、優斗」
「・・・はい」
これが変な手紙が来たからと私に丸投げした人の言葉だろうか。
義父はアレナフィルを見に行く気で、私がアレナフィルに怒鳴りこまれそうな流れがこの先に広がっている。
(まあ、いいか。融お父さんに協力してもらわないと、どっちにしても無理だった。アレナフィルがやってきた時の為にこっちの予定でも組んでおこう)
弟という立場だった私より、義父の方が調べ上げるなら早い。和臣・仁科と言われてすぐに居場所を特定できたように。
そして早めに話を通しておかないと、義父が動いてからでは遅いとも分かっていた。
今夜、話を通しておかなかったなら、外国で洗脳されて戻されてきたと判断されて義父によっていつの間にか私は排除されていたかもしれない。
だが、こういうこととなると・・・。
「とりあえず優紀父さん。今、愛華姉さんが飲んでいた薬の特定もしなくてはなりませんが、意思や記憶を離れた空間に飛ばすこともできるのかをも含めて意見をもらえたら助かります。脳内の信号を取り出して移行する手段も含めて。愛華姉さんが治験を受けていた会社を洗い出し、その会社に残っているであろう愛華姉さんのデータを手に入れてからのことになりますが」
「分かっている限りの情報が欲しい。改めて時間を作り、そちらに顔を出そう。ところで、どうして君が肉を食べないとか、トマトケチャップソースを薄めるとか、そんなことになってたんだ?」
忘れていてほしかったが、優紀はやはり息子の体が気になったようだ。話が終わりかけたところで蒸し返してきた。
後でと、ごまかしたかったが、そうすれば誰から聞き出すかなんて分かりきっている。
義父から聞き出されるより自分から言った方がマシだ。
「ああ。うちの母は、私が大きくなって優紀父さんに似てきて、しかも私が論文を発表したりしたものだから、いずれあなたと顔を合わせて親子だとばれるかもしれないと考えたらしいんです。そうなると母は一気に犯罪者。そうさせない為には私が死ねばいい。
つまり母に毒を盛られて吐いた時に、愛華姉さんがその食べ物を吐くぐらいに苦手だったと勘違いしたんです。無理矢理連れていかれた検査では、毒の投与で私の肝臓の数値もガタガタになっていました」
「・・・・・・」
優紀の顔が強張り、ぎりっと奥歯を噛み締めるような音が響く。和成もまた顔を蒼白にしていた。
「あの時点では母による毒の投与は分かっていませんでした。私もまさか母が故意に私を害そうとしたのだと信じたくなくて、心に引っ掛かるものはあったものの、私の体質的なものかもしれないと、そちらに話を誘導しました。
愛華姉さんは体にいい食べ物を調べ、私の肝臓に負担を与えないようにと食材の持つ成分量を計算し、私に薄味の物ばかりを提供するようになりました。おかげで母が毒を私に食べさせる隙がなくなったのは皮肉なことでしたが、それゆえに母は愛華姉さんを追い出したがるようになりました。
愛華姉さんはそれを、私を融お父さんの後継者にさせる為だと思っていたようですが、母にとっては私という犯罪行為の結果を消滅させる為に愛華姉さんが邪魔だったんです」
義父がかつてのことを思い出したのか、皮肉っぽい笑みを浮かべる。
「そして愛華がお前を寄宿舎のある学校へ入れさせろと言い出したんだったな」
「はい。毒の投与期間も短く、解毒剤の投与や愛華姉さんの手料理などで、私の体は健康を取り戻しました。だけど私の体が弱いと信じている愛華姉さんは、調理にも個別対応できる寄宿舎学校へ私を入れて普通の少年らしい日々を送らせてほしいと、融お父さんに直談判しました。母はそれを邪魔しようとしましたが、融お父さんが了承しました。
そして私を学校に入れた愛華姉さんは、私といずれセンターの後継者の地位を争わない為にと姿を消したんです。母が愛華姉さんを追い出そうとしていたのはセンターなど関係なく、私を殺すのに邪魔だっただけなのに」
あの時点ではまだ毒の投与は明らかになっていなかった。けれども肝臓の負荷があまりにもひどいと、解毒薬を投与されることで私の肝臓はどんどんと健康を取り戻していった。
それにより義姉は味が濃いと私の肝臓にはそれだけ負担がかかるのかと勘違いを加速させ、だけどあまりにも薄味だと今度は体内のミネラル量が足りなくなるということで、程々にする塩梅を自分なりに確立させた。
「母が私を再び殺そうとし始めたのは、愛華姉さんが亡くなった後のことでした。学校を卒業した私は家に戻り、優紀父さんと更に顔が似てきてしまい、母にとって私はもう息子ではなく自分を破滅させる悪でしかなかったのでしょう。・・・えっと、和成お父さん、本当にこれ、もう過去のことですからっ。もう私、全然気にしてませんからっ」
「だって、・・・だって、だってひどすぎるよっ。優斗君ばかりがどうしてそんな目にっ。君は何も悪くないのにっ。・・・それにっ、それに愛華さんだってそんな誤解をしてただなんて気の毒すぎるじゃないかっ。君にとって特別なのは知ってたよっ。だけどそんなにもいい子だったなんてっ」
どうしよう。全く関係ない和成がぼろぼろと泣いている。
だけどその涙に私の心が洗われたような気がするのは、あの頃の義姉を認めてもらえたからだろうか。誰もがあの人を美しいだけの人だと思っていた。
そんなことない。美女だったけど、それよりもあの人はその魂からして輝いていた。あんなにも純粋に人を愛せる人はいない。
「あの母は、味の濃いソースなら毒の味もごまかせるだろうと考え、だから肉料理の時に毒を多めに混入させていました。そして私はそれに気づいていたんです」
ドンッとテーブルを叩いた優紀は下を向いていて、その表情が見えない。
(後悔してるのかもしれない。優紀父さんは責任感の強い人だ)
私だって気づかないわけではなかった。母の私に対する殺意に。そして舌に感じる僅かな刺激に。
だから余計に、私を心から愛してくれている義姉に執着したのかもしれない。
「私は、愛華姉さんにだけは知られたくなかったんです。私が姉さんに気兼ねして苦手なものを無理して食べていたと勘違いされたとしても。
母のしたことを知れば私の為に泣くと分かっていました。だから少年時代、母の殺意をなかったことにしました。それが間違っていたと、愛華姉さんが亡くなって初めて気づいたんです」
実の母に殺されかけただなんて、かなりショックな出来事だ。あの頃の私も信じたくなくて目を背けた。
それでも私には義姉がいてくれた。深く愛されていると信じられたから救われた。
だけどそれで義姉が家を離れることを選択し、行方知れずになるとどうして思うだろう。見つけることは可能だった。だけど連れ戻して母の殺意が義姉に向いたらと思うと、何もできなかった。
その躊躇いが、義姉の命を失わせた。
「だから、愛華姉さんだけがその間違った情報を知っているんです。私がアルコールを受け付けず、肉もあまり食べられず、トマトケチャップソースも吐き出してしまうぐらいに濃い味が苦手なのだと。
そしてサルートス国で会ったアレナフィルは、私に名乗る気などなかったくせに、私の顔を見て半強制的に水分と休息を取らせようとしました。そして魚介と野菜を多用した料理を作り、食べさせてきたんです」
学校を卒業した私が、再び私を殺そうとした母を容赦なく排除したのは己の甘さを突きつけられたからだった。
最初に殺されかけた少年時代。あの時の私が母を断罪して追い出しておけば、義姉が亡くなることはなかった。母さえいなければ、あの人がどこかに行ってしまうこともなかった。
君には分からない、アレナフィル。くだらない手紙でも海を越えずにいられない程、私は失われた義姉のことを悔やみ続けていたのだと。
サンリラのマーケットで私をベンチに座らせて飲み物を取らせようとしてくる行動はあまりにも懐かしくて、更に言葉選びがおかしすぎるところも、ちょっとした演技で騙されるちょろさもアレナフィルは愛華そっくりだった。
他人を信じないくせに、弟の言うことは信じる愛華。他人は自分に貢ぐ為だけに存在すると豪語するくせに、弟の為なら食事を作り、楽しい思い出を作らせようと外へ連れ出す純真さ。
その矛盾すらあなたを輝かせる、そんな人だった。
あなたは知らない。あなたを守る為、義父が娘への愛情すら見せないようにしていたことを。
――― 優斗。あなたはちゃんと幸せになるってことを覚えなきゃ駄目。私はね、優斗が都合のいい息子扱いされてるのなんて見たくないんだからね。誰もが羨むハッピーボーイの頂点を目指すんだよっ。
――― そんな頂点、誰も羨ましがらないと思う。学校だなんて行っても意味ないよ。
――― お黙りっ。大事なのは勉強じゃないの。同じ青春を分かち合える親友を見つけて楽しく過ごすことに意味があるんだから。それはもう大人になってからじゃ手に入らないものなんだよ。分かって、優斗。
私を愛すればこそ勘違いを爆走させて変なことを実行してみせる義姉は、私にとって世界の全てだった。
それを母への情で視野を曇らせた私が結果としてあの人をこの世界から消してしまったのだと、どれ程に自分を責めただろう。
母を断罪できない私の弱さがあの人が亡くなる状況を作った。
「いつだって薄情にも私を捨てていくのに、誰よりも私を大切に思ってくれる人だったんです。だから私は愛華姉さんを忘れられません。あの人以外、特別な存在なんていない。だから取り戻したいんです。今度こそあの人を守る為に」
君には分からないだろう、アレナフィル。
どんなに私があなたを愛し続けていたかなんて。
いつだって私のことを案じて涙を流す君を、今も愛し続けていることも。




