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22 塩水湖を眺めて


 普通の湖は淡水だけど、塩水湖は、塩水が(たた)えられた湖だ。

 海と違って波にさらわれたりしにくいので、ゴバイ湖は人気な観光地でもある。かなり大きなゴバイ湖はきちんと網が設置されていて、遊泳許可されている区域と、ボート遊びしていい区域と、漁業が行われている区域と、採水が行われている区域とが明確に分かれていた。


「うわぁ。海っぽい景色が広がってるのに、潮風じゃない」


 二階にある客室に案内された私は、バルコニーから見える景色に感動していた。父とオーバリ中尉は別荘の管理人達と何やら話をし始めたので、父と私の荷物をネトシル少尉が運んでくれたのだ。


(王族の身近で警護するエリート軍人をここまで使っちゃっていいのかな。いいことにしよう。リオンお兄さん、全部笑顔でやってくれてるし)


 この別荘にも使用人はいるが、フォリ中尉と寮監をしている士官達とを優先しているから仕方がない。彼らを部屋まで案内し、荷物を運び、何か足りない物はないかとか、用事はないかとか、サービスはそちらに集中している。

 地位としては父の方が高いというのに、ここはほにゃらら基地の管轄だとかよく分からない事情で父はあんまり重視されてないそうだ。勿論、父が主張すればそれなりに丁寧な対応をしてもらえるらしいが、うちの父はそういうことをしない人だった。

 父に言わせると、

「所詮、軍人が付け焼き刃で使用人の真似事してる三流だからな。自分で動いたほうが手間もかからん」

と、なるらしい。

 物分かり良さそうなことを言う父の荷物の中に、この別荘にいる人達のリストとまだ未記入の人物評価表があったことを私は知っている。


(そりゃ国王様の甥でミディタル太公家のお坊っちゃまなんだから、あっちにみんなが行っちゃうのは分かるんだけど、パピーってば大佐なわけでしょ。放置はまずいって思うの私だけ? そりゃ子連れで一般人のレンさんもいるから対応外にされたってのも分からないではないんだけどさ。リオンお兄さんだってにこにこ笑顔だったけど、呆れたような気配が出てたよ)


 父と私が使う客室の隣はバーレンの部屋だ。バーレンも自分の荷物をさっさと運んでいたが、その内、父を自分の部屋に連れこむだろう。

 親友だけに語り合い始めたら長い。ついでに知らない人と時代の話なもんだから、いつも私は途中でベッドに向かうぐらいだ。

 やはり父と私が使う部屋のベッドはツインだった。


「湖も広いからね。ここからじゃ漁船や採水船は見えないけど、あっちまで歩いて行ったら見えるよ。この別荘が面しているそこはプライベートな遊泳エリアだ。人目を気にせずのびのびと過ごせる」

「なんて贅沢。リオンお兄さん、泳げますか?」

「勿論。何なら教えてあげるよ?」


 ネトシル少尉は、以前にもこのゴバイ湖に来たことがあるそうだ。

 この建物は初めてだけど、大体のスポーツはこなせるとか。


「私も泳ぎには自信があるのですっ。見ているがいいですよっ。あのバイト先でゲットしてきた秘密兵器をっ。ふっふっふ、きっと私は誰よりも速く鮮やかにっ、魚のように泳いでみせますっ」

「・・・アレナフィルちゃん。君、バイト代以上に色々ともらってきてないかな? クラセン殿も色々と買いこんでいたようだけど、君の荷物、凄い量だったね」


 それを私の家に送り届けてくれるよう手配してくれたネトシル少尉はいい人だ。バーレンの荷物も配達手配してくれた。

 これが祖父母との旅行だったら買った物全てチェックされていただろう。ローグやマーサとの買い物でもその目からは逃げられない。叔父と一緒ならそもそも財布を持つ必要がないし、働くなんてさせてもらえない。

 よほど問題行動しない限り気にしない父だからこそ、今回の戦利品があった。

 そして何かを手配する場合に私がまず声をかけるネトシル少尉の場合、色々と思ってることはあるかもしれないけど、二つ返事でおねだりを聞いてくれる。荷物の梱包もしっかりしているから誰も開けないだろう。

だから私は胸を張って主張した。


「それだけ持て余していた物が多いってことですよね。私はガラクタを引き取ってあげたのです」


 ああ、私の買い物上手さんな才能が憎い。うふふふ、やっぱりサンリラへ行ってよかった。

 恐らくファレンディアで色々と買い漁ったのはいいけれど説明書をなくしてしまったのだろう。だから使い方が分からずに倉庫の片隅で放置されていたガラクタを、私は見つけてしまった。

 同じ物を再び手に入れれば使い方も分かるのだろうが、問題はファレンディアという国の企業問題だ。次に行った時に同じ物があるとは限らない。改良されて全く違う物になっていたり、廃番になっていたり、はたまた販売許可ルートが変更されていたりしたら、同じ物は手に入らないのだ。

 いい物は何十年、何百年でもずっと売られ続けているけれど、そこまで評価されなかった物は改良を繰り返していく。だからファレンディア国は技術の国なのだ。

 そんな物があそこの倉庫にはちょくちょくと眠っていた。それを私は「オブジェとして面白そうだから」という理由で、幾つか安くもらってきたのだ。・・・たしか、翻訳一枚分で。

 ほとんどは先におうちへ運んでおいてもらったけれど、私はその内の幾つかをここに持ってきていた。

 そこへひょいっと開いていた扉からバーレンが入ってくる。


「おーい、フィルちゃん。なんかさぁ、俺の部屋、ダブルベッドなんだよね。部屋、交換しないか? どうせ寝る時はフェリルと一緒だろ? そんならベッド、一つでいいだろ? でもって俺、フェリルと一緒のベッドで寝たくねえし」

「むっ。つまり私の父を横取りする気ですねっ、レン兄様。姉様に言いつけますよっ。だけど私はとても親切な子なので、部屋なら交換してあげましょう」


 だってツインだとシングルサイズのベッドだし。

 父と一緒にシングルベッドで密着して眠るのもいいけれど、やはり私も女。ダブルベッドで優雅に眠りたいの。

 だけどすぐに飛びつくようなことはせず、どちらの立場が上なのかを私はバーレンに教えこんでやるのだ。


「何言ってやがる。何なら取り下げてもいいんだぞ? 俺は広々とダブルベッドで寝よう」

「レン兄様ったら本当に頼りになるところが素敵。だから世界で一番信頼できちゃう。ティナ姉様に会ったら、レン兄様がどれ程頼もしかったか、じっくりお話するの」

「最初っからそう言ってりゃいいんだよ」


 童顔のくせに中身は意地悪ジジイなバーレンは、すぐこうして私に自分の立場の方が上なんだぞといじめ返してくる。

ともあれ私はバーレンと部屋を交換することにした。

 どの客室にもシャワーブースと洗面所、そして小さな冷蔵冷凍庫はついているけれど、基本的に一階にあるリビングルームやダイニングルームなどを使い、客室はあくまで身支度を整えたり、眠ったりする為のスペースである。


「部屋も決まったことだし、お茶でも飲もう。アレナフィルお嬢様、まずは私にエスコートさせていただけませんか?」

「喜んで、リオンお兄様」


 令嬢教育してもらいながら一階のリビングルームに向かえば、バーレンが後ろをついてきながら話しかけてきた。


「で、ふざけた会話が廊下まで聞こえてたが、あのな、フィルちゃん。秘密兵器も何も、一人だけグッズを使うんじゃ泳ぎの競争にはならんだろ。そん時には他の奴にもその秘密兵器を使わせるんだろうな?」

「なんてことを言うのですっ、レン兄様っ。一人だけ使うからこそ秘密兵器なのですよっ。だって私はまだ子供。みんなは体力が自慢の軍人さん。そこは当然のハンディキャップじゃないですか」

「お前さんが卑怯な奴なのはよく分かった」


 バーレンが何やらほざいたけど私は気にしない。

 リビングルームに到着したら、ネトシル少尉が別荘の使用人に冷たいお茶を持ってくるようにと命じてくれた。

 こういう時、男性がしてくれるのを女性は待てばいい。お茶会の時は女性が女主人として全てを采配するけれど、こういう時は男性が仕切るという違いが地味に面倒くさかった。

 気が利かない男性と一緒だったらいつまでも飲み物が飲めないよね? そういう時はどうするの? こっそりと扇の陰で命じるのですよ。男性に恥をかかせないように小声でね。

 ああ、令嬢教育の成果が頭の中でぐるぐる回る。

 サルートス上等学校の早朝マナーレッスンで招待客の役をしてくれていた警備員やネトシル少尉は、おかげで紳士レベルを上昇させてしまった。


(子爵邸だとお茶の用意を命じる前に誰かが持ってきてくれるもんなぁ。子供だからみんなが声かけてくれるし。おうちだとマーサにおねだりすればいいわけで、こういう感覚が難しい)


 せっかくだからリビングルームのテラスに出てみる。レンガ造りのテラスは広々としていて、その向こうに見えるのは、澄んだ水色の空に輝く湖。ああ、なんて素敵。

 私が景色を堪能していたら、父がやってきた


「フィル、ここはまず部外者は入ってこないそうだ。外にシャワー専用ハウスもあるそうだし、あの赤いポールより外側ならモーターも乗っていいそうだよ」 

「うわぁ、本当に? モーターってあっちの沖で白い飛沫(しぶき)立ててる奴でしょっ? 私、ああいうのも乗ってみたいっ。あそこまでレースしなくていいからっ」

「レースじゃなくて、あの先頭の水上モーターが煽り立てたんだろう。ああいう手合いは女の子が同乗していると見たらすぐに挑発するのさ。ガールフレンドにいいところを見せたくて、だから追いかけ始めたんだろうね」


 いつも私にちょっかいを出すようなことばかり言っていたオーバリ中尉は父の斜め後ろにいる。何も口を挟まず、あくまでいるだけだ。

別にプライベートな時間なんだから好きにしておいていいと思うのに、父が戻ってきたらオーバリ中尉は父と一緒にいることが多い。父に命じられたらすぐに動ける位置をキープしている。

 やはり私のライバルなのか、オーバリ中尉。父との同居目指して私にプロポーズするだけあって父が本命なのか。


「女の子にモテなくて、水上を走ることでやりきれなさを紛らわせる。なんて可哀想」

「同情しながらこき下ろしているところがアレナフィルちゃんだね」


 どうやらネトシル少尉も私の性格を理解してきたようだ。


「フィルちゃんは昔からそういう子ですよ、ネトシルさん。それを面白がることができるかどうかが分かれ目というものでしょう。だからフェリルは社交界に出すつもりがなかったんです」

「そうですね。段々私もクセになり始めました」


 最近、バーレンとネトシル少尉は仲がいい。叔父のレミジェスとも仲がいいネトシル少尉なので、年上の人に可愛がられやすいのかも。末っ子って愛され気質だよね。


「だけどお父様。乗ってる女の子、レースになるの、嬉しいのかなぁ。怖いだけだよね?」

「自分の為に煽ってきたのを負かしてくれるのが嬉しいんじゃないか?」


 ゴバイ湖を目の前で臨める別荘は、一週間契約で借りたものらしい。軍にはそういった福利厚生的な施設があちこちにあるのだとか。だからこの別荘にいる管理人や料理人、使用人達も軍に所属しているそうだ。

 到着時、ぴしっと敬礼された時にはどうしようかと思ったよ。めっちゃ怖かったよ。

 そこへ、フォリ中尉達五人がやってくる。どうやら私達の会話は開けっぱなしの扉から廊下に丸聞こえだったようだ。いなかった筈なのにここの会話が知られていた。


「あのスピードなら、私達の誰であろうと十分ぶっちぎれるから心配しなくていいですよ、アレルちゃん。何なら颯爽と登場して、ノロマな亀だと笑ってやりますか?」

「ボンファリオお兄様。所詮、いきがることしかできない一般人のプライドを打ちのめすのはどうかなって思います」


 この淡紫混じりの桃色(シクラメンピンク)の髪に紫の瞳をしたマシリアン少尉だけじゃなく、現在の私は全員から「先生」と呼ぶのを完全に禁止されている。

 彼らが国立サルートス上等学校で寮監をしているのは極秘らしく、基地で仕事をしていることになっているのだとか。

 こうやって施設を利用しているのも、「誰もが妹のように可愛がっている幼いお嬢さんを遊びに連れ出したが、保護者がいないのは女の子の名誉の為にもよろしくないので、父親と父親の親友を同行させている」のだとか。

 誰もが可愛がっている幼いお嬢さんって、14才を幼いとは言わないと思う。

 何よりその女の子の名誉を考えるなら父親同伴だけじゃなく他の貴族令嬢も誘ったり、年配女性を同行させたりするのが普通なのでは・・・?

 だけどこういうことは建前だけ取り繕っておけばいいそうで、そういう突っ込みはいらないそうだ。

 そうですか、そうなんですね。


(以前から思ってたがあの寮監チームは信用できん。平気で私に嘘を言ってる気がする。パピーに聞いたら、パピーが招待されてひとり親家庭だから娘を同行させた形になってるとか言ってたぞ。そしてバーレンは父が私の傍から離れる時用のお目付け役だと)


 どちらの言葉が正しいのか。おそらくこの別荘内の使用人達は男子寮監達の言い分を信じている。

だが、私は父を信じる。何故なら父は私が子供だからといい加減なことを言わず、大人に対するようにきちんと教えてくれる人だからだ。

 どうでもいいことはいい加減なことを言うけど、真面目な話なら父は言えないことは言えないとはっきり言う人だ。

 不在を告げることなく、帰宅を告げることなく、いつの間にか家にいたり、いなかったりする父だけど、それは軍に所属しているからだ。だからアレンルードと私はそのことを不満に思ったりしない。

 父はサンリラで、今回の旅行において私がフォリ中尉か他の士官の婚約者候補と周囲から判断される可能性は大きいと、ちゃんと教えてくれていた。その上で私の安全を守る駒にすぎないんだから、フォリ中尉もネトシル少尉も盾として使い捨てなさいと、父は微笑んでいた。

 駒って言うけど二人共うちより身分が高いんだよね?

 そう思ったけど、父にしてみればまず実現しない婚姻だからどうでもいいそうだ。


「少しは悔しい思いをしないと、ああいう手合いは反省しませんからねえ。とはいえ、私達も横に乗る女性がいないのでは、モテない男の八つ当たりと思われかねない。ここは性別的にまだ女の子のアレルちゃんを横に乗せることで手を打ってもいいところでしょう」

「マレイニアルお兄様。そういう女性は現地調達してください」


 何かと男女交際を持ちかけてくるドルトリ中尉は、いつもにこにこと話しかけてくるが、その奥にちらほらと私を試すような気配が滲むことがある。

 髪の色は赤ちゃんにぴったりな柔らかな水色(ベビーブルー)だけど、髪がピュアっぽい分、心が荒んでしまったのだろう。人はそうやってバランスを取るのかもしれない。


「アレナフィルちゃんは、俺と水泳競争するって約束してますからね。何でしたらウェスギニー大佐もいかがです? アレナフィルちゃん、秘密兵器を使って、俺を負かしてくれるそうですよ」


 運ばれてきたアイスティーのタンブラーグラスをそれぞれがカートから取っていたが、ネトシル少尉は父にはリキュールを少し垂らし、私にはシュガーシロップを混ぜてから渡してくれた。


「ありがとうございます、リオンお兄さん」

「ネトシル少尉、別にそんな気を遣わなくていい。いつからそんな給仕を覚えた」


 大佐に少尉がアイスティーを渡したというのであれば問題ない気がするけど、今はプライベート。

 さすがに侯爵家令息から飲み物を渡されると子爵としては言いたくなるものがあるのかもしれない。そういうことは使用人にさせるものだと。


「アレナフィルちゃんが何かと作ってくれていたので覚えました。大佐に任せるとブランデーを入れすぎるので、アレナフィルちゃんは柑橘系リキュールを少し入れてから先に渡すそうですね」

「お父様。リオンお兄さん、かなり器用。ステアの仕方がとてもサマになるの。今だって見た? さらっと掻き混ぜて、自然に渡してきたでしょ? もうリオンお兄さん、女の人と二人きりでアレやったら一気に恋の激流が二人を包むと思うの。真面目なのにちょっと突っ張っている不器用な青年に見せかけて、いきなりの甲斐甲斐しさ。この意外性に、レッドプリズンの香りが甘く狂おしい魅力を引き立てている」


 ネトシル少尉はいい人だ。私の見立てを笑って受け入れてくれる。

 父とも叔父ともバーレンとも違うタイプのネトシル少尉なので、専属モデルを手に入れた私はあれこれお試し中だ。

 何と言っても今までいなかったタイプ。

 切れ味鋭い色気もいいけど、やっぱりこういう甘い感じを前面に出した方が人気である。

 サンリラにあるマーケットで不特定多数の女性で反応を見ていたが、きりっとしているより少し優しげな遊び心を出した方が食いつきもいい感じだった。


「フィル、お前の世界に巻きこむのは程々にしておきなさい。まさかと思うが、その髪型までお前が口を出したんじゃないだろうな」

「だってリオンお兄さん、いつもお任せって言ってた。今はフィルのお任せなの」


 ネトシル少尉は少しカールする髪質らしくて、整髪料で固めているそうだ。だけど今は長期休暇。それならと、私はあえて前髪をカールさせて少し下ろした状態で横に流すようにしてみた。


「彼の普段の仕事を考えなさい。地味にしておかなきゃいけないのが、色気を漂わせてどうする」

「・・・お父様。男も女も色気を失ったら老化が早まっちゃう。リオンお兄さん、きりっとしていたのが少し甘さを見せて、マーケットでも女の人が、

『あら、おひとりかしら? どちらからいらしたの?』

って、モテモテだった」

「アレナフィルちゃんと一緒にいたんですけどね」


 ネトシル少尉が苦笑する。

学校で帽子をかぶった作業服で歩いている時は大して目立たないのに、こうして私セレクトな香りを纏って少し隙のある仕立てのいい服を着せたら凄かった。男の人の反応は「けっ」「すかしてんじゃねえよ」ってかんばしくなかったけど、自分に自信のある有閑マダム系の視線を独占状態だった。

 一人どころか二人でいたのに私は眼中になかったらしい。ウェスギニー家が誇る愛の妖精も、女性には羽虫にしか見えなかったのか。


「仕方ないの。リオンお兄さん、そうしていると、どこか女の人の庇護欲をつついちゃうんだよ。甘さが滲むから、女の人は手折りたくなってしまうの。罪な人なんだね」


 私は悲しい吐息を漏らした。私の見立てがネトシル少尉の魅力を引き出してしまったのはいいけれど、他の人に取られると思うと、折角の作品が惜しくなるのだ。

 女とは業の深い生き物。

 どうせなら違うタイプを揃えてしまいたくなる。バーレンが童顔系なのに意地悪っぽい空気を漂わせるなら、ネトシル少尉には頼もしさと甘さの滲む方向でいきたい。

 いい肉体の持ち主だからこそ、ちょっと肌が見えているだけで脱がせたくなるエロチック路線もカバーしている逸材だ。

 しかも結構ノリがいい。


「まあ、いい。ネトシル少尉もいずれ目が覚めるだろう。・・・それで水泳競争とは大きく出たな、フィル。まさかと思うが、『可愛い私に嫌われたくないなら、私より先に進んじゃ駄目っ』とかいう奴じゃないだろうな? あれが効くのはレミジェスぐらいだぞ」

「いつまでもそんな子供じゃないもんっ。・・・いいでしょうっ、お父様も参加していいのですっ。私はお父様とリオンお兄さんを正々堂々、見事に負かしてあげますっ」


 私は父とネトシル少尉を前に、勝利宣言した。

 これでも私は冷静に現実を見る人間だ。普段ならば身体能力が自分よりも遥かに上だと分かっている二人に挑むような真似はしない。


「秘密兵器とやらを使ってだろ。競争ってのは同じ条件下でやるもんだぞ、フィルちゃん。最初からイカサマに近い状態で何が正々堂々だ」

「レン兄様は黙っててくださいっ」

「はいはい。だけどその秘密兵器とやら、俺にも使わせてくれ。どんなもんか知りたいしな」


 バーレンは私といるだけで好奇心を満足させてもらえると思っている。この二人を前に勝利宣言をした私の秘密兵器がとても気になるようだ。


「くっ、仕方ありません。ならばレンタル料は、途中にあったお菓子屋さんで手を打ってあげましょう」

「ほとんどタダでもらってきといて金取んじゃねえっ」

「んもう。レン兄様が我が儘すぎる」


 文句を言ってみせても、私とて鬼ではない。バーレンは父と違って運動神経に自信のないタイプだ。

 仲間外れにせず、使わせてあげるべきだろう。

 珍しくずっと黙っていたフォリ中尉が、そこで私に話しかけてきた。


「アレナフィル嬢。さっき連絡が来たんだが、ファレンディア税関と君がやり合った結果、今年に入ってのそれは遡って見直された分の差額が我が国に入るそうだ。・・・ご褒美というわけではないが、まとまった謝礼が入るそうだぞ。振込用の口座は、税関でバイトしていた口座でいいのか?」

「えっと、それって税金かかりますよね? パ、・・・お父様。どうしよう」

「別にどうもしない。その口座をレミジェスに見せて、手続きしておいてもらえばいい。だが、あれはお前のお小遣い用の口座だから、まとまったお金が入るなら、お前の資産用の口座に振り込んでもらった方がいいかもな」

「資産用口座? そういうの、作らなきゃいけないの?」


 そんなものがあるとは知らなかった。お金持ちは色々な口座があるのだな。

 ついでに父は私のバイト代に全く興味を示さず、とても投げやりだ。

普通ならいくら稼いだのか、それは何に使うつもりなのか、親として真面目に尋ねるべきことである。だから寮監している人達から育児放棄だと責められてしまうのだろう。


「お前が結婚しなくても一生、生活できる程度にはしておくと言っただろう? その口座がある」

「そうなんだ。だけどそれ、お父様がしてくれてた口座。だけど今回のは私のバイトの臨時収入。じゃあ、お小遣い用の口座でいいと思う」

「そうだな。好きに使いなさい」

「うん。おうちは長く住んでると傷むの。だから積み立てておいて、修繕費用に()てるの」


 私はこれでも堅実的な子だ。あの家を維持するのはかなりお金がかかるだろうと思っていた。

 いくら入ってくるか知らないけれど、お金はあって困らない。


(あ、だけどそれならファレンディア国への旅行代金・・・。いや、駄目だ。もう駄目だ。あの子が出て来たならもうあの国には近づいちゃ駄目だ)


 私は命が惜しい。助かったこの命を抱え、あの安全な家で父とのんびり生きていきたい。

 ずっと確かめに行きたかったファレンディア国。懐かしい祖父母の家。

 だけど弟の姿を見た時、あれから長い月日が流れていたという現実を突きつけられた。


「家の修繕費用? 一体、それは・・・?」

「ああ、大したことではありません。今、私と子供達が住んでいる家は、私の個人的な持ち物ですからね。息子はウェスギニーの家を継ぎますが、娘は好きなことをして生きていけるようにあの家をあげる予定なのです。小さくてもあの家は、色々と維持費用がかかるシロモノなのですよ。娘はその費用が決して安くはつかないと理解しているのでしょう」

「そうなの。おうちは見えない所から傷んでいく。長持ちさせようと思ったら、お金は必要」


 祖父母の家を維持していた私は知っている。

 あそこは高機能な設備を導入していたけれど、普通はそこまでお金をかけられないのだと知った時には、恵まれて育っていたことに感謝したものだ。

 

「そうだね、フィル。さあ、水着に着替えておいで。秘密兵器とやらの力を見せてもらおう。私が負けたら、お前の好きなお菓子を買ってあげるよ」

「やったっ。なんかね、お塩入りのお菓子とかが名物なんだってっ。ルードにも買ってってあげたいけど、無理そうならおうちで作ってあげたいなって」

「そうか。きっとルードも同じことを考えていそうだ。あの子もどこかに行くとすぐにフィルへのお土産を買うからね」

「そーなの。だけどチームのユニフォームもらっても、結局、ルードが着てる気がする」


 お土産選びって大変。

 喜んでほしくて渡しても、喜んでもらえるとは限らない。




― ☆ ― ★ ― ◇ ― ★ ― ☆ ―




 ゴバイ湖は淡水ではなく塩水だから、水に浮きやすい。父とバーレンとネトシル少尉の水着を見立てた私は、三人それぞれの魅力を引き出せたことに満足していた。


(やっぱりパピーの体が一番セクシー魔王。黒い水着に見せかけて実は紫紺の模様が入っているところに私の独占欲を滲ませておくの)


 今の玉蜀黍の黄熟色(メイズイエロー)の髪、針葉樹林の深い緑色(フォレストグリーン)の瞳では全く連想できないだろうが、私はかつて青が黒紫色に映る程に深く濃い髪の色をしていた。黒髪に見せかけて光に照らされたら浮かび上がる紫紺の艶。

 別に不倫する気もなければ略奪愛を仕掛ける気もないけど、私にしか分からないマーキングをしてもいいと思う。

 上半身はタオルを羽織っている父の水着は膝より少し上まで覆う半ズボンタイプだ。上半身の胸元に浮かび上がる虎の種の印がとてもエロチック。


「アレナフィル嬢が一番セクシーなのは父親だと断言するわけが分かったような気がします。鍛えていないわけじゃないのに、鍛えているイメージを持たせず、それでいて全く弛みのない体ですね。たしかに芸術的な肉体だ」


 やはり私とはレベル違いの筋肉をつけたフォリ中尉が、父にどうやったらその肉体を作り上げられるのかを尋ねていた。

今からじゃ遅いと思う。骨格が違いすぎる。もしかしてエインレイドの為にとか?

 そこで教えてあげる父はとても面倒見がいい人だけど、その理由なんて聞くんじゃなかった。


「着やせして見えるように作り上げたので、よく油断を誘えます。服を脱がされなければ大抵は侮ってくれますからね」

「そこが不思議なんですよねぇ。ボスってば一緒にチーム組んだら強いのは分かるのに、なぁんか誰もが最初は強くなさそうって思っちまうんですよ。これでも初見で強さを見抜ける自信あるってのに」


 オーバリ中尉がぼやいているけど、私には分かる。だけど言えないこともある。聞かなかったことにしよう。


「なんつーか、あんだけいい体が揃っちまうとこっちが嫌になるな」

「大丈夫、レン兄様。同じデザインとかなら貧相に見えるかもしれないけど、そういうスタイルならとても似合うのが分かってる感じ」


 皆が上半身は裸で下半身が半ズボンというオーソドックスな水着なら、私はバーレンに全く違う水着を見繕っていた。

 青とも緑ともつかないパステルカラーの長ズボンタイプの水着はよく見たら、パステルブルーとパステルグリーンの色合いを変えたラインが混じっていることで成り立っているカラーだ。あえて足首近くまで覆うズボンだからこそ、繊細さが際立つ。そして白を基調としたセットの上半身水着は太ももぐらいまで覆っている上着タイプだ。

線が細い人しか似合わないタイプの男性水着だ。他の軍人達が着たらみっともなく見えて、指さして笑われただろう。

 筋肉もりもりとは言い難いバーレンだからこそ似合う。実際、こうして皆と一緒にいても貧相どころか、まるでスポーツ選手達に混じった監督もしくは審判にすら見えて、違う存在感を放っている。


(うむ。やはりおしゃれとはその人の良さを引き出してこそだ)


 ネトシル少尉は紺とかクールな色が好みだったらしいけど、あえて深紅の水着を選んだ。アクセントで白いラインが入っているけど、ただの白じゃなくて僅かに桃色が滲んでいる。そこがどこか甘さを引き出しているから、派手に赤ってわけじゃないのだ。

 この三人の水着を見つける為に私が回ったお店は何十軒になるのだろう。いや、考えるまい。結果が全てだ。私のセンスは最高だと証明された。

 

(足の長さをよりよく見せる為に今回はどれもライン系の模様で揃えてしまった。やはり第一回は無難にしておかなくては。そして慣れた頃を見計らってちょっときわどいデザインへと移行していこう)


 私の野望は始まったばかりだ。本人の好みを完全無視した今回の水着。だけど三人共似合っていたものだから寮監チームの私を見る目が一気に変わった。

 肝心の私はハイビスカスピンクに鮮やかなグリーンの模様が描かれた水着。だってこの人達、夢中になったら我を忘れそうなんだもん。やっぱり目立つ色が一番。

 女の子の水着は基本的に足首から手首までぴったり覆うタイプだけど、胸元や腰回り、そして足部分にはひらひらしたフレアがついていて、体形を隠してくれる。

 そして私には水泳で優勝ぶっちぎりの秘密兵器があった。


(どれくらいのスピードが出るのかな。製造年を考えると補助システムはついてそうだけど、会社によってはいい加減なもんだし)


 私はまず上半身に装着してみた。背中側とお腹側を覆うそれは、まるで鋼鉄の翼を前後に担いでいるかのように見えるだろう。

 途中で外れないように、ベルトでしっかり固定する。それから背中のパーツから足元まで引き出した鱗が連なったようなそれを足首の所で留めた。そしてボタンを押せば、足首周りにも鋼鉄の翼みたいなものが生えた状態になる。


「ちょっと動かしてみるね」

「フィル。いくら塩水でもそんなのつけていたら沈むんじゃないだろうな。材質は大丈夫なのか? 錆びるんじゃないか?」

「大丈夫、お父様。これ、錆びない。それに潜水モードじゃなくて水面モードだから沈まない筈」


 皆に見つめられている中、私は塩水湖に入った。水温は思ったより高い。そして私はうつぶせ状態で水面に体を投げ出すと、顔を上げた状態でスイッチをオンにした。

 シュルンシュルンシュルンと音がして、起動し始める。一度分解してお手入れしておいたから大丈夫な筈だ。

 胸元から首の所まで引き出したパーツについているレバーは、私の顔の真下にある。それを手で前の方へと傾けると、ふぃっと体が前に進んだ。


(よっしゃ、いけるっ)


 水泳モードなので、背中や腹部、足元にある翼みたいな形のものが、まさに魚のヒレのように高速で動いて進むのだ。直進だけではなく、蛇行や右旋回、左旋回もお手の物である。

 本来の企業が製造したものではなく、どこかが真似して作ったものだろうから、スピードはそこまでではなかったけれど十分な速さだ。

 一通り楽しんでから岸に戻ると、皆がじーっと見ていた。


「フィルちゃん。それはちょっと卑怯じゃないかな? 水上モーターレベルの速さじゃないか」

「そんなことありません、レン兄様。水上モーターの方が速いです」


 水上モーターのような乗り物は速さと風を楽しむもので、移動手段としての活用が目的だろう。だけどこれは体が不自由な人や泳げない人でも水泳を楽しめるように提案され、やがて救助用にと開発されたものである。


「どっちにしても普通の水泳速度を超えている。何なんだ、そりゃ」

「これはですね、あくまで水泳や潜水ができなかったりする人でも、お魚のように泳げるという素敵なものなのです。水上モーターと違って、これは動力だって燃料要らずなんですよ。その代わり、一晩かけて回転させてましたけど。その専用装置があってくれてよかったです」

「何だそりゃ」

「つまり、普通のモーターって燃料で動かしているじゃないですか。だけどこれは最初に逆回転させておくことで、使用時に回転力を発揮するんです。だから燃料要らずで維持も簡単。海や川で遭難した人を探す時にも便利なんですよ。移動は全部これがやってくれるから、後は周囲を見ておくだけ。ただし、使用時間が限られるのがネックかなと」


 バーレンは疑問に思ったらすぐ「説明しろ」って言う。まずは楽しめばいいのに。

 大体の原理が分かれば、後はもうどうでもいいと投げ捨てるけど。


「こんな便利なもん、どうしてフィルちゃんにくれたんだろうな。高く売れただろうに」

「私の魅力のなせる(わざ)じゃないかなって・・・」


 えへっ。つい、照れちゃう。

 それなのにバーレンの口調は冷ややかだった。


「正直に言ったらどうだ、フィルちゃん?」


 自分の欲望を優先するバーレンは、自分と同じポリシーをあの貿易会社に感じていたのかもしれない。

 私とアレンルードはよく可愛いと言われるし、実際に可愛がられるタイプだが、あの貿易会社にとっては私の可愛さよりも、私を使って分かりやすい説明書及び購買欲が出そうなアピールを書かせられる能力こそが魅力だったらしい。そちらを使う方に注力していたのだ。

 私はサルートス語でパンフレットや小冊子を作らされまくった。今まで使ったことがない人でも試してみようと思うような説明チラシもイラスト付きで作成した。

 お金儲けの前には私の可愛さも、時に無力だった。

まあね、お昼ご飯は全部奢りだったし、この国では破廉恥すぎる小説をどっちゃり大量にもらっちゃったからいいんだけど。

 金儲けを追求する会社方針を実体験したバーレンは、私可愛さのあまり高価な品をほいっとくれるというのはまずありえないことだと見抜いていたのである。


「使い方が分からなかっただけ。処分したくても使われている金属も分からなくて、金属名が不明だと処分費用がかかるだけだったんだよね」

「道理でな」


 やってみたいと言うので、私はバーレンにもう一つのそれをセットしてあげた。


「あのね、レン兄様。このレバーを倒しっぱなしにすると、止まりたくても止まれない。場合によっては水底に激突。だからちゃんと止まりたいときは中心に戻す。それができなかったら、手を離したら中央に戻るから止まる。いい? 激突しても止まってくれないから、そこは気をつける。これ、安全装置ついてないバッタ品なの」

「まずはやってみよう。ここのスイッチを入れて、音がし始めて少し体が浮くような感じがしたら、後はレバーを倒せば動くと」

「そうそう。じゃ、行ってらっしゃい。だけどここの段階で、潜水モードに入っちゃうから、潜水しないのなら、いつでもここは0にしておくこと。数字が増える度に、水面下に潜っていくから」

「分かった」


 その説明を聞いていた皆が自分も試したいというので、私は自分が装着していたのを外して取り付けてあげた。


「ヴェインお兄さん。怪我人じゃなかったのかなって思うんですけど」

「いやあ、まさかウェスギニー大佐に危険かもしれない物を試させるわけにはいかないっしょ。まずは俺が露払いしなきゃね」


 オーバリ中尉の言葉は軽い。私はあまり信用していなかった。

 まず一番にやってみたかっただけだよ。子供なんだね。


「あまりスピード出さないでくださいね。倒す角度が深ければ深いほど、スピードが出るんです」

「大丈夫大丈夫、無茶なんかするわけないだろって」


 私の見る目は正しかった。バーレンのように水上を楽しむのと違い、オーバリ中尉は潜水モードも様々な段階を試してから戻ってきたからだ。

どんだけ遊んでるんだよ。無茶しまくりだよ。骨折してたんじゃなかったのか。

 その間にバーレンが戻ってきて、二人ぐらいに装着してトライできた程に、オーバリ中尉はいつまでも戻ってこなかった。


「へぇ。これはたしかに面白いですね」

「そうだな。連続駆動時間が限られるが、数があれば問題ない。だが、アレナフィル嬢。よく使い方が分かったな」

「だって中に刻まれてますから」

「は?」


 結局、皆が面白がってそれを使いたがったので、私はみんなに装着方法を教えることになった。様々な体形の人が使えるよう、足元まで必要な分を引き出すタイプになっているし、背中側とお腹側の間もベルトで調節するようになっている。

 だけど皆が試したことで駆動時間がきれてしまった。さすがに動かなくなったらどうしようもない。また逆回転させておかないと使えない。そういった仕組みを説明すれば燃料がなくても使えることに皆が興味を持ったようだ。

 その代わりに逆回転させておくのに専用装置で電力を使う。それを人力でやろうとしたらちょっと大変。

 では、電力でどれくらいかかるのかと言われると、私は答えられなかった。だって、寝ている間にやっておけばいいやってセットして、朝、外しただけだから。


「つまり、アレルちゃん。駆動時間もはっきりしてないんですね?」

「動かなくなったら終わりだと思えばいいのでは? 今、初めて使うのに知るわけないじゃないですか」

「そして逆回転させておく為の時間も計っていなかったと」

「睡眠不足はよくないのです。子供は夜更かししちゃいけません」

「人力でもできると言いましたね?」

「できるできないと、やるやらないは別ですよ、マレイニアルお兄様。私がするわけないじゃないですか」


 全くもう、ドルトリ中尉ってばすぐつっかかってくるんだから。なんでそんな溜め息をつくの。

 私はみんなにその装置の裏側を指さした。


「ほら、ここに使い方が刻印されているんです。ファレンディア語が読めないと分からないですけど、もしかしたら模様だと思われたのかもしれません。けれどもこういう救助用のものっていうのは、いざという時に誰でも使えるように、消えない説明書がついてるってわけなんです」

「なるほど。アレルちゃんのお母さんは、本当に優秀だったのですね。ファレンディアまで行ってお友達を作り、こういう製品の見方まで日記に書き残していたとは」

「・・・・・・顔も覚えていない母なので、どんな人だったのかは分かりません。だけど、・・・母の日記があったから、私もレン兄様に教わって、ファレンディア語の勉強を始めたんです」


 感心してくれるドネリア少尉には悪いが、母は関係ない。しかしついてしまった嘘はつき通すしかない。

 そういうことにしておこう。 


「妻の独身時代のことはよく知らないのですよ。だけどそれが娘の役に立っているならよかったというところですね。さて、フィル。どうするのかな? 今から水泳競争をするかい?」


 にやりと父が笑いかけてくる。

まずい、勝利宣言しちゃったのに秘密兵器が休業中だ。

 私は勝てない勝負には出たくなかった。それこそぼろ負けするだけではないか。みっともなさすぎる。

 きっとバーレンがげらげら指さして馬鹿にするに違いない。だから私は澄まして答えた。


「勝負は明日に持ち越しなのです、お父様」


 これは逃走ではない。戦略的撤退である。


「仕方ない。だけど面白い物を見せてくれたからお菓子は買いに行こう。こんなの見せられたら、ルードが喜びそうだ」


 いやん、父ってば本当に私を愛しすぎてる。最初から私に買ってあげようって思ってたんだよね?

 うふふふふ。塩のアクセントがきいたお菓子ってどんな味なんだろう。とても楽しみ。


「そんな気がするの。きっとルード、壊れるまで使い倒す。そして網だけで魚を捕まえようってしそう」

「そういうこともできるか」


 なるほどと頷いた父だったが、何故かこのグッズを一つ、フォリ中尉達が持っていった。後で返してくれるとは言っていたけれど、壊されないことを願うばかりだ。

 よくあるんだよね。色々と知ろうとして、分解しすぎて壊しちゃうってこと。

 

(もしかして気づかれたかな。サルートス国はあまり海軍に力いれてないけど)


 遭難救助用に開発されたこれは、更に駆動時間を伸ばしたものが軍用として採用された筈だ。

 ファレンディア国はそういった物も外国に売りつけている。

 オーバリ中尉はかなり長く遊んでいたが、波の音を立てない方法を試していたようにも思った。

 やはりここにいるのは軍人だ。仕事に活かせるかどうかを、プライベートでも自然と考えている。


(どうして人は仲良く暮らせないんだろう。争うよりも、思いやり、幸せに生きていたいと思わないんだろうか)


 本当にこれはオモチャ程度のバッタ品なのだ。

 私は知っている。

 だって父の名前に変わったあのセンターで、企業からの委託を受けて検査していたそれは、もっと長く使えたし、安全装置もついているシロモノだったのだから。




― ◇ – ★ – ◇ ―




 せっかくだからと塩水湖の水面でぷかぁっと浮かんでいる私を、父が貝を抱くラッコのようにして泳がせてくれた。

 立ち泳ぎもできる父は、私をロマンチックなひとときへと連れてってくれる。

 塩水湖は塩分がきつすぎて、ゴーグル無しでは顔をつけて泳ぐのも水中に潜るのも遠慮したい湖である。私が楽しめることだけを考えてくれる父は世界で最高な父親だ。


「パピー。やっぱりルード連れてきてあげればよかった」

「お前達の時間はたっぷりある。別に来年でも再来年でも、次はルードがお前をここに連れてくるかもしれない。ルードは負けるのが悔しい子だから、今はクロスリーボールに夢中で練習してるんじゃないか?」

「そういえばルード、カヤックボールの選手、目指してた」


 それなら仕方がない。夢中で打ちこめる何かがあるって素敵なことだ。

 父の腕に掴まっているだけですいすいすいと水面を移動していくのはとても楽しくて、やっぱり幸せだと思った。


(本当はそんな権利ないのかもしれないのに。あの子を置き去りにして私だけが幸せになってる)


 今の兄と、かつての弟と。

 私だけが幸せでいいのかなって考えてしまう。

 父は、誰よりも大事にされていいのが我が家のお姫様だと言ってくれるけど、誰にも言えない罪悪感が胸を締めつけていた。


「さ、フィル。あまり泳いでいたらフィルの塩漬けができてしまうからね。シャワーを浴びてお菓子を買いに行こうか」

「はぁい」


 私達とは違うところで、いつの間にか遊泳グッズで泳いでいる人達が見える。一晩どころかかなり短時間で動かせるようになったみたいだ。それとも人力で頑張ったとか? どっちでもいいけど。

 日差しがきつくなる前に私は屋内へ入ろう。なんでみんな男の人ってあんなに元気なのかな、バーレンを除いて。


「ねえ、パピー。フィルね、お塩の入ったお菓子、とってもとっても気になってたの。だけどここで泳いだ後らね、なんだかお塩じゃなくてお砂糖でいい、そんな気になっちゃった」

「はは。ここを離れたら塩味のお菓子を食べたくなるさ。たしかにこれだけ塩水を堪能したら、もう塩味はお腹いっぱいだな」


 それでもお店に行ってしまえば気になる塩味のお菓子。

 試食のそれを食べさせてもらってから、私はお土産用で買いこんだ。


(パピーやレンさんがいつも一緒にいてくれるから気づかないフリをしておこう)


 私は気づいていた。今まで貿易都市サンリラでは私に何かとちょっかいをかけてきたばかりか、朝は両腕で持ち上げておはようのキスと、夜はお休みのキスを頬にしてきたフォリ中尉が、ここでは全くそれをしなくなっていたことを。

 ネトシル少尉も行ってきますのキスとお帰りのキスを頬にしてくれていたけれど、ここではしなくなった。

 ここでも食堂はあるけれど、行けば食事が運ばれてくるスタイルだ。食事する時間帯は、偶然一緒になることもあるけれど基本はバラバラだ。


(距離を置かれている。なんか完全に線を引かれている)


 泊まっているフロアが違うこともあって、まさに同じ建物内別居だ。サンリラでは違うお部屋なのに半分同居スタイルだったというのに。

 別にいいんだけど。気にしてないけど。

 だけど私はこうして捨てられる子なのかなって、ちょっと思った。

 



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