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23 心だけが乱れるけれど

 

 塩水が湛えられたゴバイ湖のこの別荘では、全てをお世話してくれる人がいる。正直なところ、私はそういうメイドが苦手だ。特にそれをここで感じていた。

 メイドや使用人達は、にこやかに接してきておきながら、私の情報を集めては誰かに伝えていたりする。もしくは噂話のネタにする。

 だから笑顔で私の顔色や反応を窺ってくる人って本当に苦手だ。

 そういう意味で、ウェスギニー子爵邸も昔は行きたくない場所だった。

 近年になってからは、私が祖父母達から大切にされていると理解されたことと、少しでも私に対して何か不満を持ったり、こそこそと陰口の一つでも叩いたり、はたまた違う家に私の情報を流したりしたら容赦なく解雇されるということが知られたからか、好意的な人ばかりになったけれど。

 何よりアレンルードが次の子爵となることが決定していて、しかも叔父であるレミジェスがアレンルードを実子のように可愛がっているばかりか、アレンルードも実の父よりも叔父に懐いていることが大きいと思う。

 家族間の確執が存在しない。

 今では誰もが私に対し、大切なお嬢様扱いするようになっていた。

 昔のように私をおだてて操り、父や叔父に対して自分を売りこませようとするメイドもいない。

 

(決定的なのは私達の誕生日会だったのかもしれない)


 あの日、使用人全員が勢揃いして出迎えたフォリ中尉。

彼はサルートス国王の甥で、王子の従兄だ。寮監として赴任していることを極秘にして、従弟のエインレイドを見守っている。

 そしてアレンルードはエインレイドと同じ寮にいて、私はエインレイドと学校でいつも一緒だ。

 恐らくフォリ中尉は、それでウェスギニー子爵邸に来たのだろう。きっと祖父や父と話し合いの場を持った。

 お宅の子供達が王子の身近にいるからといっても、右腕のような側近もしくは王子妃になれるといった分不相応な夢を見させないようにと釘を刺したのかもしれない。

 けれども子爵家で働く使用人達は、アレンルードや私が気に入られたからこそ皆が来てくれたのだと思ったことだろう。真実を知らずに。

 権限を持つ大人なんてそんなものだ。子供達がただ仲良く過ごしていたいだけでも、「それなら言うことを聞け。お前達に拒否権はない」と、心や気持ちを対価に一方的な努力を押しつけてくる。

 最初から利益を享受できる人達は決まっていて、無力な存在は使い捨てられていくだけ。


(フォリ中尉はいい人だけど、立場がある人って結局は皆の利益が大きい方を選ぶんだよ。それが現実なんだよね)


 毎朝の淑女教育はとても光栄なことだったけれど、あのままではエインレイドも恥をかくということが大きかったのだろう。だってエインレイドにとって、私は王子妃になる夢を見ない女子生徒。

 

(可哀想に。レイドはただ普通にお友達を作りたいだけだったのに。でもディーノやダヴィとダンスを踊るわけにはいかないもんね。ドレス似合わないし)


 消去法で私しかいなかったのだ。だからきっとフォリ中尉やネトシル少尉も、王子の近くにいる私をエスコート慣れさせておきたかった。

 こうして旅行に連れてきてくれているのも、そのお詫び代なのだろう。

 王子エインレイドの糧として使い捨てようとする私に対して、罪悪感を払拭しようとしている。


(だからフォリ先生達、たまに私を痛々しいものを見るような目で見てくるんだね)


 いずれぽいっと捨てられるのだとも知らず、国王の甥から特別扱いされていることを当たり前のように受け入れている私を、彼らは憐れんでいるのかもしれない。いつまでも特別扱いが続くわけじゃないことを知らずに愚かなことだと、心を痛めているのかもしれない。

 いいのだ。慣れているから。

 今は優しく頭を撫でてくれて、思いやってくれる言葉を掛けられていても、いつかフォリ中尉は私を見知らぬ者を見るような目で見るようになるだろう。それが終わりの合図だ。

 ネトシル少尉もまたエインレイドの護衛期間が終わってしまえば、我が家との付き合いを疎遠にしていくに違いない。だって私達が上等学校に入るまで、叔父の親しい友人だなんて聞いたことなかった。

 お互いに利益がある時だけ微笑み合い、親しく付き合うけれど、それが終わったら忘れ去るのが貴族という生き物なのだろう。

 いいのだ。分かってるから。

 そういう日が来ても大丈夫。傷つくようなことにはならない。

 いつだってそうだった。


(どうせ私、貴族の生活しか知らないお嬢様じゃないしね。それに、ひょんなことからパピーがもう私の資産口座を作っていたことも分かっちゃったし、それで十分だよ。だってあのおうちをもらえて、贅沢しなければ十分に暮らしていけるお金ももらえるわけでしょ? お貴族様とかにどう思われていようが関係ないよ)


 そんなことを考えながらリビングルームからゴバイ湖を見れば、今日もフォリ中尉やオーバリ中尉達はあの遊泳グッズを使って潜水するようだ。

 流れの激しいところでも体力を消耗せず進むことができるのであれば、かなり助かることもあるのだとか。

 どう考えても想定している状況は危険な任務じゃないかなって思う。男の子って本当に手間がかかるよね。ミリタリーっぽいのが大好きすぎる。

 仕方ないから夜、同じベッドで眠りながら父にこっそりと伝えた。


「多分、あれ、あまりよくない製造会社だと思う。本当はもっと、いい製造会社の商品があるような気がする。だって、製造会社の刻印、なかった」


 本当にああいう物を欲しいのであれば、ちゃんとした製造会社の物を手に入れた方がいいという意味は十分に伝わったと思う。

同じ物を手に入れようとして品質が劣る物を購入することになったら悲しいだけだ。

 あまり子供らしくないことを言うべきではないと分かっていたけど、みんないい人だったから見過ごせなかった。

ファレンディア国は他国をカモだと思ってる。外国に武器を売りつける時も本当に一番いいものは自分の国で確保した上で、少し能力が落ちるものを高く買わせる。他国の領土を侵略こそしないが、侵略もされない国だ。

 

「そうか。いい子だね、フィル。だけどお前はまだ子供だ。大人の役に立とうとか、そんなことを考えなくていいんだよ。あいつらは勝手に遊ばせておきなさい。私は、お前が役に立つ子だから愛しているのではなく、お前の存在が愛しいから愛しているんだ」


 父は私の気持ちを見通していたのだろうか。

 今はただ愛され守られて大きくなりなさいと、私に囁いた。急いで大人になってはいけないよとも言われた。

 もしかしたら私はずっとそう言ってもらいたかったのかもしれない。


(私が可愛さしかない子でも本当に愛してくれる・・・? 美しさしかなかった私でも愛してくれた・・・?)


 きっと父はそれでも愛してくれたことだろう。だって私の成績が分かりやすく結果に出たのは上等学校入学時からだ。バーレンからも言われていた。第二王子の学友となったのも偶然の出会いからだ。

 それでも父はずっと私を大切にしてくれていた。言葉も分からず、手探りでこの国を知ろうとし始めた時から。

 本気で泣けた。

 思えば今回のことで謝礼が入ると言われても、父はその金額を聞こうともしなかった。そして私のお金なのだから私の好きにしなさいと言った。

 私が手紙を書いた相手の弟が訪ねてきたということを聞いても、亡妻の旧友の家族に興味を持つこともなかった。

 それは私を信用してたからだ。

 私を萎縮させないように、やりたいことを諦めないように、父は私がすること全てを受け入れる。困ったことになるようなら乗り出すけど、そうじゃないなら安全にだけ気をつけて何でもやってみなさいと言う人だ。


「だから元気がないのかな? 嫌な人ならもう二度と会わなければいい。そうだろう? 行きたければ私がいつかお前をファレンディア国へ連れて行こう」


 あくまで私の元気がないことだけを心配して、せっかく言葉を覚えたならご褒美に連れていってあげるよと言ってくれる。卒業記念旅行なんていいねと、そう微笑んで。

 育児放棄じゃないのか、子爵家の娘としてもっと学ばせるものがあるだろうと、何かと男子寮監達から責められているけど、他人から分かりにくいだけで父は私達に惜しみない愛情を向けている。決して放ったらかしになんてしていない。きっとよその貴族の父親の方が、子供のことにそこまで関心を持ってないだろう。


(どんなに留守にしても、戻ってきた時はルードと私を誰よりも可愛がってくれる。自分が留守にする時は信頼できる人を私達につけてくれる。パピー、子煩悩って奴だよ)


 そんなことを考えていたら、やっぱり父と一緒にいたかったなと思う。

一人の時間もいいけど、なんかあそこで楽しみまくっているフォリ中尉やオーバリ中尉達を眺めていると、なぜに私だけお留守番かなって気になる。

 今、父はネトシル少尉とゴバイ湖特産の塩を買いに行ってくれていた。土産物屋ではなく、採水している製造所に話を通したのだ。

 同じゴバイ湖の塩でも洗浄がしっかりしているのと、洗浄が程々なのとがあるそうだ。そして採水権がある場所でも遊泳や漁業エリアからかなり離れているとか、けっこう近いとか、知る人ぞ知るランクの差があるらしい。

 一番良い品質の塩を作っている製造所へと、父とネトシル少尉は行ってくれた。

 私が渡す相手はエインレイド達だと分かっているからだ。そして私を置いていったのは、現地で何かあった時にはとても危険だからだ。汲み上げる塩水も大量で、もしも鎖が外れてかぶるようなことがあったら骨折もしくは即死しかねない。そういうところの工場は気性の荒い男達が働いていて、怒鳴り声が響いているそうだ。

 問題は私のボディガードな筈のオーバリ中尉がボディガードなんてせずにどこかに行っちゃったことだろう。どこかというか、目の前の湖だけど。

父の愛はとても包容力たっぷりだけど、部下の質が悪いと思う。これで私が抜け出して冒険するようなやんちゃなお嬢様だったらどうなることやらだよ。

 

「どうしたのかな、アレナフィルちゃん。一緒に遊ばないのかい? それとも疲れちゃったかな?」


 ぽんっと肩に軽く触れられて見上げれば、そこにはネトシル少尉がいた。

こういうウォータースポーツを楽しむ場所にはちょっと不似合いな白いシルクシャツと黒のスラックス。だけど近衛の身分証を持参するなら納得されただろう。


「リオンお兄さん。あ、お塩、買えたんですか?」

「ああ。特に塩分濃度が濃い所の塩はうっすらピンクがかっているって話だったから、ピンクの塩も買ってきたよ。アレナフィルちゃんのことだからみんなに配るだろうって、ウェスギニー大佐、塩の袋を30個、つまり1ケース買ってたよ。自宅へ先に送るよう、今、手配している」

「30個。そんなにいるかなぁ。だけど、みんなに何個かずつあげたら喜びそう。塩釜焼きしてもいいかも」


 クッションを抱えていた私の横に座ると、ネトシル少尉は不思議そうな顔になる。


「塩釜焼き?」

「そうなんです。お塩と卵白を混ぜて衣を作って、その卵白塩でお肉とかを包んで、後はオーブンとかで焼くだけ。塩の層があるから中のお肉は焦げないけれど、塩味はついてしっとり蒸し焼きでジューシー。適当でも失敗しにくいし、大きなお肉の方が豪勢な気分になるから、みんなで作ってもいいかもしれないです。・・・なんかみんな、最近は私が作ったのをすぐ覚えてマスターしちゃうんですよね。色々と苦労して覚えてきたのに、みんなの上達が凄いの。羨ましいぐらい」


 なんで私、こんなことを言っているんだろう。それ自体はとても嬉しかったのに。

 全く料理とかをしたことのないみんなが、一緒に作ることを楽しいって言ってくれて、そして自分でもドリンクを作ったり、オーブンでお菓子を焼いたりして、私だってそれを見てあんなに嬉しかったのに。

 どうして今の私は泣きたい気分なのかな。


(どんなに楽しい時間を過ごしてもいつかはバラバラになる。そうしてみんな私を忘れていっちゃう。いつか、私は用済みになる)


 思い出すのは私と目を合わせないフォリ中尉なのか。それとも名乗り合えないまま帰国したであろうかつての弟なのか。

 いつか私の背を追い抜いてみせると拗ねていた少年は、私の知らない青年となっていた。

 背も伸びて、嬉しかったのに悲しい。

 どんなに賑やかで楽しい時間を過ごしても、私は一人で取り残されて何もこの手は掴めない。それでもいいと分かっていた筈なのに。


「作っているのがアレナフィルちゃんだからね。だから覚えてしまうんだと思うよ。みんなが君を大好きだから、行動をそのまま覚えてしまうんだ。俺だって言われてみればそんな塩で包んであるのを食べたことがあるような、ないようなってそんな気になるけど、きっとアレナフィルちゃんが作ってくれるのを見たら一生忘れない自信がある」

「えへっ、・・・嬉しいです」


 ネトシル少尉の優しい言葉が、私の心を締めつけてくる。彼の言葉が穏やかな速度で心に沁みていく。

 そうかもしれない。私もマーサが、

「さあ、フィルお嬢ちゃまが元気になる魔法を入れましょうね」

って、キラキラ光る砂糖やチョコレート粒を可愛いスプーンで入れてくれる度に、そのお菓子の出来上がりをわくわくしながら待つようになった。

 あの愛情たっぷりな仕草は忘れようがない。ずっと覚えてる。もしも私が小さな子供にお菓子を作ってあげる日が来たら、同じような魔法を入れちゃうだろう。

 無償の愛を与えられる幸せを私は知った。だからこそ後悔が消えていかない。

 そんな私の目頭を、すいっとネトシル少尉の指が滑っていった。


「リオンお兄さん?」

「泣きたいなら我慢しないでいい。無理して笑うこともない。あのロッキーさんと会ってから、アレナフィルちゃんはずっと悲しそうだ。本当はもう一度会いたいとかいうのなら、いくらでも権限使って捜してあげるよ」


 初めて会った時は軽くてそれでいてどこか鋭さのある人だった。だけどネトシル少尉は色々な顔を持っていて、今はこうして私の気持ちを聞いてくれる。

 ネトシル少尉の指には水滴がついていて、もしかして私は泣いていたのかなと思った。

 なんでだろう。泣く気なんてなかったのに。


「会いたくは、・・・ないの」

「別に誰も怒ったりなんかしないんだよ? 気持ちを閉じ込めなくても、君の願いを誰もが叶える」

「ううん。だって、・・・私と会ったら、きっと殺したいって思われるだけ」


 ネトシル少尉はとても優しい。私が委縮しないように言葉を選び、怖いことは何もないんだよって言ってくれる。

 だけど私はあの子に会えない理由があった。

 既に私はマークされている。あの偽造された手紙はもう罠だ。あれを信じてファレンディア国にホイホイ行こうものなら誰も知らない場所で自白剤を投与されかねない。

 その時、私の言葉をあの子は信じるだろうか。変な暗示をかけられて突拍子もない記憶を植え付けられたスパイだと判断するだけではないのか。

 だから言えなかった。今の私はあまりにもかつての私と違いすぎる。

 そして私の置かれている状況はあまりにも異常だった。


「殺される、ね。だから怖かったんだ?」

「そうじゃないの。そうじゃない・・・。多分、私が、・・・幸せだから」


 ぽろっと、クッションの上に涙が落ちる。

 全く違う道を歩き始めた私達。そうして私はここで幸せを知った。優しい家族と、愛せる人達に囲まれて、毎日が楽しくて幸せだった。

 私が亡くなった後のことを知りたかったけど、それはこの国の貴族制度に自分が馴染めないと分かっていたこともある。私にはきっと我慢できない。身分にこだわって婚家でいびられる日々など。

 力を手に入れたかった。人の知らない知識は力だから。かつての祖父母のそれを取り戻したかった。

 まさかあの子が成長した姿を見ることになるなんて。

 あんな手紙一つで外国までやってきたあの子は、どれ程に私を忘れていなかったのだろう。

 ただでさえ外国で慣れない味の食事を、更に苦手なものばかり食べながらあの子はどんな思いで手紙の差出人を捜していたのか。


(あの子にとって、私はとても特別だった。だからあの子は私に関係するものは全て許さない)


 思えば少年時代から姉に執着し、大きくなったら結婚してねと、何かと確約させようとしてきた弟だ。行方をくらませた姉がいきなり死んだと知って、どこまで荒れたかを考えるだけで夢など見ずに眠りたい。考えたくもない。

 時の流れは万人に平等だ。

 あれから長い年月が流れた。かつての私宛てに出された手紙など、無視して終わりで良かっただろうに。

 それでも許せなかったのか。それでも手繰り寄せたかったのか。

 今のあの子は幸せなのかがずっと気になっていた。

 

「どうして彼が君を殺すんだ? そこまで強そうじゃなかったけど」

「彼は、毒物の専門家。勿論、義肢とかの知識もあるけど。彼が大切にするのは、姉一人だけ」

「そっか。だからアレナフィルちゃんは出されたものを絶対に口にするなって言ってたんだね。もしかして君が出した手紙、彼の逆鱗に触れたんだ? たしかお姉さんへの手紙だったね」


 その通りだ。実はあの手紙も密封用の袋にしまった上で紙袋に入れて厳重に封をし、私は入念に手を洗った。開封する時は手袋必須だ。

 あの時は弟も素手で扱っていたからそこまで警戒しなくても大丈夫かもしれないけど、時間差だって考えられる。数日後に揮発する毒物がついていることだって考えられた。

 懐かしい気持ちはある。だけどかつての弟に対し、亡くなった私の話題を持ち出すのはあまりにもリスクが大きすぎる。


「多分。だからもう行かない。絶対に」

「ああ。そうだね。その方がいい。・・・大丈夫。ここだけの話だが、トール・トドロキは、既にこの国を出ている」

「・・・え?」


 ネトシル少尉のカールした前髪が少し揺れて、私に微笑みかけた。


「君があまりにも元気がなかっただろう? だからちょっと調べさせたのさ。昨日の船で彼は出国した。たとえ再びサルートス国に来ることがあったとしても、君の家はあの難攻不落な塀と門に守られている。送り迎えも完璧だ。怖いことなんて何もないよ」

「・・・はい。ありがとうございます、リオンお兄さん」


 私を心配してそんな調査を入れてくれていたのか。

出入国記録だなんて、おうちの力を使わないと大変だっただろうに。いい人だ。いい人過ぎる。

お金持ちなのに押し付けがましいところもない親切心。かつての弟に爪の垢を煎じて飲ませたい。


「悲しい時は泣いた方がすっきりするよ、アレナフィルちゃん」


 湖ではしゃぎたくなった時用に用意されているバスタオルは、リビンルグームの隅っこで重ねられていた。それが頭の上にふわりとかぶさってくる。

 私の肩に右腕を回したネトシル少尉は、きっと泣き顔をみないであげようって思ってくれたんだろう。

 父とは違う胸元だけど、今はその体温が一人じゃないよと伝えてくる。白いバスタオルが私の視界を覆う。


(この国を出た・・・。じゃあ、もう二度と会えない)


 分かりきっていたのに、どうしてもっと何か話せなかったのかとそんな後悔が心の中で吹き荒れる。

 本当は抱きしめて、ちゃんと元気にしてなきゃいけないのよと言ってあげたかった。あなたは一人じゃないのだと。

 あの子にとって私はたった一人のお姉ちゃんだったのに。

 その頭脳がなくても愛していると言ってあげられるのは私しかいなかったのに。


「ふぇ・・・うぇっ」


 だけど何も話せる筈がなかった。今の私は全く違う姿だ。こんなこと、誰も信じない。

 あの子がどんな子でも愛していた。

だから本当はずっと言ってあげたかった。幸せになりなさいと。


(私が死んでも、残されたあなたが幸せになってくれていればよかったの。願うことなんてそれだけだったのに)


 船の中の食事は大丈夫だろうか。食の細いあの子にとって辛いだろうに。

 乱暴なことが嫌いなあの子は酔いやすいかもしれない。船酔いの薬は忘れず持ってきただろうか。


(いいホテルに泊まっていたってことは、使えるお金と自由はちゃんとあるわけだよね。それならあの子なりに満足な人生送ってると信じたいけど)


 遠く海を隔てても生きていることが確認できた。それならもうそれでいい。あの頃とは全く違う名前と姿になった私はもうあの子の姉じゃない。

 だけどこの心だけは今もアレナフィルの中にあるから・・・。

 だから優斗(ゆうと)。

 いつだって私はあなたを大切に思っている。たとえ名乗り合うことができなくても。

 ・・・・・・・・・。

 ・・・・・・。

 ・・・。

 ごめんなさい、嘘つきました。お姉ちゃん、君と名乗り合うのだけはしたくないよ。




― ☆ ― ★ ― ◇ ― ★ ― ☆ ―




 ゴバイ湖の近くにあるフォムルという町では、温泉が出る。だから温泉入浴施設が沢山あるのだ。

 温泉が出るからフォムルという町ができたわけだ。


(大きな泉源が見つかったことで、補助金も出て高級路線に改装したところが多いんだよね。以前はこじんまりしてたらしいけど)


 町が近づくにつれ、あちこちで水蒸気がもくもくとしているのが分かる。

 私は大型移動車の窓にぴたっと張り付いて、景色を見ていた。


「フィル。そうかぶりついていなくても、フォムルは逃げないよ」

「だってお父様、どこに面白そうな温泉があるか見つけておかなくっちゃっ」

「見て分かるもんなのか? 頼むから通り道にあった筈とか思って迷子にならないでくれよ?」

「大丈夫ですよ、ウェスギニー大佐。フォムルは看板も多いですから、そうそう迷子にはなりません」


 そんなことを言うのは、濃い紫(パンジー)の髪に、赤い瞳をしたメラノ少尉だ。彼はフォムルに何度か来たことがあるらしい。

 大通りは一本だけで迷子になりようがないとまで言いきった。

 それ、以前のちょっと小さな温泉街の時情報じゃないの? 温泉に浸からなきゃいけない年じゃないよね?


「看板を見ずに歩いていても迷子にならないものなのか?」

「・・・迷子案内の町内放送もあるから大丈夫ですよ」


 小さな町なので急ぎのお知らせは町内放送されるそうだ。夕方になると、遊びに夢中で戻ってこない子供達に対し、早くおうちに帰りなさいの音楽が鳴るらしい。

 長閑(のどか)な村がちょっと発展した程度だから、そういうのんびりさでいいそうだ。


「お父様、アドルフォンお兄様。私、迷子になる程、子供じゃありません。全くもう、これだから酔っぱらいは。昼間っからお酒を飲んでいるから正しい認識能力を失ってるんですよ」


 大型移動車内はミニキッチンもついているものだから、父を始めとして誰もがのんびりとグラスを傾けている。お外も見ないでのんびりとお酒を楽しんでるってちょっとどうかなって思う。


「酒を飲んでと言うが、作ったのはアレナフィル嬢、君だろう。どこまでカクテルのレシピを覚えてるんだ」

「適当に混ぜておけば何らかの名前はついてるものですよ、ガルディお兄様。大体、私が作ったのを甘いと文句を言いつつ、レシピを覚えようとするのって、何かおかしくないですか?」


 みんなして私に注文をつけるが、私とて自分が飲んでいたレシピしか覚えていないのだ。おかげで飲みやすさと口当たりのいいレシピがほとんどとなっており、彼らにとってはちょっと物足りないらしい。

 なら自分で作れよ。文句あんなら自分で動け。

 それなのに自分達では飲もうとも思わない味わいだからとか言って、わざと私に作らせるのだ。何なの、この人達。

 ムカムカしたが自分の記憶を腐らせるのもどうかなと思い、昔はまっていた組み合わせを思い出しながらあれこれ作ってしまった。処理要員はそれなりにいるから自分で飲む必要はない。

 今の所、手間をかけてクリームとか泡立てた卵白とかフルーツとかを組み合わせたカクテルよりも何故かシンプルなブレンドタイプが好まれている。私は手間をかけた方が甘くて美味しいと思うのに。


(そこが男と女の味覚の違いなのかなぁ。甘くないお酒をちびりちびり飲む方が好きな感じだよね)


 ネトシル少尉だけじゃなく他の人達も自分の好きな組み合わせを覚えてしまい、ちょくちょく楽しんでいたようだ。つまみがなくてもお酒だけで楽しめるところが良かったのかもしれない。


「つまりアレナフィル嬢の覚えているレシピは女性ウケするってことだろう? そりゃ誰だって後学のために覚えておこうと思うさ」

「はっ、もしかして私は女性の敵を増産していた・・・!? だっ、駄目ですよっ。酔わせてどうするつもりなのですかっ。そういうのはいけませんっ」


 なんということだ。ただでさえフォリ中尉は国王の甥。その身分にうっとりくらくらする令嬢も多いだろうに、更にそんな相手から甘くて飲みやすいお酒を勧められて酔ったらぱっくんごっくんされてしまう。


「安心しろ。酔わせてどうするつもりもこうするつもりも、どこにも女性はいないからな」

「ここにいますが?」

「お子様は女じゃない」


 国王の甥がずばっと言いきりやがった。

 そりゃあね、少女にお酒を飲ませるような男は言語道断だよ。未成年の女の子に手をだす男は最低だ。

だからフォリ中尉の意見は正しいのかもしれない。


「何故だろう。何か釈然としないのです」

「アレナフィルちゃんは可愛い女の子だよ。だけどお酒を無理に飲ませたいなんて誰も思わないさ。これはとても飲みやすかったな。氷がきんきんで頭がすぅっとした」

「よかったです。運転し続けてると眠くなりますよね。氷、ガリガリ噛むだけで眠気が飛ぶかなって」


 運転してくれるネトシル少尉には感謝の気持ちをこめて、私はライムシロップにジンジャーエールを注いだものをジャリジャリ氷たっぷりなグラスに入れて渡しておいたのだ。

 なるべく単調な時間にならないようにしてあげたい。運転手って眠気が辛いよね。

 

「運転したことない筈なのによく知っていますね、アレルちゃん」

「うふふ、レオカディオお兄様ったら。想像力を使えば分かることなのです」

「そうですか。いえ、本当に、たまにアレルちゃんの中身が気になります」

「女の子の中身はいつだって夢と希望で作られたフェアリーですよ」


 深く濃い群青色(ウルトラマリン)の髪に青の瞳をしたドネリア少尉は、気づくと私をじっと見ている。悪意は感じないけれど、なんだか観察されているような気がしてならない。

 根が真面目なのか、ほかの人はお酒のブレンドにしても大体の割合ですませていたけれど、この人はちゃんと私の計量用具を使ってきっちり量っていた。

 細かいことが気になるタイプなのかも。

 そうか、彼は私の中身を知りたかったのか。今度、医療薬品部の先生を紹介してあげよう。人体の構造には詳しい筈だ。

 不思議なことにこの大型移動車に乗り込んだ途端、今まで薄膜を隔てたように接してきていた男子寮監メンバー達が普通に接し始めてきた。

 バーレンが言っていた通りだ。別荘から離れればサンリラと同じようになるさと。何故分かったのだ、バーレン。


「夢と希望ねぇ。んで、フィルちゃん。そろそろフォムルだろ。どんな夢と希望があるんだ?」

「それは勿論っ、温泉と言えば美肌っ。やはりここは塩水で荒れたお肌をしっとりすべすべに磨かなくっちゃいけませんっ」


 だって私ったら毎朝父の顔を見て目覚めるんだもの。やっぱり好きな人の前ではいつだって綺麗でいたいのが女の子。

 いつ優しい微笑みと共におはようのキスされても恥ずかしくない、すべすべなほっぺたでいたいの。寝る前の歯磨きだって根性を入れてしまうわ。

 

「なあ、フィルちゃん。塩水で荒れるも何も、全然荒れてねえだろ? 大体、男と違ってあそこまで完全防備な水着でどうやって肌荒れできたっつーんだ?」


 男の水着は短パンだが、女の水着は首から手首、そして足首まで覆う日焼け防止タイプが基本だ。だから肌など荒れるわけがないと、無神経なことをぬかす童顔講師がいる。

 所詮は男の感性などこんなものかと、私は大きく息を吐いた。

 お肌をツルツルにする為には様々なお手入れが必要なのですよ、全く。


「嫌ですねぇ、レン兄様ったら。いつだって女はより少しでも綺麗になりたい生き物。そんな無神経に生きてると、姉様に捨てられちゃいますよ」

「そうだなー。フィルちゃんは捨てられる以前の問題として、男がいないしなぁ」

「・・・くっ。結婚してるからって偉そうにっ」


 私にだって父がいるのにっ。まあ、父だけど。叔父だっているのにっ。うん、叔父だけど。

 バーレンは何かと私をいじめてくる。女がいるというのがそんなに偉いとでもいうのか。


「遠慮なく羨ましがっていいぞ。俺の妻は純情で頑張り屋な、誰もが羨む可愛い女だ。フィルちゃんのおかげできっと体の隅々まで磨き上げたことだろうなぁ。いつも可愛いアリアティナを俺に差し出してくれるフィルちゃんには感謝してるってもんさ」

「ああっ、・・・姉様、逃げてーっ」


 なんということだ。私こそがこんな悪魔に美味しく調理して差し出していたなんて・・・!

 せっかくの無料チケットだからと思っただけだったのに。 


「安心しろ。うちの妻はおとなしく家で俺の帰りを待っている」


 勝ち誇ったような童顔男の本性は、好きな女の子をいじめたくなるというただの根性悪だ。

 私は知っている。何かとこの男に冷たい言葉をかけられ、泣きそうになる手前で優しくされるアップダウンに翻弄されている彼女の日々を。

 それで二人が幸せならそういうのもスパイスの一つかもしれない。

 いや、女は素直に愛してくれる男を選ぶべきだよ。ひねくれた愛情なんて面倒くさいだけだよ。

 心の底から私はそう思う。


「ああ、言うのを忘れていた。バーレン、フィルや皆の買い物とかを持って行かせたついでにお前の家にも寄るように頼んであったんだ。あの宿泊プランも終わってるだろうし、彼女もそれでこっちに来るんじゃないか? だからお前達には別のホテルを用意しておくように言っておいた。ここまで長く離れてたんだ。二人きりで過ごしたいだろ?」

「お前はいい奴だって知ってたよ、フェリル」


 バーレンはとてもいい笑顔だった。

 ひどいわ、お父様。どうしてそんな悪魔にあんな純粋な人を差し出しちゃうの。


「パピーッ、それティナ姉様の危機―っ。レン兄様に食べられちゃうーっ」

「・・・フィル。バーレンとアリアティナ殿は夫婦だからな。寂しいのは分かるが、二人のどっちが食べられようが、そこは他人が口出しすることじゃない。もしかしたら食べられるのはバーレンかもしれないだろう?」


 いやいや、そんな鬼畜童顔講師なんて食べたらお腹壊すよ。一口だけでぺっぺっだよ。


「だってパピーッ、姉様、今、まさに剥き立て卵のお肌っ。情欲に燃え上がったレン兄様が放してくれないっ。ああっ、あんなこととか、こんなこととかされて、姉様、もうお嫁に行けなくなっちゃうっ」

「全くお前は眠くなると変なことを言い出す。ほら、おいで。外ばかり見てるんじゃ私が寂しいじゃないか」


 父が両腕を差し出したので、私はぽすんと、向かい側に座っていた父に抱きついた。

 寂しいも何も、私が作ったお酒を飲んでいたのは父の方だ。放置していたのは父なのである。

 女の子は寂しいとしおしおに萎(しお)れちゃう。


「よしよし。やっぱりルードを連れてくるべきだったかな。大丈夫だ、お前には私がいる。そうだろう?」

「・・・うん」


 私の髪にキスしてくれて、撫でてくれる父の手は優しかった。ここにいていいのだと安心できる。

 よその男には砂をかけて逃げてきなさいという父は、人が見ていても気にせず私を可愛がる人だ。それは貴族としてダメダメらしい。それなのに世間の目より娘の方が大事だと言ってしまう人だ。


「本当にボスってばお嬢さんに激甘ですよねぇ」

「父親だからな」


 気づけば私は父に抱きつくようにして眠っていて、バーレンはとっくにどこかで降りた後だった。




― ☆ ― ★ ― ◇ ― ★ ― ☆ ―




 温泉の町フォムル。

 町内ではあちこち温泉入浴施設が乱立しているが、その宿によって特徴も違うそうだ。

 到着したその建物は、予約客しか受け付けないという施設らしい。

私は父と同じ部屋だったが、ダブルベッドがツインで寝室に置かれていたし、リビングルームもついていて、居心地は良さそうだった。

 食事はこの施設のダイニングルームに行って食べる。


「ここは水着をつけた状態で混浴なんだ。と言っても、熱い蒸気が通る部屋で体を温めるというものだが」


 このホテルの従業員達が荷物を部屋に運んでくれたが、その時にまずは入浴することを勧められた。一気に体の毛穴が開いてさっぱりするからと。

 ゆったりとした衣装が各部屋に五枚ずつ備え付けられていて、ホテル内ではそれを着ておいた方が楽だろうと言われた。普通の服では着替えが面倒だけど、それなら気が向いたら入浴を楽しむスタイルで過ごせるからと。

 毎日提供されるということは、一日五回の入浴を考えているのか。どんだけ温泉尽くしだ。

 何でも水着を着てからその衣装を着ていけば、入浴もスムーズなのだとか。


「パピー。体を温めるだけなら、体、洗えないよ? どこかにシャワーあるの?」

「シャワーはあるが、体を蒸した後だな。さすがにそれは男女別だ。だけどこれなら一緒に入れる。私もお前を一人にはしたくないからね」

「うん、一緒だねっ」


 聞けばバーレン達は、小さな庭付きのコテージ泊らしい。勿論、そこも浴室はあるのだが、要は二人で入れる貸切風呂が一日中使えるというものだ。大抵、恋人同士とか夫婦とか、家族連れといった人達が利用するらしい。

 このホテルが新陳代謝を活発にするスタイルなら、バーレン達は仲良しタイムなスタイルらしい。

 隣のコテージとはかなり離れているからプライバシーはばっちりだとか。

 ・・・・・・いいけどね。二人でしっぽりしてればいいんだよ。羨ましいなんて思ってないよ。

 フォリ中尉やネトシル少尉達は私達と同じホテルだが、階が別になっている。三食はこのホテルで出るらしいから、その内会うだろう。

 なんでも貴族令嬢である私によからぬことをしないようにと、そこらへんは厳しくお互いのフロアを行き来しないよう見張られるそうだ。

 

「ここのスチームサウナは宿泊客しか利用できない。広々としてるし、そこまで熱くないから、うとうとと寝てしまう人もいるみたいだよ。フィルもそういうのならゆったり過ごせるだろう?」

「そうなの? どんなのかなぁ。フィル、スチームサウナ、初めて」


 父と私は水着に着替えてから備え付けの衣装を羽織るようにして身につけ、スチームサウナへ向かうことにした。

 何度でもサウナを楽しんでいいそうで、衣装が足りなくなったら言えばすぐ補充してくれるそうだ。ウェストのついていないワンピースだが、刺繍されている模様がとても独特で、父のエキゾチックな姿にちょっとドキドキしてしまった。

 スチームサウナのある場所へ向かうと、男性用と女性用の更衣室がある。そこで上に着ている衣装を脱いで水着になるのだとか。


「知らない人と同じサウナでもいいのなら一番広い部屋で、あまり知らない人と一緒にいたくないなら、扉こそついていないけれど、壁で区切られた小部屋みたいな場所で過ごせばいいそうだ。じゃあ、更衣室から出てきたところで待ってるよ」

「うん」


 更衣室には部屋の名前がそれぞれ書かれたロッカーがあった。

 水着を着たまま軽くシャワーを浴びて出ていけば、父もやはり軽くシャワーを浴びたらしく濡れた状態で待っている。


「あまり熱くない部屋と、かなり熱い部屋と、それぞれあるらしい。花の香りがするサウナとかもあるらしいよ。どれにしようか」

「フィル、あんまり熱いのは怖い」

「じゃあ、あまり熱くないスチームの部屋にしよう」


 濡れている床で滑らないようにと、手を引いてくれる父の手は力強かった。

 どうやら勝手に水を焼けている石にかけて蒸発させていいらしい。その時にハーブオイルを水に混ぜておくと香りが立ち上るのだとか。


「すごぉい。パピー、色々な香りがある」

「フィルは爽やかな香りが好きだったか。だけどたまに甘い香りを楽しんだりするな」

「そうなの。誰にとっても嫌いじゃない香りは柑橘系なんだけど、たまには甘い香りも楽しみたい。だけど、ここは心穏やか系がいいかも」


 あまり熱くないと言われただけあって、本当に床や壁、そしてベンチが熱を持ってはいたけれど、全く空気も熱くなかった。

 私がハーブオイルを混ぜた水を石にかけていると、父は大きなタオルを広げてベンチに敷いてくれた。


「おいで、フィル。ここなら湯冷めもしない。ゆっくりしよう」

「うん」


 手招かれて近寄れば、ごろんと一緒に横になる。

 水着しかつけていない父の肉体はとてもセクシーだ。贅肉って言葉を知らないのかもしれないって思うし、それでいてしなやかな美しさがある。

 胸元の中央には虎の種の印があって、だから分かるのだ。

 

「パピー。これはちょっといかがわしい? かもしれない?」


 いくら親子でも男と女が二人で寝ていたら、入ってきた他の入浴客もびっくりだろう。さすがにこれは公共の場でよろしくないかもしれない。

 だけど父はこともなげに言った。


「大丈夫。どうせこのホテルは貸し切りだ。やってくるとしたらフォリ中尉達しかいない。どうせ彼らは慣れている」

「・・・にゃるほど」


 ということは各フロアの階段で待機していた従業員達は、貸しきり客の警備及び御用聞きみたいなものなのか。館内を口頭で案内してくれる人がいると思っていた。

 さすがは国王陛下の甥だけはある。権力って凄い。建物そのものを貸し切りなんてめっちゃお金持ち。


(ずっとここんとこ、私、パピーにくっついてたもんなぁ。今更かぁ)


 私が父にくっついているのはよく見られている。さっきも移動車内で父の膝に座ったまま寝てしまっていた。フォリ中尉も他の人達もきっともう何とも思わないに違いない。慣れとは怖いものだ。

 それならいいのかもしれない。だって、ずっと甘えたかったから。今ならシャワーで頭からずぶ濡れだし、分からないだろう。

 私は父の胸元に顔を寄せてぴたっとくっついた。大きな手が私の髪をかき分けるようにして撫でてくる。


(大丈夫。今なら分からない。だってこんなにも水蒸気だって立ち上がっている)

 

 他の誰より私だけを見て、そして優先してくれる父が今は嬉しかった。弟に置いていかれたこの心を見ずにすむ。

 ここなら頬を流れていく雫も気づかれない。


「フィル。心だって冷えたら悲しくなる。私はお前の心が温まるまでずっと傍にいるよ」


 目を開けることなく、囁かれる言葉。

どうして何も言ってないのに、この人には私が欲しい言葉が分かってしまうのだろう。唯一の存在として私を選んでくれる。いいかげんな約束なんてしない。

いつだって私を抱きしめて誰よりも大事にしてくれる人。


――― 今の君を愛している。いずれもっと大きくなってお前に結婚したい人ができるまで、この家で、私の最愛の恋人でいなさい。


 高い塀と門に守られたあの家で、アレンルードと私は育てられた。

 アレンルードはウェスギニー子爵邸にちょくちょく行かされていたけれど、私はあの安全な家の中で大切に育てられていた。私がウェスギニー子爵弟に行く時は来客がない日か、厳選された来客しかいない時。

そして私が自分から出かける先はバーレンの家。教育者として、そして父の親友として私を任せても大丈夫だと父が選んだ男の家だ。

 ああ、そうだ。この人はずっとそうだった。

 私がこの国で目覚めた時から、この人のことを何も覚えていなくても、ずっとこの私を愛し続けてくれていた。





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