第3話 地下への扉
地下へ続く扉を前にして、俺は立ち止まった。
古びた木製の扉。
取っ手には埃が積もっている。
長い間、誰も使っていないように見える。
「レオン」
ヴァールハイトが後ろから顔を出した。
「これ、開けるのか?」
「たぶん」
「たぶんって……」
ヴァールハイトが扉を見つめる。
「事件現場の地下室だぞ。普通なら衛兵を呼ぶところじゃないか?」
「普通ならな」
「じゃあ呼ぼうぜ」
「その前に確認したい」
「なんで?」
「さっき、遺体を調べたときに気づいた」
俺は床を指差した。
少女の血が広がっている。
その一部が、扉の前で途切れていた。
「ここだけ、床に血がない」
「……それが?」
「誰かが遺体を運んだなら、血の痕跡が残る。でも、ここにはない」
「じゃあ、地下で殺した?」
「その可能性がある」
ヴァールハイトの顔から笑みが消えた。
「待てよ」
「何だ?」
「それなら……」
ヴァールハイトが少女の遺体を見る。
「この部屋そのものが、犯行現場じゃないってことか?」
「そういうこと」
俺は扉の取っ手に手を伸ばした。
「おい」
ヴァールハイトが俺の腕を掴む。
「何?」
「一応言っとくけど、俺は勇敢な男じゃないからな」
「知ってる」
「お前の友達であることと、危険な地下室についていくことは別問題だからな」
「じゃあ待ってて」
「……それはもっと嫌だ」
手を離してくれた。
俺は扉を開ける。
ギィ……。
軋んだ音が響いた。
中から冷たい空気が流れてくる。
階段。
暗闇。
地下へ続いている。
「明かりを」
ヴァールハイトが小さなランタンを取り出した。
「こういうこともあろうかと」
「どうして持ってる?」
「お前に付き合ってると、必要になるんだよ」
俺たちは階段を下りた。
一段。
二段。
三段。
地下に近づくほど、空気が冷たくなる。
そして――
薬品の臭いがした。
「……診療所と同じ匂いじゃないか?」
ヴァールハイトが鼻を押さえる。
「違う」
俺は立ち止まった。
「これは、薬品だけじゃない」
「じゃあ何だ?」
俺は答えられなかった。
血の臭い。
腐敗臭。
それから、何か甘ったるい臭い。
医者見習いとして、何度も嗅いだことのある臭いだった。
「死体がある」
ヴァールハイトが黙った。
階段を下りきる。
地下室は思っていたより広かった。
棚が並んでいる。
瓶。
包帯。
薬草。
見たことのない薬品。
そして壁際に、いくつもの木箱。
「なんだここ……」
ヴァールハイトが呟く。
俺は棚を調べた。
薬品の名前が書かれている。
鎮痛剤。
睡眠薬。
止血薬。
どれも医療に使われるもの。
だが、一つだけおかしい。
「この量……」
「多い?」
「多すぎる」
診療所なら一年かけても使い切れない。
「何人治療するつもりなんだ?」
そのとき。
奥から何かが落ちる音がした。
カタン。
俺とヴァールハイトは顔を見合わせた。
「……誰かいる?」
返事はない。
俺はランタンを掲げた。
地下室の奥。
布で覆われた何かが並んでいる。
最初は、棚だと思った。
近づいてみる。
布の隙間から、白い指が見えた。
俺は息を止めた。
「レオン……」
ヴァールハイトの声が震えている。
俺は布をめくった。
一人。
二人。
三人。
人間だった。
もう生きていない。
それぞれ別々の服を着ている。
老人。
若い男。
女性。
子供までいた。
「……何人いるんだ」
ヴァールハイトが後ずさる。
俺は遺体の一つに近づいた。
胸に手を当てる。
もちろん脈はない。
首を見る。
外傷は少ない。
だが、唇の色がおかしい。
「毒……?」
そう呟いた瞬間だった。
『いや……』
耳元で声がした。
俺は振り返った。
誰もいない。
『ここじゃない……』
今度の声は、少女のものではなかった。
老人の声。
俺は遺体を見る。
『帰りたかった……』
その一言だけ。
胸が締め付けられる。
「レオン?」
「……この人、死ぬ前に帰りたがってた」
「え?」
「家族がいたんだと思う」
「どうして分かる?」
俺は答えなかった。
言えるわけがない。
死者の声が聞こえた。
そんなことを説明できるはずがない。
すると、
コツ。
コツ。
コツ。
地下室の奥から足音が響いた。
誰かがいる。
今度こそ、はっきり聞こえた。
「来るぞ」
ヴァールハイトが小声で言う。
「隠れる」
「どこに?」
「そこの箱」
「狭すぎるだろ!」
「じゃあ一人で出れば?」
「それも嫌だ!」
二人で慌てて木箱の陰に隠れる。
足音が近づく。
コツ。
コツ。
コツ。
やがて、一人の男が姿を現した。
白い服。
胸元には、太陽の紋章。
教会の神官だった。
男は周囲を見回す。
そして死体を確認すると、満足そうに頷いた。
「……今日の分も揃ったか」
俺は息を殺した。
ヴァールハイトの手が震えている。
神官は一体の死体に近づき、顔を確認する。
「これは状態が悪いな。研究院では使えないかもしれん」
研究院。
その言葉を聞いた瞬間、
頭の中で何かが繋がった。
消えた死者。
王都へ向かう馬車。
教会。
そして地下の死体。
俺はゆっくり拳を握った。
ここで何が行われているのか。
まだ分からない。
でも一つだけ確かなことがある。
この死者たちは――
病気で死んだわけじゃない。
そして神官が地下室を出ようとした、その瞬間。
『たすけて』
足元から、小さな声がした。
俺は思わず顔を上げた。
そこにあったのは――
まだ幼い少女の遺体だった。




