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 真夏の水曜の昼下がり。俺の部屋は日差しと共に、蝉の声がわんわん降り注いできて、異常に蒸し暑かった。四畳半のワンルームのエアコンは壊れ気味で、そのうえ、三十路前後の男が三人集まっているのだから暑苦しいことこの上ない。

 あの祭礼の日から、一ヶ月と数日経った水曜日のことである。


「マッジでまだ納得してねえからな、三億円!」


 酔っ払った中原が、うちの座卓にガンと、酒の缶の底を叩きつけた。


「雷に当たって爆発したって、なんだよ! そんなギャグ漫画みたいなオチで納得できるか!」


「でもしょうがないじゃん、本当にそうなんだから」


 俺は残り僅かになったノンアルチューハイを傾け、中原の半分くらいの声量で返した。

 三億円に未練がないかといえば、なくはない。でもなくなってしまったのだからどうしようもない。それに、仮に三億円が手に入ってしまったとしても、多分俺は、迷惑料として教団に全部返した。あれは教団の信者たちが幸せになるために払ってきた金なのだから、信者のために使ってほしい。本来あるべきだった、「祝福」なる制度に基づいて。

 一攫千金のチャンスを逃した俺はもとの貧乏無職に逆戻りしたわけだが、その後、知人の紹介で仕事が見つかり、とある文具用品メーカーの営業に採用された。

 因みに採用された理由は、「度胸がある」からだそうだ。まあ、教団に身代金を要求したり本部に侵入したり、懺悔室でバトッた経験があれば、大抵のことは平常心で向き合える。


 今日はその会社が休みで家でのんびりしていたら、中原と横内が突然押しかけてきた。ふたりともたまたま休みだったらしい。


「うちで宅飲みはいいけど、せめて予告してくれよ」


「別にいいじゃねえか、どうせ暇だっただろ」


 小さいことも大きいこともあまり気にしない中原は、豪快に笑った。アポなし訪問はできればやめてもらいたいが、今日はふたりともたくさん酒とつまみを持ってきてくれたので、許してやるとする。

 ビールをふた缶開けた横内が、俺の前で膝をつく。


「加藤おお……本当にごめんよ。俺、目の前の金に目が眩んで……正直大したことだと思ってなくて、あとで謝って飯でも奢れば済むくらいにしか、考えてなくて」


「ふざけんなお前! 俺がどれだけ絶望したと思ってる!」


 俺はバンと座卓を叩いた。横内がぴーと小鳥みたいに鳴く。そのやりとりを見ては、中原がひっくり返って笑う。


「それ何回目だよ! 加藤もよく毎回同じ声量出るな」


「何回もやってるから慣れてきた」


 俺は叩いた座卓の天板をすりすりと撫でた。

 あの事件の直後は、横内と会うのが怖かった。多分、横内だって怖かっただろう。

 でも中原が間に入ってくれて、俺たちは再び顔を合わせたのだった。気まずそうに謝ってきた横内に、俺は感情のままにでかい声をぶつけ、お互いすっきりしたらわだかまりはなくなった。あれから一ヶ月経った今も、横内は酔っ払うと謝罪を再現してくるので、俺もその日の自分を再現するのが、お決まりのネタになっている。

 傷ついたのは本当だけれど、俺だって彼に迷惑をかけたから、お互い様だ。一度がっかりさせられたとしても、まだ横内を信頼している。俺が彼を信じたいから信じるし、許す。

 とは言いつつも、俺は早速横内に疑いの眼差しを向けた。


「横内、『飯でも奢れば済むと考えてた』って言いながら、まだ奢ってくれてないよな? 信じて大丈夫か?」


「奢るって、次の給料日後に!」


「それ先月もそう言ったんだよ」


「先月は金がなくなっちゃったんだよ。今月はマジ。約束する」


 拝む横内の額を、俺はつんとどついた。


「中原の分もだからな」


「お、そうだな。俺も貰えるはずだった三千万を貰い損ねたから、そのくらいあってもいいはずだ」


 中原も身を乗り出してくる。横内の給料日は二十五日らしい。楽しみだ。

 なお、中原は例の面接で合格した交通整理の仕事を続けており、横内は今もバイトをかけ持ちしてフリーター生活をしている。細かいことを気にしない奴がいちばん最初に定職に就いて、合理的で計算高いはずの奴がフリーター生活が板につきはじめている。イメージが逆だったが、ふたりともそれが馴染んでいるのなら、どちらも間違いではないのだろう。

 俺は座卓に置いた缶を持ち上げ、ゆらゆらと振った。


「なに奢ってもらおうかな。すき焼きか、焼肉か、寿司もいいな」


 と、そのとき、玄関のほうからバンッと扉が開く音がした。


「すき焼きがいいっす!」


 隣の大学生のでかい声が響いてきた。続いて、その恋人の声も追いかけてくる。


「こら、想汰! インターホンを押しなさいって何度も言ってるでしょ!」


 俺はのっそりと立ち上がり、玄関に迎えにいく。


「瀬名川くん、有明さん、いらっしゃい。インターホンは押してね」


「このアパート壁が薄いんで、加藤さんちで宅飲みしてるの分かるんすよ。ふたりくらい増えても変わんないっしょ」


 瀬名川くんが無邪気に笑い、その隣では有明さんがため息をつく。

 一時は洗脳されてみょうちきりんになってしまった瀬名川くんだったが、洗脳されるのに時間がかからない彼は、それが解けるのも早かった。あっさり脱会してあっという間に元の瀬名川くんに戻り、そして俺のお隣さんとして、しょっちゅうこうして遊びに来る。

 有明さんは相変わらず教団の信者を続けているみたいだが、別に勧誘してくるわけでもなければ、思想を押し付けてくるわけでもない。無害だからか、別れると言っていたはずの瀬名川くんは、今もお付き合いを続けている。


 ふたりを宅飲み会場、こと居間に連れてくると、早速、中原が有明さんに反応した。


「お、カルト娘! 最近教団はどう?」


「どうもなにも普通ですよ。普通すぎるくらい普通です」


 つっけんどんに答える有明さんを横目に、俺は座布団をふたり分、追加で運んできた。


「普通って、なにも変わってないってこと?」


「いえ、変わって普通になったってことです。今までが異常だったんです」


 有明さんはちらっと俺に目配せをした。


「教祖が夫人と離婚して以来、基本方針を強く打ち出したんです。自由とは、心を解放すること。その意味での自由は尊いが、自由を守るための不自由である規則を、きちんと守ること。これが徹底されるようになったら、奇抜な格好でアピールする人も、献金の額で競う人も一掃された。懺悔室を折檻部屋として使うのも禁止された」


「この頃の教団教徒は、ただの品行方正な、意識高い感じの大人しい人ばっかっすよ。なんか見応えなくなったっす」


 瀬名川くんも頷いて、付け足した。


「銀翼に寝返った人たちは知らんですけどね。加藤さんが祭礼を荒らして以来、誰が白の信者で誰が銀の信者なのか、なにがなにやら分かんなくなって、気がついたら皆、大人しくなってたっす」


 あの祭礼で起きたことは、公にはならなかった。安東の計画はほぼ全てが未遂で終わったからなのか、懐の深い教祖は、彼を訴えなかった。春代さんと離婚はしたそうだが、彼女から慰謝料は取っていないらしい。あの三人が現在どういう距離感でいるのかは、俺には知る由もない。

 座布団を並べる俺を、有明さんが白い目で見る。


「加藤さんの神様誘拐は不敬極まりなかったんでまだムカついてますけど、でもあれ以来教団は真っ当な人が増えたし、銀翼がいなくなったんで、それに免じて許します」


「それは良かった……でも有明さん、俺も有明さんに自宅を晒されたの怖かったからね」


「そのあと、本部で手助けしてあげたんだから、そこはトントンじゃない?」


 出会った当初の温厚でほんわかした有明さんは、もう見られなくなった。あれは誘拐犯の俺を警戒させないために演じていたキャラにすぎず、このつんけんした態度が彼女の素である。

 態度こそ冷たいが、教団の当事者である有明さんは、俺になにかと教団のその後について話してくれる。例えば、銀翼の会が完全に解体されたこと。寝返った人は教団に戻ってきたり、そのまま宗教から離れたりしているが、ともかく銀翼の名前はもうぱったり聞かないらしい。

 それと関係があるかは不明だが、俺は満月の夜のバス停を最後に、コーくんを見ていない。あの四日間では異様な頻度でエンカウントしたのに、あれっきりである。

 まあ彼は、俺の相棒に用事があって俺のところに現れていたわけだから、もう俺のもとへ来る必要がないだけかもしれないが。

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