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 礼拝堂がみるみる騒がしくなる。春代夫人の告白を聞いて、信者たちがふつふつと怒りを沸かしはじめ、怒号が飛び交いだす。


「だからこの頃、祝福がなかったのか! ふざけるな、余剰金は祝福に使うものだろう!」


「なにが銀翼の会だ! 献金は白珠様に捧げたものだぞ!」


「うるせえ! バカな白珠信者は黙って金だけ出してればいいんだよ!」


 混じっていた銀翼信者までもが、ヤケを起こして怒鳴り返していた。礼拝堂が喧騒に包まれる。

 その大混乱を前にして、教祖は無言で佇んでいた。

 絶望のような呆然のような、色を失った顔だ。痛みを耐えることすら諦めた瞳は、どこを見ているのか分からない。ハク様はステージの淵ででしゃがんで、そんな教祖を黙って見上げていた。

 純粋な彼を傷つけたくない。ハク様の言葉が、頭の中に響く。俺はハク様に問いかけた。


「銀翼のこと……教祖には知られたくなかったんだよな?」


「まあね。でも加藤くんが言うとおり、甘いこと言ってる場合じゃないかって思った」


 ハク様はつまらないテレビでも観ているかのような目で、教祖の反応を見つめていた。


「有明ちゃんが『白珠様が許しても、私が許さない』って言ってたでしょ。あれ聞いて、神様より人間にこそ怒る権利があるなって気づいた。傷つき怒る人がいるのなら、それに応える。神様の仕事は許すことだけど、裁くのだって仕事だもんね」


「でもズラは関係なくない? 悪事を暴いてやるだけでよかったんじゃ……」


「関係あるよ。これも安東の犯した罪のひとつだから」


 ハク様の声が、ざわめきに吸い込まれる。


「安東がこうなったのは、『信者に尊敬される独創的で自由な髪型を目指そうと』したから。他と違った格好や髪型で個性を出すほど、自由であり信仰心がある……そう信者たちに刷り込んでいたのは誰だったのか、これではっきり分かるでしょ」


 俺はハッと息を呑んだ。安東が自ら髪を傷めたのは、信者たちを変な方向に導こうとしたから。つまり、マウント合戦が起こる構造にして、盲信させて、最終的に金を巻き上げるのが目的。

 ハク様は、安東の変な髪型を晒してバカにしているのではない。『他人と違う』にばかりとらわれた結果、後悔してズラで隠すほどのコンプレックスを背負った安東を見れば、信者たちは嫌でも目を覚ます。


 ハク様はしゃがんでいた脚を伸ばし、ステージから垂らした。脚をぶらぶらさせて、安東に問う。


「ねえ、三億円はどこにやったの?」


「ない。そんなものは、ない」


 安東が頭を掻きむしる。ハク様がうんざりした顔になる。


「もういいから、吐いちゃいなよ」


「ないと言ってるだろう! 燃えたんだ、運んでいる途中で!」


 安東の怒声に、ハク様も俺も、目を点にした。


「え?」


「へ?」


 ふたり同時に声を出す。安東があああ、と呻いた。


「仮拠点で金を下ろしたとき、あの雨で雷が落ちて……!」


 現金三億円が、燃えた……?


 にわかに信じがたい話に呆然としていると、月華さんがぴょこ、と手を上げた。


「本当です。月華、見てました」


 安東の車に同乗していた月華さんは、その現場に居合わせていた。


「どかーん、ぼーんと。トランクは見事に火達磨です。でも幸い雨が強かったので、火はあちこちに回ることなく、勝手に消えました。トランクだけ燃えました。安東さんのお命が無事で、良かったです」


 月華さんが淡々と話す。俺もハク様も吞みこめずにフリーズしていたが、やがてハク様が、頭を抱えて前屈した。


「あー! 貧乏神!」


「えっ」


 まだ置いていかれている俺に、ハク様ががばっと顔を上げた。


「貧乏神! 月華ちゃんは貧乏神だった! 貧乏神の憑禍ちゃんに取り憑かれてると、最短ルートで金が消えていくんだよ」


 俺の頭の中に、広大な銀河が広がった。貧乏神……?

 そういえば河川敷で肉まんを食べたハク様が、月華さんのことを貧乏神だと話していたことがあった。いや、あれはいつもの神様ジョークの一種で、全く信じていなかったが……まさか……。

 改めて月華さんの顔を顔を見ると、彼女はえへっと照れ笑いをした。


 三億を回収したあとの安東がどうして教団本部に戻ってきたのか、ようやくその謎が解けた。安東は河川敷から回収した金を、思わぬ形で消し飛ばしてしまった。銀翼会館設立のための資金を、また一から集め直さなくてはならなくなったのだ。

 俺はしばし目線を漂わせ、今度はステージの脇に潜む春代夫人に目を留めた。安東が三億を焼失したと知った春代夫人は、彼を見限る方向にシフトしはじめた。教祖のもとへ戻れる道を確実に確保することが重要になり、そのためなら俺への協力も厭わなかった。

 三億円の結末が見えたら、引っかかっていた疑問も、まとめて解決した。


 ふらっと、教祖が動いた。茫然自失だった彼が、ようやく動きを取り戻す。彼はステージの階段を一歩ずつ、ゆっくりと降りて、蹲る安東の傍で、跪いた。


「安東くん、大丈夫か」


 彼は安東の丸まった背中に、手を置いた。途切れ途切れながら、安東に語りかける。


「雷が、近くに落ちたのか。危なかったな。怪我は、ないか」


「うるさい、来るな」


 安東が呻く。


「お前の、そういうところが嫌いだった」


 混乱する礼拝堂の中、安東の声は掻き消されてしまいそうだった。


「金があるから心に余裕があって、騙されても、金を撮られても、何十年もの関係を裏切られても、怒らない。そんな沓谷が、死ぬほど嫌いだ」


 安東の息はぜいぜいとあがり、言葉はところどころ掠れていた。


「私にも、金があったら、人生が変わったはずだ。三億円を元手に事業に成功して、たくさん稼いで……ここではないどこかで、なにひとつ不自由なく、静かに暮らしたかった」


 刹那、俺の頭の中に、寒空の下で手術費の募金箱を抱える少年の姿が見えた。金さえあれば救われたかもしれない命がひとつ消え、生活も、考え方も、歪んでいった。かつての少年は今、この礼拝堂で小さく蹲って震えている。その弱々しい姿に、俺は目を伏せた。

 安東が憎たらしそうに声を絞り出す。


「なぜだ、なぜだ……私は三億円を手に入れたのに。そんな、三億円にだけ雷が直撃するだなんて、天文学的な確率で、失うなんて、ありえない」


「ありえたんだな、それが。俺もちょっと信じられないけど」


 彼を見下ろし、ハク様が退屈そうに言った。


「雷は、神の裁きっていうしね。お金ばかり信仰してた罰だよ」


「うるさい。貴様になにが分かる」


「いっぱい苦労したのは、知ってる。だけどそれは、教祖や信者たちを騙しても許される理由にはならないよ。この計画は、どんな言い訳があっても、許されない」


 毅然とした態度は、安東への一切の同情を捨てていた。


「拝金主義の奴隷になったのを、母親のせいにするなよ」


 ハク様の言葉に、安東は目を見開いた。天から降る雷に打たれたように、息を吞んで、そのまま固まった。

 ハク様がひょいと、ステージを飛び降りた。


「これからは、君を信じた人を裏切らないで。そうすればいつか、本当の意味で豊かになれるから」


 そう言うと彼は、いたずらっぽい笑みで俺に目配せをした。


「お互いを信じてたら、上手くいっちゃうんだもん。ね、加藤くん」

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