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「あ、あの……勝手に入って居眠りしてて、ごめんなさい。これにはわけが……」


 懺悔室で春代夫人を揺さぶった、強気な自分はどこへやら。俺は小物感丸出しで、おどおどと声をどもらせた。

 向かい合ったその男は、ただただ唖然としていた。


「居眠りしていた理由を知りたいというよりは……君は誰で、なぜここにいる? と聞きたいのだが」


 思いがけない事態が発生した。まさか礼拝堂にいたはずの教祖が、執務室に戻ってくるなんて。

 暢気にうたた寝をしていた俺は、教祖の絶叫で飛び起きた。目の前には、赤紫のワイシャツに黒いネクタイの、スーツの男。ほんわかした穏やかな顔の、四、五十代ほどの男性。教祖、沓谷弘幸氏である。


「ええと……君は、神様誘拐の犯人か?」


 教祖が首を捻る。SNSで使った動画を思い出したのだろう。俺は素直に会釈した。


「はい、そうです。加藤と申します」


「白珠様か!? 白珠様を帰しにきたんだな。そうなんだな」


 教祖は急に、くわっと詰め寄ってきた。


「一旦は帰ってきていたはずのご神体がまた消失して、どうしたものかと思ったが……帰ってくるならなんでもいい。よかった、私は無事に君に三億円を支払えていたのだな。橋から落とした三億円がその後どうなったか分からなかったから、心配していたのだ。ああ、我が神、白珠様は愚かな私をお許しくださった」


 ずっと追っていた誘拐犯が目の前にいるというのに、教祖はほっと安堵のため息をついた。俺の前で膝をつき、胸元で両手の指を組んで拝む。


「我が教団の教徒たちがたびたび邪魔をしてしまって、身代金を払い損ねていたからな。私は公園に向かわせた幹部の者に金を持たせたし、コインロッカーには私自身が金を入れた。でも、上手く行かないことばかりで……私はもう白珠様に見放されたかと」


「いや、ご神体を返しに来たんじゃなくて」


 俺が言いかけても、教祖の熱い語り口にかき消された。


「白珠様がお戻りになった! 神は私を、信じる民を、見放さなかった。ああ、白珠様! 我らの自由の神よ!」


 祈りのポーズをとり、教祖は大きな声で叫んだ。俺は圧倒され、はあ、と間の抜けた相槌を打つ。劇でも観ているかのような気分になる。

 教祖は、自身が橋から投げた三億円が安東に回収されてしまったことを知らない。安東と春代夫人がなにを企んでいたかも、なにも知らない。金に魅了されたふたりに挟まれたあとだと、この人の純粋さは胸が痛くなるほど眩しかった。


「あの、三億円はまだ……」


 もう一度事情の説明を試みたが、マイペースな教祖はその前に話し出した。


「しかし君は一体、どうやってこの執務室に入った? そういえばどうやってご神体を誘拐した? 身代金を要求して、どうするつもりだったんだ?」


 教祖が疑問を並べ立てる。俺は順を追って説明しようとし、なにから言おうか迷った。教祖に協力してもらうつもりでここを目指してきたわけだが、実際に会ってみると、どこからどう言えばいいのか分からない。


「ええと、教祖は、銀翼の会はご存知ですか?」


「ああ、あの白珠様に無礼な輩の団体か。なんとなく小耳に挟んだことはあるが、あれは我が教団とは全く関係のない、他所の団体だ。教えが似ているらしくて、我が教徒たちが移ってしまっているようだが……」


 教祖の口調に、やや棘が出た。


「あんな小物が、誘拐事件となにか関係あるのか?」


 銀翼の正体が何者なのか、彼は感づいてもいない……そんな顔をしている。教祖はしばしの沈黙のあと、キッと目尻を吊り上げた。


「さては貴様、銀翼の会の者だな。我が教団から資金を奪い、衰退させるのが目的だったのか! その行い、神の目に映って恥ずかしくないのか! いいか、白珠様は清く正しく……」


「違います!」


 このままではまた神様の話に戻ってしまう。大声で止めると、教祖はふむ、と静かになった。


「では、君は何者なんだ」


 何者……なのだろうか、俺は。改めて問われると、自分でもなんなのか分からない。しいていうなら、「金に釣られて首を突っ込んだ愚かな部外者」としか言いようがない。

 教祖が真剣な顔で諭す。


「富があれば自由の幅が広がる。だが、金が目的になってしまえば、心の穢れが進む。真の自由を見失い、他者の自由を奪う悪魔となる」


 理性的な安東とは正反対で、教祖は表情がくるくる変わり、抑揚たっぷりの舞台調の話し方をする。ワードのチョイスも理屈よりも概念で、彼の中にある宗教的な世界観が滲み出していた。

 俺はもう一度、訂正した。


「最初は金に釣られただけでしたけど、今は目的が違って」


 教団を取り巻く実情を、教祖自身に知ってほしい。しかしいざ話そうとすると、喉の奥で詰まって、言葉が出てこなかった。

 泣き崩れる有明さんの姿が、脳裏に焼きついている。純粋な教祖を傷つけたくない――ハク様も、そう望んだ。教団は銀翼の会に蝕まれている。その中心人物は、教祖が心から信頼している安東。こんな悪夢のような事実を告げるのは、俺には荷が重い。伝えなくてはいけないのに。そのために、ここまで来たのに。

 結局俺は日和って、銀翼に触れるのはやめた。


「この誘拐の目的は、白き自由の教団の信仰心を試すことだったんです。教団が三億円を払えば神様への信仰心があり、払わなければ、神様よりも金を選ぶ集団であるということになる。俺は部外者なんですけど、共犯者が……なんていうか、部外者じゃなくて、信仰心の強さを気にしていてですね。具体的にどういう人かは、俺の口からは言えないんですけど」


 我ながら要領の得ない説明である。でもハク様が自称神様だなんて言ったら、いよいよ教祖の逆鱗に触れてしまいそうなので、それは言えない。

 教祖が疑り深い目で、こちらを覗きこんでくる。


「それで、銀翼の会との関係は?」


「その、実は、銀翼の会は……」


 言わなければと思うのに、言えない。だってまさか、親友が妻と不倫し、金を横領し、教徒を横取りし、しかも鼠講ビジネスまで企んでいるだなんて、いきなり全部浴びせられたら俺ならショックで気絶する。言えない、言えるわけがない。

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