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「友達じゃなくて、神と教祖だよ」
ハク様が笑うが、俺は構わず続けた。
「教団とは関係ない、教祖の個人的な友人で、この教団本部にも遊びに来ていたとしたら……」
本来は信者か入信希望者でないと、この建物に入ることはない。だから他の信者には内緒で出入りしていたのだとしたら、他の信者と面識がないのも肯ける。
「それくらい親密な関係で、教祖が教団の運営についても話していたとしたら、洞察力のあるハク様なら銀翼の影に気づくかもしれない。でも教祖の友人だからこそ、教祖が傷つくようなことを言いたくなくて、結果、こんな遠回りな方法を選んだ」
「だから、友達じゃないって」
「ハク様は俺のこともそう言ったよな」
誘拐事件の相方でしかないと言われて、少し傷ついた。
「さっきのは仮説。もっと考えればこの説も穴だらけなんだと思う。でも、どんなに考えてみても俺にはこんなのしか思い浮かばなかった」
まず、この仮説どおりだとしても神様を自称する理由がないし。
「知ることが必要なわけじゃない。知らなくてもいいことなんだとも思う。だけど、ちゃんとハク様から聞いておきたい」
ハク様は無言で階段を上る。俺はそのパーカーのフードを見上げた。
「理由はなかったとしても俺はハク様の共犯者なんだし、知る権利あるよな? 別にあんたが何者でも、今更あとには引けないし、いい加減話してくれてもいいと思うけど?」
ハク様の返事はない。俺も黙った。一歩一歩階段を上りながら、返事を待つ。
数秒の沈黙を経て、ハク様はゆっくりと答えた。
「……神様」
「言うと思った」
こんなことで返答を変える奴ではない。真相がなんであれ、少しだけ、この回答が返ってくるのを期待していた自分がいた。
「はは、うん、分かった。いいよ、神様で」
踊り場の窓の外で、静かな雨が降り注ぐ。
もちろん真相を知りたいけれど、ハク様が言いたくないのなら、いい。俺もこれを最後にすると決めたのだ。
ハク様がちらっと、こちらを振り向いた。
「加藤くん、ありがとね」
「なにが?」
「ありがとう、信じてくれて」
「神様でいいよとは言ったけど、信じてはいないよ」
「あはは、そうだろうね。それでも、いいんだ。ありがとう」
たとえハク様の発言の何割かが嘘だったとしても、根っからの悪人ではないだろうと、もう充分、分かっている。確信がなくても、ついていく。そういう意味では、信じていないわけでもない。信仰はしていないけれど、信頼はしている。
「ハク様、信仰心が生命力って話してただろ。信仰って言葉を使うとちょっと意味合いが変わっくるんだけど、つまり、神様を必要としてる人たちが存在する、それが神様の存在意義ってことだよな」
狭い階段に、俺の声が静かに反響する。
「そういう意味なら、人間も神様も同じなんじゃないか。誰かから必要とされて、その人のために頑張ろうって思うことが、生きる目標のひとつなんじゃないかな」
会社がなくなって数日。仕事がなくて行き場がなくて、特に誰からも必要とされていない日々を送っていた。大袈裟な表現をすれば、社会から切り離されたような、そんな気がしていた。
「ハク様が相方に俺を選んだことに理由にないんだろうし、俺も最初は金に目が眩んだのと携帯を使われて逃げ場がなかった以外、加担した理由はなかった。金があったらとりあえず生きていけるから、開き直って協力した。でも、金があってただ生きてたって、多分、空っぽなんだよ」
三億をなにに使いたいか聞かれても、面白いアイディアを思いつかなかったくらいだ。
「ハク様も、単に最初に選んだからそのまま俺を使ってるだけで、別に俺じゃなくてもいいんだろう。けど、今の俺はそれなりに事情を理解してるし、誰よりハク様に協力してる……と、自分では思ってる。だから、お互い様なんじゃないの」
上手く言葉にできないが、俺がハク様に抱えている感情を、拙いなりに伝えた。「ありがとう」は、お互い様だ。
ハク様は階段をまたひとつ上りきって、おかしそうに笑う。
「つまり加藤くんは結構、俺のこと好きなんだね! OK、入信しちゃおう。ようこそ、白き自由の教団へ」
「そうじゃない! こっちがたまに真剣に返したら茶化しやがって」
と、そのときだった。
ハク様が、踊り場の窓の前で立ち止まった。
「……ん?」
窓の外を覗き、目を凝らしている。
「ねえ加藤くん、ちょうどここから駐車場が見えるんだけど……」
「うん」
「安東の車がある」
「えっ?」
思わず、俺も足を止めた。
「なんで? 安東がここに戻ってくる理由はないはずだよな。別の車と見間違えてない?」
「ううん、あれは安東の車。間違いない」
俺も同じように窓に近づいてみたが、高さがあるせいで車が米粒ほども小さく見えるし、夜闇と雨で視界が悪くて、ろくに見えない。
しかしやたらと視力がいいハク様には、見えるみたいだ。
「後部座席に誰かいる。あれは……月華ちゃんだ」
ハク様は窓にへばりついて、目を見開く。
「月華ちゃん発見! よかった、その辺に捨てられてはいなかったね」
「とりあえず無事だったなら安心だ。けど、訳が分からない」
ほっとすると同時に、疑問が増えた。ハク様が見間違えていなければ、安東は今の今まで月華さんとドライブしていたというわけだ。そして彼女を連れて、教団に戻ってきた。安東はなぜ月華さんを河川敷から連れ出して、今も連れ回して、車に閉じ込めている? 三億円はどこへやった?
と、俺が首を傾げていた時点で、ハク様はすでに下り階段へ引き返していた。その素早い後ろ姿に、俺はぎょっとしつつ声を投げる。
「おい、ハク様! 駐車場へ行くつもりか!?」
「そりゃそうでしょ」
「たしかに月華さんを助けるのは最優先したいし、月華さんから話を聞ければいろいろ解決するけど……!」
でも、信者たちの包囲網を抜けて最上階を目指して来たのだ。教祖に直談判するのも同じくらい大切だ。
どちらも大事だから――相棒に背中を預けるのが、いちばん手っ取り早い。
「分かった、俺が執務室に行く。ハク様は月華さんを頼む!」
「うん!」
駆け下りていくハク様は、返事だけ残してあっという間に姿が見えなくなった。ひとりになった俺は、気を引き締めて、再び階段を進んだ。目指すは、最上階。とにかく上を目指せばいい。最上階には執務室しかないらしいから、ハク様の案内がなくても迷わない。
無機質な暗い階段を、ひたすら上る。息が上がってきている。溜まった疲労で足が重くなる。外の雨が建物の壁を叩く低い響きが、狭い通路に染み込んでくる。踊り場の窓の向こうが、一瞬、白く光る。俺の影が長く伸びて、揺れる。また、雷だ。腹の底を振るわせるような音が遅れて届く。
ガラスに叩きつけられた雨粒が、流れ落ちて筋を描く。まるで世界が解けているみたいだ。雷光がまた光り、壁に俺の影が浮かび上がる。ゴロゴロと空気が振動するほど、胸の奥で鼓動が速くなる。
雨の匂いも、雷の閃光も、最上階へ向かう俺を拒んでいるように思えた。それでも、足は止まらない。
やがて、階段が終わった。
目の前に、真っ白な廊下が広がる。壁にはなんの装飾もない。窓すらない。恐ろしいほどの一面の白が、目の前を覆い尽くす。天井には照明が等間隔で並び、白い世界を均一に照らしている。
そしてその廊下の先に、ぽつんと、扉があった。俺は導かれるように歩き出す。自分の足音だけ聞きながら、廊下を真っ直ぐ進む。扉が近づいてくる。
執務室を前にして、俺はひとつ、深呼吸をした。それからドアノブに手を伸ばし、止めた。
背後に、気配を感じる。
恐る恐る振り向くと、真四角の真っ白な光景の中に、異質な存在が浮かび上がっていた。ライラックのワンピースに、大きな緑の椅子がぶら下がったペンダント、黄色い花のブローチ、ピンクの口紅の厚化粧――その人の立つ姿は、まるで新品の画用紙に絵の具を零してしまったかのように浮いて見えた。
俺を真っ直ぐ見つめるその顔に、釘付けになる。冷や汗が背中を流れる。
白いだけの廊下に立っていながら、俺の視界は、絶望で真っ暗になった。




