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階段を上って、先へ進む。迷わず執務室に向かっていくハク様の背中に、俺はただついていく。
「有明さん、すぐに話が通じてよかったな」
「全くだよ。あれで『嘘つき!』って逆上されたらどうしようかと思った」
ハク様がため息をつく。彼の言うとおりだ。一か八かだった。
でも、白き自由の教団で真剣に神様を信仰している有明さんの立場だからこそ、他の信者の動きに敏感だった。彼女が抱えていたその違和感が、教団内部に潜む銀翼の存在を裏付けた。おかげで信用してもらえたから俺としては命拾いしたが、有明さんが心に傷を負ったのは間違いない。「言ってよかったのか」と問う自分と、「でも言わなくてはいけなかった」と正当化する自分とで、まだ胸の中で整理ができていない。
「それにしても、有明さんは月華さんの名前すら知らない様子だった。誘拐犯に共犯者がいた……っていう情報すら、教団に上がってきてないっぽいな」
「安東は教団に報告してないんだね。まあ、三億円にしか興味がなければ誘拐犯が何人だろうが狂言誘拐だろうが共犯者がいようが、安東には関係ないからなあ」
ハク様が自嘲的に言う。
「安東が金を持ちだしたとして、他の銀翼関係者はどう動くと思う?」
「しばらくは教団に紛れたままなんじゃないか。で、拠点を手に入れたら、あっという間に教団を脱退して一気に銀翼に寝返る」
教祖と夫婦関係にある春代夫人も、タイミングを見て離婚してから移動するだろう。自分が有責になって、自分に慰謝料の支払い義務が発生しないように、慎重に行動するはずだ。
ハク様ははあ、とため息をついた。
「そうなったら……残された敬虔な信者たちと教祖は、どれほど傷つくだろう。お金も持ってかれちゃうし……」
後ろ頭がかくんと項垂れる。
「もー、コーくん自体はプライドが高いだけでポンコツなのに。まあ神様って、その信仰の性質を擬人化したみたいなキャラになりがちだから、逆に言えばコーくんらしいか」
「コーくんって、あの……」
ちょっと忘れかけていた名前が出てきた。そういえば彼のことも、まだよく分からない。今の言い方だと、まるでコーくんが銀翼の神様みたいに聞こえるが……。
しかし詳しいことを聞こうとする前に、ハク様が大きく項垂れた。
「お腹すいたあ。肉まん食べたい」
話の腰を折られたが、平和な単語のせいで、俺も肩の力が抜けた。
「本当、肉まん好きだなあ」
「全部終わったら、肉まんパーティしたいな。肉まんばっかり食べるの。でも、あれも気になるな、肉まんの隣によくある、あんまんとピザまん」
「そっか、それも食べたことないのか。きっと好きだよ」
薄暗い階段が延々と続く。踊り場で曲がって、また階段を上り、次の踊り場でまた曲がる。一体何度繰り返しただろう。何階上っただろう。
「執務室って、何階にあるんだ?」
「言ってなかったっけ、最上階だよ」
ハク様は疲れを感じさせないフラットな口調で答えた。
「屋上を神の世界、天として、その次の階層である最上階を、教祖の格をそのまま表してるんだ。だから最上階は、突き抜けた廊下の奥にぽつんと、執務室だけがある」
次の踊り場に上がる。踊り場には大きな窓が嵌め込まれていて、外の雨が透けて見えた。
ハク様が階段を上っていく。
「因みに執務室の一個下の階は、教祖に次いで教団が神様に近い尊いものとして捉えている、重要な部屋が揃ってる。大会議室とか、図書室、瞑想ルームとかね」
「大会議室と図書室と瞑想ルームが尊い……つまり教団は、話し合い・学び・己の心と向き合う時間を尊いとしている、ってこと?」
分からないなりに解釈しようとする。ハク様はそうだね、と頷いた。
「そのとおり。それもそうだけど、極めて尊いのは『自由』。どの部屋も出入り自由で、ルールは『自由であること』。会議は勝手に喋っても寝ててもいいし、図書室で逆立ちして白紙の本を捲っていてもいいし、瞑想ルームは走り回ってエア瞑想しててもOK」
教団の思想と、ズレた自由の解釈が、カオスを生み出している。この時間だから誰もいなくてよかったが、人が多いときに来たら頭が痛くなりそうだ。
そんな混沌が煮詰まったフロアが最上階の次点に位置しているのだから、この教団にとって自由というものがいかに重要か、物語っている。彼らにとっての自由は、教祖の格に続いて、天にいちばん近いところにあるものなのだ。
「ほんと、本部の構造に詳しいな。構造だけじゃなくて、ルールとか、階層の意味まで……」
そんな、この建物の中で過ごしたことがないと、知らないことまで。教団設立時からいないと、知らないようなことまで。
この数日間、俺は何度か、ハク様が何者なのか考えた。考えても答えは出なかった。
本人に聞いても、彼はいつも「自称神様」。
「あのさ、これ聞くの、最後にしようと思うんだけど」
「んー?」
階段を踏みしめながら、俺はかねてからの疑問を口にした。
「ハク様って、本当はなんなの?」
彼は振り向かない。目を合わせず、背中が答える。
「神様」
いつもの即答に、またかよと思っているはずなのに、なぜかどこかほっとしている自分もいる。
ハク様がはははっと軽やかに笑う。
「何度も言うようだが、神様だよ。それがなにか問題でも?」
「問題……うん、問題ばっかりなんだけど、ずっと呑み込めないままだったからさ。それで、考えてみたんだけど」
まず、ハク様が白き自由の教団の現役信者という可能性。本部について詳しく、教祖やその周辺の幹部についても明るい。本部に通う信者で、たまたま安東の不正に気づいてこんなことをはじめた、というのはどうだろう。
しかしそれなら、こんなに他の信者と接触しているのに、誰にも顔を知られていないのは不自然だ。
次に、白き自由の教団の元信者で、なんらかの理由で過去に脱退した人物という場合。脱退後に不正に気づいた、または不正に感づいたところを告発しようとして、銀翼の会に追放された、とか。離れたあとに整形手術でもして顔を変えたのなら、信者たちが彼の顔にぴんとこないのも当たり前だ。
だがこれも、抜けたのならもう無関係なのに、それにしては危険を冒しすぎている。銀翼に追放されたのなら、銀翼側にも彼に心当たりがあるはずだ。
はたまた、教団とは全く関係のない、ただの泥棒だったら。金銭目的で身代金要求を思いつき、ご神体を盗むために教団を調べているうちに、銀翼の会の存在を知った。知ってはいるが、目的は金なので本心ではどうでもいいと思っている。ご神体を盗み出したはいいが、協力者が必要になって、たまたま都合が良かった俺を選んだ。全額俺の取り分という条件で引き入れて、実は回収後に切り捨てる予定である。
これはいちばんそれらしいケースだが、それならコインロッカーを使った身代金回収の際に、コンビニで落ち合う必要がなく、そのまま持ち逃げすればいい。橋のときだって、俺を囮に使って自分が回収しただろう。
様々なケースを浮かべては消し、最後に思い当たったのは……。
「ハク様は、教祖の友達なんじゃないかなと」




