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 宿泊室はずらりと並んでおり、数百人規模で信者を収容できるようだった。中には鍵のかかった部屋もある。誘拐犯討伐団をはじめ、信者たちが俺たちを捕まえようとここで泊まり込みで意気込んでいるのだ。

 静かだ。俺とハク様も無言で、足音を立てないように、廊下を歩いた。

 並んでいるこの扉が急に開いたら、俺もハク様も即行見つかる。緊張で息が詰まりそうだ。

 外からは雨の音が聞こえる。微かな音が、俺とハク様の息遣いをそっと隠してくれているみたいだった。


 ハク様は黙って俺を先導する。奥に階段が見えてくると、ちらっとこちらに目配せをして、それを上向きに指さした。

 執務室は階段の上なのか。彼の合図を受け取って、頷いた、そのときだった。


 キイッと、背後で音がした。ドキッと飛び上がって振り向くと、薄暗い廊下に佇む、人の影が見えた。下ろした長い髪と、華奢なシルエットで、女性だと分かる。

 一瞬、月華さんに見えた。でもここにいるだろうか。彼女でなければ、俺たちを追う信者だ。

 心臓がばくばくする。もしもあれが信者でも、あれだけか弱そうな女性なら、俺とハク様なら振り切って逃げられる、はず。じりっと足を動かして、階段のほうに引きながらも、女の顔に目を凝らす。


 女のほうが、先に声を発した。


「逃げても無駄。あなたたちの場所は、私が、誘拐犯討伐団の仲間に報告する」


 ピカッと、窓の外で雷が光った。白いカーテン越しに廊下が照らされ、彼女の顔が廊下の暗闇に浮かび上がった。彼女の姿を見るなり、ハク様が顔を顰めた。


「有明ちゃん。なんだか久しぶりな気がするね」


「連行された途端消えた、赤いパーカーの男。そして、加藤さんがここにいることは、想汰から聞いてる。合流しててくれてありがとう。同時に見つかって、手間が省けた」


 そう語る有明さんの目は、冷徹なのに燃えていて、真っ直ぐなのにどこか操られているように虚ろでもあった。

 出会った頃の、柔らかな微笑みは見る影もない。あのときは一応歳上の俺に敬語で話していたが、誘拐犯を威嚇する彼女は、もうそんな演技をする必要もない。


 即座に逃げるべき、と思ったが、今逃げたところで有明さんが仲間を呼べば、あっという間に包囲される。同じことを考えたのか、ハク様も走り出さなかった。

 俺は一秒の思考で、口を開いた。


「有明さん、聞いてほしい」


「懺悔室で聞くわ」


「銀翼の会のこと。知ってるか?」


 彼女が味方を呼ぶ前に、僅かな希望に賭ける。ハク様はぎょっとした目で振り向いたが、俺は構わず続けた。


「この教団の中から、拝金主義の悪徳宗教が生まれようとしてる。それが銀翼の会だ。俺が奪おうとしてた三億円は、その銀翼の会に取られた」


「ちょっと、加藤くん!」


 ハク様が俺の腕を掴んだ。有明さんはなにも言わない。俺はハク様を振り払うでもなく、そのまま話した。


「奴らに金が渡ったら、この教団はぶっ壊されて、代わりに神様を利用して人を騙す最悪な集団が成長してしまう」


 途端にハク様が、一層強く俺の腕にしがみつき、ぎゃんぎゃんと揺さぶってきた。


「加藤くん! それ神様的に恥だから俺が秘密にしてたの知ってるよね!? なんで言っちゃうの!」


「そんな甘いこと言ってる場合じゃねえって言っただろ!」


 俺も同じトーンで強気に言い返す。ハク様はまだキーキー言いながら俺の腕を引っ張っていた。

 有明さんは、敬虔な白珠信者だ。

 彼女のような人こそ、銀翼の会の行いを知れば、許せないはずである。これで彼女の憎しみの矛先を、誘拐犯から銀翼の会に移せば、俺たちは見逃され、味方をつけることすら叶う。

 問題は、現在好感度最低の俺がこんなことを話したとて、有明さんに信じてもらえるかである。


 有明さんはしばらく、黙って佇んでいた。雨の音が続く。窓の外で、さああと、静かに振り注いでいる。やがて彼女は、閉ざしていた口を開いた。


「嘘でしょ……あの銀翼の会が?」


 有明さんからも、その名前が出た。俺は短く、息を吸い直す。


「知ってるんだな。銀翼の会の存在は」


「知らないわけがない。白珠様を邪神呼ばわりする、あのクソカルト。あれがこの教団の内部から……?」


 有明さんがわなわなと震え、頭を掻きむしりだす。


「有り得ない、そんなわけない。でも、たしかにこのところ同胞の脱退が多い。そんなに簡単に脱退できるはずないのに、やけにスムーズに……そして、離れた人たちはそのまま銀翼の会に入会して……え……あれ?」


 長い髪が乱れていく。声は掠れ、今にも泣き出しそうだった。俺はこくんと頷く。


「そうだよ。この教団は乗っ取られかけてる。ここの信者から集めた金と、ここに集まっていた信者を、横取りする。銀翼の会は、内側から狙ってたんだよ」


「……嘘よ……そんなはず、ない……。白き自由の教団から……あの、銀翼の会が生まれたなんて…… そんな……そんな裏切り、あるわけない……」


 有明さんが、必死に否定しようとする。 彼女はかくっと座り込み、膝を抱え込んで、額を押しつけた。


「だって……私たちは……自由を求めて集まったのに。どうして……どうして。嘘よ……信じたくない……信じたくないの……」


 暗い廊下の真ん中で、崩れていく。彼女の姿を見ていると、心臓が張り裂けそうだった。

 信じてきたものが崩れる音が、胸の奥で響く。彼女のその痛みが分かるから、俺まで苦しくなる。

 しかし、現実は容赦なく有明さんを追い詰める。


「でも……でも実際に……同胞が…… 銀翼の会に移っていった。何人も……」


 彼女の肩が大きく震えた。唇を噛みしめ、涙をこぼす。


「昨日まで一緒に祈ってた人たちが…… 次の日には白珠様は邪神だなんて言い出して……目が……目が全然違ってて……私のこと、見てもいなかった……」


 顔を覆い、声を押し殺して泣く、彼女の背中が小さくなっていく。


「信じたくない……でも、あなたの言うことが本当なら、これまで同胞たちが銀翼の会に移ってしまったのも、形式的に引き留められるだけであっさり脱退してるのも、辻褄が合う。嫌だ……信じたくないのに……」


 廊下の静寂の中、彼女の嗚咽だけが、長く長く響く。俺は奥歯を噛み締めて、下を向いた。

 ハク様が秘密にしておきたかった理由が、痛いほど分かった。神様を信じる人たちにとって、銀翼の会の存在は耐え難い屈辱で、知れば心に深い傷を負う。分かっていたつもりだったのに、俺は有明さんを傷つけてしまった。

 打ちひしがれる有明さんを、ハク様も直視できずに目線を漂わせている。その苦々しい顔を見ると、俺も余計に罪悪感に襲われる。


「ごめん……でも、有明さんみたいな人にこそ知ってほしかった。三億円を差し押さえないといけなかった、本当の理由」


 俺は有明さんに歩み寄り、彼女の傍にしゃがんだ。憎い誘拐犯が目の前にいるというのに、彼女は泣いているばかりで、俺を捕まえようとしない。


「有明さん、この教団を守るためにも、神様のためにも、協力してくれないか」


「い……」


 有明さんは小さく呻いてから、勢いよく顔を上げた。


「言われなくてもするわよ!」


 そしていきなり俺の襟首を掴み、立ち上がる。


「あんたたちを信じるわけじゃないけど、懺悔室で話を聞くのは、銀翼の会を潰したあとでも遅くない。先に銀翼の首謀者をひっ捕まえて晒してやるわ」


 やった。俺は内心で小さく歓声を上げた。別に許されたわけではないが、有明さんが一時的にでも味方になってくれたなら、心強い。

 目に涙を溜めたまま、有明さんは力強く俺を睨んだ。


「銀翼の会を許さない。白珠様が許しても、私が許さない」


 俺はちらっと、後ろのハク様の顔を窺った。彼はぽかんとして目を丸くしていた。が、やがてわっと叫ぶ。


「いや、俺だって許してないから!」


「は!? あんたまだ自称白珠様やってるの? いい加減にして! 不敬者!」


 有明さんも大声で言い返す。間に挟まれた俺は両手を胸の高さに上げた。


「まあまあ、ふたりとも静かにして。他の信者が来ちゃったら説明が大変だ。皆が皆、有明さんみたいに分かってくれるとは限らないし」


 熱くなるふたりをクールダウンさせる。有明さんはようやく俺の襟首を離した。


「……ここに泊まりがけでいるのは、誘拐犯討伐団ばかりよ。皆、白珠様を強く信仰してる。私と同じように、銀翼の会を許さない人たちのはず」


「でもその中に銀翼の会信者が紛れ込んでる可能性は、充分すぎるくらいある」


 ハク様も言っていたが、誘拐犯討伐団は、誘拐犯に興味がなくても金の動きが気になる者なら参加する。銀翼の会の顔ぶれも、白珠様を信仰するふりだけして討伐団に名乗り出て、金の動きと教団の動きを見ているはずだ。

 有明さんは悔しそうに眉を寄せ、声を絞り出した。


「協力って、なにをすればいいの?」


「知ってることを話してほしい。そうだな……月華さんっていう女の子、懺悔室にいる?」


「誰? そんな名前聞いてもいない。懺悔室は空いてる」


「そうか。じゃあやっぱり三億円を運ぶ道中で置き去りにしてるのかな」


 それとも彼女を連れて行くことに、なにか意味があるのだろうか。安東の行動の意味が分からなくて、気味が悪い。

 俺は質問を変えた。


「この教団の幹部である安東が……」


 金を持ち逃げするとしたら、どこへ行くか想像はつくか。と、聞こうとしたときだった。有明さん越しに、人影が見えた。廊下の奥に、ぞろぞろと人が来ている。

 ハク様が俺の手首を掴む。


「まずい、行くよ」


 ぱちんと、廊下の電気がついた。長い廊下の奥で、異様な装いの人たちが姿を見せている。

 大量の安全ピンで留めたカーテンを羽織っている人が、歩くたびにシャラシャラと音が鳴らす。頭に植木鉢をかぶった女性信者は、鉢の縁に造花を刺している。雨合羽の裾を切り裂いてミニスカートにした男性信者は、その合羽の胸に手書きした「自由」の文字を、誇らしげに見せて歩いている。

 美しくもなく、整ってもいない。そこにあるのは、暴走して誰も止めなくなった、圧倒的な自由。

 信者の中でも極めて重篤な信者であると、ひと目で明らかだった。

 即座に、有明さんが俺の肩を押した。


「行って! 向こうはまだこっちに気づいてない。今のうちに先へ進んで」


 声は潜めているが、語気は強かった。


「あの人たちには、誘拐犯は外に逃げたと伝える。私の言うことなら疑わない」


 誘拐犯討伐団に入る敬虔な白信者が味方につくと、こんなにも強い。有明さんが情報操作をしてくれるなら、俺たちもこの本部を散策しやすくなる。


「頼んだ!」


 俺とハク様は同時に駆け出し、先に見える階段へと向かった。

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