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「びしょ濡れだね。豪邸に忍び込んだ泥棒濡れネズミだ」
演台に肘を置いて、俺を見下ろしてくる、見飽きた顔。なぜか自信満々で、その目には勝利のビジョンしか映らない。
ハク様が、再び俺の前に姿を現した。
「ハク様……無事だったんだな」
声が掠れて、上手く話せない。
「懺悔室に連れていかれて……なにされてるかって……心配で……」
「ははは。俺は神様だよ? 人間の業ごときに負けるわけないじゃん」
静かな礼拝堂に、彼の声がふわっと反響する。俺は言いたいことがたくさんあって、ありすぎて、なにから言えばいいか分からなかった。喋ろうとしては喉で引っ掛かって、噎せる。
ハク様が面白そうに俺を見ている。
「なにしに来たの? もしかして教団に捕まった?」
「いや、ハク様がどうなったか気になって……!」
俺はそこまで言ってから、整理できていない頭で答えた。
「それに、身代金、取り返された」
「なんて? 君が受け取ったんじゃなかったの?」
ハク様が顔を顰める。
「教祖もその周辺の信者たちも、金はちゃんと渡したって話してるのを聞いたよ」
「教祖はたしかに三億円のトランクを落とした。でもそのあと……多分、春代夫人と安東らしき人に追われて、結局安東に奪い返された」
「ふうん……」
ハク様がつまらなそうに眉を寄せ、俺に手を差し出す。
「風邪引いちゃうよ。行こう」
「どこへ?」
「とりあえず、三階から上へ」
ハク様の手が、俺を引っ張り上げる。
「本部は信者の研修施設を兼ねてるから、三階以上はビジホみたいな部屋がいっぱいあるんだ。そこまで行けばタオルもユニットバスも着替えもあるよ」
「詳しいな」
「そりゃ自分の家みたいなものだからね。俺、ここの神様だもん」
本部の造りに詳しいのなら、やはり彼はここの元信者だろうか。でも彼の言動を見ていると、そうは思えない動きも多くて、掴めない。
ハク様は俺を立ち上がらせると、さて、と当然のように祭壇に手を伸ばした。そして大切に飾られているご神体を、しれっと掴んで俺の上着のポケットに入れる。
俺は一瞬見逃してから、二度見した。
「えっ? え!? ご神体、また奪うのか」
「だって身代金、受け取ってないんでしょ? じゃあ誘拐は終わってないよ」
「なんで俺のポケットに入れた?」
「俺が持ってるとしょっちゅう落とすから」
ハク様はパーカーの左右貫通したポケットに手を突っ込み、ステージを飛び降りた。
「行くよ、加藤くん。人の通りが少ない比較的安全なルートで、三階まで上ろう」
*
教団本部三階、信者のための宿泊室。研修施設を兼ねたこの建物は、信者たちが寝泊まりできる部屋が大量に用意されている。ハク様は俺をその一室に連れ出した。
ユニットバスにあったタオルとドライヤーで体や靴を乾かしたあと、ハク様に、彼と別れてからの紆余曲折を話した。簡易ベッドに腰掛けて、ハク様は真顔で聞いている。
ここまでの流れを改めて振り返ると、悔しさが湧き上がってくる。俺は拳を握りしめた。
「教祖や他の信者は、三億円は誘拐犯に渡ったと思い込んでる。だから今なら、安東は自然に三億円を持ち逃げできる。俺たちは銀翼を止めるつもりだったのに、逆に、銀翼に金が渡る手助けをしてしまったんだ」
「なるほどね。たしかにそうだ」
「でも銀翼の会はまだ拠点がないし、安東がどこに逃げたのか分からない。だからここに、ハク様を助けにいくついでに、安東が逃げた先の手がかりを探しにきたんだ」
「そのために、瀬名川くんにここへ連れてきてもらったわけだけど……」
その名前を聞くと、胸がずきっとした。ハク様は腕を組んで、苦笑した。
「君、また騙されたの?」
「まあな。でも、俺は瀬名川くんを恨んではいないよ。多分、純粋に、俺に改心してほしかったんだろうし」
結果的に騙し討ちにあったわけだが、俺には瀬名川くんを憎めない。
「信じたいから、信じたんだ。信じたこと、後悔してない」
そう言ってから、俺はため息とともにがっくり項垂れた。
「巻き込んじゃったことは後悔してるけどな。俺と関わりさえしなければ、瀬名川くんはこんな変なカルト宗教に嵌まりはしなかったのに」
「あはは。でもほら、有明ちゃんが信者だったんだし、早かれ遅かれ瀬名川くんも勧誘されてたんじゃない? たまたま加藤くんがきっかけになっちゃっただけで」
ハク様が可笑しそうに笑う。俺は彼の無責任な笑顔をひと睨みしてから、かくんと項垂れた。
「瀬名川くんは本当、悪くないんだよな……。こっちは銀翼の陰謀を止めるっていう正義のつもりで動いてるけど、教団にとっては最低最悪の誘拐犯なんだから。悪いのは俺のほうだし、でも銀翼も悪いからそれは誰かが止めないといけないし。かといって銀翼に関係ない白き自由の教団信者なら善かというと、あれはあれでだし」
「人を善か悪かで仕分けるのは難しいから、考えないほうがいいよ。そこらへんにいる普通の善良な市民だって、立場が変われば都合が変わって、なにが正義かも簡単に変わるんだから。教団視点では俺たちは誘拐犯だけど、それ以前に俺は神様。加藤くんは神様に教団本部を案内されてるだけ。悪くないといえば悪くない」
「いや、事実として犯罪だと思うけど……」
無理のある正当化は一旦聞き流して、今度は俺から問いかけた。
「ハク様は懺悔室から逃げ出してきたのか?」
「ううん。そもそも懺悔室に入ってない。石を祭壇に戻してからは、俺はまた神様として石に宿ってたからね」
「そういう冗談は今はいい。本当のこと話して」
「石に宿ってると俺の姿が誰にも見えなくなるから、誘拐犯討伐団は血眼で本部じゅうを捜し回ってた。建物の中にいるはずだから、ってSNSでも捜索の呼びかけはしてなかったけど」
ハク様が石に宿るというのは流石に有り得ないから冗談だとして、この様子だと、ハク様は懺悔室に連れて行かれる前に逃亡したらしい。そしてこの広い建物の中で隠れてやり過ごしたといったところか。
ひとまず、ハク様が懺悔室で酷い扱いを受けていなくて、よかった。
でも彼が無事だったとはいえ、もうひとりは分からない。
「月華さんは……どうしてるかな」
「うーん、誘拐犯の共犯として連行したなら、懺悔室に入れられるのが自然な流れだけど……でも連れてきたのが安東なのが引っ掛かる」
ハク様はベッドの上で足を組み、難しそうに唸った。
「だって安東は別のカルトを作るのが目的で、金が欲しいだけなんだから、誘拐犯なんてどうでもいいはずなんだよ。それなら月華ちゃんを連行する理由がない」
「あ……たしかに」
俺は壁にもたれて、頭を捻った。
安東に信仰心はないから、誘拐犯を裁きたい忠義はない。それよりも一刻も早く金を持って逃げたいはず。月華さんを連れて行っても、邪魔になるだけだ。
誘拐犯の共犯者として教団本部に送り込めば、白信者の注目が月華さんに集まり、銀翼の行動から目を逸らせるかもしれない。だが、そんなことのために、わざわざ教団本部に戻るだろうか。車に三億円を積んでいるのにだ。
他の銀翼関係者と途中で落ち合って、安東が三億円を運び、協力者が月華さんを本部に連れて行くことも可能ではある。でも、それも安東にとってはメリットよりもデメリットが勝る。
「懺悔室に連れてきたら、月華さんが銀翼以外の信者と接触してしまうかもしれない。そうしたら月華さんは、安東が三億円を奪ったことを証言してしまう。……じゃあ、車でどこか遠くに連れて行かれて、置き去りにされてるとか?」
知らない場所で怯える月華さんを想像して、俺は胸を痛めた。
「教祖に相談するのはどうかな。親友なら、安東の居場所をある程度想像できそう。教祖は三億円を律儀に用意した人だから、事情を話せば助けてくれるんじゃないか?」
俺の提案に、ハク様がこちらを一瞥する。俺は彼に、真剣に訴えた。
「三億円が銀翼の会に盗られるかもしれないから、こういう事件を起こしたんだって、ちゃんと伝えればさ」
教祖はこちらの意図を知ればきっと味方になる。ハク様が起こした神様誘拐事件は、教祖と、教団のためを想っての事件だったのだから。
しかしハク様は、首を縦には振らない。
「それは……」
「個人の携帯の番号は分かるか? 俺の携帯は圏外でも、本部内にある電話からかければ、連絡取れるよな」
「うーん、でも……」
ハク様は俯き、ぽつっと呟いた。
「教祖に銀翼の会のこと、話したくない」
「なんでだよ。教団の中で、教団の金を狙って、教団の信者を奪ってるんだぞ?」
「だからこそだよ。教祖が銀翼の存在を知ったら、悲しむでしょ」
俯いたハク様の顔は、前髪で隠れて表情が読めない。
教祖は、妻と親友から裏切られようとしている。それがどれだけ教祖の心の負担になるか、想像に難くない。ハク様は下を向いていても、はっきりと言った。
「俺はなにも悪くない人間たちを、なるべく傷つけたくない。教祖にバレないように、そっと銀翼関係者を追放したいんだ」
「随分甘っちょろいんだな。そんなこと言ってる間にも安東は逃げてるし、月華さんだってどうなってるか分からないんだぞ」
変なところで中途半端な優しさを見せるハク様に、もやっとした。教祖を傷つけないよりも、優先すべきことがあるだろう。
それに教祖を裏切り、教団から金を横領しようとする連中ならば、きちんとその罪を明るみにしたほうがいいと思う。なにが起こっているのか、教祖も知るべきだ。
「教祖、明日の祭礼までには来るよな?」
ハク様の意見を押しのける俺に、ハク様は観念して答えた。
「教祖はこの頃はここで寝泊まりしてるよ。神様誘拐事件以来、自宅に帰らずここにいる。ご神体が返ってきた今も、信者たちが誘拐犯を捕まえようとして本部から帰らないから、教祖もまだいる」
「部下が残業してるから帰れない上司みたいだな」
「礼拝堂で祈ってるとき以外は、大抵、執務室にいる」
それなら、俺は執務室に突入する。
ハク様は嫌がっているが、言っていられる場合ではない。強力な味方をつけて、安東を追いかける。
ハク様はまだ思い悩んだ顔をしていたが、やがて頷いた。
「分かったよ。案内するから、来て」




