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 教団本部に着く頃には、本降りの雨に全身をずぶ濡れにされていた。

 雨の中に佇む教団本部の建物が、物々しく俺たちを見下ろしている。それは白く巨大な、異国の異文化の神殿を髣髴とさせる建物である。白い外壁に白い門、白い柱には彫刻が施され、涙のように雨を伝わせている。暗闇の中で雨に打たれる姿は、か細く光ってすら見えた。

 山の木々に囲まれた白で統一された建造物は、それ自体が美術品みたいで、厳かで、どことなく威圧感がある。それなのに、てっぺんからは「自由は神の恩恵」「白珠様を讃えよ」などの妙な垂れ幕が垂らされていて、しかもこの垂れ幕が雨で建物にへばりついているから、ちぐはぐで気持ちが悪い。

 瀬名川くんが、建物の脇にバイクを停めた。


「なんか、不思議な建物っすね。神秘的? っていうんすかね。なんていうんだろ」


「白くてきれいなような、それを台無しにしちゃってるような……異様なんだよな。こんな機会でもなければ、直感的に危険を察知して近づかない雰囲気」


 俺たちはヘルメットを外し、その奇妙な建物を見上げていた。

 白は、自由を象徴する色だ。どんな色にも染まり、無垢なのに威厳があり、神聖な感じがする。ハク様がこの教団の神様を自称するのは……全然似合わない。


 濡れたシャツが体に張り付いている。顔の雫を拭っても、すぐにまた髪から水滴が滴ってくる。俺はさくさくと、建物の裏に回った。瀬名川くんもついてくる。


「正面玄関じゃなくて、こっちなんすね」


「営業で回るときは裏口から訪問してたんだ。事務用品の配達に来てたから、開けてすぐ事務室の裏口のほうが都合が良くてね」


 裏口に回り、閉ざされている扉の前で、俺は瀬名川くんを振り向いた。


「でも俺が知ってるのは、その事務室までなんだよ。その先はどうなってるのか、なにも知らない」


「まあ、ともかくまずは入ってみるっす!」


 ばんっと、瀬名川くんが裏口の扉を開けた。心の準備をする暇さえなく、いきなりである。


「あ、ちょっと、瀬名川くん……!」


 中から事務的な蛍光灯の光が洩れる。同時に、鳴り響く電話の音と、それに対応する数名の電話番の声がした。


「はい、こちら白き自由の教団本部……え、誘拐犯の居場所を特定した? つきとじ寺? あ、その通報さっきのあって……」


「はい、こちら誘拐犯討伐団、問い合わせ窓口です。え? 誘拐犯を捕まえた? ……冷やかしの電話はお控えください!」


 パソコンに向き合って目を血走らせている人もいる。どうやらSNSで、誘拐犯に関する情報収集を呼びかけたせいで、事務所の対応がパンクしているようだ。俺たちが入ってきたと同時に、数名は顔を上げたが、対応できる余裕がある人はいない。

 これなら、突破できるかもしれない。ちょうど俺は雨で髪が濡れていて、公開された動画とは雰囲気が違って見えるだろう。このまま突き進んで、奥の扉から廊下に出れば、建物の内部に潜入できる。


 そう、思ったときだった。


「誘拐犯討伐団の皆さん! 誘拐犯、加藤樹を連れてきました!」


 隣にいる瀬名川くんが、大きな声で叫んだ。

 電話対応をしていた事務員が、パソコンとにらめっこしていた人が、そして俺も、瀬名川くんに注目した。


「……え?」


 俺の声が、事務室にぽつんと溶けた。瀬名川くんが、横目で見る。


「騙すような真似して、ごめんなさい。でも俺、加藤さんのためにも、こうするしかなかったんす」


「瀬名川くん?」


「加藤さんは、まだ間に合うっす。今ならまだ、神様は許してくれます。恐れと執着を捨てて、神の前で、懺悔すれば、きっと」


 瀬名川くんは、喧嘩慣れした拳を、そっと胸の前で重ねた。


「加藤さんは、オーバーキルでした。もう充分傷ついたっす。自身の行いが返ってきて、それが罰になった。あとは、神様の前で素直になるだけです。大丈夫、安心してください。白珠様は、加藤さんを罪ごと包み込んでくださる。怒りも、迷いも、全て自由の名のもとに洗い流してくださるっす。俺も、香織に教えてもらうまでは、あなたと同じでした。神様なんていない、自分の力で生きていかないといけないって、だから拳で自分の弱さをカバーしてた。でも気づいたんです。人は、ひとりでは弱い。だから、神様が必要なんだって……」


「いや、ちょっと待って。瀬名川くん、なに言って……」


「加藤さん、懺悔しましょう。そうすれば、全てが楽になるっす。苦しみも、不安も、責任も、白珠様が引き取ってくださる。加藤さんはただ、身を委ねるだけでいいんです。加藤さんのためなんです。加藤さんに、救われてほしいんです」


 俺の背中に、雨粒に混じって、冷たい汗が流れた。


 油断した。完全に、洗脳されている。


 一体いつから? 有明さんと仲直りするふりをして、入信してスパイ活動をしていたときまでは、俺に協力的だったよな? そこからひと晩――素直で単純な瀬名川くんに教団の教えを刷り込むには、ひと晩で足りてしまうのか。


 わっと、事務室の電話番たちが、立ち上がった。


「捕らえろ!」


「あっ……!」


 俺は反射的に駆け出した。俺の腕を掴もうとした瀬名川くんの手を、パンッと叩いて振り払う。電話が鳴り響いても、もう電話番は取ろうともしない。

 転がるように走り抜けて、事務室から廊下へ飛び出す。心臓がバクバク暴れている。

 ごめん、瀬名川くん。俺が頼りないばかりに、君はこの事件に首を突っ込んでしまった。こんな教団に、染め上げられてしまった。

 夜の薄暗い教団本部を、夢中で走る。幸い足の速さは、ハク様にも褒められた。追いかけてくる電話番からは、一気に距離を開けられた。でも雨で濡れた体から水が滴り落ちて、どこまで逃げても足跡が残る。建物の中の見取り図は頭の中にないから、夢中で走るしかない。

 壁には教団の宗教画らしき絵や、教祖が海外を視察する様子を切り取った写真が飾られている。床も壁も、点在する扉も窓にかかったカーテンも、全てが真っ白だ。清潔感や高級感より、異質さが際立つ。ここまで徹底して白いと、だんだん気が狂いそうになる。その真っ白な床を、俺の泥だらけの靴が汚して回る。


 進むにつれて暗闇が深まっていく。非常口のランプだけが、やけに煌々としている。非常口……あそこから外に出てしまおう。やはり無謀に飛び込んでも勝ち目がない。

 だが外に出たところで、どうにかなるだろうか。建物の周りは迷路のような山。しかも雨が降っている。教団には車があるし瀬名川くんもバイクがある。携帯の電波は入らない。

 この地で生身で放り出されたとしても、あっという間に囲まれる。

 どうしたらいい? なにか手段はないのか? 頭が回らないうちに、非常口ランプが近づいてきた。後ろからは足音が聞こえる。俺は夢中で、目の前の扉を押し開けた。


 そして目の前に広がる景色に、愕然とした。巨大な広間だ。信者を何千人と収容できそうな、アリーナである。

 壁も、天井も床も、椅子も、緞帳も、演台も、その奥の祭壇も、なにもかもが真っ白だ。この広大な白い空間にぽんとひとり放り出されて、俺はしばし、立ち尽くした。

 礼拝堂だ。白き自由の教団の、祭礼が執り行われる場所。神様の住む、神聖な場所。

 空気が、違う。湿った冷気が肌にまとわりついて、足元からじわじわ、震えが這い上がってくる。


「どっちだ?」


「足跡がこっちに」


 後ろから聞こえた声に、ハッとする。俺は靴を脱ぎ捨てて、真ん中の通路を一気に走った。演台のあるステージに飛び乗り、その演台の裏に滑り込む。


 目に前には、見上げるほどの祭壇が佇んでいる。まるで壁そのものが歪んで隆起し、そのまま生きた彫刻になったかのような像である。

 表面には無数の人影が浮き彫りになっている。苦悶の表情で天に手を伸ばす者、なにかに縋りつくように膝を折る者、顔を覆って泣き叫ぶ者。そのどれもが、動き出しそうなくらい生々しい。

 そしてそれらを包み込むように、中央に鳥の翼らしき彫像があった。翼は天に向かって広がっているのに、その羽根の一本一本がねじれ、折れ、まるで墜落の瞬間を永遠に固定したかのような痛々しさを放っている。

 翼の根元には、小さなゴブレットがある。周辺を滑らかに削り取られたそこには、オーロラのように輝く丸い石が収まっていた。


「ハク、様」


 声は、喉で痞えて、声にならなかった。

 ガタンッと、背後で音がした。電話番や、彼らに呼び出された信者が、ここまで辿り着いてきたらしい。


「いたか?」


「足跡が途切れてる。ここで靴を捨てているな」


「なにかのメッセージか?」


 これ以上足跡を残さないように捨てた靴に、信者たちが集まっているようだ。礼拝堂は広い。何メートルも距離がある。声が反響して、聞こえてくる。

 俺は演台の裏で息を殺していた。両手で口を塞いで、小さくなる。


「ご神体は祭壇にありますね。盗まれたのでなければ、誘拐犯はここに入ったと見せかけて別室に行ったのでは?」


「外へ逃げた可能性がある。本部周辺に捜索隊を配備!」


 タタッと、足音が響いた。礼拝堂が静まり返る。数秒そのまま待ってみたが、もうなんの音も聞こえない。

 そっと演台から這い出た瞬間、間近から声が降ってきた。


「見ーつけた」


 口から心臓が飛び出しそうになった。

 悲鳴を飲み込んで振り向き、そして、そこにあったいたずらな笑顔に、息を呑む。


「ハク様……」


「よっ、加藤くん。教団本部の礼拝堂に潜入とは、いい度胸してるね」


 見慣れた赤いパーカーと、茶髪に猫っ毛の、童顔の男。演台に頬杖をついて俺を見下ろすのは、自称神様、そして、俺の神様誘拐事件の相棒だった。

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