2
中原は恋人が帰ってくるまでに夕飯作りをするという。俺は彼から貰った瓶缶ゴミを抱えて、河原に戻ってきた。
月華さんと、交渉するためだ。
この瓶缶は、中原の「いらないのに一ヶ月も家に置いておかなければならないもの」。月華さんが好きそうなアイテムである。月華さんのトレーラーの中では、物の価値は反転する。事実上価値がある現金三億円と、この瓶缶ゴミとで、トレードを提案するのだ。
頬にぽつっと、冷たいものが当たった。厚い入道雲に覆われた空を見上げる。
「雨だ」
青々とした空がみるみる翳っていく。ぱらぱらと強まってくる雨の中、俺は河川敷へと急いだ。川は屋根になるところが橋の下しかない。トレーラーの周辺はびしょぬれになる。雨の中を三億のトランクを持ち歩くのは嫌だし、これ以上強まる前に回収したい。
月華さんのトレーラーが見えてきた。土手の階段を駆け下りて、トレーラーが近づいてくるにつれ、俺は違和感に気づいた。
トレーラーのドアが、全開になっている。
月華さんは、警戒心が強い。人と話すときも、少し隙間を開けて顔を覗かせるのみ。ドア全開は、初めて見た。
「月華さん?」
俺はそっと、中を覗き込んだ。彼女の姿はない。
出かけているのだろうか? こんなにドアを開いたまま? トレーラーの中はゴミだらけだが、これは彼女にとっては宝の山だ。他人に取られないように、このトレーラーで大事に守っている。それをこんな無用心に開けっ放しにするだろうか。
ドアの向こうに頭を突っ込み、中を見回してみる。古い雑誌や壊れた機械、不法投棄の自動車パーツなんかが、ごちゃごちゃに詰まれているが……黒いトランクは、ない。
思考が、停止した。次の瞬間、頭が一気にぐるぐる回転しはじめた。どういうことだ? 月華さんは実は他の人と同じで、お金があればお金が欲しくて、三億を手に入れたからこのトレーラーが不要になった? でも河川敷の住人たちの証言では、彼女は行政の支援も断って、ここで暮らしていた。それも演技だった? いや、それなら早々にボロが出ているはずだが、ボスになるほど長期的にいる。
雨が強まっていく。川の色が茶色く染まり、凪いでいた草むらは雨水を受けて、耐え忍ぶように葉を伸ばしている。
立ち尽くす俺の背に、老いた声がのんびり近づいてきた。
「やれ、お前さん。また来たのか」
早緑橋の下に住む、おじいさんだ。俺は縋りつくように、彼を振り向いた。
「月華さんは? 月華さん、どこに行ったか分かりますか?」
「あ? なんだ、お前さんが知ってるんじゃないのか」
おじいさんは雨に濡れたキャップの鍔から、雨水を滴らせた。
「ちょっと前にスーツの男が来てなあ。ツキちゃんのとこに行ったと思ったら、お前さんが持ってたのと同じようなトランクを持って、ツキちゃんと一緒に車に乗ってどっか行きよった」
「え……!?」
目の前が、ぐにゃっと歪んだ。おじいさんが怪訝な顔をする。
「あのスーツの男、お前さんの仲間じゃないのか。ツキちゃんを連れて行って、どうするつもりなんだとは思ったが、お前さんが持ってたトランクと同じだったように見えたから、てっきりお前さんが手配したんだとばかり」
「スーツの男って、どんな人でした?」
「お前さんを追ってた、あの男だった」
雨が体温を奪っていく。血の気が引いていく。
俺が捨てたトランクがダミーであることに気づいたら、教団はまた、ここに三億円を捜しに戻ってくる。しかし見つかる前に月華さんが回収してくれたから、ことなきを得た。
はずだった。
教団、いや、銀翼の会が、そうやすやすと三億を諦めるわけがなかった。三億の隠し場所を捜し回り、隠し場所に適していそうなこのトレーラーを見つけた。
きっと月華さんは、呼びかけに応えてドアを開けてしまったのだ。そして隠し持っていた三億円が見つかってしまい、強奪された。
月華さんは頑固ではあるが、線の細い、腕力のない女の子である。大人の男に強引に奪われたら、取り返せない。
俺はおじいさんに問い詰めた。
「トランクが奪われただけじゃなくて、月華さんも連れて行かれたんですか?」
「ああ……でもあのスーツはお前さんの仲間だろう? ツキちゃんもお前さんの計画に合意してたから、ツキちゃんをどこかに連れて行くのも作戦とやらの内なのかと」
俺は言葉を失った。おじいさんが訳も分からずに傍観しているうちに、月華さんは、教団に連れて行かれてしまったのだ。
あの三億円を隠し持っていたのだから、銀翼の会からは俺たちの共犯者と見られてしまってもおかしくはない。彼女はたまたま三億円を拾って、隠し持っていてくれただけなのに、持っていたがために、巻き込まれてしまったのだ。か弱くて臆病な月華さんのことだから、きっと怖くて泣き叫びながらも、抵抗できなかったのだろう。こじ開けられたままのトレーラーのドアが、それを物語っている。
「月華さんが……誘拐された……」
目の前が真っ暗になる。ハク様も三億円も、無関係だったはずの月華さんも。全部、持っていかれた。
強まる雨の中、月華さんのトレーラーは、白く煙って見えた。




