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「受け渡しの時間は、分かりやすく正午にしよう。あさぎ橋も、早緑橋も、同時刻ね」
ハク様がコンクリートの斜面に足を伸ばす。俺はひとつ深呼吸して、何度か使っている教団本部の番号に、電話をかけた。呼び出し音が続く。なかなか出ない。
SNSに誘拐犯本人のアカウントが現れ、それを見た人が信者も信者以外も問わず、教団に通報すると見られる。情報を受け付ける誘拐犯討伐団は、パンク状態なのだろう。それならなお都合がいい。この混乱に乗じて、教団に揺さぶりをかける。
やがて、事務員らしき人物の疲弊した声が応答した。
「はい、白き自由の教団本部です」
「SNS、だいぶ盛り上がっているようだな」
俺がそう言うなり、電話の向こうの声は引き締まった。
「その声は……あ、この番号! 安東さん、安東さん! 誘拐犯です!」
一般通報ばかり受け付けていたところへ、いきなり誘拐犯からの入電だ。事務員は慌てて取り乱している。俺は敢えてそのまま、相手を代えずに続けた。
「次の受け渡し場所は、あさぎ橋。東側の袂だ。黒いトランクに入れて、現金三億円を持ってこい。正午ぴったりに、トランクごと橋の下へ投げ捨てろ」
「え!? はい!」
事務員が困惑気味に、裏返った声で返事をした。すぐに電話を切り、俺はふうと長いため息をついた。
「緊張する。三回目なのに」
「ははは、でも様になってきてるよ」
ハク様が変な褒め方をして、俺の手から携帯を取った。
「で、教団が混乱してるうちに、教祖にかける。誰にも邪魔されないように、今回は教祖の執務室にかけよう」
ハク様は俺の携帯を操作し、返してきた。すでに呼び出し音が鳴っている。俺はハク様のペースに押し流され、電話を耳に当てた。こちらは短いコールで呼び出し音が止まり、教祖の声に切り替わった。
「はい……」
彼も疲れているのだろう。声に覇気がない。教祖が本気で神様を信じている人なら、もう三日もご神体を誘拐されているのだ。眠れているだろうか。食事は喉を通るだろうか。俺が誘拐犯側なのに、心配になってしまう。俺は彼に同情しながらも、自分の役目を遂行した。
「教祖、沓谷弘幸。ひとりか?」
「その声は……」
教祖が、電話の相手が誘拐犯だと気がついた。途端に、声が大きくなる。
「悪かった! 我が教団の教徒たちが、失礼した。私は身代金を用意したんだ、信じてくれ。しかし教団の中には支払いを拒む者もいて、私の意思にそぐわずトランクを持ち帰ってくる教徒がいた。彼らの報告を聞いて私は、ああ、なんてことだと。君に謝らなくてはならないと……思っていたところだった」
舞台調の感情豊かな声が、怒涛の勢いで流れてくる。
「神が祭壇から消えてから、教団は暗黒の時代に入った。ご神体の安否を心配する教徒、誘拐犯に憤る教徒、様々な考えで教団の中で分裂が起きている。問い合わせが殺到して事務員は疲弊し、幹部は意見の対立で何時間も会議をしている。ああ、きっとここ数ヶ月で信者が減ったのも、この悪夢の始まりを暗示していたのだ。私は毎日神の無事を祈っている。教徒も祈りを捧げている。私は金など惜しくない。だが教徒たちは自由の名の元に各々の信念で行動する。神ではなく神の代弁者にすぎない私には、彼らを統率する力がない」
大袈裟なリアクションと慌てぶりに、俺は圧倒されそうになる。
「い、言い訳はいらない。それよりあんたは今、ひとりなのか? 周りに人は?」
「ああ、神よ! なぜこのような試練をお与えになったのか!」
「もういい、話を聞け。周りに人はいるのか、いないのか!」
横でハク様がくつくつ笑っている。教祖は呼吸を整えてから、うわずった声で言った。
「妻は今日は自宅にいる。室内には他の教徒や幹部もいない。私ひとりだ」
証明するものはないが、ひとまず、信頼して次に進む。
「今から話すことは、誰にも口外するな。奥さんや幹部も例外じゃない。教祖、お前ひとりで身代金を持ってこい。約束を破れば、ご神体は粉々にかち割って捨てる」
「や、やめてくれ! 白珠様のためなら私はなんだってする。神に誓う。早く受け渡し場所を指定してくれ」
教祖がドラマみたいな受け答えをしてくるから、俺もだんだん乗ってきてしまう。
「そう焦るな。次の受け渡し場所は、早緑橋。東側の袂だ。黒いトランクに入れて、現金三億円を持ってこい。正午ぴったりに、トランクごと橋の下へ投げ捨てろ」
「白珠様は無事なんだろうな!?」
「今のところはな。だが、貴様の行動次第では、次はない」
俺まで芝居がかった喋り方になってきた。ハク様が声を殺して笑っている。自称神様は大ウケだが、教祖は真剣である。
「分かった、今度は私がひとりで、確実に用意する。神に誓おう。だから、白珠様の安全だけは、確保してくれ」
教祖の声が、しゅんとしぼむ。
「頼む。我々にとって、祈りの時間はなによりも大切なものだ。あらゆるしがらみを忘れ、神様をいちばん近くに感じられる、尊い時間だ。そこにご神体がなくては、心の穴が埋まらない」
俺は返事をせずに電話を切った。我慢していたハク様が、解放されて噴き出す。
「あはは! 加藤くん、上手! もうプロの誘拐犯だね」
「プロの誘拐犯ってなんだよ、まだ就任三日目だよ。そんなことより教祖があまりに必死で、かわいそう」
「それはつまり信仰心がばっちりあるってこと。この作戦は成功間違いなしだね」
ハク様はなおさらご機嫌になった。俺は通話終了の画面を閉じて、伸びをした。
「さて、正午までまだ時間があるな。今日は明け方から動いてるからな。時間までどうする?」
ハク様は、この作戦が成功したら、もう俺とは関わらないつもりらしい。最後に一度トランクの中身を確認するために合流する約束ではあるが、果たされるかは、分からない。
俺が彼とこうしてぼんやりできる時間は、多分、これが最後だ。
「んー」
ハク様は夏空を仰ぎ、なんでもない口調で言った。
「早緑橋に戻ろうか。受け渡しの流れの、最終確認でもしながら」
「そうだな」
法面から立ち上がって、土手に上がる。入道雲が、高い空を覆う。一歩前を行くハク様が、声だけ投げてきた。
「逃走経路、考えておこう。加藤くん、結構足速いよね。自宅を囲まれたときも駅で追っ手を撒くときも、逃げ足速かったし」
「足はハク様のほうが速いと思うけど」
「俺は神様だから、そりゃあね。神通力、神通速ってやつ。加藤くんはなに、学生時代に陸上でもやってた? 持久力はないから短距離?」
逃走経路を考えるはずが、早々に話が逸れた。でも、軌道修正する気にはなれなかった。




