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「加藤さーん!」


 入店直後、彼女はレジカウンターを飛び出して俺に向かって突進してきた。


「来てくれた! あ、いらっしゃいませ」


 あとから挨拶を付け足す広野さんに、俺はつい、頬が緩んだ。


「返事、待たせててごめん。連絡ありがとう」


「いいんです、お忙しいでしょうし」


 広野さんの勤めるリユースショップまで、ひとまずなんの問題もなく来られた。周りに通行人はたくさんいたし、中にはSNSをチェックしている人もいたけれど、誰も俺に声をかけたりはしなかった。まあ、芸能人でさえ、顔が写っている看板の前に本人がいても気づかれないというし、ちょっと話題になっている程度の一般人の俺なら、そうそう注目されもしないのである。

 とはいえ、顔見知りであれば話は違う。俺は慎重に、広野さんに尋ねた。


「広野さんって、SNSやってる?」


「SNS?」


 大きな瞳がきょとんとする。


「ううん、やってないです。それがどうかしたんですか?」


 その反応を見るに、彼女は俺が教団に捜されていることを本気で知らない様子だった。もしこれが演技で、俺を売る気だったら恐ろしいが……俺は、この人を信じたいから、信じる。

 トランクは取り置きされていた。多少の染みがあるという理由で、他の中古トランクより十分の一程度の値段を付けられている。


「こんなに安くていいの?」


「はい。逆にこの汚れ、気にならないですか?」


「それは全然」


 用途が用途なので、汚れていても問題ない。この汚れのおかげで、金欠極まる俺でも買える値段になった。

 ありがたくトランクをお迎えし、店をあとにする。広野さんは、扉の外まで見送ってくれた。


「ありがとうございました。加藤さん、次はランチ、楽しみにしてますね」


「うん、よろしくな」


 神様誘拐のことをなにも知らない、ありのまま今までどおりに接してくれる広野さんの存在が、心の中で灯になる。彼女と話すと、気力も体力も回復して、頑張ろうという気持ちになれる。

 俺は買ったばかりのトランクのハンドルを伸ばして、キャスターの転がる音を聞きながら、河原へ向かった。


 *


「さて、こんなもんかな」


 ハク様が掌の汚れを叩いて落とす。俺も、ガムテープを片手に、成果物の前で頷いた。

 橋の下に、新たにダンボールハウスが建った。あのあとハク様は、大型スーパーからダンボールを貰ってきて、この橋の下に小さなアジトを作った。大の大人が隠れられるほどの体積となると、結構な枚数、面積のダンボールが必要になる。

 初めての作業に四苦八苦する彼の元へ、トランクを持った俺が合流。ふたり作業になって少しは捗るものの、まだ覚束ない。そこへ、先日お世話になったホームレスのおじいさんが来て、呆れながら手伝ってくれた。

 ハク様は空と橋の境界を見上げ、位置をはかった。


「ベストな位置だね。橋の袂の柵からここに落下したら、ハウスの中から引き込む。加藤くんはそれを持って、ひっそりと抜け出すんだ。トランク重いだろうけど、大切に家に持ち帰るんだよ」


「この作戦って、たしかハク様が囮になる前提だったよな」


「そうだよ。ただ、計画は変更されたから、俺と加藤が一緒にここに隠れるわけじゃない。俺は、あさぎ橋で待機する」


 ハク様はそう言って、河口方面に顔を向けた。


「今からあさぎ橋の下にも、ダンボールハウスを作りに行く。俺はそこで待機。誘拐犯討伐団をはじめとする信者たちが来て、トランクを落としたら、俺はそれを持って逃走し、信者たちにわざと追われる」


 夏の午前の爽やかな空が、川の上に広がっている。


「当初の予定では深夜に決行するつもりだったけど、変更。これならわざと目立ったほうがいいから、昼間に行う。あさぎ橋にいる俺に注目を集めて、信者以外の一般の人まで見物に来るくらい騒ぎ立てて、本当の受け渡し場所である早緑橋から目を逸らさせる」


 それからハク様は、今度は自身の真上の橋を仰いだ。


「同じ時刻に、加藤くんのところには教祖が来て、トランクを落とす。これが本物であればそのまま持ち帰りで、受け渡し完了」


「中古のトランクの使い道は?」


「これは加藤くんが持っていて」


 ハク様はぽんと、トランクを撫でた。


「この作戦のキモは、教祖自身に金を持ってこさせること。でも教祖が単独行動に失敗して、情報が洩れて、早緑橋に信者が配備されてしまう可能性はあるからね。そうなったときに、君は本物の三億円はハウスに置き去りにして、ダミーの中古トランクを持って脱出。捕まりそうになったらトランクを捨てて、信者をそっちに引きつけて、君は全力で逃げ切る」


 微かな風が河原の葦を揺らす。頭上の橋からは、車の音が聞こえた。


「あさぎ橋のほうに三億円が降ってくる可能性は、まずない。懸念は教祖の挙動で他の信者に真の受け渡し場所がバレること。その場合は加藤くんに逃げ切ってもらうしかないんだけど、まあ、大丈夫でしょう。流石の教祖も上手くやってくれるはず」


 ハク様はこの作戦にかなり自信があるらしく、その強気な姿勢が表情から溢れていた。俺はそんな彼の顔を窺う。


「自信ありげだな。なんか秘策でもあるのか?」


「秘策? いや。ただ絶対成功すると信じてるだけだよ。加藤くんに望みをかけると決めたからね」


 俺も、ハク様の真の目的を知った今、真剣に教団の三億円を差し止めたい気持ちがある。目的が見えていなかった頃の、これまでの二度の受け渡しとは、気持ちが違う。ようやく、ハク様と足並みが揃った気がしている。

 でも、俺にはまだ懸念があった。


「この作戦、あさぎ橋にいるハク様は、囮なんだよな」


「そうだよ。教祖がひとりでお金を持ってくるのであれば、ほぼ百パーセント加藤くんのとこに落ちてくるのは本物だからね。そこから邪魔な信者を遠ざけるための、大事な役割さ」


 ハク様はウキウキだが、俺はそうでもない。正直、この作戦は今からでも撤回したい。


「うーん……でも、やっぱハク様が捕まるのを前提としてる作戦、嫌かも」


「なんだと! ここまで準備しておいて?」


「これまでにも何回か考え直してほしいって伝えてるつもりだったけど。ハク様がさっさと流して次の準備に進んじゃうんだもん」


 俺としてはやはり、ハク様を見殺しにするような作戦は気乗りしない。


「捕まったら、懺悔室送りだぞ」


「そうだねえ」


「だからこの作戦は、ハク様が捕まる前提だから嫌」


「それは話が別。教団がお金を用意したなら、約束どおり神様は教団に帰らないと」


「教団が返してほしいのはご神体だけなんだから、ご神体をその辺に放り投げて、ハク様本人は逃げ切れるようにできないかな」


「ご神体だけじゃ意味ないよ。神様である俺が戻らないと、ただの石なんだから」


「それはそういう設定であって……あれ? この会話、前にもしてるぞ。二回くらい」


 俺がごねてもハク様は取り合わない。彼はニヤッと意地悪な笑みを浮かべた。


「ははーん、さては加藤くん、受け取ったあとにそのまま俺とお別れになっちゃうのが寂しいんだな? 甘えん坊さんかな?」


「お、なんだ、喧嘩なら買うぞ」


「あはは。心配しなくても、この作戦のあとの加藤くんは、三億円を手に入れてる。無敵だよ。俺がいなくても、大丈夫」


 それはなんだか、この作戦のあとはもう、一切の関わるつもりはないと突きつけられているようだった。

 コインロッカーの作戦のときを思い出す。あのときも彼は、友達ではないから飲みにも行かないとはっきり言った。ハク様にとっての俺は、そのくらいのドライな間柄なのだと、俺も受け止めなくてはならない。


「じゃあさ……」


 俺は出来上がったダンボールハウスを見つめ、言った。


「教祖が落とすのも他の信者が落とすのも、どっちのトランクも中身が偽札だったら?」


「なるほど、それはお金を出し渋ったことになるから交渉決裂だね」


「やっぱり一旦、受け渡し後に合流しない? 本物はかどうか、確かめないとじゃん?」


「そうだね! 捕まったあともう一回教団を抜け出してくる!」


 ハク様はいともあっさり、そう言った。一度捕まってから抜け出すなんて可能なのだろうか。俺を納得させるために、その場しのぎで言っているだけではないか。そんな疑念は残るけれど、それを今詰めても、彼はまた神様ジョークではぐらかすだろう。

 だったら、その言葉を信じるしかない。


「絶対戻ってこいよ?」


「もちろん」


 ハク様は、自信満々に親指を立てた。


 *


 作りたてのダンボールハウスの隣、河原の法面で、肉まんを食べた。


「いやあ、いよいよ三億円が手に入っちゃうね! どうする? ひとつの銀行に一気に預けたら事件を匂わせちゃうからね、いろんな銀行に少額ずつ預けないとね」


 肉まんを食べるハク様は、普段以上に機嫌がいい。

 脅迫電話をかける前に、腹ごしらえをすることにした。ハク様にはあさぎ橋下のダンボールハウスを任せ、俺がコンビニで食事を買ってきた。簡単に食べられるおにぎりをメインにしたが、ハク様が喜びそうだから、肉まんも買った。案の上大喜びしてくれている。嫌々協力してくれているホームレスのおじいさんにも、おにぎりとお茶を買ってきて感謝を伝えた。

 昨晩から一睡もせずに動き回っている。その上、トランクを用意したり、河原でダンボールで工作をしたり、夏休みの子供みたいなことをやっているので、なんだかハイになって一周回って眠くない。準備をしているうちにあっという間にもうお昼時になってしまうのも、時間が過ぎる速さが夏休みみたいだ。

 肉まんを食べ終えたハク様が、ゴミを袋にまとめた。


「これ、月華ちゃん喜ぶかな」


「喜びそうだけど、他人にゴミ押し付けるみたいで気が引けるよな」


「あの子は本当に喜んでるよ。貧乏神だから」


 さらっと言われ、俺は一瞬聞き流しそうになった。


「なに? 貧乏神って言った?」


「そう、貧乏神。俺も神様だから分かる。あの子は人間じゃなくて、こっち側だよ」


 平然と語るハク様を前に、俺は言葉を失った。高い日が川面をきらきらさせる。涼しい風が、川面と草を揺らす。

 ハク様の神様ジョークはいい加減聞き飽きたと思っていたが、ハク様自身以外に飛び火したのは初めてだ。


「流石に失礼じゃない? 貧乏神って」


「さては信じてないな? ツキカって名前もおじいちゃんたちが当てた漢字って言ってたでしょ。あれ本当は禍が憑くと書いて憑禍(つきか)だから」


「禍々しすぎる……神様設定はハク様自身の範囲に留めておけよ」


「事実だよ! けど証明のしようがないからもういいや」


 俺はまだ納得していないのに、ハク様は話を終わらせた。


「あれからSNSは動かしてる?」


「思い出したときに何度か。中原と横内といろんな場所に出かけてたおかげで、背景素材がいっぱいある」


 気が向いたときに、ハク様と撮った数枚の写真と、かつて出かけた先の風景を合成してアップした。あるいは、まるで今その場所にいるかのように遠くの風景の写真を上げたりもしている。

 教団のアカウントに自ら絡みにいく誘拐犯のアカウントは、ハク様の目論見どおり、SNS上のちょっとした話題になっている。俺はSNSは今まで触れてこなかったから不慣れではあるが、フォロワーが増えて、投稿した途端反応があるのを見ると、面白くなってきた。SNSに嵌まる人の気持ちが、今なら分かる。

 ハク様は満足げに頷くと、俺に次の指示を出した。


「いいね。じゃあ、あさぎ橋周辺と分かる匂わせ写真を撮って、SNSにアップして……そしたらいよいよ、教団に電話タイムだよ」


 三度目の受け渡し指示の時間が、やってきた。

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