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もしもハク様の仮説が当たったら、銀翼の会は金を集める目的で作られた宗教ということだ。神様を祀り上げて信者の日々を充実させるのではなくて、神様を利用して金を稼ぐ、拝金主義の悪徳商法である。
ハク様は膝の上で、拳を握った。
「銀翼の会が俺が想像するようなものだったら、これが大きくなればなるほど、騙されて入信する被害者が出る。そんな害悪カルトが、うちの教団から分裂して生まれてしまったら、こんな恥ずべきことはない。だから俺は、この三億円を差し押さえたかった」
春代夫人も安東も後ろめたいことがなければ、身代金三億円を払う。銀翼の会ではなく、白き自由の教団の白珠様に信仰心があるのだと示せば、彼らの疑いは晴れる。
そしてハク様の想像が当たってしまって、ふたりが銀翼の会を立ち上げたのだとしたら。着服される前にふたりから三億円を取り上げれば、銀翼の会の成長を止められる。
だからハク様は、なんとしてでも三億円を使わせたかったのだ。
「三億円を銀翼に奪われないために、完全に無関係の誰かに押し付けてしまおうと思った。だから、神様誘拐事件を起こした。これで信仰心より三億を守ろうとする動きがあれば、銀翼の会信者を炙り出せるかもしれないしね」
「誘拐で身代金を出す、勝算はあったのか?」
「神様である俺がこうして存在してる以上、白珠信者はゼロではない。なにより教祖は純粋な信仰心の持ち主のはずだから、絶対に支払われるだろうと余裕をぶっこいてた。教団からお金を奪うわけだから、教祖が企画してた大型フェスは諦めることになるけどね。教祖の性格なら、フェスよりも誘拐された神様のためにお金を使う」
ハク様の目的は、「信仰心を試す」ではなかった。教団から神様が誘拐されるという緊急事態を起こし、強行突破で金を動かす。信仰心があって初めて成立するこの誘拐事件で、内部の金の移動を差し止めるのが目的だったのだ。
ハク様は膝に肘をついて、手に頬を乗せた。
「ひとりでやるのは難しいから、協力者が必要だった。三億という餌もあることだし、それに食いつきさえすれば、誰でもよかった」
「じゃあなんで俺にしたんだよ。全然面識なかったのに」
「さあ。神のお導きかな」
ハク様がふっと笑う。
「俺がうっかり落としたご神体を、たまたま居合わせた君が拾った。身なりや持ち物で、少なくとも金持ちではなさそうだと感づいた俺は、君にこの計画を持ちかけた。君は偶然金に困っていて、偶然暇人で、偶然酒に酔ってて判断力が鈍っていた。神のお導きとしか言えないね」
神のお導き云々はさておき、ハク様が教団から三億円を奪おうとする理由が、やっと腹落ちした。彼は拝金主義の悪徳カルトの芽を摘むため、こんな事件を起こしていたのだ。俺は項垂れるハク様を見て、まばたきをした。
「それならそうと、先に言ってくれればよかったのに。そんな連中を止めたいって気持ちが根底にあったなら、俺だって喜んで協力する。信仰心を確かめたいとかなんとか、訳の分からない理由をつけられるより、よっぽど。なんで隠してたんだよ」
するとハク様は顔を歪めて、余計にぐにゃりと肩を落とした。
「そうやって軽く受け止めるけどさあ……言えるわけないでしょ。神様が信者に捨てられて、金稼ぎのために別の宗教起こされてるんだよ。しかも教祖の周りで不倫。汚らわしい。こんな情けない事実、加藤くんに知られたくなんかなかったよ」
「ん……? ええと、神様目線のプライドとか、そういう話?」
いまいち理解しかねる俺の肩を、ハク様ががしっと掴んできた。
「分かんないかなあ! 俺が神様として出来損ないだから、教団がこんな有様なんだ。こんな恥を自ら暴露するなんて、穴があったら入りたい。なくても掘って潜りたい」
がくがくと肩を揺すってくるが、俺はきょとんとするばかりである。
「そうなの? 俺は人間目線だから、別にハク様が恥ずべきことではないと思うけど。ハク様が悪いことしてたわけじゃないんだし」
「加藤くんがよくても俺がよくないんだよ! 加藤くんには銀翼の存在も、そこの神様の煌珠のことも知られたくなかったから、余計な情報はなるべく言いたくなかったんだ!」
俺の肩から手を離したと思うと、彼は再び、かくっと俯いた。
「加藤くんのことも、利用してた。ただお金を受け取ってくれる役割として、本当のこと言わずに使ってた……」
彼なりに罪悪感を抱いたのか、ハク様は顔を伏せて、上げない。
「ごめん。ちゃんと言えなくて」
俺はそんな彼を眺め、膝に頬杖をついた。
「うん……まあいいや。目的は分かったけど、結局、誘拐犯を捕まえた人には懸賞金が支払われるんだろ。だったらやっぱり同じじゃないか」
今のハク様の話だと、銀翼が狙っていると仮定される金を止められさえすれば、身代金でも懸賞金でもどちらでもいいのではないか。しかしハク様は、そこなんだよと呟いた。
「それが、件の懸賞金は別口。余剰金からは出てない」
ハク様が眉間を押さえる。
「横内くん、電話で、誘拐犯を支部に連れて行って『振込み』はそのあと、って言ってたでしょ」
「そういえば、言ってた」
「余剰金の三億は現金。それを一気に振り込むとなると、犯罪の匂いがするから金融機関が警戒する。現金で用意されてる三億円なら、振込みじゃなくて、それこそトランクで現金で手渡しされるはず」
ハク様が身代金の受け渡しを現金にこだわっていたのは、これが理由だ。三億もの大金は、引き出すにも預けるにも金融機関にチェックされる。現金ですぐに用意できる金は、余剰金の三億円だけである。
しかしたしかに、横内は「振込み」と口にした。俺ははっとして、携帯を取り出した。横内から止められていたが、改めてSNSを見てみる。
アカウントを作っていなくても出回っている投稿はウェブから見られた。例の教団の投稿も、確認できた。動画とともに添えられているキャプションは、瀬名川くんが送ってくれたスクリーンショットのとおりだ。そしてその投稿に、コメントをぶら下げる形で、教団が補足を書き込んでいた。
『動画に映っている人物の確保にご協力いただいた方には、謝礼として三百万円を口座振込みにてお支払いします。確保された際には、最寄の白き自由の教団支部までご同行くださいますようお願い申し上げます』
「三百万……三億じゃない」
「加藤さんが追いかけてた三億円、懸賞金になっちゃったみたいっす!」という言葉に引っ張られていたが、たしかに教団は、懸賞金が三億だとは言っていない。
俺はハク様にも画面を向けた。ハク様が眉を顰める。
「いずれにしろこんなお金を工面できるのは、教祖の個人資産くらいだろうね。余剰金は懸賞金には使わず、信者に向けた祝福に使おうと考えていれば、彼なら自分の懐からお金を出す」
「でも懸賞金なんて、教祖が自分で思いつくか? あの人、焦って身代金を用意しようと一直線だった印象だけど」
「つまり、懸賞金をかける案を出して、そのお金を教祖が出すように誘導した人物がいる。うん、ますますもって、教祖を陥れようとしてる銀翼の気配が濃厚になったね」
教祖に案を出し、そして教祖が素直に言うことを聞く相手。その人物に言われたら、自分の資産から金を出すほど、信頼している人物。それが、銀翼のトップ。
さあ、と涼しい風が吹いた。ハク様の髪の先が揺れる。
「というわけで、懸賞金は教団のお金じゃない。懸賞金三百万が支払われたところで、不自然な余剰金三億円は動かない。俺の目的は、達成されてないってこと」
ハク様が長椅子から立ち上がった。屋根の下から出て行ったハク様の後ろ姿が、空を見上げている。
「ほら、俺は全部喋ったよ。協力してくれるよね、加藤くん」
俺は長椅子の上で、彼の背中を目で追った。東の空が、明るくなっていることに気づく。俺も、椅子から腰を上げた。
「その言い方、拒否権ないよな」
ハク様の隣に立って、空に煙る星を見上げる。ハク様はこちらに目だけ向けて、ニッと笑った。
「当たり前でしょ。今から相棒を変えられるはずないじゃない」
真上には、吸い込まれそうな満月。
「あの三億円を、確実に差し押さえる。次は絶対、失敗しない」
ハク様が月を見上げる。俺もその金色の円に向かって、首を擡げた。
「できるかな」
「やるんだよ。だって加藤くんの三億円だし。決定事項だよ、これは」
「なんだよ、さっきは誰に渡ろうと金さえ動けばいいって、俺のこと捨てたくせに」
蒸し返してむくれる俺に、ハク様は悪びれずにはははと声を上げた。
「まだ拗ねてるの? しつこいなあ。もう突き放したりしないよ。ここまで喋っちゃったら、もう加藤くんしか三億あげる相手いないよ」
電線の向こうの星が、空に模様を作っている。ハク様の目が、月から俺に移った。
「俺を信じて。俺も、加藤くんを信じるから」
ここ数日。半信半疑で行動を共にしてきた。こんなことを言われたって、心から信頼できるかというと、そんなに単純なものでもないけれど。
「はいはい、勝手にどうぞ」
「ちょっと、いつまで拗ねてるの!? 加藤くんも俺を信じてくれないと始まんないからね!?」
満月の下、ハク様の声は響かずに消えた。夏の夜明けの風が、生ぬるく頬を撫でる。ハク様への同情なのか、銀翼への嫌悪なのか、両方なのか。とりあえず俺は、三億円は銀翼の会にだけは渡したくないと、それだけは、あの丸い月に誓った。




