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コーくんがいなくなって、静かになった。俺は再び目を瞑る。今度こそ休もうと思った矢先、ぱたぱたぱたと、足音が聞こえてきた。
「いた!」
コーくんが戻ってきた……わけではなさそうだ。薄く目を開けると、満月に照らされた赤いパーカーは見えた。
「加藤くん、こんなとこでなにしてるの。ねえ、大変なことに気づいた」
「ハク様……今更なんの用だよ」
どうやってこの場所に辿り着いたのか、どうやって横内のもとから逃げてきたのか。まあ、もうどうでもいいのだけれど。
やっとコーくんを追い払ったのに、今度はこいつか。入れ替わり立ち替わり、どうして俺の邪魔をする。なんでこんな不愉快な思いをしなくてはならないのか。
「もう協力し合う必要はないんだろ。眠いんだ、どっか行け」
「それが、やっぱりだめだったんだ」
俺をあっさり見捨てておいて、今度はこの態度だ。まるで自分のしたことを忘れてしまったかのようだ。こんなの、自由というより、自分勝手ではないか。
静かに怒りを募らせる俺の表情など、見えてもいないのだろう。ハク様は勝手に話を続けた。
「よくよく考えたらおかしい。あのね、懸賞金は……」
「うるさい!」
静かな田園風景に俺の怒鳴り声が拡散した。声は響くでもなく、夜の闇に吸い込まれる。
俺はついに、ここまでに抱えていた怒りを爆発させた。
「どうしたらいなくなってくれるんだ! 教団が神様のために金を使ったんだから、もういいんだろ!? 自分の目的を果たせたから、もう俺は用済みなんだろ!? じゃあもういいだろ、構わないでくれよ。一生関わるな」
一度捨てた俺を、今更拾うな。これ以上面倒事に巻き込むな。今より最悪な状況にしてくれるな。もう勘弁してほしい。
一気に捲くし立てる俺を、ハク様は唖然とした顔で見ていた。
「加藤くんがそんなに怒鳴ったの、初めて聞いたかも」
「でしょうね。俺だって怒るんだよ」
「聞いて。また加藤くんの協力が必要になったんだ」
俺が突き放しても、ハク様はまだ粘ってきた。俺はキッと彼を睨む。
「今度はなにさせるつもりだ。無理やり巻き込んでおいて、いらなくなったら捨てて、かと思えばまたまとわりついてきて。ハク様を信じて行動した結果がこれなのに、また協力しろなんて言われて協力すると思ったか?」
「すると思った。加藤くんはお人よしだから」
ハク様は一瞬怯んだのち、彼も強気に睨み返してきた。
「でもさ、俺を信じたのは加藤くんの勝手でしょ? 大人なんだからその辺の責任は自分で持てよ」
「拒否権奪ってやらせておいて、失敗したら全部俺の自己責任かよ! 無責任な奴って本当最悪。期待しなければよかった」
コーくんをこいつの方に向かわせて、鉢合わせてやればよかった。
「信じたのが俺の責任だっていうなら、上等だ。俺はもうハク様を信じない」
「俺にそんな口をきくとは罰当たりな。神様を理由に戦争が起こる世の中だ、そうやって全部神様のせいにされちゃ溜まったもんじゃない」
「神様のせいじゃなくてあんたのせいだって言ってんだよ! あんたを神様だと認めた覚えはない!」
俺は勢い余って立ち上がり、ハク様の肩を掴んだ。ハク様も負けじと、俺の胸ぐらに掴みかかる。
「俺も認められた覚えはない! 覚えはないけど、でも信仰心がなくてもついてきてくれた加藤くんのこと、高く評価してる!」
「なんだよその上から目線は! もう神様キャラやめろよ、人間としても最低なんだから」
「高く評価してるから、今からでも君はあの三億円を手に入れられると思ってる! 俺は加藤くんの、そういう、理由もなく信頼させてくれるところに、最後に期待を賭けてる!」
ぎゅ、と、俺の胸ぐらを掴むハク様の手に、力が入った。逆にパーカーのフードを握っていた俺の手からは、握力が抜けた。ハク様は前髪の隙間から、真剣な眼差しを向けてくる。俺の声は、小さく萎んだ。
「なんだよ。さっきは見捨てたくせに。もう、俺はいらないんだろ?」
「違う。いるよ」
ハク様は真剣な声で、真っ直ぐな目で、そう言った。
「いるんだよ。加藤くんじゃなきゃ、だめなんだ」
ハク様の手は俺の胸元から離れない。絶対に離さないという、強い意志さえ感じる。俺は目を伏せた。このまま目を合わせ続けていたら、まだほだされてしまう。
目を背けて黙る俺を、ハク様はぐいっと胸ぐらを引いて、そしてぽんぽんと背中を撫でた。
「ごめんて! そんなに拗ねないで」
「はあ!? 拗ねてねえし」
俺が反射で顔を上げても、ハク様はまだ背中をさすり続けた。
「そんな潰れた肉まんみたいな悲壮感溢れる顔されたら、救いの手を差し伸べたくなっちゃうじゃないか。神様だから」
「あんたやっぱふざけてるだろ!」
「ふざけてない、ふざけてない。イライラが収まったら俺の話聞いてね、大事なこと言うから」
どうやらハク様全く反省していないようだ。俺はもう、怒りや呆れの先の悟りの境地に到達したかもしれない。こんなもんか、ハク様だし。と開き直ってしまった。
「ハク様の身勝手は、今に始まったことじゃないもんな。うん、もうどうにでもなれよ」
あまり俺は怒るのが得意ではないらしい。感情を昂ぶらせて怒鳴ったら、疲れてしまった。
でも、抵抗をやめた理由はそれだけではない。ハク様に振り回されるのはうんざりだし、ハク様はふざけてるし反省もしてないし、これ以上関わるのはやめたほうがいいのは分かっている。でも、少なくとも、彼が俺を必要としている気持ちは、本物だと思ったからだ。
「仕方ないから話は聞くけど、俺はまだ怒ってるからな」
「あのね。言っとくけど、俺も加藤くん並……ううん、下手したらそれ以上のショックで、気を失いそうなんだよ」
ハク様はようやく、俺の胸から手を離した。すとんと、バス停の長椅子に座る。俺も隣に座ると、彼は横目で俺を見た。
「懸賞金は、教団の余剰金じゃなかった」
「え? でも、多額の懸賞金がかけられたんだろ」
「そうだけど、そのお金は余剰金じゃなくて……ええと、なんて言えば……」
ハク様は似た言葉を繰り返し、別の言い方を考えようとして腕を組んで虚空を仰ぎ、思いつかなくて頭を抱え、んーと唸った。俺は黙って、仰け反ったり丸まったりするハク様を眺めていた。やがて彼は、煩わしそうに頭を掻いた。
「ああもう……隠せないか! この際、全部話すね」
ハク様が脚を伸ばし、アスファルトに踵を当てた。
「実はさ。教祖の奥さんの春代夫人と、幹部であり大親友の安東、不倫してるんだ」
「え……え!?」
懸賞金の話からいきなり飛んだことにも驚いたが、単純にそこふたりの不倫関係にもびっくりした。
「ふ、不倫? いくら自由を標榜する教団だからって、教祖の妻と、幹部が?」
「もちろん規律違反だよ。でも教祖は平和ボケおじさんだから気づいてない。他の幹部の一部は、とっくに気づいてるけどね」
「教団的にも法的にもまずいのに、気づいてる人たちはなにしてんの?」
「教祖の妻と大親友だよ? 権力者だよ。たとえ気づいても、口を閉ざしてしまう。自由な関係の範囲、ってことにして、騒ぎ立てないのが暗黙の了解になっちゃってる」
ハク様は両手で顔を覆って、深く項垂れた。昼間の太陽みたいな明るいキャラのハク様が、夜の世界の湿度の高い話題に触れる姿は、見ているこちらもなんとなく後ろめたい気持ちになる。
「で、そんな中、春代夫人が頻繁に特別献金を集めるようになった。なにかと理由をつけて献金を回収して、そのわりに集めたお金は使わない。余剰金は三億も貯まった」
ハク様がむくっと顔を上げる。
「この時点で不自然だった。なにに使うつもりで貯めてるんだろうと、俺はずっと気になってた」
教祖が信者への祝福で大型フェスを企画しても、春代夫人は金を使わせなかった。三億は信者の信仰心で自然と貯まったものではなく、なにか意図があって集められた金だと、ハク様は気がついた。
「同時期に俺は、ここ半年くらいのうちに信者が妙に減ってることにも気がついた。どうも白き自由の教団に似たようなカルト宗教があって、そっちに移った人が続出したみたいなんだ。そこでひとつ、仮説を立てた」
ハク様の重々しい声が、湿った夜の空気に吸い込まれる。俺はただ、彼の横顔を眺めて、黙って聞いていた。ハク様がためらいがちに、意を決したように、口を開く。
「一部の幹部が、浮いた三億を横領。その金を新宗教の活動資金に充てようとしてる」
それって、と、声を出そうとした。でも、声にならなかった。ハク様がはあと、長いため息をついた。
「銀翼の会だ」
白き自由の教団の神、白珠を邪神とする宗教、銀翼の会。それは、白き自由の教団の中で生まれたというのか。
「俺も信者たちの会話を小耳に挟んだだけだから、信憑性は定かじゃないんだけどさ。銀翼の会はまだ創設されたばかりで拠点がないんだけど、近々『銀翼会館』なる大型の礼拝施設を作る予定らしいんだ」
ハク様が言いにくそうに目を泳がせる。
「そのために用意する土地、工場跡地の買収額が、大体三億なんだよね……」
「あ……」
その額を聞いて、ハク様は疑いをかけはじめたのだ。白き自由の教団の中に、銀翼の会の首謀者がいるのだと。
「教団の幹部の中に、何人かの銀翼関係者が紛れ込んでる。下っ端の信者を銀翼の教えに染めて、白珠は邪神と刷り込んだら、教団から脱退させて銀翼に入会させてる。そしてまた次のターゲットを見つけて……と、教団の中でそのサイクルを回してるんだよ。信者たちの流れを見てると、そんなふうに思える」
俺は中原の部屋で観た、あのブログを思い出した。ブログの主は、脱会時の懺悔室での仕打ちについては、ブログで殆ど触れてもいなかった。大して罰がなかったのだ。白珠を邪神とする、銀翼の会に寝返っているというのに。
そうか、教団の内部がすでに銀翼に侵略されつつあるから……罰する側も銀翼側だから、形だけ懺悔室に入れてもすぐに解放して脱会を許すのだ。となると、教団の信者の中に紛れ込んでいる銀翼の会信者は、ひとりやふたりではなさそうだ。
ハク様の横顔が、暗闇の中で小さく俯く。
「この銀翼の会の親玉は、安東なんじゃないかと思う。教祖の学生代からの友人で、教祖を裏から動かして教団を成長させた人だ。カルト宗教を創立して、成長させるノウハウがある」
白き自由の教団では、資本金の持ち主が沓谷氏だったから、沓谷氏が教祖になった。経営知識があったのは安東だったが、彼はナンバーツー止まりとなった。
だが、教団の中から三億を持ち出し、それを資本にすれば、彼は自分が頂点に君臨する新宗教を興せる――。
眉を寄せる俺に、ハク様がでも、と付け足す。
「まだあくまで疑惑にすぎないよ。春代夫人が三億もの資金を集め出した時期と、銀翼の会の噂がよく聞かれるようになった時期が、たまたま偶然重なっただけかもしれない。銀翼会館のための土地の買収額も、噂に過ぎないし」
「でもかなり黒いよな。不自然な金を集めてる春代夫人と、銀翼の会を立ち上げる動機も実力もある安東が、不倫関係となると」
「でしょ。考えたくもないけどね、こんな倫理観のない、残酷な仮定」
ハク様は自嘲的に目を伏せた。




