1
横内は追いかけてこなかった。俺を追っているうちに、情報が少ないうえにご神体を持っているハク様を逃がすほうが上手くないからだろうか。俺は街灯ひとつない真っ暗な畦道をひたすら北に上った。明かりは、満月の光だけ。
「はあ。ここ、どこだよ」
ひとり言が洩れた。昼間よりは涼しいものの、湿度の高さが不快だった。辺りには小さな民家と畑が広がっている。両側に一斜線の道路が、真っ直ぐに延びている。日中でも車の少なそうな道路だ。市内とはいえ俺の営業エリアとは方向が違うし、普段から遊びに来るような場所でもないから、全く土地勘がない。
ひとまず、屋根のあるバス停が見つかった。待合用の長椅子に腰を下ろす。朝が来たら、最初のバスで知っているところまで連れて行ってもらおう。
もうくたくただ。ふっと意識が途切れる感覚がして、俺は脚を垂らしたまま、長椅子に体を倒した。硬くて寝心地は悪いが、このまま眠ってしまいそうだ。起きたときに体の節々が痛くなりそうだけれど、疲れのせいか、もう起き上がれない。
目を閉じると、頭の中にぐるぐると嫌な思考が巡った。これからどうしたらいいのだろうか。
大金は、もう俺の手には入らない。ここから一発逆転は不可能だろう。三億円は横内や他の誰かに渡り、俺には一円も渡らない。それどころか。教団に捕まって、誘拐犯として罰せられ罰金を取られる。
それならいっそ、横内に捕まってしまおうか。彼と共謀し、懸賞金の一部を俺にも分けてもらい、そこから中原に謝礼を出し、瀬名川くんにはすき焼きを奢る。一瞬はそんな考えも過ぎったけれど、言葉にできない感情が、その考えを打ち消した。
もやもやする。腹が立つのと同時に、悲しいような、悔しいような、いろんな感情がぐちゃぐちゃになっている。なにもかも放棄して考えるのをやめてしまいたいのに、思考を止められるほど器用でもない。
目をぎゅうっと瞑ってバス停の硬い長椅子にしがみついていると、真上から声が降ってきた。
「見つけた、おい、貴様」
びくっと、目を開けた。今の今までなんの気配もなかったのに、急に間近で人の声がした。動かなかった体が飛び起きる。
目の前には、暗闇の中に溶けるように、黒髪に黒い服の、険しい顔の青年が立っていた。
「貴様、また白珠といただろう」
その男は、橋の袂、駅のホームと、二度も会ったあの男――コーくんだった。
またお前か、と口に出すより先に、ため息が出た。コーくんは高い背丈で、座っている俺を見下ろしている。
「白珠を見失ったが、貴様を見つけたということは白珠も近くにいるのだろう」
なんなんだ。ただでさえ疲れていて、友人から裏切られて、知らない場所で野宿状態だというのに、こんな変な奴に絡まれて仮眠すら許されない。
「いません。あんた、今何時だと思ってんだよ。なんでこんな時間までハク様捜してんの?」
「答えろ。白珠はどこだ」
一方的に、しかも威圧的に問い詰められ、俺はますますイライラを募らせた。
「いない」
「いないわけがない。早く答えろ。さもなくば殺す」
「いねえっつってんだろ」
ぎゅっと、俺は椅子の上で拳を握り締めた。
「なんなんだよ、あんた。関わってくんなよ。凹んでるんだよ。友達に……友達だと思ってた奴に、捨てられたんだよ、こっちは。七年も一緒だったのに」
腹の中で渦巻いていた感情を、ひとつ言葉にしたら、止まらなくなった。
「中原に連絡すればいいのか? でも中原を信じてもいいのか? 中原だって横内とグルかもしれない」
俺に協力して三千万より、横内にもっといい額で買収されているかもしれない。実際、横内を頼るように誘導してきたのは、中原だった。
「瀬名川くんだって分からない。俺に教団の情報を流してきてたけど、瀬名川くんは有明さんと繋がってる」
彼も俺を油断させて、逆にこらちの動向を教団に売っているかもしれない。
全てに疑心暗鬼になって、もはや俺は、コーくんに八つ当たりしていた。
「もう、誰も、なにも信じられない。でもそうなったのも全部俺が悪い。神様誘拐なんかに加担したから。引っ込みがつくうちにやめておけばよかったのに、自分で全部台無しにした」
仕事をなくして、金もなくなってきて、それだけでも苦しかったのに、こんなことに首を突っ込んだせいで全てを失った。安息の地だった家に帰れなくなり、時間を無駄に浪費して、友達もなくした。
俺にいきなり一気に感情を浴びせられたコーくんは、仏頂面のまま口を結んでいた。驚いているのでも、動揺しているのでもない、これまでいつ会ったときとも同じ、険しい顔のままである。
「で、白珠は」
「あんた俺がこんななっててもその調子なのかよ! なんで維持できんの!?」
コーくんはハク様がどこにいるのかだけが知りたい。俺の独白など、彼にとってはどうでもいいのである。
「ハク様なんか知らねえよ。もう俺にはついてこない」
「あ? なぜだ。白珠は貴様と行動をともにしていた。貴様を見つければ自動的に白珠も現れるはずだ」
「知らないっつってんだろ。なんにも知らない。あいつ元々教団サイドの立場だし、はなっから俺を利用するだけ利用して、いらなくなったら捨てるつもりだったんだろ」
ハク様は何者だったのか、とうとう俺に話してはくれなかった。神様だなんて冗談に決まっているし、信仰心を試すための神様誘拐だって、真意は謎のままだ。本当の名前すら、知らない。
「知ってるんなら、教えてくれよ。ハク様って、結局なんだったの?」
俺はかくっと、項垂れた。肩幅に開いた自分の膝小僧に、目を落とす。
コーくんの視線を感じる。下を向く俺の頭頂部を、じっと見ている。やがて彼は、口を開いた。
「奴は、邪神だ」
「邪神……」
「民衆を惑わした邪神である。目を覚ました者たちは、誠の神の存在に気づきはじめる。私は白珠に騙された愚民の目を覚ますべく、活動している」
俺は顔を俯けたまま、上げられなかった。ハク様が何者なのか教えてほしいといったのは俺だから仕方ないが、聞く相手を間違えた気がする。
「ひとりひとりに目を覚まさせるのでは、時間がかかって仕方ない。だから手っ取り早く、白珠を殺すことにした」
「……カルト宗教に嵌まった人を救済すべく、神様なんかいなかったことにしようとしてる、ってこと?」
俺は働かない頭で、コーくんの話を噛み砕いた。
「そういうことだったら、ハク様を殺しても無駄だと思う。あの人、単なる自称神様で、生身の真人間だから」
「違う。あれは邪神だ。真の神は白き珠ではなく、銀の翼の煌めきを宿した珠。その神の名こそ我が真名……」
途中まで聞いて、俺は急激にどうでもよくなった。聞いていても中身がない話で時間を割かれるくらいなら、少しでも寝たい。俺はすっと腕を上げて、坂道の上を指差した。
「ハク様、ここから北に上っていった先の山の奥に行きましたよ。この先俺と合流する予定はないので、俺と待ってても時間の無駄です」
「なんだと、それを早く言え」
コーくんはカッと俺に牙を見せてから、北に向かって駆け出していった。あいつが横内の家に突撃したらどうなっていたのか気にならなくもないが、そんな好奇心を出している元気もなかった。なにもかもが、どうでもいい。




