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 ハク様はふう、とため息をついた。


「でも決め付けられないよね。憶測だけで悪く言うことはできないよ。神様だし」


 行動力はあるし、型破りで危なっかしいことばかりするくせに、彼はこういうところは慎重だ。

 教団の中にいる、三億を出したくない何者かは、末端信者を即刻動かせる支配力を持つ。駅に信者を配備するだけでなく、電話番号から個人を特定させたこともある。携帯会社の職員をはじめ、通常、業務上で知りえた情報を外部に洩らしたら、その職員には処分が下る。そのリスクを承知で教団に情報を売ったのだから、よほど教団に逆らえないのだ。件の権力者は、信者を手足のように使う。

 そこで俺は、もうひとつ重要なことを思い出した。


「そうだった、SNS」


 個人情報の収集、受け渡し場所への見張りの配置だけではない。教団は、誘拐犯を捕まえるために、俺たちの姿が映った映像を、ネットで拡散させていた。知らない人から向けられるカメラと好奇の目、無数のシャッター音が、頭の中にフラッシュバックする。


「教団の連中、俺とハク様の動画を撮って、ネットで広めてた。おかげで信者じゃない人たちまで俺のこと知ってて、駅で囲まれたんだ」


「そうなの? 厄介だな。それじゃ仮にトランクの中身が本物の三億円だったとしても、包囲されて捕まったかもしれないね」


 ハク様が顔を顰めた。


「なんて投稿されてた?」


「映像だけしか見てない。でも、『神様誘拐』って言葉で反応した人がたくさんいたから、その辺も書かれて拡散されてるんだと思う」


 あのとき、それなりの数の通りすがりが、こちらを振り向いた。教団の投稿は、興味のない人にまで届くほど、広まってしまっていると見られる。そうだとしたら、いくら俺が通行人B顔だとしても逃げ切れる気がしない。

 ハク様は眉間に皺を刻み、横内に顔を向けた。


「横内くん、SNSやってる? その投稿、見た?」


「ん? まあアカウントはある。加藤とハク様が振り返りながら走ってる映像が、SNSのトレンドに上がってんのは見たよ」


 さらっと答えられ、俺とハク様は同時に目を剥いた。


「えっ! トレンド入りするほど拡散されてたのか」


「横内くん、それ見てたのに冷静だね」


 ハク様がぎょっとするも、横内はまあ、と平然と頷いた。


「昨日中原からお前らのこと聞いて、そのあとにSNS見たから、へーって思っただけだった。お前ら本人もとっくに自覚してると思ってたよ」


 横内の反応に驚きつつ、俺は首を捻った。


「マジか……それはそうと、そんな意味不明な投稿が、なんでトレンド入りしたんだろう。信者以外の人からしたら、神様誘拐なんて意味が分からないだろうし、知らない人が走ってるだけの動画じゃないのか?」


「そのとおり。信者以外にとってはどうでも良さそうではあった」


 横内本人も、興味がなさそうに言った。


「どうも信者同士で拡散していたものが無関係の人の目にもとまって、面白がって広められたって感じだったかな。投稿へのコメントも、信者っぽいユーザーが『絶対に許すな』って書き込んでる以外は、殆どが『神様誘拐ってなに? 変な宗教?』とか『一般人の顔を無断でネットに上げるな。盗撮です』とか、そんな感じ。誘拐犯が炎上してるんじゃなくて、教団のネットリテラシーのない意味不明な投稿がバカにされてるだけだ」


「あ、そういうこと……」


 それを聞いて、少しほっとした。

 横内が立ち上がる。携帯を確認しに行ったのかと思いきや、彼は隣の部屋からゴミ袋を持ってきて、食べ終えた自分の弁当の容器を突っ込んだだけだった。ハク様は充電中の俺の携帯を一瞥した。


「SNS、加藤くんの携帯でもチェックできる?」


「SNSやってない。けど、投稿を見るだけならブラウザから見れたりするのかな。話題になってるようならネットニュースの記事になってるかも」


 俺が携帯を取ろうとするも、横内がやんわりと制した。


「やめとけ。今は休むことが先だ。ふたりとも、めちゃくちゃ疲れてるだろ?」


「でも、自分の置かれてる状況は把握しておきたい」


「大丈夫。ネットのおもちゃにされてるのは、お前じゃなくて教団だよ」


「そうかもしれないけど、でも俺自身も、駅で写真撮られた。面白半分でも、あれがSNSにアップされたら……」


 俺が眉を寄せると、横内はぽんと、俺の背中を叩いた。


「そういうのはな、見たところでどうにもならないんだよ。なんて書き込まれたんだとしても、情報を拡散された事実は覆らないし、こっちから訂正の書き込みができるわけでもない。見たって不安な気持ちになって眠れなくなるだけだから、見ないほうがいい」


 落ち着いた声で言われると、そうかもしれない、と思えてきた。それでもまだ携帯に目がいく俺に、横内はもうひと押しした。


「加藤お前、今、自分で思ってるほど冷静じゃないぞ。この一件を客観的に見てる俺からしたら、『早く寝ろ、休め』としか言えない」


「え、そんなに?」


「そうだよ」


 淡々と諭されて、俺はそうか、と受け止めた。たしかに、突っ走りすぎていたかもしれない。横内の言葉に頷く俺を、ハク様が怪訝な顔で振り向く。


「えー! ふたりともSNS気にならないの?」


 不服そうなハク様の前から、横内は空の容器を回収した。


「気にはなるけど、気にしすぎはだめ。お前もあんまり加藤を追い込むな。まったく、ハク様といい中原といい、加藤が変に素直だからって遊んでやるなよ」


「遊んでないよ! 俺だって真剣だもん」


 ハク様が唇を尖らせて抗議するも、横内は取り合わなかった。ゴミ袋の口を広げて、俺とハク様の弁当の空容器も重ねて、捨てる。俺は彼のスマートな所作を目で追って、小さく会釈した。


「ありがとう。ご馳走様」


 ハク様と同じく、俺もSNSの件は気になる。でも横内の言うとおりでもある。彼に従って、今日は早めに休もう。そして、明日からまた頑張ろうと、気持ちを切り替えた。


 *


 深夜、俺は布団の中で目を閉じては開けてを繰り返していた。夕方には部屋の真ん中にあった座卓は壁際に寄せられ、今は畳に布団が三つ並んでいる。寝そべった俺の体は、壁のほうを向いている。その壁から延びる充電ケーブルには、俺の携帯が繋がっていた。

 全然眠れない。SNSを見たら不安になって眠れなくなると横内は行っていたが、見なくても不安で眠れない。むしろ気になって気になって目が冴えてしまう。時計が見えないから正確ではないが、多分、もう深夜二時を回った頃だろう。


 ごそ、と、床ずれの音がした。体を転がして、反対方向を向く。暗さに慣れてしまった目に、白い布団の塊が映る。川の字の布団のうち、真ん中のハク様は至って静かだ。余程疲れが溜まっていたのか、死んでいるみたいに動かない。白い布団にぐるんと包まってドーム状になっており、肉まんが好きなあまりに自分が肉まんになってしまったかのように見えた。

 そんなハク様まんの向こうでは、横内が布団から起き上がろうとしていた。ゆっくりと布団から這い出ると、彼は俺とハク様の様子を一瞥し部屋を出て行った。

 普段自分ひとりの部屋に、緊急でふたりも泊めることになったのだ。寝付けないのは彼も同じだろう。申し訳ないことをした。俺も布団を出て謝りに行こうかと思ったのだが、トイレの扉が閉まる音が聞こえて、やめた。

 疲れてはいるはずなのに、眠気が来ない。俺はそっと、携帯に手を伸ばした。SNSが気になって眠れないのだから、いっそ見てしまったほうがマシな気がする。電源を入れると、充電満タンの画面が俺を迎えた。ロック画面の時計が、二時半を少し過ぎたと伝えてくる。

 電源が落ちている間に受信していた着信やメール、通知が、一気に入ってきた。不在着信は三回。すべて教団からの着信だが、かけても出ないと分かったからなのか、回数がかなり減った。代わりに、ショートメールがポコンポコンと、十件ほど入ってきた。

 内ふたつは、広野さんだ。俺は衝動的に、それを最初に開いた。


『お疲れ様です、加藤さん。例のトランクのクリーニングが終わりました。取れない汚れがあるし、古いんですけど、その分かなりお安くなってます。お店に来られる日が決まりましたら、また連絡ください』


 事務員の頃と変わらない、業務的な文面だ。トランクの準備が整ったようだ。これを買いに行けば、ハク様が事前に計画していた河原での受け渡し作戦が進められる。コインロッカー作戦が失敗に終わった以上、次に移らなければならないから、ちょうど良かった。

 広野さんからのショートメールは、業務連絡の吹き出しに続いて、もうひとつぶら下がっていた。


『それと、近々ランチでもご一緒しませんか?』


 業務的な文面にこれを添えてくるとは、なんて破壊力だろうか。まずい、別の意味で余計に眠れなくなる。

 広野さんがこの連絡をくれていたのは、夕方六時頃。駅でトランクの受け渡しの真っ最中だった時間だ。今の今までこの連絡に返事をしていなかったのだから、広野さんを不安にさせてしまったかもしれない。すぐにでも返事を打ちそうになって、深夜二時であることを思い出し、自分にブレーキをかけた。

 返事は明日だ。俺は広野さんとのチャットルームを閉じて、代わりに、一緒に届いたほかのショートメールの確認に入った。

 残りは全部、瀬名川くんからだった。連絡をくれた時間は、夜九時過ぎだ。


『シャス! お疲れさまです。俺、白き自由の教団に入信しました』


 いちばん最初にその報告から始まり、俺はえっと声を出しそうになった。しかしメールは続く。


『安心してください、入信したふりだけです。香織に仲直りしようって持ちかけたら、入信を促されたので、香織に歩み寄る素振りで入信手続きをしました。これで俺も形だけは信者です。教団内部の情報をいち早く加藤さんに報告する、スパイっす。マジかっけくねえっすか』


 瀬名川くんは有明さんの彼氏の立場を利用して、教団の腹を探ると言っていた。どうやら宣言どおり、教団にもぐりこんだようだ。こんな怪しい団体に首を突っ込まないでほしかったが、彼は俺に止められて止まる性格ではない。遊び感覚な言葉尻にひやひやしつつ、俺は彼からのメールの続きをスクロールした。


『香織は敬虔な白珠様信者らしいです。お金云々より、とにかく誘拐犯の無礼を許せない。こういう香織みたいな人ばっかり集まって、誘拐犯討伐団を結成してる。幹部の指示じゃなくて、有志が自主的にやってるだけだと話してました』


 誘拐犯討伐団。不穏な言葉が目に止まる。


『誘拐犯討伐団は、誘拐犯に捌きを下すことを目的に動いてます。そのためなら手段を選ばない感じでしたよ。もちろん三億円は絶対に渡さないし、渡そうとする信者がいれば阻止するんです』


 教祖や幹部の意思が浸透せず、自らの判断で行動している信者たちがいるようだ。そうなると、最初の受け渡し時に身内を襲ったのも、情報を盗んで俺の家を襲撃したのも、駅で待ち伏せしていたのも、誘拐犯討伐団だったのか。

 瀬名川くんの書き込みが、細切れで続く。


『俺、それは暴走しすぎじゃないかって、言ってみたんすけど。そしたら香織、話しながら泣いちゃった。純粋に神様を信じて、幸せになる努力をしてるのに、それを冒涜されたのだから、自分たちがここまでやるのは当然だって。なんか、なに言ってんのかよく分かんないところもあったけど、香織が泣いてるの見るのはちょっとしんどかったです』


 少し、瀬名川くんの個人感情が滲んだ。胸がずきっと痛む。恋人がカルトの信者なんて嫌だと、瀬名川くんはそう突っぱねていた。そうであっても、ほんのちょっと前まで大好きだった恋人だ。彼女の涙に、瀬名川くんまで傷ついただろう。

 しんみりとそんなことを思った、そのときだ。


「お、やっと繋がった」


 突然、壁の向こうから横内の声が聞こえた。俺は思わず、びくっと肩を竦めた。


「すごいですね、こんな時間まで。本気で捜してるんすね」


 ワンルームの、扉を挟んで向こう側だ。壁が薄くて、声は案外はっきり聞こえる。誰かと電話をしているようだが、こんな時間に、誰になんの用だろう。

 俺は壁の向こうを気にしつつも、瀬名川くんからのメールの続きを読んだ。


『で、この誘拐犯討伐団が撮った、加藤さんとハク様の動画なんですけど、あの動画、SNSでばら撒かれてます! 情報提供は二十四時間いつでも受付中だそうです』


「うんうん、それで、いつになる?」


 横内の声が洩れている。瀬名川くんのチャットルームには、SNSの投稿のスクリーンショットが貼り付けられていた。

 目が瀬名川くんが貼ったスクリーンショットの文面を読み、耳が横内の声を拾う。


『この人物が、神様誘拐の犯人です。捕まえた方には、教徒・教徒以外に拘わらず、懸賞金をお支払いします』


「いつ支払われるんですか、誘拐犯の懸賞金」


 心臓が、止まるかと思った。

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