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「やっと来た。遅いよ加藤くん」


 駅南口のコンビニでは、ハク様が雑誌コーナーで暇そうに俺を待っていた。相変わらず黒いシャツ姿で、大事に抱えていたパーカーはなくなっている。味方の顔を見ると、俺はほっと気が抜けた。


「大変だったんだぞ。なんかSNS……ええと、その話はあとでいいや」


 駅での出来事を訴えようとしたが、他の客の視線を気にして、俺は言葉を吞み込んだ。

 あのあと俺は、追手がいなくなったことを確認して、駅の外周を大きく回り込んで、このコンビニに向かった。その間俺は、また知らない人にカメラを向けられるのではないかとか、気づいていないだけでまだ追われているのではないかとか、ハク様は大丈夫なのかとか、胃が痛くてたまらなかった。

 一方でハク様はけろっとしている。


「騒ぎになってたのは、なんとなく分かったよ。お疲れ様」


「そっちは無事だったのか? コインロッカーは開けられた?」


「もちろん。作戦どおり、加藤くんが注目を集めてる間に、なんの問題もなく開けられたよ」


 ハク様はニコッと笑って、レジのほうに目をやる。


「トランクも入ってた。もうバックヤードに預けたよ」


「じゃあ……今、そこに三億が?」


「そういうことになるね」


 ついに、三億円の受け渡しに成功した。全然現実味がない。

 いや、まだ分からない。教団には、受け渡しの邪魔をする信者が出ないように求めたが、実際には出た。教団が約束を守るとは限らない。トランクの中だって、本当に三億が入っている確証はない。

 ハク様はこちらに背を向けた。


「加藤くんのおかげで回収しやすかったよ。さあ、三億円に会いに行こう」


 彼はそういいながら、「関係者以外立ち入り禁止」と書かれた扉を堂々と開けて、スタッフかのような顔で中へ入っていった。レジで退屈そうにしている横内は、ちらっとだけこちらを見ただけで、なにも言わない。俺もハク様について、バックヤードへ入る。

 ハク様は従業員の控え室らしきロッカールームへと入った。その壁際に、赤いカバーがかかったトランクらしきものが立てかけられている。ぱっと見、赤い布製の鞄に見えた。

 ハク様はその端っこを引っ張り、ひらりと赤い布を解いた。中から出てきたのは、黒いつやつやしたトランクである。


「教団は、教祖が用意したのは黒いトランクと認識してるからね。一瞬でも目を逸らすために、カモフラージュで赤く見せたんだ」


 解かれた布は、見慣れたパーカーだった。ハク様はそれに袖を通し、自嘲気味に笑う。


「先入観って怖いねえ。黒いと思っていたトランクが赤くて、赤いと思っていた誘拐犯が黒いシャツだと、人間はあっさり見落とすみたい。思い込みのせいで、見れば分かることに目がいかない。さながら人の世のようだね」


 俺は子供の頃に遊んだ、捜し物絵本を思い出した。物がごちゃっと置かれた写真の中から、特定のアイテムを捜す本だ。その中で「テディベアを捜せ」というページで、幼い俺は勝手に茶色いテディベアを想像して茶色いものを捜してしまい、真っ白だったテディベアを完全に見落としていた。テディベア自体は、隠れていたわけでもなく、分かりやすい位置にあったにも拘わらずだ。

 ハク様は顔を隠していたわけではない。信者は顔を見れば、彼だと分かっただろう。でもインパクトのある色を変えただけで、信者の目を逸らしたのだ。俺は素直に感嘆した。


「信者は俺が引きつける作戦だったけど、コインロッカーの周りから見張りがゼロになるとは限らないし、コンコースを移動してる間に信者に気づかれるかもしれないもんな」


「うん、コインロッカーに近づいたら、まさにこの前加藤くんのアパートの周りをうろついてたサンドイッチのおじさんがいてさ。『あっ、やばいな』と思ったから咄嗟に加藤くんが向かった北口を指差して『誘拐犯があっちで確保されたようです』って言ったら、その辺にいた人が四、五人くらい一斉に北口に向かっていったよ。結構見張り潜んでるなと思ったから、念のためカモフラージュしておいたんだ」


 なるほど、ハク様は赤い服を脱いで見た目の印象を変えつつ、顔を認識される前に下っ端信者のふりをして、信者たちを北口に誘導した。大男も俺を追いかけながら仲間に電話をかけていたこともあって、信者たちはハク様の言葉に引っ張られた。彼らは目の前にももうひとりの誘拐犯、ハク様がいるというのに、それを見落として北口にいる俺のほうへと流されたのだ。

 機転を利かせて見張りを追い払ったハク様の話に、俺は感心すると同時に恐ろしくなった。


「見張り、思ったより多かったみたいだな。信者がひとりでもハク様に気づいてたらアウトだったよ」


「ねー。危なかったよ」


「そんでその結構いた信者たちを、平然と俺のほうに向かわせてるの、容赦ないな……」


「それはだってほら、加藤くんには囮になってもらう手筈で作戦立ててたんだからさ。逆にこっちは君が変装して加藤樹らしさをなくした姿で現れたから、ちゃんと囮になるか不安だったんだよ」


 ハク様は時々ちょっと、人の心がない。


「……まあいいか、結果的にどっちも捕まらずにここまで来られたわけだし」


「そうそう。そんな微妙に噛み合ってないけどどうにかなって、なんとか手に入った三億だよ。早速開けちゃおう」


 ハク様がトランクを引きずり、床に寝かせた。彼の手がトランクのレバーをスライドさせると、急に、心臓がどくんと跳ねた。

 これが、三億円。ここまで紆余曲折あったが、ついに、教団からトランクを受け取ったのだ。それは分かっているのに、現実味がなくて、心が追いついてきていない。

 ハク様がトランクを開けようとしたそのタイミングで、ガチャリと後ろの扉が開いた。横内が室内に入ってくる。


「加藤、ハク様。帰るぞ」


 コンビニのユニフォームを無造作に脱ぎ、ロッカーにあった着替えに手をかける。ハク様は開きかけたトランクから手を離した。


「お疲れ様、横内くん。もうシフト終わりの時間だね」


 ハク様が言うとおり、壁にかかった時計が七時半を指している。横内のバイトの終わり時間だ。横内が着替えつつ返事をする。


「あんたらこそ、お疲れさん。無事に回収できたなんてすげえな」


「案外できちゃった。流石は神だよね」


 ハク様が調子よくしたり顔をする。着替え終えた横内が、荷物を肩に引っ掛けて、こちらにやってきた。


「これが三億か」


 彼はトランクの前にしゃがみ、ふうんと鼻を鳴らした。大金が詰まっていると聞いても、興奮したりせず平然としている。


「なあ、加藤。俺、この店のバイト、今日で最終日なんだ」


「そうだったのか」


「もともと、一時的に休んでる人の穴埋めで使ってもらっててさ。明日からその人が帰ってくるから、俺は今日までだったんだ」


「ごめん、最後の日にこんなことさせて」


「いや、逆に都合よかったよ。バックヤードに無関係の人を入れたのとか、三億を隠すのに協力したとか、店長にバレてももう関係ない。むしろ感謝してる。巻き込んでくれてありがとう」


 横内の冗談っぽい言い回しに、俺はつい頬が緩んだ。


「はは、最終日だから無敵っていうのは分かるけど、感謝される要素はないだろ」


「こっそりひと暴れできて楽しかった。それより三億、確認したか?」


 横内に促され、俺はトランクに目を落とした。トランクのレバーは、もう外れている。あとは蓋を上げれば、中身とご対面なのだ。

 レバーを外すまではしたハク様は、もう手を組んで俺を見ている。蓋を開けるのは俺の役目だとでも言いたげに、にこにこしながら待っている。

 俺は緊張で強ばる手で、蓋に手を置いた。慎重に、息を浅く吐きながら、その蓋を押し開ける。

 割れた隙間から見えたのは、くすんだ茶色い紙の束。


「三億……」


 俺の声が、開いたトランクに吸い込まれる。


「……じゃない……」


 中にぎっしり詰まっていたのは、ただのザラ紙だった。印刷に失敗したらしい、掠れた文字が散らかった紙くずの束だ。かろうじて「白き自由の教団・フリーダムニュース」と教団の広報誌らしき見出しが見て取れる。

 俺はそのまま硬直した。目の前にあるそれは、三億円どころか、処分が面倒くさい古紙ではないか。

 横内が興ざめした顔で呟いた。


「あー、ダミーか。なーんだ」


 一方でハク様は、俺と同じく石になっていた。口を半開きにしてぽかんとしていた彼は、やがてふつふつと、怒りに震えはじめた。


「あ、あいつら……神様がどうなってもいいのか?」


 俺はまだ、声が出なかった。ミスプリントの山を前に、ただ呆然とするばかりである。

 また失敗した。教団の信者に追われて、無関係の人にも囲まれて、ようやくそれを潜り抜けてきたのに。中原と横内にも協力させたのに。

 ハク様はトランクの中の紙の束を、むんずと掴んだ。


「受け渡しの邪魔をするなという教祖からの指示を無視した上に、こんな紙くずで煽ってきた。もう許さないぞ。絶対に、絶対に、三億円をかっさらってやる」


「……その教祖が、金を用意したくなくて、これを詰めたのかもしれないだろ」


 俺がようやく声を出すと、ハク様は首を横に振った。


「いや、番う。教祖は俺を、神様を信じてる。ちゃんと三億を払う気があったのに、邪魔されたんだ。トランクの中身をすり替えられたんだ! 次は絶対にそうはさせない!」


 ハク様はガソリンを注がれたかのように燃えるけれど、俺はもう戦意喪失寸前である。

 横内が隣で、コンビニ弁当が入った袋を掲げた。


「そう落ち込むなよ。三億なんて簡単に手に入るわけないんだ。ほれ、これ今夜の飯。俺の奢りだ。帰って食うぞ」


 励ましてくれようとしているのか、横内の感情的でない口調に少し心が救われる。俺は小さく深呼吸して、切り替えた。


「ありがとう。ごめんな、迷惑かけておいて、こんな結果で」


「いいからいいから、気にすんな。もう今日はなにも考えるな」


 横内はぽんと、俺の背中を叩いた。

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