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「なんか……随分と様変わりしたね」
あれから数時間後、俺はまた駅でハク様と落ち合った。なお俺の姿は、赤茶に黄色メッシュの髪に黒いキャップ、デカいロゴのヤンキーファッション、グラサンにマスクという、瀬名川くんプロデュースの別人仕様になっている。ハク様が目を点にするのも無理もない。
俺はグラサンを少しずらして、ハク様と目を合わせた。
「お隣さんが気を利かせてくれた。このほうが信者にバレないって」
「お隣って、瀬名川くん? なに、協力させてるの?」
困惑するハク様に、俺はことの経緯を語った。もちろん、誘拐犯を見つけて教団にチクった、有明さんの一件もだ。
ハク様はしばし複雑な顔で腕を組んでいたが、すぐに受け入れた。
「有明ちゃんの件は想像できてたから良しとして、瀬名川くんが協力者になったのは、意外だけど心強いね」
「有明さんを通して、教団内部を探ってくれるってさ」
「てってれー、加藤くんは諜報員を手に入れた」
ハク様は楽しげに口ずさむ。
俺は電源を切った携帯に目をやった。今は再び電源を落としているが、瀬名川くんと話したあと、着信履歴だけ確認しておいた。瀬名川くんからの着信を無視し続けてしまったことで気がついたが、そういえばこの携帯には、広野さんからの連絡も来る予定になっている。瀬名川くんからの着信同様にシカトしてしまっていないか心配になったのだが、あのトランクはまだ売り物になっていはいないようで、彼女からの連絡はなかった。ほっとしたような、少し残念なような。
ハク様がくるっと、こちらに背を向けた。
「さてさて、そうこうしているうちに、焼きたてパンのおいしい匂いが強まってきたよ。セールの時間に合わせてたくさん焼いてるね」
ベーカリー・クラリネットから、香ばしい匂いが漂う。店内やその周辺には、すで人が増えていて、セールの時間を待ちながらパンを選んでいる。
そんな人々に紛れるように、ハク様も店に近づいていく。
「教団に指定したタイムリミットは三時。教団が約束どおりに動いていれば、三億はもうコインロッカーの中にある。ロッカーの利用明細レシート、つまり鍵は、肉まんの什器にくっついてるはず」
駅のざわめきは昼間に比べて強くなっている。駅近の繁華街で遊んだ帰り風の学生、これから飲みにいく若者や、早めに退社できた会社員たちが、改札周辺からコンコースを往来している。
「持ち場についちゃうよ。加藤くんは鍵の回収に向かって。しくじるなよ」
軽く手を振って、ハク様は人混みに溶けた。彼の後ろ姿が、目印になる赤いパーカーを脱ぐ。教団に認知されている目立つ服は危険だからだろうか。こうなると彼は、あっという間に人の波に紛れてしまい、俺は彼を見失った。
受け渡し指示の電話では、誘拐犯を捕まえようとする信者が現れないように通達しておけとは伝えた。しかしなにせ白き自由の教団の信者は自由である。幹部からどう言われようと己の意のままに誘拐犯を追う者はいそうだし、そもそも教祖とあの幹部の男が約束を守る確証もない。邪魔は入る前提で、慎重に行動しなくてはならない。
作戦どおり、俺はベーカリー・クラリネットに近づいた。外からちらっと確認してみると、レジ横のホットコーナーの什器に、レシートらしきものが張り付いているのが見えた。どうも教祖は、少なくともここまではきちんと指示に従ったようだ。
ふいに、カランカランとベルの音が鳴り響き、若い女性の声が続いた。
「ベーカリー・クラリネット、ただいまから、毎週お得なタイムセールの時間です!」
店のバイトの女性の声で、セール待ちをしていた人や通りすがり、いろんな人が、店に注目した。おいしそうなパンがお得に買えるとなると、人々はぞろぞろと店に吸い込まれた。俺もその流れの中に入り、自然に入店した。
狭い店内が客で入り乱れ、トレーを持った会計待ちの列が店の外まで伸びる。俺は客の隙間を通り抜けながら、レジ横のホット商品に向かった。おいしそうな匂いと、陳列されたパンの焼き色に心を惹かれる。昼に食べた惣菜パンが、すごくおいしかったことを思い出す。今はセール中で、昼よりぐっと安い。身代金の受け渡しの最中でさえなかったら、間違いなく俺もパンを買っていた。今は我慢して、ロッカーの鍵となるレシートを目指す。
俺はホット商品の什器を覗くふりをして、貼り付けられている鍵を確認した。忙しそうにレジ打ちをする店員の目を盗み、そっと、その鍵を剥がす。
それを瀬名川くんから借りたジャケットのポケットに突っ込み、店を出た。今のところ、後ろを振り向いても、俺を追ってくる人はいない。教団は本当に、見張りをつけていないのかもしれない。いや、まだ油断はできないが。
店を出ても、パン屋に入りたい客で行列ができていた。コインロッカーのある通りにまで差し掛かっている。俺はこの列を盾にして、ロッカーの前に立った。モニターにコードを読み込ませようと、ポケットからレシートを取ろうとした、そのとき。
視線を感じた。慎重に後ろを見ると、パン屋行列を挟んで向こう側に、こちらを凝視する背の高い男がいた。二メートルくらいはあるだろうか、かなりの大男だ。行列を作る人々よりも文字どおり頭ひとつ抜けており、あの高さからなら俺がロッカーを開ければ余裕で見えるだろう。
やはり教団は見張りを立てたのだ。教祖と幹部の男が約束を破ったのか、彼らは通達を出したのに下っ端信者が言うことを聞かなかったのかは分からない。ただ、あの大男が俺の行動を観察しているのだけは間違いない。
幸い、男はいきなり俺をとっ捕まえてはこなかった。多分、瀬名川くんによるヤンキー風の変装のおかげで、俺が加藤樹に見えないのだ。でもロッカーを開けてしまえば、この大男は俺が、身代金の受け取りに来た者であると確信する。
開けてはだめだ。作戦の二段階めに切り替える。俺は踵を返し、列を通り抜けた。ここは一旦引いて、ロッカーの鍵をハク様に託すのだ。その間、俺はなるべく信者たちを引きつける。
大男は誤魔化す素振りすらなく、真っ直ぐ俺を見ている。俺は大男の前を横切るタイミングで、わざと聞こえるように呟いた。
「三億円なら、もうとっくに回収されましたよ」
大男の眉が、ぴくりと動いた。俺は少しサングラスを下げて、彼と目を合わせた。
「ロッカーの裏側に隠し通路があるんです。ここを見張ってても、もうなにも起こりません」
アドリブの嘘である。
大男は目を見開いた。驚く彼を尻目に、俺はするっとその場を離れた。
ロッカーの後ろの隠し通路など、普通なら信じないだろう。でもそもそも神様を誘拐するなどという信じられない状況の中だし、なにせ相手はカルト宗教を信じるようなタイプである。騙されなかったにしても、三億円の件を知っている人物が現れたら、このまま放っておきはしない。どう転んでも、この男は俺を追いかけてくるはず。
早足でコンコースへと出る。ちらっと後ろを見ると、先ほどの大男が追ってきていた。戦略どおりだ。見張りをひとり、コインロッカーの前から引き離せた。
他に見張りはいなかったと思われる。このままこいつを引きつけ、代わりにハク様にロッカーを開けてもらえば、上手くいくはず。
大男はその体躯が仇になって、人混みの中で狭いところを通れず遅れている。俺をしっかり凝視したまま、耳に携帯を当てて追ってくる。仲間に連絡しているのだろう。
心の底では、怖くて仕方なくて、このまま逃げ切ってしまいたい気持ちでいっぱいだった。しかしここまでやってしまったらあとには引けない。俺は見失われないように大男を引きつけつつ、尚且つ捕まらない距離を保って、ハク様が待つ商業施設の入り口へ向かった。
先走って駆け足になる。前を横切った歩きスマホの女性にぶつかって、俺は小さく頭を下げた。
「すみません」
女性はひと睨みだけして、去っていく。
商業施設の入り口に、黒いシャツ姿で求人情報誌を捲っているハク様が見えた。フリーター風の雰囲気を装っているが、赤いパーカーを小脇に抱えているので間違いない。
俺はポケットの中で、鍵となるレシートを握った。そしてハク様の前を横切る瞬間、彼の抱えるパーカーのフードに、さっと鍵を突っ込んだ。
ハク様はまるで気がつかない顔をして、平然と求人情報誌を読んでいる。ちらりともこちらを見ない。
大男はまだこちらを追いかけてきている。パン屋から離れて人が減ってくると、スピードを上げてきた。俺はすたすたと先へ進み、そしてハク様は、何事もなかったかのように、コインロッカーの方向へ歩き出した。
大男はまだ俺についてくる。鍵はもうハク様に渡っていることに、気づいていないようだ。このままこいつをコインロッカーから引き離す。コンビニのある南口から遠ざけるため、北口の方向に逃げる。
コインロッカーからはだいぶ離れ、北口から駅の外まであと一歩のところで、後ろからがしっと、大きな手に肩を掴まれた。
「おい。お前、三億円の件を知っているのか」
大男がついに俺に追いついた。俺は内心でビビリながらも、ヤンキーファッションに力を借りて強気に出る。
「知らね」
「とぼけるな。パン屋でコインロッカーのレシートを見張っていた仲間も、お前を店内で見たと言っている」
「へえ、見張りいたんだ。でも俺がレシートを取ったっていう証拠はあるんですか?」
「それは……レシートがなくなった瞬間は見えなかったらしいが、でもお前がいたのは見たと報告されている。もうすぐその目撃者もこっちに来る」
混雑を利用した作戦が功を奏し、レシートを取る瞬間が見られずに済んだ。そのレシートはもうハク様が持っていて、いくら俺を調べても出てこない。そして、パン屋を張っていたらしいもうひとりの見張りも、こちらに誘導されているようだ。つまりコインロッカー周りは手薄になっている。戦略どおりだ。
通りかかる人々が、ちらちらとこちらを見ている。「トラブル?」「駅員さん呼ぶ?」と声が聞こえるが、皆少しずつ距離を取って、避けるように立ち去っていく。
大男が大声を出す。
「お前、加藤樹か! サングラスとマスクを外せ!」
「うるさ。なんすか?」
「いいから顔を見せろ。神様誘拐の犯人だろ」
大男が強引に俺のサングラスを奪う。その力強さに押し負けながらも、俺は腕で顔を隠して抵抗した。
「知らないっす。人違いじゃないですか?」
と、とぼけて時間を稼ごうとした、そのときだった。
突然、周囲の空気が変わった。周囲のサラリーマンや、通り過ぎようとした学生が、足を止めた。
「神様、誘拐?」
近くにいたワイシャツの男性が繰り返す。俺はひやっと、鳥肌が立った。目だけ動かして、周囲を見回す。十人前後の他人たちが、こちらを見て立ち止まっている。
もしかして信者なのか? いつの間にこんなに囲まれていた?
「なんですか?」
身を低くして声を出す。俺を囲む人々と、それを迷惑そうに避ける人々で、周辺に異様な空気が漂う。ざわめきと緊張の中へ、女性の声が飛んでくる。
「あ。やっぱり! どこかで聞いた声だと思ったら」
それは先ほどぶつかった、歩きスマホの女性だった。淡い桃色の携帯を掲げ、こちらに向かってくる。
「SNSで回ってきたやつ! 神様誘拐の犯人じゃん」
その画面に映っていたのは、俺とハク様の動画だった。走って逃げながら、後ろを振り向いている。少しぼけているが、両方の顔がたしかに映っていた。
さあっと血の気が引いた。これは俺の住むアパートが見つかって、信者から逃げていたときの映像だ。中原と合流する少し前。あのとき、追ってきた信者は俺たちの動画を撮っていたのだ。
そしてそれをネットで拡散した。誘拐犯捜しのために、信者以外の人にまで。
カシャッと、カメラの音がした。歩きスマホの女性が、俺に携帯を翳している。
「変装してるから、最初見たときは分かんなかった」
周りの人たちも、各々、一斉にカシャカシャとシャッター音を鳴らしはじめた。集中する視線に背すじがあわ立つ。目の前が歪んで、どうしていいか分からなくなる。
そこへ、駅の係員がこちらに走ってきた。
「どうしました?」
異変を感じた誰かが、係員を呼んでくれたようだ。信者の大男の目線がそちらに逸れた瞬間、俺は弾かれたように駆け出した。
「待て!」
大男が叫んだが、もう後ろを振り向かずに走る。駅舎を飛び出して街の賑わいに飛び込み、追手を撒く。ハク様は無事だろうか。他にも見張りがいて、もうとっくに捕まってしまった可能性だってある。不安が胸の中に膨らんで、どんどん怖くなる。
駅前の百貨店に滑り込み、トイレに直行する。そこで手洗い場の蛇口の下に頭を突っ込み、一気に水を浴びる。水性のヘアカラーはさらさらと溶けて、俺はもとの地味な髪色に戻った。鏡の中の、濡れてぺたんこの頭を眺める。先ほど撮られた写真がSNSで投稿されたら、あの髪色では目立って仕方ない。こちらのほうがまだ無難に他人に埋もれられる。瀬名川くんから借りていたジャケットも脱ぐと、俺はかりそめのヤンキーから特徴のない地味男に戻った。




