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 空白の時間が六時間もあると、いくら駅周辺が賑やかでも潰しきれない。俺は鞄にぶら下げていた定期券で改札をくぐり、在来線ホームへと立った。


 本音を言えば、教団の信者が本当に三億を持ってくるか、コインロッカーの前で見張っていたかった。しかしあの狭い通路にいれば、信者のほうが俺に気づいてしまう。ここは敢えて、近くにいないほうがいい。

 周辺を遠隔で監視できるカメラとか、便利なアプリでもあれば良かったのだが、生憎俺は金も技術もない貧乏誘拐犯である。そんな有利な機器は持ち合わせていないので、ギリギリスレスレの危なっかしいやり方をするしかないのだ。


 人出のまばらなホームで、先ほど買ったパンを食べつつ、電車を待つ。そこへ急に、後ろから声をかけられた。


「おい、貴様」


「うわっ」


 心臓が口から飛び出しそうになった。まさか信者が俺を見つけたのか。振り向くとそこに、見覚えのある美青年が立っている。艶のある黒髪に、すらっとした佇まい。彼は眉間に深い皺を刻み込み、俺を睨んだ。


「貴様、先ほどまで白珠といたな」


 昨日、橋の袂でも会った、あの人だ。ハク様が「コーくん」と呼んでいた人である。


「コンコースにいたのを見ていたぞ。私は北口のバス停の向こうにいたから、辿り着くまでに時間がかかってしまったが、確実に見た」


 一緒にいる姿を見られていたのなら、「知らない」で乗り切るのは無理がある。俺は正直に答えた。


「すみません、たしかにさっきまでは一緒にいたんですけど、もう別行動になったんです」


「なぜだ。白珠はどこにいる。早く出せ」


「どっか行っちゃいましたよ」


 駅ビルで肉まんを探している……とまでは、教えてやらない。こいつはハク様のことが大嫌いなようなので、わざわざ居場所のヒントを与えないほうがいい。


「ハク様もあなたを知ってる様子でしたけど、どういうご関係なんですか?」


 ハク様もちゃんと答えてくれなかった質問を、こちらにも向けてみる。しかし彼も、つれない態度で顔を背けた。


「貴様には関係ない」


「自分ばっか一方的に絡んできて、それはない」


 風がホームを通り抜ける。電車が参ります、とアナウンスが響いた。


「ええと、地元の知り合い、とか?」


 俺が当てようとすると、男はくわっと牙を剥いた。


「黙れ! どんな関係もなにも、あんな奴、俺にとっては敵でしかない。ただの憎き存在だ」


「いやでも『コーくん』って、友達の弟みたいな呼び方されてましたけど」


「貴様、無礼な。死にたいのか」


 彼は険しい顔を一層強張らせ、俺に掴みかかろうとした。だが、そこへ駅員さんがふたり、駆けつけてきた。


「あっ、いたいた! あなた、改札を無理やり突破してきたでしょ。切符もICも使わずにこっちに来ちゃだめなんですよ」


 黒髪の青年はあっという間に、駅員さんに取り押さえられた。そしてずるずると引きずられていく。彼はぎゃあぎゃあ騒いでもがいていた。


「くそ! はなせ、無礼者!」


「はいはい。無賃乗車はだめですよ」


 駅員さんたちに連れて行かれて、コーくんの姿は見えなくなった。やがて線路に電車が到着する。

 結局なんだったんだろう、あの人は。俺はコーくんの消えた方向を見つめながら、電車に乗り込んだ。


 平日の昼下がりの車内は乗客がまばらで、席が空いていた。俺は端っこに座って、正面の席から見える窓の外を眺めていた。

 コーくんも謎だが、ハク様も謎である。あれだけ恨まれる理由はなんなのだろう。俺はひとまず、仮説を立ててみた。


 以前、コーくんは白き自由の教団の信者で、神様を自称する不届き者であるハク様を嫌っているという説を考えた。しかしこれは違う。信者なら「白珠」と呼び捨てにして、自分のほうが上だとか、偉そうな発言はしないだろう。

 そこで新たに考えた仮説は、コーくんは元・信者という説である。


 昨晩読んだブログのように、白き自由の教団にのめり込んだために、人生を台無しにしてしまったコーくん。己の生活を崩壊させた白珠を憎んでいた彼は、なんらかのきっかけで、自称白珠様のハク様に出会った。そしてハク様を本当に白珠様だと信じ込み、勝手に憎んでいる。

 ……という背景だとしたら、コーくんがハク様を嫌うのも、ハク様がコーくんを鼻にもかけないのも、説明がつく。

 でもそれだと、不自然な点もある。「そういうみっともない言葉を使っちゃう時点で格下なんだよな」……ハク様は「格下」という言い方をした。元・信者相手にこの表現を選ぶだろうか?

 ハク様が相手を、格下と呼ぶのであれば……。


 そこまで考えた時点で、電車が目的の駅で停まった。俺は鞄を抱え直して、傍のドアから外へ出た。

 降りた駅は、自宅アパートの最寄り駅である。見慣れた景色を前にして、気持ちがひりつく。ここは戻りたくて、でも戻りたくなかった場所だ。


 自宅アパートが信者に見つかって、そのまま帰ることなく中原の家に転がり込んでいた。あれから自宅がどうなってしまったか気になるし、大丈夫そうなら帰りたい。部屋に置いてきている大事なものだってある。


 恐る恐るアパートの付近まで来たが、信者の気配はない。いよいよアパートが見えてきても、不審な車ひとつ見当たらない。意外だ。俺が戻ってくるだろうと想定して、少なくとも数人は張り込ませると思ったのだが。

 警戒を緩めずに近づいたが、とうとう部屋の前まで、誰にも捕まらずに来られた。


「あれ……? 何事もなく……?」


 もしかして信者たちは、確実に誘拐犯が現れる早緑駅に移動したのだろうか。身代金の受け渡しがおこなわれるという情報が、早くも末端信者にまで浸透したのか?

 不思議に思いながら鞄に手を突っ込み、鍵を探っていると、突然隣の扉が開き、伸びてきた手が俺の腕を引っ掴んだ。


「え?」


 すごい力で引っ張られ、咄嗟に抵抗できなかった。隣の部屋の中へと引きずり込まれる。叫びそうになる俺の口を、ごつごつとした大きな手が塞ぐ。


「んぐっ!」


「騒ぐな」


 耳元で低い声で制されて、俺は小さくなった。玄関の扉が閉まり、鍵までかけられた。

 横目で窺うと、俺を捕まえたその人物も、こちらに顔を見せた。


「驚かせてすみません、加藤さん」


 鋭い目つきに、脱色した金髪。瀬名川くんだ。俺と目が合うと、彼はようやく手を離した。


「近くに信者いるかもしれないっす。騒ぐと見つかるっす」


「瀬名川くん……君……」


 声が少し掠れた。昨日の景色がフラッシュバックする。帰ってきたら玄関の前が信者でぎっしりだった、あの衝撃。

 俺が口を開きかけると、なにか言うより先に瀬名川くんが前のめりになった。


「無事だったんすね、加藤さん! 電話出てくれないから心配したんすよ!」


「えっ、あ、ごめん。電源切ってた」


 そうだった、瀬名川くんには番号を教えていた。着信履歴の確認すらしていなかったが、彼は俺にコンタクトを取ろうとしてくれていたらしい。


「俺、知らなかったんすよ! 香織が変なカルトの信者だったなんて!」


「お、おお」


「昨日、家の周り、っていうか加藤さんとこ騒がしいなと思ったら、ちぐはぐな変な格好した奴らがいっぱい集まってて! それが夜までずっとこの辺うろうろしてて……!」


 瀬名川くんはがしっと、俺の両肩を掴んだ。


「妙に訳知り顔だったから香織に問い詰めたら、答えたっす。香織が入ってる、白き自由の教団ってやつのご神体が盗まれたこと。そのご神体が、ハク様が持ってた石だって話も」


「……やっぱり、有明さんだったんだ」


 有明さんは、ハク様が持っていたご神体を見て、仲間の信者たちに報告したのだ。穏やかで優しげで、ふわりと微笑んでいた彼女が。リークしたのは有明さんだろうとハク様も推理してはいたが、こうしてはっきりと断定されると無性に虚しくなった。

 瀬名川くんが青い顔でまくし立てる。


「さっきもこの辺に、信者っぽい人いたんすよ! 加藤さんが現れるのを待ち伏せしてるんす。うっぜえから追い払ったところに、ちょうど加藤さん帰ってきたっす」


「えっ、じゃあ俺、タッチの差でセーフだったのか!」


「そうっすよ! なに平然と帰ってきてるんすか!」


「平然とじゃないよ! めちゃくちゃ警戒しながら帰ってきたよ」


 と、そこまで言ってから、俺は改めて瀬名川くんの顔を覗き込んだ。


「ところで、君、俺が神様誘拐の犯人だって知ってるんだよね?」


「はい。なにがあったか、香織から聞いてます」


「で、恋人である有明さんは信者なんだよな? それじゃ君は、有明さんの味方……つまり教団側の味方であって、俺は捕捉すべき誘拐犯……」


 俺は徐々に声を萎ませながら、慎重に確認した。だが瀬名川くんは、ぶんぶんと首を横に振る。


「いやいやいや、香織はもう彼女じゃないっす。無理っす、俺、彼女がカルトの信者とか無理っす! あいつも俺にキレて出てったし、このままもう会わないつもりっす!」


「あ、あれ、そうなの?」


「だって訳分かんねえじゃん。彼女がカルト信者なだけでもヤベーし、そんなん入ってることを、今まで俺に黙ってたっていうのも嫌っす」


 瀬名川くんは怒りながらも、淋しげで、少し泣きそうなような、様々な感情が混ざった表情になっていた。


「あと、香織が教団に通報したせいで、このアパートが信者に張り込まれて俺まで不快なんすよ! だから教団のこと、ますます嫌いになってくっす!」


「張り込まれてるのは俺のせいだ。マジでごめん」


 俺が神様誘拐なんぞに関わらなければ、アパートの住人たちに迷惑をかけることもなかったのだが。しかし瀬名川くんは素直というか短絡的というか、「教団に迷惑している」という目の前の事実で、教団への苛立ちを募らせていた。


「もう香織とはもう縁を切る! 敵の敵は味方! ってことで、俺は加藤さんとハク様側につくっす」


 瀬名川くんの迫真の顔に、俺は拍子抜けした。


「でも俺も教団を脅迫してたりしてて、自分で言うのもなんだけど悪人側だぞ」


「カルト宗教よりマシっす。早く三億円奪い取って、教団の連中と香織をギャフンと言わせてやってください」


 瀬名川くんは俺の肩に置いた手に、ぎゅっと力を入れた。


「俺もできることならなんでも協力するっす!」


「いてて。ありがとう瀬名川くん。でも気持ちだけ受け取っておくよ。君は未来ある学生なんだから、こんなことに関わっちゃだめだ」


 未来ある学生でなくても、関わるべきでない。中原と横内を巻き込んでおいて今更だけれど、さらに瀬名川くんまで引きずり込むわけにはいかない。

 顔に出やすい瀬名川くんは、分かりやすくショックを受けた。


「そんな! 俺じゃ力不足っすか?」


「そうじゃないけど。ただでさえ、住んでるアパートに信者が寄ってきちゃったり、彼女さんとの関係を壊しちゃったりして、迷惑かけてる」


「それは俺と香織の問題っす! むしろ香織の本性を炙り出してくれて感謝っす」


 瀬名川くんは拗ねた子供みたいにむくれて、俺の肩から手を離さない。俺は玄関の天井を仰ぎ、再び瀬名川くんと目を合わせた。


「じゃあ、ちょっと聞かせてほしいんだけど」


「はい、どうぞ!」


「有明さん、この事件について、なんて言ってた?」


 有明さんは、教団の信者だ。信者たちには神様誘拐事件の情報はどれくらい広まっていて、どんな動きがあるのか――当事者である有明さんが瀬名川くんにどう語ったのか、聞いておきたい。

 瀬名川くんは少し、俺の肩を掴む手を緩めた。


「俺も混乱したし興奮してたんで、全部はあんまり覚えてないけど……。香織はかなり神様信仰にのめり込んでるっぽくて、ご神体を盗む不届き者を許せないって言ってました。ハク様が、教団の神の白珠様っぽい名前を名乗ってるのも不快がってたっす」


「そうだよなあ」


「教団内でも、お金を払ってでも神様を取り戻したい勢力と、絶対に金を出さず誘拐犯を捕まえようとする勢力とで分かれてるみたいです。香織はもちろん後者です」


 瀬名川くんからの情報で、公園での事件の全容がくっきりしてきた。

 教祖を含め、教団幹部は金を用意し、払う意思を見せている。先ほどの電話でも、金はあると語っていた。だがいざ、遣いの信者が車に乗ってトランクを運んできたところ、金を出すことに反対する信者が介入し、トランクを奪った。

 瀬名川くんが、はっと閃いた。


「そうだ! 俺、香織に謝って仲直りするふりをして、香織から教団の情報引き出すっす!」


 無邪気にめらめらと燃え、彼は拳を握った。


「香織は加藤さんとハク様の情報を教団に売ったんだから、今度はその逆っす。俺が香織から聞き出した教団の動きを、加藤さんに渡します。どうっすか?」


「え……!」


 俺は思わず目を見開いた。正直、すごく助かる。教団側の行動がこちらに筒抜けになれば、圧倒的に動きやすくなる。

 でも、瀬名川くんを巻き込みたくはない。まして、有明さんを騙すような真似を、彼にさせてはいけない。


「だめだよ、そんな」


「決まりっすー! そんじゃ、このあと香織に連絡しますね。あ、そうだ加藤さん、ここから外に出るときまた信者がいたらヤベーし、加藤さんだって分かんないくらいイメチェンしません? 俺に任せて! ちょうどこないだ、お湯で落とせるヘアカラー買ったんすよ」


 俺の遠慮は呆気なくスルーされ、瀬名川くんはさらにぐいぐい自分のペースで話を進めていった。なんだか俺の周りは、こういう人が多い気がする。


「瀬名川くん、聞いてる?」


「どっちのカラーにしよっかなー。加藤さんっぽくないほうがいいから、全然似合わねー髪色にしよ。さて加藤さん、こんなに協力してるんだから、三億手に入れたらすき焼き奢ってくださいね」


「あ、うん……」


 ハイスピードで押し切られ、俺は大人しく頷いた。

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