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中原が交際相手と暮らす部屋は、市内のこぎれいなアパートの一室である。案内されたダイニングキッチンは、広くて片付いていて、ベージュで統一された落ち着いた空間だった。壁際にはテレビ、真ん中にはテーブルがある。隣の部屋はリビングだろう、ソファとパソコン机が置かれているのが見える。
「適当に座ってテレビでも観てて。飲み物持ってくる」
中原はテレビをつけると、上機嫌で仕切りの向こうのキッチンへ向かっていった。俺とハク様は、お言葉に甘えてダイニングテーブルの椅子を引いた。腰を下ろすと、一気に疲れが襲ってきた。
「はあ。ひとまず助かったな」
「ね。中原くんは恩人だよ」
ぐったりと顔を伏せ、ハク様は蚊の鳴くような声を出した。
テレビが夕方四時のローカルニュースを流している。ハク様がはっと顔を上げた。
「これ、今朝の公園だ」
画面の中に、見慣れた公園の景色が映っている。教団の車が停まっていたあたりをズームして、それから現場にいた目撃者のインタビューに切り替わった。
「バットとか鉄パイプを持ってました。怖いです、小さな子供もいる公園なのに」
インタビューに答える女性の言葉が、テロップでなぞられている。ハク様があーと小さく声を洩らす。
「結構な騒ぎになってるねえ」
ニュースによれば、この公園にいた無関係の人々が、喧嘩か暴動と一一○通報した。警察が到着したのは、俺とハク様がいなくなったあと。教団の車も、車を奪われた被害者当人もその場からいなくなっていて、詳細不明となっていた。
俺はハク様とともにテレビを眺めていた。
「出来事は報じられてるけど、白き自由の教団の名前は出てこないな。被害にあった信者が警察に届けを出したわけじゃないみたいだな。襲ってきたのも身内、教団の信者だったからかな」
「教団が警察を頼ることはないだろうね。俺、誘拐の宣言したとき、警察に言ったら神様の命はないって脅したし。教団側も叩けば埃が出てくるから、警察怖いだろうし」
ハク様がしれっと言う。俺は一旦聞き流しそうになってから、ハク様を振り向いた。
「教団、警察にマークされるとまずいようなことしてんの?」
「まあ、信者からあれだけお金を集めてればね……公安に警戒されることもしばしば……」
ハク様はやけに、教団の内部事情に詳しい。
「末端信者も警察沙汰の問題起こすしね。脱会しようとする信者の家に、大勢で詰め掛けて追い回してトラブルになったりとか。ちょうどさっき加藤くんがやられたみたいな手法で」
「ああー、納得」
そういえば、懺悔室で行われていることも、公にならないだけで壮絶なものだという。調査が入ってしまうのは、教団にとっても分が悪いのだ。
真面目に善良に生きてさえいれば、警察は心強い味方なのに……いや、神様誘拐中の俺が言えたことではないか。俺はため息混じりに尋ねた。
「なあ、ハク様。教団にも戒律があって、犯罪や不貞行為、その他、他人の迷惑になることはNGなんじゃなかった?」
「そうだよ。でもね、信者だ誰しも正しく経典を読解できるわけじゃない。まして、こんな『自由』を笠に着て身勝手やってる宗教の連中だよ? 自由の基準も戒律で禁止されてる範囲も、自分の都合のいいように解釈するよ」
その宗教の神様を自称しているくせに、ハク様は容赦なく、ちょっと自嘲気味にそう切り捨てた。
俺の住むアパートは、もう信者に特定されてしまった。もうあの場所には戻れない。今後はどこでどう過ごせばいいのだろう。信者たちはせめて、同じアパートの他の住人に、これ以上迷惑がかかけないでほしい。
クーラーが効いてきて、涼しい風が気持ちいい。汗と疲れが引いて、体が軽くなる。中原が三人分の麦茶を盆に乗せて戻ってきた。
「それで、さっきの話、本当なのか?」
中原がテーブルに並べるグラスを、俺は目で追った。
「嘘だと思いたいけど本当だよ。ご神体はハク様が持ってる」
ハク様も、俺に続いて中原に言った。
「加藤くんは三億が欲しい。俺は教団の信仰心を確かめたい。確かめたところで信仰心が足りないと感じたから、今度は威信を取り戻したい。俺と加藤くんは目的は違うけど、目標は同じなんだ」
「神様誘拐なんて聞いたことないぞ。でもすごい。面白いこと思いついたな」
中原は驚きと愉悦の混ざったような反応を見せ、自分も椅子に座った。
「そういや加藤、昨日、大富豪の子供を誘拐するって提案してたもんな。いくら大富豪の子供が見当たらなかったからって、神様を誘拐するとは思わなかった」
それを聞いてハク様が背すじを伸ばした。
「えー、加藤くんそんな悪いこと考えてたの? いけないんだ」
「冗談に決まってるだろ。冗談にしておきたかったよ。本当に誘拐させたハク様が言うなよ」
「あはは、コントみたいだな、お前ら。にしても、ご神体って教団の中にあるんだろ。それを盗み出せるなんて、ハク様って何者なんだ?」
中原がグラスを手にとり、麦茶をひと口飲む。俺はハク様の顔を窺い見た。
「それが分かんないんだよ。教団の内部に詳しくて、教祖やその奥さんのこともよく知ってる。でもさっき追ってきた信者とは、面識がないみたいだった。それでいてご神体を盗み出せるポジションとなると……」
ここまで行動をともにしているが、俺はまだハク様の教団内における立場を分かっていない。ハク様はグラスを手にとり、中原に「いただきます」と声をかけた。
「俺は神様だからね。ご神体の石の前に来た人の顔は一方的に知ってるけど、相手は石の姿の白珠様しか知らない。この外見の俺を知ってる人は、教団の中にはいないよ」
「こうやって訳分からんこと言ってはぐらかすんだよ」
俺は呆れ顔で中原に向き直った。中原が豪快に笑う。
「いいんじゃない? ハク様は神様なんだよ」
「こっちは真面目に話してるのに」
俺がむくれる横で、ハク様が得意げに中原に指パッチンした。
「信じてくれてありがとう、中原くん! 俺を信じるってことは神様を信じるってこと。信心深い中原くんには神の祝福を!」
「ははー、ありがたや白珠様」
ハク様のおふざけに中原も乗っかる。妙にチャンネルが合うふたりを、俺はやや距離をとって見ていた。めちゃくちゃな理屈だ。
俺も麦茶を貰って、喉を潤した。冷たい水分が体をきゅうっと冷やし、へとへとの体に染み渡る。頭が少し、すっきりした。
「教団には二回電話をして、その内の一回は教祖と話せた。電話の感じだと、教祖はバカ正直者っぽくて、神様がいなくなって本気で焦ってて、すぐにでも金を用意する勢いだった」
俺はこれまでの出来事を、簡潔に整理した。
「でも受け渡しには失敗。教団は本当に金を用意してたのかすら分からない。それからこっちが次の受け渡し方法を指示するより先に、向こうが俺の住むアパートを特定して突撃してきた」
俺の話を聞いているうちに、中原は真顔になっていた。
「なんつーか、教団の行動が一貫してない気がするな。金を払ってさっさと神様を取り返したいのか、金を出したくないのか。神様が大事だからこそ、無礼を働いた誘拐犯に報復したいのか」
「信者の人数が多いから、考え方がいろいろで、方向性を統一できてないのかも。教団内も混乱してるだろうし」
少なくとも、俺の電話番号から個人を割り出して捕まえようとしている勢力が存在する。様々な職業の信者たちが情報を持ち寄り、俺を見つけ出した。
ここでひとつ、俺は嫌な予感がしていた。
「なあハク様。さっき追いかけてきた信者たち、俺たちがふたり組みで、そんでご神体を持ってるのがハク様だってことまで筒抜けだったよな」
「うん」
ハク様が頷く。
俺の情報が洩れたのは、電話番号から。それはまだ分かる。でも数時間前にハク様が言っていたとおり、ハク様の情報は洩れていない。……はずだった。
思い当たる情報源は、ひとつしかない。
「そうだねえ。そこしかないね」
まだ言っていないのに、ハク様は残念そうに笑った。
「計画を話してなくても、信者ならご神体を見ればすぐに分かるもんね」
強面のわりに無邪気に笑うヤンキーと、彼の傍で大人しそうに寄り添うかわいらしい女性。アパートの玄関の扉の前で始まった、あの井戸端会議を思い出すと、無性に空しくなった。お隣さんと仲良くなれて、嬉しい。そんな暢気な感想を持っていたのは、俺だけだったみたいだ。
ハク様がこちらに横目を向ける。
「俺は、有明ちゃんのほうだと思うよ」
「そうなのか? でもハク様といっぱい話してたのは瀬名川くんのほうだったぞ」
「物に宿る価値を決めるのは、人の心……瀬名川くんは、ご神体に対して物質的な観点でしか興味を示さなかった。彼が信者だったら、たとえ演技でもご神体を前にあんな態度ではいられないはず」
なるほど、その点有明さんは、ご神体に触れることすらしなかった。もしかしたらあの時点ですぐにでも取り返したかったが、か弱そうな女性ひとりでは守りきれないと判断して、自分は行動を耐えて仲間に共有する情報を収集していたのかもしれない。
「だとしたら、ハク様が迂闊にご神体を落としたせいでバレたんだな」
「そのとおり」
ハク様はてへっと舌を見せて笑った。言いたいことはいろいろあるが、過ぎたことを責めても仕方ない。俺は一旦切り替えた。
「ハク様がご神体を持ってることを確認して、なおかつ電話番号の契約者である俺の部屋も特定。別れたあと、有明さんは信者仲間に情報を共有した。そして俺たちが次の準備に出かけてる間に、信者たちはあそこに招集されたんだな」
「こうなっちゃうとちょっと、すき焼き食べに行けないね!」
ハク様が苦笑する。すき焼きどころか、アパートに帰れすらできなくなったが。




