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「で。なんで加藤くんはトランクを買ってこなかったの?」


 ハク様とともに、帰路につく。高い建物の少ない小さな町が、夏の日差しに温められてている。アスファルトの照り返しと夏っぽい湿度のせいで、日陰さえも蒸し暑い。民家の庭木のミカンが枝を伸ばしている。その下を通り過ぎ、ハク様は不満そうに顔を歪めた。


「折角月華ちゃんの許可を得ても、トランクがなかったら決行できないじゃん!」


「ごめんって。あったけどまだ売られてなかったんだ」


「だったら違うお店も見てきてくれたっていいのに」


 ハク様の言うとおり、俺もあの店員さんが広野さんではなかったら、次の店に行っていたかもしれない。私情を挟んだことは事実だが、彼女についてハク様に話すと、なんか茶化されそうだから言いたくない。


「まあ、これには事情があって」


 曖昧な返事で誤魔化しているうちに、アパートが見えてきた。このままはぐらかしてしまおうなんて考えながら、階段を上がる。ハク様は怪訝な顔でついてきている。ぼちぼち鍵を取り出すと、突然、ハク様が後ろから俺の腕を引いた。


「待って」


「ん?」


 二階の廊下に差しかかった瞬間、足が止まる。


 部屋の前に、嫌にカラフルな集団がいる。汚れた白衣のコスプレみたいな男や、全身青で統一した青年、ロリータ服の女性など、各々自由な衣装をまとった人が十数人、整列しているのだ。

 手には「白珠様を讃えよ」と書かれた奇妙な旗を掲げている。狭い廊下にぎっしり詰め込まれ、異様な静けさの中でこちらをじっと見ていた。


「……え?」


 心臓が止まるかと思った。


 ひとりの男が、低い声で唱えはじめた。


「加藤樹。神を汚した罪人……」


 周囲が一斉に復唱し、廊下が不気味な合唱に包まれる。


「加藤樹。神を汚した罪人……」


「加藤樹。神を汚した罪人……」


「加藤樹。神を汚した罪人……」


 途端に、俺は慌てて踵を返した。


「やばいやばいやばい! 怖怖怖!!」


「うっひゃー、加藤くんち、信者いっぱい集まっちゃったねえ!」


 ハク様はどこか傍観者っぽい反応をしつつ、足は全力で階段を駆け下りていた。

 俺も転がり落ちるように階段を下りる。背後から「捕らえろ!」と声が響く。信者たちが一斉に動き出し、旗を揺らして追いかけてくる。

 あのサンドイッチおじさんが彷徨いていた時点で、この場所はすでに危うかった。


「アパートが特定されたのは分かってた。そっから部屋番号も、もうバレたのか!」


「それどころか、やっぱり名前も顔ももう認知されてる。とにかく逃げるよ!」


 ハク様が足を跳ね上げていく。逃げる先は決まっていない。ただ無我夢中で、あいつらに捕まらないように走るしかない。

 信者の大声が、静かな住宅地によく響く。


「どちらも取り逃がすな! 部屋の主である主犯は加藤樹、そして赤いほうがご神体を持ってる!」


 俺は走りながら、ちらっと振り向いた。


「ハク様がご神体を持ってることまでバレてるぞ!? これは流石に電話番号からは割り出せないよな!?」


「あっれー!? ホントになんで? どっからバレた?」


 ハク様も困惑している。困惑しているし全力疾走なのだけれど、軽い口振りのせいで妙に緊張感が薄い。

 後ろから車のエンジン音が聞こえる。どこに停めていたのかは分からないが、誘拐犯を追いかけて捕まえて連行しようとしているのだから、乗ってきていて当然だ。

 生身の俺とハク様に、逃げ切れるわけがない。

 まるでゾンビ映画だ。追ってくるのはゾンビではなく、熱狂的な信者たち。捕まったら懺悔室に閉じ込められて、悔い改めさせられて、そのまま入信させられそうなところは、ゾンビ形式だけれど。

 ハク様が背後に向かって悪態をつく。


「もー! なんだよあいつら! 神を信仰するならそれに相応しい行動をとりなさいっての! じゃないと教団自体の品格が問われるだろー!」


「神様誘拐を企てる奴の言えることか!」


 息が上がって苦しいのに、俺は律儀に突っ込んだ。

 暑さと焦りと、溺れるような息苦しさで、頭がくらくらする。呼吸が苦しくて、マスクを剥ぎ取った。どこまで走ればいいのだろう。どこに行けば助かるのだろう。とりあえずどこか、店か民家に飛び込んでしまうべきか? しかし脳が酸欠になって、思考の余裕もなくなっていく。細い道路を車が追ってくる音が、みるみる近づいてくる。


 もうだめかもしれない。最後の悪足掻きだ。俺は狭い一方通行の道路に入る、曲がり角に飛び込んだ。

 ハク様の声が、鼓膜に響いた。


「危ない!」


 カーブミラーを見ていなかった俺は、こちらに一通直進で突っ込んでくる車に、全く気がつかなかった。

 青い軽自動車が目前まで迫る。頭の中が、真っ白になる。周りの音が全部止まって、真正面の車がスローモーションに見えた。キイイと、激しい急ブレーキが唸りを上げる。


 ――ああ、やっぱり神様なんていない。いるとしたら、俺は神様に見放されている。

 ぎゅっと目を瞑って、俺は最期を覚悟した。が。


「うわああ! 加藤くんって超幸運だね!」


 ハク様に飛びつかれて、我に返った。痛くない。生きている。

 目の前の車は僅か数センチのところで、間一髪、俺に接触せずに停止していた。足の力が抜けて、その場にへたっと座り込む。

 青い軽の運転手が、怒鳴りながら降りてきた。


「バカ野郎! 急に飛び出したら危ねえだろうが!」


 威勢のいい罵声が、耳をキーンとさせる。


「死にてえなら他所でやれ! ……って、加藤?」


 降りてきた運転手が、俺の顔を見るなり、声のトーンを落とした。俺も相手の顔を見て、目を見開く。


「中原!?」


 青い車の主――中原は、俺とハク様を交互に見て、目をぱちぱちさせた。


「どうした、加藤。なにやってんの?」


 そこへ、数メートル背後から、教団の男の声がした。


「いたぞ! こっちに曲がった!」


「まずい! 加藤くん、立って」


 ハク様が叫ぶ。きゅっと、教団の車が真後ろに止まった。俺はよろっと立ち上がるも、上手く体の軸が整わない。追いついてきた信者が、あっという間にハク様の腕を取り押さえた。ハク様がもがいて抵抗する。


「やだやだ! はなせー!」


「ご神体を出せ! どこに隠してる!」


 信者たちはハク様の動きを封じつつ、彼が持っているはずのご神体を探っている。

 ご神体を持っていなくとも、俺だって放置されるわけではない。信者たちが、俺にも襲いかかってくる。異様な光景を目の前にして、中原は唖然としていた。


「なにやってんだよ、本当に」


 それから彼は、弾かれたように自身の車の後部座席のドアを開けた。そして俺の腕を引っ張って、ほぼ担ぎ込むようにして信者から俺を引き離すと、そのまま後部座席に放り込んだ。


「よく分かんねえけど、乗れ!」


 車に転がり込んだ俺は、シートの上で姿勢を立て直して、ドアから外に手を伸ばした。


「ハク様! 手!」


 複数の信者に拘束されてもがきながら、ハク様がこちらに腕を突き出す。中原が運転席に滑り込む。俺の指先が、ハク様の指に触れた。エンジンのかかる音がする。俺は身を乗り出し、ハク様の手を掴んだ。

 車が動き出す。ハク様の体が引きずられる。ハク様を押さえつけていた信者も、一緒に釣れた。車が加速する。あとから追いついてきた信者たちが、狭い道路から飛び出す車に驚いて、蜘蛛の子を散らすように道を空けた。運転席から、中原の声が届く。


「耐えろよ!」


 ブウンと、アクセルが唸った。ハク様の指が俺の手を握り返し、爪を立てている。ハク様を押さえている信者もだいぶ音を上げたが、ふたりだけ根気強くしがみついている。俺は負けじと、ハク様を座席に引き寄せた。

 中原がさらにアクセルを踏み込んだ。車どおりの少ない住宅街の路地に、タイヤをぎゅんと滑らせる。ハク様に繋がっていた信者に二名も、堪らず振りほどかれて、べしゃっと地べたに放られた。身軽になったハク様は、タンッとアスファルトを蹴飛ばして、俺の引き上げる後部座席に飛び込んだ。

 ドアが閉まると同時に、ハク様は座席の背もたれにぐったりと背中を預け、大きく息を吐いた。


「死ぬかと思った!」


「神様なのに?」


 息を切らしながらも、俺はハク様に呟いた。彼はそれを聞き流し、ニッと頬を上げた。


「流石は加藤くん、神のご加護がついてるねえ。一発逆転で助かるなんてさ!」


「なにが神のご加護だ。元はといえば、ハク様がこんな事態を起こしたんだぞ」


 文句を言う俺はシカトして、ハク様は運転席に向かって前のめりになった。


「助けてくれてありがとう! えーっと、中原くんだっけ?」


「おお、怪我はないか?」


 ルームミラーの中で、中原が問う。ハク様はパーカーの袖から伸びる腕を胸の高さに掲げた。


「ちょっと擦りむいたくらい。信者の中には、もっと怪我した人もいたかもしんないけど」


「信者?」


 中原の素っ頓狂な声が、車内にぽつんと吸い込まれた。

 俺は首を捻って、リアガラスの向こうを覗いた。教団の車は、追いかけていていない。中原のハンドルさばきが撒いてくれたようだ。

 俺は体の向きを直し、中原に頭を下げた。


「中原、本当に助かったよ。ありがとう」


「一体なにがあったんだよ。信者がどうとか言ってたな」


「えっと……」


 聞かれて当然の質問なのだが、上手い言葉が出てこない。神様を誘拐して、教団を怒らせて、自宅アパートを囲われたなんて、バカ正直に話すことだろうか。ハク様は俺の出方を窺っている。沈黙に耐えかねて、中原が低い声を出した。


「なんだよ、言えないような理由? へえ、車道に飛び出して迷惑をかけられたにも拘わらず、あの場からお前らを助けてやった俺に、喋れねえって言うのか」


「あ、違うんだ、ちゃんと話す! 話すけど、ちょっと整理させて」


 まごついた俺に、今度は一転、中原はあっけらかんとして笑い飛ばした。


「冗談だよ! 言いたくないことのひとつやふたつ、誰にだってあるよ。無理には聞かない。別に気にしないし」


「気にしないの!? 気にはなるだろ」


 目を瞠る俺に、中原は一層可笑しそうに言った。


「気にはなるけど、気にしない! どんな事情があったって、あの状況なら俺は加藤の味方をする。それは変わらないからな」


 そうだった。中原はいつも、こういうおおらかさを持ち合わせていた。小さいことは気にしないし、大きいこともあんまり気にしない。こんな性格の彼といるのが心地よかったから、同僚である以前に、友達だった。

 入社以来ずっと一緒の中原なら、プライベートもよく知っている。彼が教団の信者である可能性は、限りなくゼロに近い。怖がることはない。中原は、信用できる。


「神様誘拐、なんだ」


 意を決して、その言葉を口にする。中原は存外真剣な声で繰り返した。


「神様……誘拐?」


「白き自由の教団ってあっただろ。ここにいる赤いの……ハク様が、その神様のご神体を持ち去って、教団に身代金を要求したんだ。俺はその手助けをしてるんだけど、手助けというか共犯者というか、教団から見れば主犯というか……」


 状況を話す間、中原は無言で車を走らせていた。


「当たり前だけど、教団を怒らせちゃって。中原に拾ってもらえなかったら、どうなってたか」


 商店街の通りを抜けて、広い幹線道路に出る。頭の中を整理しているのか、中原は少し時間を置いてから反応した。


「な、なんか壮絶だな。冗談にしか聞こえないけど、加藤が真剣なトーンで喋ってるってことは本当なんだろうな……。さっきの妙な奴ら、あれが信者ならしっくりくるし」


「信じてくれるか、こんな荒唐無稽な話を」


「で、身代金はいくらなんだ」


 車が赤信号で止まった。中原がやけに神妙な声で聞く。俺は赤い光を一瞥し、ハク様と目配せして、答えた。


「三億」


「三億!?」


 中原の素っ頓狂な声が、車内に響いた。横断歩道を歩行者の群れが横切る。中原はしばし、目をまん丸にしてそれ見つめていた

 信号が青に変わる。中原がまた、アクセルを踏んだ。


「今日、彼女が夜勤でいなくてさ。家に帰っても、俺ひとりなんだよ。だからさ、お前らふたり、泊めてやってもいい」


 中原の後ろ頭が、真面目な声で言った。


「泊めてやるから、その話、もうちょい詳しく聞かせろよ」

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