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「ボスに会いたい?」
先ほどのおじいさんが、怪訝な顔をする。彼はしつこく交渉に来たハク様にうんざりしているが、そんなことでめげるハク様ではない。
「お願い。会って話したい。これでだめなら、潔く諦めるから」
「はあ、しょうがねえなあ」
おじいさんは渋々と、曲がった腰を叩いて歩き出した。
河川敷を少し進むと、古いキャンピングトレーラーが打ち捨てられていた。とっくに廃車いった風貌で、タイヤはパンクして沈み、トレーラー自体が傾いている。おじいさんはトレーラーのドアを、拳の甲で叩いた。
「ツキちゃん、おるか?」
彼の声に反応して、ガコ、とドアが揺れた。ドアがゆっくりと隙間を開け、中からその主の顔が僅かに覗いた。
その顔を見て、俺もハク様も絶句した。
「な……なんでしょうか」
そう言って縮こまっていたのは、およそ高校生くらいに見える、少女だったのだ。
ホームレス社会のボスというから、長老的なおじいちゃんか、力の強そうな男が出てくるかと思った。予想を大きく裏切られた。
伸ばした長い髪に白い肌。巻きつけた毛布ワンピースにして、華奢な体を包み込んでいる。怯えた目をして震えて、まるで捨てられた仔猫のような、警戒心とか弱さを滲み出させていた。
「え……女の子?」
俺がやっと声を出すと、彼女はびくっと小さくなり、ドアを閉めようとした。おじいさんホームレスが引き止める。
「ツキちゃん、話だけでも聞いてやってくれ。俺がここで見張ってるからよ」
「ひええ……月華、怖いです」
女の子が泣きそうな顔になる。俺は目を白黒させた。どういうことだ。こんな気の弱い女の子が、ここ一帯のボス? 大体、こんな若い子がこんな生活をしているだなんて、行政はなにをやっているのか。
俺はひとまず、ここまで案内してくれたおじいさんに尋ねた。
「この子がボス?」
「そうだ。月に華と書いて、ツキカ。来たときから字が書けない子でな。名前の字は、ここの先住ホームレスたちがつけた当て字だ」
事情が複雑そうなのは、見てのとおりだ。しかしこの少女がボスというのはどういう経緯だろう。困惑する俺を窺い、おじいさんは言った。
「橋の下社会は助け合いの世界だ。恩を受けたら返す。人に恵を与える者にはそれ相応の価値がつき、地位が上がっていく」
月華さんが少し、ドアを押した。隙間が大きくなると、トレーラーの中が見えた。おじいさんが続ける。
「ツキちゃんはそうやって、人に恵みを与え続けて、ありがたがられて、ボスに上り詰めたんだよ」
埃と古紙の匂いがする。トレーラーの床には骨の折れた傘、錆びた金属片、片方だけの靴などが散らばり、窓には雑誌の切れ端が、カーテン代わりに吊るされている。床に置かれたクッキーの空き缶には、ビンの欠片やペットボトルの蓋が詰め込まれ、まるで宝物かのように飾ってある。
トレーラーの中――月華さんの家の中は、どうやって生活しているのか分からないほど、ガラクタで溢れかえっていた。
「ツキちゃんはな、とにもかくにも物を拾ってくる。どこから持ってくるのかは分からない。俺たちだってゴミを漁ったり空き缶を拾ったりはしてるが、ツキちゃんほど物を集められる奴はそういねえ」
おじいさんが語る。
「でもこの子はすごく変わっててなあ。新鮮な食べ物も、集めると金になる空き缶も、拾っては来るが『いらない』と言って他のホームレス連中に分け与えちまう。一方でなににもならないガラクタが大好きで、それは人にねだるほどだ。他のホームレスが持ってきたゴミと、ツキちゃんが拾った食べ物を交換してる」
月華さんは、その特殊な嗜好によってガラクタを集め、逆に価値のあるものを人にあげてしまう。貰った側は彼女のおかげで暮らしが豊かになる。そうしてありがたがられて、月華さんはこの河川敷になくてはならない存在になり、ボスとなった……と。
俺は慎重に、月華さんに会釈した。
「はじめまして、月華さん。加藤っていいます。ちょっとお伺いしたいことが」
身代金の受け渡しに、この河川敷を使ってもいいか。を聞きにきたつもりだったが、それ以上の問題を発見してしまった。
「未成年……ですよね? 社会福祉の制度とか、もう試しました?」
もちろんおじいさんだって放っておいていいわけではないが、こんなうら若い人がこうなっているのでは、聞かずにはいられなかった。ハク様がちらっとこちらを見た。月華さんが首を竦めて、消え入りそうな声で答える。
「月華、これでもちゃんと大人です……好きでここにいるんです」
月華さんは、きゅっと、トレーラーのドアの淵を握った。
「ここは月華の大事なもの、いっぱい集めた、大事な場所です。鍵もかかるから、安全です。月華も、月華の宝物も、大事に大事に守ってる場所です」
そこでおじいさんが口を挟む。
「俺たちだって心配して、役所に相談したさ。でもツキちゃんにとって価値があるのは、この場所でのこの生活なんだとよ」
「価値があるものはなにか。それは人によって違うからね」
そう言ったのは、ハク様だった。
「愛する人の写真はただの紙切れ。約束の指輪はただの金属の輪。人間はただのたんぱく質。ある人にとっては塗料を塗ったガラス玉でも、別のある人から見れば神様で、それに三億以上の価値がある。加藤くんから見て過酷に見える生活も、彼女にとっては薔薇色の日々。ものの価値を決めるのは、人の心だ」
「そ、そうです」
月華さんは、それが言いたかったといった顔で、前のめりになった。
「月華、皆が欲しいっていうものがなんで欲しいのか分かんないし、いらないっていうもの、なんでいらないか分かんない、です。欲しい人がいるならあげるし、いらないなら欲しいんです」
言葉を探り、選びながら、彼女は自分の考えを語ってくれた。
「誰かのいらないもの……捨てたいもの、隠したいもの、そういうのが、いちばん、月華にとっては意味があるように思えます。いらないものを持ってること、他人にばれないように、もっと価値の分からないもので虚飾する。月華は、それが美しいと思うのです」
すごく独特な考えの子だ。俺には難しい境地だが、ハク様はうんうんと頷いている。
「素晴らしいセンスだね。因みにこちらの加藤くんは、勤めていた会社が世間様の『いらないもの』になって、社員もいらなくなって野に放たれた人なんだけど、どう思う?」
「え、酷い」
俺はハク様の急な暴言に耳を疑った。一方月華さんは、おもちゃを見つけた子供のような目で、俺を振り向いた。
「素敵です。世間からいらなくなった会社の、いらなくなった人。そんな人のいらないもの、欲しい……」
「ちょっとハク様? なんかおかしな方向に持っていくのやめて?」
「加藤さん。加藤さんのいらないもの、見せてください」
月華さんが期待に満ちた目で見つめてくる。俺は戸惑いながらも、鞄の中を探った。先ほどコンビニで買った、昼食の惣菜パンのゴミがある。
「これは……流石にゴミすぎるか」
しかし月華さんは、ますます目を輝かせた。
「わあ! パンの包装! 素敵です。包装は、素晴らしいものです。これがないと商品にならない、たしかに必要なもので、製パン工場はお金を出してまでこのフィルムを買っている。でもパンを食べ終えて、包装の役割が必要なくなったら、ゴミになるんです。役目を終えた途端失われる儚い価値は、永遠に価値があるとされる宝石よりも尊いのです」
「分かんないけどそうなんだ」
無理に理解しようとするのはやめて、とりあえず受け入れるだけ受け入れる。ハク様はさて、と切り替えた。
「率直に聞くよ。月華ちゃん、この河川敷で、ある企画を行う。橋の上から物を落として、それを下で回収する。落としたものと、隠れてる俺たちを捜して、知らない人が大勢来るかもしれない。こういうの、嫌かな?」
「う……」
一気に情報を入れられて驚いたのか、月華さんはびくっと目をつぶりドアを閉めかけた。しかしハク様はもうひと押しする。
「許可してくれたら、菓子パンのゴミ、あげちゃう」
「よいですよ」
月華さんがノータイムで返した。黙っていたおじいさんがぎょっとする。俺も信じられなかったが、月華にパンのゴミを手渡した。彼女は丸められた包装を、まるでかわいいマスコットでも貰ったかのように両手で大切そうに受け取った。
「ありがとうです。大事にします」
嬉しそうな彼女を見ると、最初はハク様を拒絶していたおじいさんも、仕方ないかと納得した。
「世話になってるツキちゃんが言うんじゃ、俺あ文句言えねえよ。好きにしな」
「ありがとうございます。なるべくご迷惑はかからないようにします」
俺はおじいさんにも月華さんにも、深くお辞儀をした。




