表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/57

2

 カンカン照りの真昼間、やってきたのは、市を東西に分ける早緑川だった。そこに架かった早緑橋の、東側の袂である。

 早緑橋は、約六百メートルの大きな橋で、七月の終わりに行われる花火大会で全国的にも名の知れた場所だ。高さは三十メートルほどで、下に広がる河川敷は雑草が蔓延る荒地である。

 そんな河川敷にも、人々の日常がある。特に橋の下の、雨風が凌げるエリアには、ダンボールとブルーシートやコンテナでできた小さな家が、ぽつぽつと点在していた。


「あれ? ハク様、まだいないのか」


 買い出しのあとの待ち合わせ場所は、ハク様に指定された。ここで間違いないはずだが、周辺にハク様の姿はない。トランクと、河原と橋。ハク様がどんな計画を思いついたのかは、まだ聞かされていない。

 大人しくハク様を待っていると、ふいに、声をかけられた。


「おい、貴様」


 ひゅっと息が止まった。まさか教団の信者が、俺に気がついたか?

 恐る恐る顔を上げ、また驚いた。テレビでも稀に見るレベルの、彫刻のような美青年が、俺を睨んでいるのだ。艶のある黒髪に、さらっと着こなしたモノクロのモード系ファッション、色素の薄い瞳は透き通った銀色に見えた。

 と、そんな超絶美形なのだが、その表情は険しい。


「貴様……赤い衣の男を見なかったか」


「赤い……」


「名は白珠という。貴様ほどの背格好の男だ」


 白珠と聞いて一秒ほど本当になんのことか分からなかったが、はっとした。白珠様――ハク様のことだ。

 その名前が出るということは、この男は白き自由の教団の信者か。帽子とマスクで顔を隠したつもりでも、嗅ぎ付けられてしまったか。

 しかもこいつは、赤い衣の男……ハク様のことも知っている。ハク様は自分の情報は一切洩れていないと高を括っていたが、もしかして彼も、とっくに特定されているのではないか。

 内心死ぬほど動揺したが、ここは営業で培ったスキルの発動である。感情を、顔に出さない。


「知りませんね」


 素知らぬふりだ。幸い俺は目立つ特徴のない外見の、中原の言葉を借りればモブの通行人Bの顔をしている。加藤樹ではなく人違い、ハク様は見ていない。と主張しきって、乗り切る。

 しかし男はその美貌をますます険しくして、ますます近づけてきた。


「川を挟んで反対側の岸から見えた。奴はたしかにここにいた。しかし私がここへ渡ってくるまでの隙に消えた」


「そう、ですか」


 ハク様、俺がここに到着する前にいたのか。でも見ていないのは本当である。


「貴様はここにいた。あんな目立つ服の色なのに、見ていないと言うのか」


「見てないです。俺も今ここに来たばっかりです」


「そうか。役立たずめ」


 男の鋭い眼差しに、俺はつい顔を顰めた。いきなり声をかけておいて、これはないのではないか。

 それにしてもこの男は、ハク様のことは捜していても俺自身が何者かは気にしていない。教団の信者なら、俺も捕まえたいはずなのにだ。俺は少し、探りを入れた。


「その赤い服の人に、なにか用があるんですか?」


「決まっているだろう。殺すのだ」


 引くほど直球な返答が来た。もはや感情を表に出さないスキルが切れて、素で顔を歪ませてしまったが、男は平然と続けた。


「叩き潰して痛めつけ、泣いて許しを請うても、やめてやらない。私が上であることを教え込むのだ」


 やばい人だ。ハク様も相当変な人だと思っていたが、こっちのほうが攻撃性が高い分よりやばい人だ。もう関わりたくない。俺はそっと、土手に向かって歩き出した。


「そうですかあ……では、俺はこれで」


 背を向けてさっさとに逃げると、男も舌打ちして去っていった。数分前までは広野さんとの再会で浮かれていたのに、その直後にこれだ。落差が酷い。

 土手を少し進むと、橋の下が見える角度になった。草の茂った荒地を眺めていて、草の緑と河原の石のグレーの中に、ひと際目立つ赤を発見した。


「あ! いた!」


 ハク様だ。橋の袂で待ち合わせという話だったはずが、橋の下にいるではないか。俺は石段を使って河川敷に降りた。


「ハク様!」


 呼ばれて、ハク様も振り向く。


「加藤くん。結構早かったね。ちょうどいいトランクは見つかっ……あれ、持ってないじゃん」


「いいトランクは一軒目の店ですぐに見つかった。けどごめん、まだ買えなかった」


「どういうこと? まあいいや、俺のほうもまだ準備途中。合流できたし、ここからは一緒に練ろう」


 そう話すハク様の前には、ホームレスらしきおじいさんがひとり、佇んでいた。皺を刻んだ浅黒い顔で、ダンボールハウスを庇っている。


「面倒事に巻き込まれるのはごめんだぞ。他でやってくれ」


「そこをどうにか。一瞬だから! 迷惑がかからないようにするから!」


 ハク様が両掌を合わせて拝むも、おじいさんはそっぽを向く。


「知らん。俺が認めてもここらの他の住人やボスが許さんわ」


 おじいさんに追い払われて、俺とハク様は橋の下を出た。川に沿って河川敷を歩きつつ、ハク様に聞く。


「どういう状況? ……かは、なんとなく推測するに、ハク様はここを身代金の受け渡し場所にしたいんだけど、先住民と揉めてる。ってとこ?」


「そのとおり。察しがいいね加藤くん」


 ハク様は眉を寄せ、くるりと後ろを向いた。後ろ歩きになって、先ほどまでいた橋の下を指差す。


「身代金受け渡しの代表的な方法のひとつに、高いところから落下させ、下に隠れる誘拐犯が回収する、という手段がある。教団にはあの橋の上から、三億円を投げ捨ててもらう」


「三億を……橋から捨てさせるのか」


 自分だったらそんな大金を、無造作に扱えない。ハク様は続けた。


「ここは見てのとおり、住む人がいるほど素敵なロケーションの土地。俺たちもここにダンボールハウスを作って、橋の下の社会に紛れるんだ」


 風が草を揺らす。日差しは強いけれど、水が近くて人が少ないおかげか繁華街より涼しい。


「今回の作戦は、深夜に行う。トランクが落ちてくるまで、俺と加藤くんはハウス内で身を潜める。約束の時間にトランクが投下されたら、ハウスの中に引きずり込む。という作戦」


 ハク様がトランクを放る身振りをする。


「教団は多分、今度こそ誘拐犯を捕まえたいと考える。受け渡し時に接触を試みるだろう。でも、落としたトランクがスンと消えちゃったら、捜しようがない」


「そうか、受け取った瞬間にダンボールハウスに中に引き込んで隠すんだもんな。しかも深夜で、こんな街灯のない河川敷なら、どこに消えたか見えない」


「ただしそうなれば、信者たちはここ一帯のダンボールハウスを全部解体はじめるかもしれない。そうなら無関係の人たちに迷惑がかかるから、ここで俺がフェイクになる」


 そしてハク様は、ひとさし指を立てた。


「そこで役立つのが、加藤くんが準備するトランク。落ちてきた三億円入りトランクと、空っぽの中古トランクをすり替える。本物はダンボールハウス中に残る加藤くんが守る。俺はダミーのトランクを持ってダッシュする。この目立つ格好で信者の目を釘付けにしちゃうよ」


 三億円を落とした橋の下から、落としたものとそっくりなトランクを持った赤いパーカーの人物が飛び出してきたら、教団はそれを追うだろう。


「そして俺はわざと捕まり、ご神体を教団に返す。加藤くんは三億円を獲得し、教団にはご神体が戻る。これで交渉は成立。という作戦だったんだけど、いかんせんトラブルが……」


 ハク様が見つめる先には、橋の下で暮らすおじいさんがいる。


「こういう作戦なら、住んでる人たちに場所を使わせてもらえるように交渉しないといけない。とはいえお金の受け渡しとははっきり伝えられないから、橋から物を落としたりそれを回収したり、よく思ってない人たちが追いかけてきたりするよってことだけ伝えたんだ。けどまあ、彼らからしたらそりゃあ迷惑な話で」


 照りつける日差しの中、ハク様は頭を悩ませた。


「橋の下には橋の下の社会がある。住んでる人たちは他の住民と上手くやっていけるように独自の文化とルールを持っている。ボス的な立場の人がいたりとかね。そういうところに、部外者が訳分かんないことしにきて、場を荒らしたら、嫌に決まってるわけよ」


「そうだよなあ」


 俺がトランクを探しにいっている間、ハク様の役割は受け渡し場所の下見だった。地理の把握、逃走コースの確認を含め、現場を見に来たのだ。そしてこうして、「住人の許可が下りない」という壁にぶち当たった。


「別の橋にするか? この川、橋は他にもあるよ」


 俺が提案すると、ハク様はいや、と首を横に振った。


「見通しの良さとか、川の水の引き具合、教団の信者が隠れる場所の少なさとか、条件を鑑みたときにここがベストなんだ。第二候補はここより三つ河口寄りのあさぎ橋なんだけど、あっちは高さがあるからトランクが壊れそうなんだよなあ。やっぱここがいいんだよ」


「でも住民の反対があるなら不可能なんだよな。もう橋の下作戦は諦めて、他の受け渡し方法を考えるか?」


「うーん、でももうちょっと考えたい! なんか打開策があるかも」


 ハク様は踵でくるんと半回転し、再び前を向いた。俺は彼に続いて、河原のゴロゴロの石を踏みしめた。


「作戦自体も厳しそうじゃない? ハク様が単独犯のふりをしてダミーのトランクを持って逃げて、教団信者の視線を誘導してる隙に、俺が本物を持って逃げるんだろ?」


 計画を頭の中でシミュレーションすると、危なっかしいポイントばかり気にかかる。


「まず、教団側はもう、誘拐犯はふたり組みだってことに気づいてると思う」


「そう? 公園では、面が割れる前に逃げてきたから、ふたりかどうかは分からないんじゃない? むしろ電話番号と、そこからひもづいた個人情報が洩れてるのは加藤くんだけで、俺のほうは全く割れてない。教団は自然と『誘拐は加藤樹の単独犯』というバイアスがかかるんじゃないかな」


 ハク様に言われ、俺は首を捻った。


「でも電話は俺もハク様もかけてる。声の違いで、ふたりいることに気づかれてるんじゃないか?」


「と、思うじゃん? 加藤くんが電話で話してるのは教祖のみ、俺が話してるのは事務員さんと黄色ジャージだけ。教祖とそれ以外が聞いてる声が別人だってこと、分かりようがないんだな」


 ハク様は自信ありげに胸を張り、続けた。


「そして加藤くん見た目に大きな特徴ないから、仮にダミーを持って飛び出したのが俺だったとしてもバレないよ。フードを被って顔を影にすれば、教団は顔をよく見ずに『あれが加藤樹!』って思い込むんじゃない?」


 彼は思い描くシナリオを、楽しげに語った。


「ダミーのトランクとご神体を持った俺が、教団に捕まる。教団はまずご神体に注目するから、トランクがダミーだと気づいても、三億出してご神体が帰ってきて、かつ誘拐犯も捕まえたなら万々歳。俺が加藤樹じゃないことはすぐに突っ込まれるだろうけど、『盗んだ携帯を使った。加藤樹さんはマジで無関係』と主張するんだ。ね。これなら加藤くんは罪を被らず、三億円を手に入れられるでしょ」


「俺は助かるけど、ハク様が捕まるじゃないか」


「捕まっていいんだよ、どうせ俺が持ってるトランクは中身がないからね。加藤くんが三億円を手に入れてさえいれば、目的は達成。俺は神様として、教団に戻るだけ」


 ハク様はそう言うが、俺は納得できない。


「それはただの設定だろ? そうじゃなくて、現実的に考えて、ハク様が教団に捕まったらどうなるか……」


「気にしなくていいんだって。なんなら捕まるまで込みで作戦だから。俺は教団にご神体を返して、罪を告白。加藤くんは冤罪ってことにして、放免。その後もしも君のところに教団の信者が現れたとしても、しらばっくれてくれればいいから」


 ハク様はそれでいいのだろうか。ハク様は教団内部やけに詳しいし、教団の関係者なのは間違いない。そんな彼がこんな事件を起こしたとして、教団に捕まったら、どうなってしまうのだろう。ハク様自信は腹を括っているようだが、俺はどうも、もやもやする。

 そして気がかりはもうひとつあった。


「さっき、ハク様を捜してる人に会ったぞ。赤い服なのも、名前も知ってた。あれ多分信者だ」


 俺は橋の袂で会った、感じの悪いイケメンを思い浮かべた。


「なんやらすっごいハク様のこと嫌ってたっぽい。ああでも、俺が誘拐犯なのは気づかなかったのか、すぐ解放されたけど」


 あれが信者だとしたら、信者がハク様を嫌う理由は分からなくもない。一般市民が「白珠様」を自称するなど、白珠様を信仰する教団にとってはとんでもない無礼に当たる。憎くて堪らなくて、許せないのだ。

 そこまで想像してから、俺はあれっと気がついた。


「あれ? でも『私が上であることを教え込む』とも言ってたな。なんだあいつ」


 信者なら「白珠」と呼び捨てにもしないだろう。では信者ではない? 少なくとも、ハク様を知る者ではあるようだが……。

 俺が首を傾げる隣で、ハク様はもう結論に辿り着いていた。


「ああ、それ黒髪のきれいなオニーチャンじゃなかった?」


「そう! ハク様も知ってる人か」


「コーくんだねえ。そいつはね、ほっといていいよ。この誘拐事件には直接邪魔になる相手じゃないから」


 驚くほどあっさり、ハク様はあの人物をあしらった。俺はハク様の余裕の表情を二度見した。


「ほっといていいの? なんか『殺す』とか物騒なこと言ってたぞ」


「そういうみっともない言葉を使っちゃう時点で格下なんだよなー。加藤くん、お目汚し失礼したね。早く忘れてしまいなさい」


 向こうはあんなに敵意剥き出しだったのに、ハク様のほうは鼻にもかけていない。どんな関係なのか聞こうとしたが、その前に、ハク様があーあと天を仰いだ。


「加藤くんからコーくんの話を聞いたら、橋の下のおじいちゃんの気持ちに一気に共感したよ。縄張り荒らされたらムカつくよね。殊に、いちばん上の存在……神様を冒涜するなら尚更。そんなの神様が許さない限り、罷り通るわけない」


 どういう意味なのかは、俺にはちょっと頭に入ってこなかった。ハク様が神様を絡めて喋るときは、大体意味不明である。そこで、ハク様ははっとした。


「そうか。逆に言えば親玉の許可を取れば、誰も口出しできないってわけだ」


 そして彼は、またくるっと橋のほうに体を向けた。


「行くよ加藤くん! 橋に戻るよ!」


「なんだ? なんか思いついたのか?」


 ハク様の自信に溢れた笑顔が、こちらを振り向いた。


「橋の下に社会があるなら、その社会を牛耳る者を落とせばいい。ホームレスのボスに直接交渉するんだ!」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ