継承の影
シアナもすっかり元気を取り戻し、屋敷にはまた穏やかな日常が戻っていた。
――けれど、あの出来事は、僕にとってただの一幕では終わらなかった。
僕は確信していた。 僕は、この世界に生まれ直したんだ。
転生者なのだと。
――白い光。
冷たく乾いた匂いの部屋。
ただ立ち尽くし、何も選ばずにいた自分。
その残滓が、今も胸の奥でかすかに疼いている。
どうしてそうなったのか理由は分からない。
けれど、不思議と抵抗はなかった。
母の柔らかな微笑み。
エルミナ姉さんの賑やかさ。
シアナの明るい笑顔。
そして、寡黙で家にいることは少ないけれど、確かに家族を支えている父。
この家族と過ごす屋敷は、ただそこにいるだけで心地よかった。
(……このまま、この世界で生きていこう)
そう思うと、決まった道を歩いているような安らぎが胸に広がった。
だが――時折り、この感覚に前の世界の澱が滲み出してくる。
白井悠真として、ただ敷かれた道を歩くだけだったあの人生に、 今の僕の心までもが、少しずつ侵食されていく。
けれど、その沈渣を抱えながらも、僕はまた日常の中に戻っていった。
◇
あの事件以来、僕の日常は大きく変わった。
秘密の魔法訓練。
もう、それはしなくなった。
理由はただひとつ。
あのとき、僕の手から零れ出た“力”に、強い違和感を覚えたからだ。
エルミナ姉さんが見せる魔法は、詠唱と共に世界へ響き、奇跡のように現象を形にしていた。
それは誰が見ても「魔法」と呼ぶにふさわしいものだった。
でも、僕の中から零れた力は、それとはどこか違っていた。
確かに発動はした。けれど、あれは本当に“魔法”だったのか――。
その答えが出せない違和感が、僕と魔法との距離感を変えてしまった。
だから、観察も練習もやめた。
代わりに、知識を求めるようになった。
屋敷の書庫に通い、古い本を開く。
難しい文字を追い、分からないことがあれば母さんや執事に尋ねる。
「治癒魔法が効かない病は、どうしてあるんですか」
「詠唱は、なぜ必要なんですか」
「マナは、どこから来るんですか」
「……じゃあ、なんで“無響区”では、魔法が使えないんですか?」
幼い声で問いを投げかけながらも、その奥には“自分の違和感を確かめたい”という思いがあった。
けれど、答えはまだどこにも見つからなかった。
だからこそ、僕はますます本の頁をめくり続けるしかなかった。
◇
そうして日々は流れ、5歳を迎える頃には僕の生活も大きく変わっていた。
ひとつは、屋敷で受ける授業だ。
学匠に読み書きや計算を習い、この国の仕組みや歴史についても少しずつ教え込まれるようになった。
前の世界で培った知識がある僕には退屈に思える内容も多かったが、 “うち”がこの国を支える三大貴族のひとつであることや、この世界はアレインという神が創り、マナや魔法を与えたとされる神話など、知らないことには心を惹かれた。
その神話の、どこまでが真実で、どこまでが物語なのか。
ただ――それについて、だけは、不思議と知りたいと思ってしまう。
まるで胸の奥に眠る“何か”が、囁いているかのように。
◇
もうひとつは、剣の稽古。
執事のオルフェの指導のもと、シアナと並んで木剣を振るうのが日課になった。
シアナと共に剣の修行が始まったころ、すぐに気づかされた。
シアナの剣は、明らかに尋常ではなかった。
幼いはずなのに、振るう木剣には迷いがなく、動きは澄んだ水のように淀みなく流れていく。
本能で剣を掴んでいる――そんな印象さえ覚えた。
そして、オルフェ。
彼はおそらく、ただ相手をしてやっているに過ぎなかった。
本気どころか、遊びの延長のように剣を振っている――それなのに、 一挙一動が桁外れで、踏み込みひとつにしても僕の知る“人間”の動きを超えていた。
まるで理そのものが違う存在を見ているようだった。
一方の僕はというと――至って平凡な五歳児に過ぎなかった。
当然、シアナの修行相手になれるはずもなく、ただ隣で木剣を振り回すことしかできなかった。
後になって授業で学んだことだが、この世界には「リメア」と呼ばれる、特有の概念が存在している。
リメア――それは、人の魂の奥に宿る、“心”と“意味”が生まれる場所だという。
まだ正確には理解できていないが、おそらく“感情”や“意志”といった要素を含んだ、魂そのものの源に近い。
リメアで生まれた“意味”が魔力を生み出し、それを外へと放ち、マナと共鳴させることで魔法が発動する。
逆に、その“意味”を内側で燃やすように使い、マナの反応を自らに向けることで、身体を強化する術もあるらしい。
オルフェやシアナの異常な動きは、まさにその技術の産物だったのだ。
けれど、それは僕にとって「魔法」と同じように理解しがたい領域だった。
論理や構造で説明のつかない要素が、確かにそこにある。
その得体の知れなさは、幼い僕にとって大きな壁のように立ちはだかっていた。
◇
――そして、もうひとつ不思議なことがあった。
剣や学問は与えられているのに、魔法の修行だけは与えられなかった。
きっと父の意向なのだろう。家を継ぐ者に剣を選ばせたいのだと。
そう考えたとき、胸の奥に沈んでいた“かつての白井悠真”の影が滲み出してきた。
小さな頃から、塾や習い事で敷かれた道を歩くだけだった日々。
自分で選んだわけでもないのに、気づけば形作られていた人生の輪郭。
その記憶の残滓が、魔法を許されない今の自分と重なり、胸の奥に澱のように沈んでいった。
……そして、母さんが時折見せる、微笑みの奥に潜む影。
あの頃の僕には、それが何を意味するのか分からなかった。
ただ、どこかで魔法と母の影は繋がっている――そんな気がしてならなかった。
◇
そんな折。
北方への遠征に出ていたガイルが、隊員を伴って久方ぶりに屋敷へ戻ってきた。
鎧に刻まれた細かな傷は、戦場での日々を物語っていた。
寡黙な背中は大地のように重く、剣を佩いたその姿には言葉にできない威圧感がある。
賑やかな屋敷の空気に、その背中は異質なまでに重かった。
◇
その夜。
食卓に並んだ静かな灯火の中で、父は唐突に口を開いた。
「――七年後の《責罪の儀》に、アーシェを連れて行く」
その言葉に、母は椅子を鳴らして立ち上がった。
「七年後でも、アーシェはまだ十二歳よ!
あの儀は危険すぎるわ。第二王子の事件だって……
こんなことは言うべきではないけど、私は、あの儀自体に反対です」
「罪を背負おうと、責を全うする。
それが、アルヴェインに生まれた者の定めだ」
父の声は低く。
その音に込められた意志は、石壁のように揺るぎなかった。
母は言葉を失い、唇を噛みしめた。
その横顔を、僕はただ黙って見ていた。
――アルヴェイン。
それは、僕にとってただの“家の名前”でしかなかった。
けれど、その響きは前世で呼ばれ続けた“白井”と同じものに思えた。
選んだわけでもなく、抗ったわけでもない。
ただ与えられ、歩いてきた名。
そして、心のどこかがざらついた。
《アルヴェイン》という名の奥に、何か目に見えない“かたち”が潜んでいる気がした。
まるで――この世界でも、また僕に“正しさ”をなぞらせようとする
得体の知れない影のように。
――七年後。
僕は、自らの足で踏み入れる。
この、責と罪の底なし沼へと。
そして、緑の瞳の王女は――
必然として、僕の前に現れる。
僕は、まだ知らない。
父が、何を思っていたのか。
母が、何を願っていたのか。
姉が、何を背負っていくのか。
そして――
この国が、どこへ向かっていくのかを。
抜粋 ― 『意味と因果』より
我らが知りたいのは、ただ一つ――マナの正体だ。
人々は知っている。
“魔力”を放てば、マナが応じ、力となることを。
私はそこに仮説を立てた。
マナとは、すなわち“因果の力”そのものではないか、と。
炎が燃えるのも、水が流れるのも、石が落ちるのも――
すべては因果がそう定めている。
ならば魔力とは、因果へと手を伸ばすための術にほかならない。
だが、我らは因果を知らぬ。
火がなぜ燃えるのか。水がなぜ流れるのか。石がなぜ落ちるのか。
原因と結果を並べはしても、その“繋がり”を誰ひとり語れない。
因果を理解できぬ限り、この仮説は証明されぬ。
答えは目の前にありながら、なお扉は閉ざされたままだ。
――それを、私は嘆く。
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著:異端学匠 カーレン・ヴァル=エスト
『意味と因果』




