第一話 俺はだれ?
お読みいただきありがとうございます。
是非最後まで楽しんでいただけると嬉しいです。
俺は、歴史が好きではない。
いや。
正確には、嫌いではない。
ただ、三十八歳にもなって、休日に歴史小説を読みながら「この合戦の布陣はですね」なんて語り出すような人間ではなかった。
俺の仕事は、歴史ルポライター。
……と言えば聞こえはいい。
実際は、ネットニュースサイトから依頼をもらって、全国の城跡や古戦場、寺社を取材して記事を書く、しがないフリーライターだ。
一本書いて数千円。
交通費が出ると喜ぶ。
記事が読まれれば、少しだけ追加報酬が入る。
そんな生活だった。
歴史そのものより、現地に行くのが好きだった。
古い石垣を見る。
地元のおじさんから昔話を聞く。
資料館のおばちゃんに、展示されていない話を教えてもらう。
そういう取材は面白かった。
ただし、歴史の知識が身につくかというと、別の話だ。
織田信長。
豊臣秀吉。
徳川家康。
明智光秀。
この辺りなら分かる。
だが、戦国武将の家臣の名前を十人並べられたら、半分くらいは怪しい。
年号なんて、もっと怪しい。
それでも、俺には一度だけ大きな当たりがあった。
数年前。
歴史記事を書いた。
内容は、自分でも意外なくらい読まれた。
朝起きたら十万PV。
昼には五十万。
夜には百万を超えていた。
「……何これ?」
編集部から電話がかかってきた。
『桐生さん、記事、すごいことになってますよ』
「俺が聞きたいです」
『SNSでもかなり拡散されてます』
「何で?」
『こっちが聞きたいですよ』
その記事をきっかけに、少しだけ仕事が増えた。
出版社から連絡が来たこともある。
俺は思った。
もしかしたら、この仕事で食っていけるんじゃないか。
そう思った。
思っただけだった。
次の記事は三万PV。
その次は八千。
その次は二千。
バズったのは、その一本だけ。
結局、俺は元の生活に戻った。
三十八歳。
独身。
売れないライター。
貯金は少ない。
将来の見通しは暗い。
それでも、まあ。
死ぬほど不幸というわけでもなかった。
だから。
あの日、山道を走っているときも。
まさか自分が死ぬなんて思っていなかった。
*
雨が降っていた。
俺は取材帰りだった。
助手席にはカメラ。
後部座席には資料とノートパソコン。
今回の記事も、正直あまり期待していない。
「……また二千PVくらいかな」
独り言を呟く。
山道を走る。
カーブ。
路面が濡れている。
タイヤが滑った。
「え?」
車体が横を向いた。
「ちょ、待て!」
ハンドルを切る。
ブレーキを踏む。
だが。
遅かった。
ガードレールが目の前に迫る。
「うわっ!」
車が突っ込んだ。
身体が浮いた。
何かが割れる音。
そして。
世界が暗くなった。
*
「……?」
目を開けた。
知らない天井だった。
木。
梁。
薄暗い部屋。
「……病院?」
声が変だった。
高い。
幼い。
「……え?」
俺は起き上がろうとした。
起き上がれない。
身体が重い。
いや。
違う。
身体が小さい。
手を見た。
「……」
小さな手。
短い指。
細い腕。
俺は自分の顔を触った。
頬が柔らかい。
髪も長い。
服は着物。
「……なんだこれ」
立とうとした。
転んだ。
「痛っ!」
痛みは本物だった。
夢じゃない。
俺は四つん這いになって、部屋の隅まで這った。
そこに置かれていた金属の器に、自分の顔がぼんやり映っていた。
子供。
どう見ても二歳か、せいぜい三歳。
「……俺?」
器に映った子供も俺を見る。
「……嘘だろ」
そこから数日。
俺は訳の分からない生活を送った。
誰かが飯を食わせてくれる。
誰かが着替えさせてくれる。
眠れば布団をかけられる。
歩こうとすれば支えられる。
俺が何を聞いても、周囲の大人たちは困ったような顔をする。
「若君」
「若君、危のうございます」
「三法師様、お待ちくだされ」
三法師。
その名前だけが、妙に引っかかった。
「三法師……?」
聞いたことがある。
だが。
誰だ?
俺は必死に記憶を探った。
歴史。
戦国。
織田。
……何かある。
だが、思い出せない。
そもそも俺は歴史学者ではない。
戦国時代の人物を全部覚えているわけじゃない。
それでも。
四日目の朝。
廊下から聞こえてきた会話で、俺は初めて異常事態の正体に気づき始めた。
「明智光秀が……」
俺は振り返った。
「本能寺で織田様を……」
心臓が跳ねる。
「羽柴殿は?」
「中国より戻られました」
「清洲へ向かわれるとのことだ」
俺は固まった。
明智光秀。
本能寺。
羽柴。
清洲。
知っている。
全部知っている。
いや。
細かいことは知らない。
だが。
この単語の並びは。
「……戦国時代?」
俺は呟いた。
その瞬間。
外から大きな声が聞こえた。
「若君!」
人が走ってくる。
「秀吉様!」
「お待ちくだされ!」
「若君の御前ですぞ!」
何人もの大人が止めようとしている。
だが。
一人の男が、それを振り切って走ってきた。
小柄な男だった。
だが、動きは恐ろしく速い。
俺の前まで来る。
「おお!」
男の顔が近づいた。
そして。
ひょい。
俺は抱き上げられた。
「三法師様!」
男は嬉しそうに笑っている。
俺は固まった。
顔を見た。
見覚えがある。
教科書。
テレビ。
歴史番組。
ネット記事。
この男は。
「……羽柴秀吉?」
思わず口から出た。
男が目を丸くする。
「おお?」
周囲の家臣たちもざわめいた。
俺は秀吉の顔を見つめる。
秀吉はすぐに笑顔へ戻った。
「これはこれは!」
俺を抱き上げたまま、豪快に笑う。
「三法師様、この秀吉が戻りましてございますぞ!」
その名前。
三法師。
もう一度、頭の中で響いた。
三法師。
どこかで。
俺は。
こいつを。
知っている。
「……三法師?」
俺は秀吉の腕の中で呟いた。
その瞬間。
記憶の奥から、一つの光景が蘇った。
数年前。
資料館。
展示ケース。
古い肖像。
俺が書いた記事。
あの記事のタイトル。
「……」
思い出せない。
いや。
違う。
タイトルじゃない。
記事の最後に書いた文章だ。
俺は、あの人物について書いた。
織田信長の死後。
清洲会議。
その後の人生。
そして。
関ヶ原。
俺は秀吉の腕の中で、ゆっくり顔を上げた。
目の前にいる男。
羽柴秀吉。
俺を抱いている。
そして。
俺は。
三法師。
「……待て」
背中に冷たい汗が流れた。
俺が書いた記事の主人公。
まさか。
「俺……」
秀吉が笑っている。
俺を「三法師」と呼んでいる。
なら。
俺は。
「……誰だ?」
自分で分かっていた。
だが。
認めるのが怖かった。
そして、その恐怖の理由を。
俺はまだ思い出していなかった。
最後までお読みいただきありがとうございます。
いかがだったでしょうか。
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また、おかまバー〈ゴールデン戦国〉の夜話 ― 推し義龍様と転生ママ ―も連載中です。
そちらもよろしかったらご一読ください。




