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第一章 はためくリネン(4)

 ——朝——


 オーダ、ヴィル、アルコ、リテアらが長テーブルの片側に横一列で座り、反対側にシズクとカズオが座る。いつの間にかこの領館の食堂はこの席次になっていた。


「ではヴィルよ、石鹸工房の候補は見つかったか」


「はい。谷からの風が強い下の村、誰も住まなくなって間もない廃屋がございます。こちらが最適かと」


「また大工たちに前金で大規模工事を依頼せねばな」


「すみませんがよろしくお願いします。こっちからは金の掛かる話ばかりで申し訳ありません。鍛冶場で道具を一つ誂えていただきたいなーと……そのー、費用の方が……」


「構わん。仕事を渋るようなら遠慮無く前金を付ける。そういうときはオーダが保証していた、と言えばよい。あとはヴィルがよしなに交渉するだろう」


「あとは、北部から定期的に届く海藻を徹底的に洗って干してくれる人手と、石灰石を焼き続ける人手ですね。この世界の給金の相場がわからなくて……」


「都度何人必要かはあとで見積を言ってくれ。ヴィル、触れから賃決めまでよしなにやってくれ」


「かしこまりました。あとは脂を煮込む係、薬剤を混ぜる大役ですが、如何いたしますか」


「牛でも豚でも羊でも脂が一定量集まった時だけ作る、という体制が望ましいと思います。安定雇用を生み出せればそれに超したことはないんですけど……薬剤を混ぜる役はあまりにも危険なので必ず俺がやります。下手をすれば何もかも溶けてしまいますから……ただそれ以外の役割はどなたかがやって頂けると助かりますね……」


「ふむ。ならば獣脂を煮込む係に限って、石鹸の現物を貰えるという約束事にするか。細かいところはヴィルに計算させるが、この石鹸、交易に出せばまあまあな富になる単価になると考えておる。なので一般の民も欲しがるであろうな。カズオの言う通り髭剃りの時に石鹸の泡を使ってみたが実に馴染む。これは国内の富裕層が欲しがるぞ」


「そうですね。今の段階で領内の全家庭にあまねく石鹸を配ることは難しいですし、人が集まる宿屋兼酒場、あちこちで建設中の洗濯場、これから皆さんが使うであろう診療所にあるだけで皆さんの手や衣類が綺麗になると思います。なので領内はそれで十分かと」


「そんな大変な石鹸、前に作ったのを全部診療所に貰って良いんですか?」


 シズクが恐る恐る尋ねる。


「まずは価値が確実にわかるシズクさんが使うのが一番いいと思ったんだ」


「私もそう思う。あんな端数では交易にも出せんよ」


 オーダは笑いながら茶碗の茶を飲み干す。石鹸で綺麗に洗われた茶碗だった。その時、領館のドアが勢いよく開けられ、冷たい外気とともに知らせが届いた。


「そうか。ついに病人が街道沿いに出始めたか……アルコ、街道の関改めはできるか? 咳込む者は領主名で出入りを禁ずると」


「御意に」


「こうしちゃいられない。俺たちも今すぐ診療所に向かって受入体制を整えないと」


「カズオさん、前にも言いましたが、この国では病人は教会が診るものです。少なくとも今のうちは……」


 シズクが悔しそうな目で語りかける。


「カズオさんよりひと月ぶん長く生活して肌で感じましたが、教団の権威は強いです。とても。そんな中、患者さんを教会から連れ去って診療所へ連れて行ったらどうなりますか? 人さらいとそしられるんです」


「あっ……そうか。そうなのか……なんて世界だ……じゃああれだけ準備した診療所は無駄……? まさかね……」


「今は潮目が良くない。が、みておれ。良い話ではないが、すぐに教会から病人が溢れる。あるいは布施を払えない病人が追い出される。その者どもを受け入れるつもりでおるのだよ」


「なるほど、そうでしたか。過去の流行の傾向……といいますか、いつどこでどれくらいの病人が出たかっていう記録は残っていますか?」


「ございません」


 リテアは手元から目を動かさず即答した。ペンが記録を続ける音の中、カズオは顎に手をやり逡巡したのち、オーダたちに向かって喋り始めた。


「こういう病気は個人の話になりがちです。ただその一人ずつの記録を積み上げて行くと、見えない病気と闘う武器が一つ増えます。石鹸と同じくらい」


 オーダとヴィルが身を乗り出してきた。


「例えば今日、下の村で二人病人が出ました。次の日、新しく四人増えました。その次の日は八人の病人です、という記録があれば、その明くる日は何人分の病床を用意すればよいか、という見積が立てられます。診療所の忙しさが一晩で倍になるんですから、それなりに準備もしなければなりません。もちろん数字の裏に人の命が懸かっているのは忘れてはいけないですけど……」


「なるほど。予測できればさらに湯を用意するなり、床を増やすなりして、打てる手数が増えるということか。算術に俄然興味が沸いてきたぞ」


「ご慧眼です。ああ、俺の生徒達もみんなこれくらい物わかりが良ければ……いえ、話がそれました。つまり記録することはとても大切、なので俺は子どもに算術を教えたかったんです……」


 カズオは少し遠くを見ながら力弱く呟いた。


「ならば記録をつければよいのだな? リテアよろしく頼むぞ。疫病記録は今日から始めよ、記録対象が無くなるまでだ。そしてアーカイブに収めよ」


「……承知しました」


 カズオの算術をあまり信用していないリテアはどこか不満げだ。気づけばカズオは満面の笑みを浮かべている。


 シズクがあっ、と気づいた顔でオーダに尋ねる。


「前に下の村で発生した患者さんたちはどうなりましたか?」


「あの一家ならもう土の下だ。幸か不幸か一家三人だけで留まってくれたよ……女神の加護があらんことを祈ろう」


 オーダは首を振り、胸の前で両手を組み、お祈りのポーズをとる。万策備えてきたはずのシズクも今は祈ることしか出来なかった。


「領内の出来事を全てアーカイブに収めるためにも、教団側で診ている病人の数も集計した方が良さそうだな。どうやって村ごとに『集計』すればよいか……気は進まんが、これから領司祭の所へ行って話をつけてこよう。ヴィル一緒に来てくれ」


「かしこまりました」


「それでは私たちは診療所へ向かいましょうか」


 シズクが覚悟を決めた表情で席を立つ。


「待ってください」


 カズオが皆を大声で静止する。


「こんな状況だからこそ、『周知』の出番だと思うんです。清潔な水で手を洗うことを領民に説くべきだと思います。口・鼻を覆う布の配布、石鹸の欠片も配りましょう。ホントは物で釣るのはよくないですが……病人、死者が増えると何もかもが停滞します。それは領主としても許容できないのではありませんか?」


「たしかにそうだな。板塀教室をやる触れも村へ回そう。リテアはカズオに付いてやれ。読み書きの領分に踏み込まないよう監視も含めてな」


 リテアは手を止めあからさまに不服げに返事する。


「……承知しました」


 ——翌日——


 診療所には二十人ほどの、見た目健康な領民が丸太椅子の上に座っていた。物に釣られたとしても忙しい日中の時間を割いて来てくれていることがカズオの重圧になった。


「皆さんこんにちは。東方からやってきたカズオと申します。」


 オーダがでっちあげた偽装(カバーストーリー)通りに自己紹介をする。


「今日から毎日少しだけ、皆さんを脅かしている『流行病』から身を守る方法をお伝えします。シズクさん、お願いします」


 貴重な木綿を切って作った布マスクをシズクが「生徒」一人ずつに配布しつつ、説明を始める。


「これは『マスク』といい、このように鼻と口を塞ぐためにあります」


「先生よぉ、これ、息苦しいわ。ずーっと付けてないとダメなのかい?」


「例えば周りに誰もいない時……農作業や薪割り仕事の最中は要らないです。街道を歩くときや、洗濯場で人と会うときなど、人が多いところで身に付けてください。咳き込んでいる人の周りであれば必ず」


 カズオが板塀に絵を描いて説明する。絵心がイマイチなので味わい深い棒人形の絵になっている。


「『流行病』は人から人へと移ります。その時このマスクがあれば他人から移る可能性が減るんです」


「病気になるのは女神さんの加護が足りねぇからだろ。関係ないべ」


「そう仰ると思いました。ではちょっと実演しますね」


 カズオが桶から柄杓で水をとり、石鹸の欠片を使って手洗いを実演する。


「おお、石から泡が出とる……。けどこれが何になるんだ?」


「いい質問です。皆さんが毎日つかう『手』。誰の手も平等に綺麗ではありません」


「そりゃ土汚れはあるだろうけどよ。わしらはわしらなりに水で手を洗っちょるよ」


「それではこれを見てください。石鹸で洗った手とくみ置きの水で洗った手、それぞれの手が持つ「汚さ」を見えるようにしたものです」


 リテアとシズクが盆を掲げる。皆で選別した赤い海藻を煮出して作った寒天培地だ。事前にカズオの手の菌を培養してある。


「こちらリテアさんが持っている方は、石鹸で洗った手の『汚れ』を増やしたものです。汚れが少ないため、良く分かりませんね。このシズクさんが持っている方は、くみ置きの水で洗った手の汚れを増やしたものです。手の形がくっきり見えるほど、濁っていてカビの斑点が増えているのが分かりますか?」


 村人達が驚嘆の声を上げる。この冬場に培地を育てるのは苦労した。高温多湿を維持するのが大変だったのだ。


「このように、くみ置きの水で手を洗っても汚れは残ります。皆さんはこの手のまま料理を作り、その手でパンをちぎって口に運びますよね。そうするとこの、『病気のもと』が身体の中へ一緒に入りこむのです」


「……なんてことだ。わしらはわしら自身で病気になっていたのか」


「女神の加護があってもなくても、日常的に病気の元は身体の中に入っていたんですよ。今から皆さんには石鹸を少しずつお配りします。ケチっているわけではなく、あまり数がないのでこのような形での配布になります。ご容赦ください」


 三人で石鹸の欠片を配っていく。領民たちは、これが噂の石鹸か……という面持ちで眺めたりしている。


「食事の前に、できれば流水で石鹸を使って手を洗う。人が多いところではマスクを身に付ける。今日はこれだけ覚えて帰ってください」


「そして、今日来れてないご近所の方に、明日ここへ来るようにお伝えいただけますか? そしてお子さんたちには、算術を教えたいのです。お子さんたちに毎日少しだけ、算術を学ぶ機会を与えてやってください。どうかお願いします」


 カズオは深々と頭を下げた。


「皆さん、今日はこれで終わりです。繰り返しますが、流水で石鹸を使って手を洗う。人が多いところではマスク、です。それではおつかれさまでした」


 ——衛生教室二日目終わり——


「それでは繰り返しますが、流水で石鹸を使って手を洗う。人が多いところではマスク、です。さようなら」


 まだ診療所に動きはない。今日も朝一番に大人向けの衛生教室を終わらせた。これから算術教室だ。


「子どもたち、来ますかね……」


「来ると嬉しいんですけどね。一回信用を無くしちゃったからね……どうなるか」


 その時、牛車を引いた領民が血相を変えてやってきた。


「ここで流行病の病人を診てもらえるって聞いたんだけど、本当か?」


「はい! 診ます! どうしましたか? どんな病状ですか?」


 シズクは元気よく返事しながらマスクを締め直した。


「うちの女房と息子が、昨日から咳が止まらないんだ。教会も人で溢れてるっていうし、そんなお布施を払う余裕もないし、皆が言うには『石鹸配り所』でも診てもらえるんじゃないかって……」


「わかりました。早速奥さんと息子さんを中に。お二人は歩けますか?」


「触ったら熱くてフラフラしててよぉ。牛車で運んできたんだ。そこの黒髪の兄ちゃんも肩貸してくれるかい?」


「分かりました。さ、診療所の中へ……」


 患者は咳き込み苦しそうだ。カズオでも彼女らの具合が悪いことはひと目で分かった。シズクは患者をベッドに寝かせ、木綿のマスクをつけてさせ、真新しい毛布をかけながら、状況を尋ねた。


「まず奥さんと息子さんのお名前と歳を教えてください、あと貴方のお名前もお願いします」


「女房の名前はアグネス。息子の名前はマルクス。オラの名前はルキウス。歳は……ナンボだろ。教団に訊かないとわかんねえなぁ。たはは」


「お住まいの村とお仕事を教えてください」


「変なこと聞くねお前さん。上の村の街道沿いで牛飼いをやってるよ。なあ、これで女房も息子も助かんのか?」


「ちょっと変かもしれませんが、どこの誰を診ているのか記録しているんです。オーダさんの意向で。治すために必要なので、順に聞きますね。いつから・どこで・誰と……これが大事なんです」


「領主さんのお考えは良くわからんなぁ。咳は一昨日からコホコホ言ってたな。熱は今朝からだ」


「アグネスさんとマルクスさんは一昨日の前にどこかへ行かれたりしました?」


「そうだなぁ……たまたまマルクスのが生まれた季節だったんで、奮発して宿屋がやってる食堂で飯を食ったんだ。それくらい、だと思う」


「……わかりました。ありがとうございます」


「なあ、本当に助かるのか? これからするんだろ? すんげえお祈りとか聖水の儀式を……にしてはご神体が見当たらないな……」


「まずは我々を信頼していただけませんか? 牛飼いのルキウスさん。これ以上ここにいると貴方も病気になるかもしれません。一旦外へ出て、黒髪の男に『石鹸をくれ』とお伝えください」


 問診の様子を一通り筆記していたリテアが体よくルキウスを追い出す。


「シズクさん、これからどうするんです?」


「クロ婆さんに教わって作った熱冷ましのお薬を使ってもいいんですが、先が見えないので、今はとっておきます。まずは部屋を暖めましょう。暖炉に火を点けて、お湯を沸かしましょう」


 患者二人の乾いた咳の音、暖炉で薪がパチパチと燃える音のみの静寂が続き、しばらくして診療所内は暖気と湿気に包まれた。


「ここからが大事なんですが、我々にとっての聖水を作ります。お湯も沸いてるところなので、ちょっとしたお料理といきましょう」


 シズクはお湯に岩塩の小塊を入れて煮溶かし始めた。岩塩が溶けきったら鍋を火から下ろし、蜂蜜で甘みをつける。計量カップも何もないので、蜂蜜を入れては味見をする。


「まだ塩味だけだ……もっと蜂蜜を入れないと……」


 蜂蜜を入れて、よくかき混ぜて、味見する工程を数度繰り返す。


「……涙より少ししょっぱい。飲み続けられる甘さだ。やっと出来た。リテアさん、記録をお願いします。『飲む聖水:鍋いっぱいのお湯、岩塩一欠片、蜂蜜二十匙。最後は舌で判断と但し書き』です」


 これをカズオが鍛冶場に依頼して作った鍋に入れる。


「その変な形をした鶴首の付いた鍋は一体なんですか?」


「これは私たちのいた所では薬缶(ヤカン)と呼ばれていた、主に飲み物を入れておくお鍋の一種です。柄杓を使わなくても中身を注げるんですよ。ほら、こうやって」


 石鹸で綺麗に洗われた茶碗に薬缶の中身を注ぐ。


「アグネスさん、マルクスさん、まずはこれを飲んでください」


 寝込んでいる二人の上半身を起こす手伝いをし、マスクをずらし、茶碗を手渡す。


「……美味しい。もう少しお代わりが欲しくなる、不思議な味の水だねェ……」


「おねーさん、これお代わりください。喉がイガイガしていたのに、すっとするようになったんだ……」


「はい、お代わりはありますよ。どんどん飲んでください。いまお二人に一番大事なのは、身体の水を切らさないこと。このお水は沢山飲めるように工夫してあります。そして飲み終わったら息苦しいとは思いますが、またマスクをつけてくださいね」


「ルキウスさんは二人を案じながらも帰って行ったよ。病気が潜伏しているかもしれないので、あまり人と会わないように釘を刺しておいた。経口補水液は俺もやりたかったんだけど、蜂蜜は思いつかなかったな。喉に優しいやつじゃんそれ」


 カズオが診療所に入ってくる。


「今日は子どもが集まらなかったので算術教室は無しだ。俺は何すればいい?」


「薬缶の発注助かりました。これを見越しての話だったんですね。とても便利です。お仕事ですが、室内の湿気の維持もしたいので、診療所内の暖炉でお湯を沸かし続けてくれますか? お湯が沸いたら次の経口補水液を作ればいいですし」


 シズクはマスク越しに微笑む。リテアが呟く。


「領民に数を教えるというのは悪い話ではなくなってきましたね。こういう時に自分の歳も言えないというのは辛いと思います」


 ——翌日——


 また噂を聞きつけた患者が一家でやってきた。下の村の教会がいっぱいで全員断られたのだという。シズクは同じように受け入れ、看護し、経口補水液を与えた。手が空いたオーダも様子を見に来た。衛生的なことを気にしているのか肩まで伸びた髪を後ろで縛り、マスクをしてやってきた。そして興味深げに経口補水液を味見と称して一杯飲む。


「少ししょっぱいな。不思議な味だ」


「患者さんは汗をかいて身体から塩気が抜けていきます。それを補うための塩気です。健康な方でもこれが美味しいと思えるなら、身体の塩気が足りてない証拠です。オーダさんは健康ですね。これは夏場、汗をたくさんかく時にも効果的なんですよ」


「なるほど。塩気を感じる間は問題がないわけだ。この知恵も素晴らしい。領民に広めよう。材料も領内で簡単に集まる」


「甘みの材料、今回は喉にやさしい蜂蜜を選びました。夏場は黒糖のほうが良いのですが、やはり手に入りにくいですか?」


「黒糖は貴重品で隊商に頼む類のものだ。岩塩は領内でいくらでも掘っているんだがな。夏場でも蜂蜜のほうが良かろう」


 その時、診療所のドアをノックする音がした。新しい患者かもしれない。シズクがドアを開ける。そこには見たことの無い男が立っていた。


「ご機嫌よう、オーダ殿。ここにいらしてたんですね、探しましたよ」


 男は笑みを浮かべながらオーダに挨拶する。オーダも深々と礼を返す。


「ここには患者も居る、話は外で願う」


「よろしいですよ。ああ、それとそこの黒髪黒目のお二人、あなた方にもお話があります」


 診療所裏手の板塀教室。男はオーダ、シズク、カズオ、そしてリテアを眺めながら話を続けた。


「黒髪、黒目のお二人は初めてでございますね。私は月光教団所属、アペルティア領司祭、ドミニクス・クラウディウス十五世と申します。……ドミニクスとお呼びください」


 絹の紫色の司祭服を身にまとい、半月型のイヤリングを右耳につけたドミニクスが一礼する。


「……二人ともご挨拶を。ドミニクス殿、久しぶりだな」


 シズクもカズオも深々と礼をする。この男からは得体の知れない圧を感じる。シズクは思い当たる節があるようでドミニクスに声をかける。


「わ、私たち教会から患者さんなんてさらっていません。皆さん自発的に来られた方です」


「ええ、存じています。存じた上で言っています。病は女神様の試練であり、秩序そのものへの試練でもある。その試練を(かわ)す行為というのは、正直いただけませんな。治療の窓口が複数あるというのもいけない。民が混乱してしまいます。聞けばあなた方は対価を取らないそうで。我々は『お気持ち』を頂戴しておりますが、私どもの私腹を肥やすわけではありません。これらは救貧の財源となり、民の皆様へ再分配されるものです。……対価を取らないのは美徳ではありません。……お分かりですか? 規範の破壊です」


 ドミニクスは長々とした言葉をシズクにぶつける。


「それから黒髪の男。あなたです。聞けば洗濯器という人が集まる木桶を川に沈めたそうですね。人が寄れば噂が立つ。噂は秩序を揺らします。教会以外での『集まり』はよろしくありません。また水という資源を勝手に使っているのも如何なものか。川下に住む者の立場で、お考えになったことは? それに『清め』は我々教団の責務です。勝手に清めの道具を配るのは……ご存じなければお教えしましょう。教団への越権です」


「全て私の責任で行ったことだ。この者達に咎はない。領民の生活を守るのが領主の務めなのでな。秩序が揺れると言うのであれば――揺れぬ形に整えればよいではないか。赦しを請うつもりはない。これが私の統治だ」


「……忠告はしましたからね。オーダ殿」


 そう言い残すとドミニクスは待たせていた馬車で帰っていった。カズオが怒り心頭になる。


「なんなんですかあのドミニクスって人。おかしな理屈振りかざして嫌みったらしい。あやうく手が出かけましたよ」


「手を出さなくて正解だったな。教団傭兵部隊が即時に捕縛しにくるぞ。そして首と身体が永遠にお別れをする羽目になる」


 シズクは涙を流しながら放心している。自分がここにいること自体を否定された気がしたからだ。リテアが荒れた手でそっとシズクの荒れた手を握る。


「シズク、カズオ、気に病むことは無い。この領で私が最も頭を悩ませているのがドミニクスだ。彼は彼なりの統治をせねばならん。それは一つの筋ではある。ただ、今回我々の筋とは反りが合わなかった。それだけのことだ……」


「……オーダさんはこんな相手とやり合ってたんですが……俺たちがいかに恵まれていたか思い知りましたよ……シズクさん、俺たちも負けちゃいられない。俺たちなりの筋を通そう!」


 真新しい診療所の裏手、干されたリネンが揺れている。そのうち一枚が、乾いた音を立てて風で飛んだ。


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