2-16.逃走の先に
「そんな困惑しないでよ。助けに来たのよ」
残酷な世界である。しかし、この世界の人間は優しい。まだ生きようと思う――いや、思えた。リーベのおかげで。
ケンイチは左腕を抑えながら、立ち上がる。
後方の罵声に振り向くと、エリスがユーリと喧嘩――いや、一方的な暴力に近いが、とにかくリーベ、エリス、ハンドックが自分の味方をしてくれているのだと知る。
「この状況で誰1人欠けることなく、生還するなんて無理だろ」
「そうかもしれねぇけど、もっと他にやり方があるだろ」
「じゃあ、お前が考えろよ」
「んで、オレが――」
エリスとユーリの言い合いに、ハンドックが割って入る。
「喧嘩してる場合じゃない。今は、この場を乗り切らないと」
エリスとユーリは、とてつもなく仲が悪くなっていた。そんな2人を抑え込もうとするハンドックが不憫でならない。
「昔はあんなんじゃなかったのにね」
どっちが、なんて言葉を言っている暇はない。ゴブリンが放った矢をリーベがレイピアで弾いた。
寝ている暇はなく、ケンイチは立ち上がり、右手でショートソードを握った。片手だからこそ重量を感じ、長時間戦うことはできないだろう。
それでも、やるべきことはやりたいし、できることはやりたい。
「オレもやるぜ」
エリスは飛んだ瞬間、まるで雷のようにジグザグに移動し、4匹のゴブリンを切り殺した。あたりを鮮血で染め上げると、ゴブリンは怯み始める。余裕がなくなったのか、全員武器を構え、エリスに集中していた。
そこに、叩きこむのは――
「ファイアー・ショット!」
4本の炎がゴブリンを焼いた。炎にくるまれ、のたうち回って、やがて黒い炭となる。
「ガイア!」
ハンドックが地面に盾を突き刺した。その瞬間、地面は唸り、ガタガタと強い揺れに見舞われる。ゴブリンは、立つことができなくなり、地面に腕をついた。
その光景を見て、ユーリが鼻で笑う。
「アクア・スター」
彼の姿がまるで水のように薄くなった。小さく、透明な水は閃光のように走り、ゴブリンの腕を切り落とした。
「うぎぃぃぃーーー!」
両手を無くした数体のゴブリンは、地面で転げ回る。
「雑魚が」
吐き捨てるように言ったユーリはとどめを刺すなんてことはしない。その場から離れつつも、苦しんでいるゴブリンをあざ笑っていた。
楽しくて、楽しくて仕方がない――表情がそう物語っている。
「…………」
ゴブリンはあと5体。もう少しで終わる――そう思ったまさにそのとき、
「きぃぃぃぃぃぃぃーーーー!!!」
1人のゴブリンが吠えた。耳の鼓膜を破壊するような大きな声を森の中で響かせる。
「何をしたの……」
リーベは、眉を寄せながらそう言った。
「わからねぇけど、やばいってことはわかる」
エリスも緊張した面持ちをしている。
「きぃー」
「きぃー」
「きぃー」
森の中でこだまする叫び声は近くなり、やがて姿を現す。
それはゴブリンだ。木にぶら下がったり、茂みから顔を出したり、と自由な登場の仕方をする緑の化け物は、ケンイチたちを囲んでいた。
「おいおいおいおい。んだよ、これ! ずるじゃねぇか」
ズルかどうかは置いておいて、ケンイチはエリスの言葉に頷くしかない。数は10体ほど増え、目視だけでも15はいる。
こんだけの数を戦えるだろうか。
負傷した左手に視線を落とした。流れた痕跡だけを残して、血は固まっている。
無理かも――ケンイチの中には、『諦め』の2文字が浮かび上がった。しかし、他の4人はどうか。1人を除いて、三人は立ち向かおうとしている。この状況でも命を投げ出すことはせず、なんとしてでも生きてこの場をのり切ろうとしていた。
その1人というのは――。
「一抜けするわ」
ユーリである。
彼は引きつった表情のまま消えた。言葉通り、まわりの色と同化し、何事も無くスッと姿が無くなる。
「逃げるなよ。てめぇ」
エリスが声を荒げる。
「逃げるだろそりゃ。おれは死にたくないんだ。学力ない馬鹿でもわかるだろ? それくらい……。使えないやつの味方するお前らなんて必要ないんだ」
ユーリはその言葉を最後に、居なくなってしまった。
「まじかよ……」
エリスとハンドックが絶望する。
そんな彼女たちに希望の声をかけた。
「今は、逃げましょう」
リーベを先頭に、ケンイチ、エリス、ハンドックの順番で逃げる。最後尾であるハンドックは、シールドを発現させていた。
俺もするべきか――そう考えてみるも、リーベの足の早さについていくだけで精いっぱいだ。
「もう少し早く走れないのか」
後方のエリスがせかしてくる。
「これ以上は無理ですよ」
肺がズキズキ痛み、口の中にいっぱいの血の味が広がる。
「なら仕方ない」
エリスはダガーを握って、ケンイチの隣を走った。それから、飛んでくる矢を弾いてくれる。 リーベは自分で自分の身を守っていた。
そうして崖をそいながら走った一行は、ある穴を見つける。
「あそこ!」
リーベが指をさし、一同はその方向に目を向ける。人が入れるぐらいの大きな穴で、逃げるなら丁度いい。だけど――
「奥がどうなっているか」
エリスの言う通り、いま見えているのは表面上で、その先が見えていない。もし奥が無いのであれば、一同は死ぬことになる。
他に危惧する点があるとすれば――
「ゴブリンの住処っていう考えもある」
矢をシールドで守りつつ、ハンドックは少し大きな声で言った。
「その問題もあったか。あぁクッソ、まるでネズミじゃねぇか」
頭をかきむしったエリスは、少々イライラしている。無理もない話で、リーダーが自分たちを置いて逃げたのだ。傍観者であったケンイチでさえも胸糞悪い――最初から嫌いで良かった、と思っている。そうでなければ、傷ついていただろう。
「どうする。どうしよう!」
先頭のリーベは、混乱気味に声を張り上げた。
一体なにが――ケンイチは彼女の先を凝視する。そこにはゴブリンがいた。彼らは剣を持ち、頬を割いた不気味な笑顔を抱えながら、待っている。
「!?」
ケンイチは、光る何かを見つけた。それは左斜め前の木。天井が見えないほど高く、生き生きした葉が群れている中に、細くてか弱い光がケンイチの目に入った。
「ふざけんなよ、クソが」
隣にいたエリスが咄嗟にスピードを立てる。目の前のゴブリンを倒すためだろう――まずい。ケンイチは、離れる前に彼女の腕を掴んだ。
「行ったらダメだ。死ぬ」
正面に目を移したエリスは、「あっ」と声を漏らす。どうやら気付いたようだ。
「じゃあどうするんだよ」
「どうするって……」
ケンイチは、その先を見る。
「あの穴に入るんだ。絶対に」
「巣だったらどうするんだよ」
その通り。もし住処であったら死ぬ。だけど――。
「このまま走り続けても死ぬだけだ!」
「確かにな」
考える時間はない。
すぐさま先頭へと目を向ける。彼女の足は遅くなり、迷いが見えていた。囲まれているゴブリンたちに思考を遮られ、一体なにを選択するのが正解なのかと考えているようだった。
ケンイチは、声をかける。
「リーベ。あの穴に入ろう」
「本気で?」
あまりにも信じられない、と言ったところか。ケンイチは、マジのマジ。オオマジだ。
「もちろんだ! 絶対に行こう」
「………」
返事が返ってこない。考えているようだが、しかし、吹っ切れたのか、リーベはかたく「わかったわ」と言葉を出す。
次にするべきことは――。
「ハンドックさん」
彼の名を呼ぶ。
「なんだ」その言葉は後方から聴こえ、彼は防御魔法で背中を守ってくれていた。
「あの穴に入ります。だから、出口を塞いでほしいんですけど、できますか?」
「簡単だ」
考えることなく、即答してくれた。
「…………」
一気に重圧がのしかかる。もし自分の考えが間違っていたら、ここで4人が死ぬことになる。
頼むから安全であってくれ――力が無いケンイチは、神へと祈りをささげた。
「見えてきた!」
前方のリーベの声に、背中がそり立つ。緊張のあまりか手足に浮遊した感覚がのぼり、つばを飲み込んだ。
酷い喘ぎに反応して、肩が揺れる。
どうだ。どうだ。どうだ。
リーベが先に暗闇へと覗き込む。




