第14話 夜会の招待
前回の続きです。
官吏は、約束の刻限より少し早く来た。
応接の間には、家令も控えていた。夜会の支度のために、昨日から宿舎に詰めている。廊下の端には、衣装箱が二つ積んであった。
出るかどうかは、まだ誰にも言っていない。言っていないのに、支度だけは進んでいる。
(家って、こういうふうに動くのね)
官吏は若くなかった。紺のお仕着せに、第二王子の紋を縫い取った襟。
見覚えがある。十日前、庭のベンチの後ろで、木の陰に立っていた男だ。あのときは王子の背中しか見ていなかった。今日は、この男がこちらを見ている。
いや、見ていない。目は、エリゼの肩の少し上に置かれていた。
「殿下より、書状をお預かりしております。」
差し出されたのは、金の縁取りの厚い封筒だった。封蝋は王家の紋ではなく、殿下個人の印。
封を切る。文面は、短く、美しかった。
創立祭の夜会に、クローデル公爵令嬢エリゼ殿の御臨席を、特に賜りたく。当夜、大広間にて、殿下自ら席を設けてお待ち申し上げる。
署名は、セドリック・リュシアン。引き出しにあった殿下の短い礼状と、同じ字だった。本人が書いている。
王子が婚約者のために、自ら席を設ける。読むだけなら、誰もが羨む招きだ。
エリゼは、もう一度頭から読んだ。
(おかしいのは、文面の中じゃない。外だ)
婚約者を夜会に伴うのに、書状は要らない。王子が迎えに来ればいい。来られないなら、使いに一言持たせればいい。
それを、金の縁の書状にして、紋の入った官吏に届けさせる。
形が、重すぎる。
家令が、横から書状を覗き込まないよう、わざと目を逸らしているのが分かった。
「身に余るお言葉です。」
口ではそう言った。言いながら、指は封筒の縁をなぞっている。金の縁取りは、指の腹にざらついた。
「殿下は、当日こちらへお迎えには?」
「お迎えには、上がられません。」
答えは、用意してあった。
「お嬢様は、御自身の馬車で、定刻にお入りいただきたいとのことです。お入りになる扉も、こちらで。」
官吏が二枚目の紙を出した。大広間の見取り図だった。
印がついているのは、正面の大扉ではない。脇の小扉。入ってから広間の中央まで、まっすぐ歩ける扉だった。
「御出席のお返事を、この場で頂戴するよう申しつかっております。」
この場で。
家令が、わずかに身じろぎした。公爵家の娘に、王子の官吏が即答を求める。作法としては、珍しいのだろう。
見取り図の下に、もう一枚、紙が重ねてあった。端だけが覗いている。名前の一覧のようだ。いくつかの名前の横に小さな印があり、ないものもある。
(読めない。身を乗り出したら、きっと引っ込められる)
見えた形だけを、覚えておいた。
「お聞きしてもよろしいですか。」
「何なりと。」
「当夜、殿下が席を設けてくださるのは、私だけですか。」
官吏の目が、一度だけエリゼの顔に下りた。すぐに肩の上へ戻る。
「私は、書状をお届けするよう申しつかっただけでございます。」
答えになっていない。答えにしないよう、言われているのだ。
エリゼは書状を膝に置き、頭の中で並べた。
特待生への訴えは、創立祭の夜まで留められている。十八日前、使用人の口から聞いた話だ。又聞きで、官吏本人の言葉ではない。
けれど今、その官吏と同じお仕着せの男が、その夜への書状を持って、目の前にいる。
王子は庭で、証を求めた。証がないなら弁明にならない、と言って去った。あれから、問い直しは一度も来ていない。
(問い直さないのは、もう答えを決めているから)
金の縁の書状。即答。脇の扉。中央までの道。名前の一覧。
招待の顔をしている。
中身は、呼び出しだ。
何が宣告されるのかは、まだ知らない。婚約のことか、訴えのことか、その両方か。知らないことを、知っているように決めてはいけない。
ただ、何かが決まるなら、その夜だ。十八日前に「まだ決められない」と脇へ置いた考えを、今は戻していい。これだけ揃えば、脇に置いたままにする理由のほうが弱い。
(じゃあ、出ないという手は?)
体調を理由に欠席を届ける。父の言葉にも、何事もなかったように過ごせ、とある。出なければ、少なくとも目の前で何かが起きることはない。
けれど、決定は目の前でなくても起きる。
広間には、訴えた者も、聞く者も揃っている。いないのは、エリゼだけ。いない者の代わりに、誰かが事情を話す。欠席の理由まで、誰かが代わりに説明する。
怯えて逃げた。
そう言われても、そこに立って違うと言う者はいない。
(結論は、私のいないところで決まる。決まったあとで覆すには、今の何倍もの証拠が要る)
欠席したら何が起きるのか、筋書きを知っているわけではない。知らないから、いない場で決まる形のほうを避ける。それだけの判断だった。
エリゼは顔を上げた。
「出席いたします。」
官吏は、ほっとした顔を隠さなかった。隠す訓練は受けていないらしい。手元の一覧に、小さく印をつける。
(……私の名前も、あの紙の上にあったんだ)
「殿下に、そのようにお伝えいたします。」
返事の書面にも、署名を求められた。クローデルの名を書く。筆が、この体の癖で勝手に流れた。流れた字を、官吏は丁寧に吸い取り紙で押さえた。
官吏が去ると、家令が口を開いた。
「お嬢様。支度は、間に合わせます。」
「ありがとう。……何も聞かないのね。」
「聞いて、よろしゅうございますか。」
「いいえ。」
「でしたら、聞きません。」
それだけだった。書状の中身は尋ねない。尋ねないことが、この家の答え方なのだろう。
部屋に戻り、袖の紙を広げる。夜会の日付に、あの夜につけた丸がある。その横に、今日決めたことを一言だけ書き足した。
――出る。
出ると決めれば、残る準備は少なかった。衣装は家令が整える。作法は体が知っている。礼の角度も、裾のさばき方も、足が覚えているだろう。
足りないのは、やはり紙だけだ。
手元にあるのは、印の形と、店の名と、家の帳簿にない注文という空白。空白は、広間では何も言ってくれない。
だから、その前の夜に、ルブラン商会の扉を叩く。
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次回は「第15話 帳面の写し」です。




