第19話 無邪気な邪悪
この大陸にはエリウム以外に三つの国が存在している。
【ウエスメイム】
西に存在するその大地には緑が少なく乾いた荒野に切り立った山々。岩と砂による過酷な環境に様々な部族が住む国。
【イースメイム】
東には森の海と呼ばれる大樹海が存在し、豊かな環境の中で知に長けた者たちが身を隠すように暮らす国。
その両国に挟まれる形で生まれたドラゴンを信仰する国、中央都市【エリウム】がそこにある。
西と東は環境の違いなどから価値観が合わず、両者はいがみ合いを続けて関係を築くことはなかった。
──だが、南に作られた国の出現で、世界の均衡は崩れることになる。
【帝国】
豊富な鉱山資源を糧に魔工房を発展させた国が、北に向けて侵攻を仕掛けてきた。
各国が力を合わせなければならない時、エリウムが両国を懐柔したことで三つの国は連盟国としてまとめられた。
侵略戦争を退けて休戦という、仮初めの平和を手にした。
互いに傷を負ったままの状態で今、帝国の馬車がエリウムの都市に入り、神殿前に停止した。
「…………」
神殿前に佇む警備兵たちが眉を顰めていた。
帝国からの使者が来ることは事前に知っている。
馬車が止まり、最初に降りてきたのは従者だった。
警護の兵でもない彼が周囲の安全を確認したのちに、ようやく男は現れた。
ぬるりと扉から這い出たその姿。身長は二メートルほどだろうか。
奇抜な風貌は彼が本当に帝国からの使者なのかという、疑問を拭えなくさせた。
警備兵たちの体が動かない。気圧された──などという生易しいものではない。
間近で体験した兵士の一人はこう言った。
「アレは……異物みたいだった。指も、目も、息も──、とにかく自分の体が動くのを拒絶した」
その中で一人の兵士がごくりと生唾を飲み込んで、竦む足を叱咤するように動かして近づいた。
「帝国の使者の方ですね。お待ちしておりました」
間近まで彼に近づいた兵士は見上げる。
高い身長は太陽を遮り、兵士は影の下にいた。
仮面のような白い顔と、ぐにゃりと回り続ける模様は、こちらを見ていない。
先に見える神殿を、首の角度を少しずつ変えながら舐め回すように、ただじっと見つめていた。
「…………」
「あ、あの……」
渇いた喉を絞り、やや掠れた声で尋ねると、従者がすかさず反応した。
「警備兵の方、お気になさらず。オルトラン様は何かに興味を示したらいつもこうなのです」
「は、はぁ……」
従者の態度はいつもの様子だと言わんばかりだった。
彼を見てようやくまともな人間と接したことに兵士は安堵した。
だが、いつまでもここに立ち止まるのは困る。
一度深く呼吸をして気持ちを整えると、再びオルトランに顔を向けた。
「オルトラン様、中でフレデリック様がお待ちになっております。そろそろ……」
突如、兵士の言葉を遮るようにオルトランが動き出す。
地面を這うように声を掛けた兵士に近づき、オルトランの顔面が間近まで迫る。
動き続けていた顔の模様がぴたりと止まっていた。
「……っ!」
表情も感情も、何も読めない。
人の形をした“なにか”がこちらを見続けている。
目の部分もない。視線を合わせているのかすらわからない。
背骨が冷たい手で握りしめられるような圧迫感を覚え、ようやく理解した。
今の彼は不機嫌で怒っている。
玩具を与えられた子供のような存在が、それを取り上げられた時の反応のように見える。
だが、相手は子供ではなく化け物。
止まっている模様はよく見ると、輪郭が僅かに動いていた。
模様から黒い触手が生え、顔からゆっくりと伸びて近づいてきた。
体は指一本すら動かせず、顔から目が離せない。
黒い触手は顔に触れ、肌を通り過ぎ、体内へと入っていく。
這い上がる触手──、頭蓋骨に達し、内側をぞりっと撫でた。
「うっ、ううぅ……。──はっ……!」
悍ましい感触に脳に痺れを感じた時、兵士はふいに我に返る。
吹き出た脂汗が目元に垂れる。見開いたままの視線には従者の姿が見えた。
「そこまでですよ」
「…………」
オルトランの顔が離れる。それと同時に兵士は後ずさりをして顔を手で触って確認した。
無礼なことをしているのはわかっている。だが今はそんなの構いやしない。
自分が正常かどうか──。それが大事だった。
「…………君は」
「……?」
「君は私の近くにいるワイズ君みたいに、とても仕事熱心なんだねぇ」
「は、はぁ……」
「何? その顔は。私はね、褒めているんだよ? 仕事熱心なのはいいことだ。嫌いじゃない。好きでもないけど。……まぁいいさ。仕事熱心な君に免じて君の役目をさっさと終わらせてあげるよ。それじゃあ行こうかワイズ君。もう十分楽しんだよ」
オルトランの足が動く。動揺する兵士を通り過ぎる際に、彼の肩を軽く叩いて悠然と先へ進んでいく。
「彼は気分が悪いみたいだ。誰か別の案内役はいないのかい?」
勝手に先へと進んでいくオルトランに、他の兵士が急いで案内役を務めた。
そんな中、オルトランに睨まれた兵士は抑えていた呼吸を深く繰り返した。
「おい……大丈夫か?」
他の者が近寄って彼を心配してきた。
呼吸はまだ乱れているが、叩かれた肩を触れながら顔を上げて返事した。
「ああ……。大丈夫……なんとか……」
「なんていうか……災難だったな。帝国の野郎、あんな奴を送り込んで何考えているんだ?」
「さぁ、だけどアイツは異常だ……。何故かはわからないけど……」
オルトランとの距離が離れるにつれて兵士たちの体が軽くなっていく。
彼らはただ祈っていた。
あの異常な存在がこの後、問題を起こさないことを。
◇ ◆ ◇
空を飛んでいるリリーたちは徐々にエリウムの都市が鮮明に見えてくる。
周囲を大きく囲う城壁を通り過ぎると、たくさんの人たちが商店街で活気ある生活をする光景が広がっていた。
商業地区を通り過ぎ中心に近づいていくと下町へと移り変わり、その道を走り回っている子供たちが目に入った。
「わぁ……」
リリーの声が漏れた。
活気溢れるこの風景。
そして自分と近い年の子が、ラティム以外にもこれほどたくさんいる。
自分が暮らしていた村が特殊であったと、改めて実感した。
やがて奥側に建てられたドラコレイク神殿に近づくとアイリスは高度を下げていく。
ゆっくりと神殿の入り口付近に降り立ち、リリーたちが背中から降りたのを見て体を小さくしていった。
「グイィ……」
「おっとっと……」
幼体の身体になったアイリスはそのままクロードの方に向かうと、最後の力を振り絞るように彼の胸に飛び込む。
「かなり飛ばしたからね……。お疲れ様」
「グゥ……」
もう動きたくないと訴えるようにアイリスは彼の胸で体を丸めた。
そんな彼女を労うようにクロードは顎や頭を撫でてあげた。
彼らのことを見ていたリリーはいつの間にか一人いないことに気が付く。
キョロキョロと辺りを見回すとピーコッドがこの場から静かに離れようとしていた。
「どこいくんですか?」
少し大きめの声でピーコッドに話しかけると彼はびくりと体を震わせて振り向いた。
「いやぁ……まぁ、ここまで送ってくれたことにはすごくありがたいんだけど、今ちょっと学院の方に行かなきゃいけなくてさ……。いろいろお世話になったけど、俺はここで解散するよ。そんじゃっ! 今までありがとうな!」
「あ……」
リリーはピーコッドを引き留めようとしたが、何かに焦っているのか彼はすぐにこの場から立ち去ってしまった。
「このマント、返す暇なかったね」
「……」
リリーはラティムが着ているマントを見て、これをいつ返そうかと考えていると三人の背後からぞわりと寒気が走った。
暖かい陽気の中で起こったこの違和感。
三人はすぐに後ろを振り返ると神殿の方から二人の男性が外に出てきた。
「…………」
一人は目を引くほどの異様な雰囲気を漂わせている。
神殿から出て外気に当たったのか気だるそうな様子で階段を下りていく。
途中でその人物は三人の存在に気が付くと、彼らを横目で見ながら通り過ぎた。
「ん~~……」
「どうかしましたか?」
通り過ぎた男は馬車に乗る手前で立ち止まったことに、男の側近が声を掛ける。
男は少し考えたような素振りを見せた後「別に?」と、一言だけ呟いて中へと入っていった。
「あれは帝国の者か? あんな奇抜な奴は初めて見たな……」
馬車が乗り去っていくのを見届ける三人は、その姿が見えなくなるまで目を離せなかった。
異様な雰囲気の中、クロードは気を取り直してリリーたちを神殿内に案内していった。




