第16話 月下のシスターフッド
アノマリティーについて話をした後、リリーとマルティナスの二人は夜の森を歩いていく。
リリーは隣にいる彼女を横目でちらりと見た。
白い鎧姿ではなく、軽くてラフな格好だった。
手に持った袋を揺らして、鼻歌を交えながら歩いていた。
「この先に使っている水浴び場があるけど、さすがにもう変なのはいないかな?」
リリーは自分の体を見ていく。
顔や手は土だらけで、服も茶褐色に染まっていた。
そんな彼女を見かねてマルティナスが水浴びに誘ったのだった。
ラティムも二人についていこうとしたが、それは流石にまずいのでピーコッドとクロードに止められてしまった。
不満げな顔をしながら、渋々お留守番をしていた。
「まぁ、何か出てきても私とグローリーがいるから平気だよ」
二人の間に小さな白いドラゴンが翼をはためかせて浮いている。
グローリーの輝きを光源にしているおかげで、暗い道はほんのりと照らされていた。
「……ねぇリリーちゃん。もしかして彼、ラティム君のことが気になる?」
しばらく歩いていると、マルティナスからふいに声を掛けられた。
「え?」
「顔にそう書いてあるよ」
頬を指でつんと突かれると、リリーは慌てて両手で顔を挟んだ。
「う~……。……うん」
「そっか。急に色々あったからね。混乱しても仕方ないよ」
「…………」
帝国兵に連れ去られてから、まだ日は浅い。
思い出すだけでも、生々しい記憶で頭がずしりと重くなる。
そんなリリーにグローリーがパタパタと前まで来ると胸に飛び込んできた。
「わわっ……!」
「……グゥ」
翼を閉じて丸くなるグローリーを落とさないよう、そっと抱きかかえる。
見た目とは裏腹に重さはほとんどない。ほんのりと伝わる体温で心が少し軽くなった。
「あらら……。甘えることなんてないのに珍しいね。まぁ今日はいろいろあったしグローリーも疲れてたかも。リリーちゃんごめんね、しばらく彼を抱っこしてあげてもいい?」
「大丈夫です。それにこの子、とっても優しいんですね」
「……そういえばリリーちゃんってモンスターと話せるってピーコッド君から聞いたけど、それってこの子の声もわかるの?」
「わかりますよ。……それってやっぱりおかしいんですか?」
「う~~~ん。ドラゴンと意思疎通できるのって聖竜教から選ばれた者がドラゴンと共にして初めてできることだから、最初からやれる人は今までいなかったかも」
「そうなんですか……。そういえばドラゴンさんとお話したのは初めてだね」
「グァ……」
リリーは腕の中にいるグローリーと目を合わせた。
つぶらな瞳から感じたのは、彼は寡黙であまり喋らない性格だということ。
けれど、隣にいるマルティナスとは視線を交わすだけで想いを伝えあっていた。
両者の間には言葉を必要としないほど絆が結ばれていた。
そのことに、リリーは少しだけ羨ましかった。
「まぁ、エリウムにいなきゃ出会うことすらないかもね。この子たちはね、今は竜騎兵団にいる分しかいないから」
「えっ? なんでですか?」
「ドラゴンと人はね、大昔にお互いを助け合うっていう約束をしたのよ。いわゆる共生関係ね。だから今いるドラゴンはこのグローリーみたいに、人に合わせて小さくなったりできるようになってる。詳しいことはフレデリック様に会えばわかるよ」
「へぇ~……」
彼女との会話が締め付けていた胸をほぐしていく中、二人は水浴び場に到着した。
森の中に広がる湖。水面が夜空に光る月と星たちをそのまま映している。
湖から澄んだ風がリリーの髪をすり抜けていく。
「それじゃあリリーちゃん。準備するから服を脱いでおいてね」
グローリーが体を温めるための焚火を起こす間に、リリーは着ていた服を脱いでいく。
足裏から柔らかい草の感触を味わいながら、下着姿で湖に近づく。
水面に映し出される自分の姿。腕や足は土まみれで熱が籠っていた。
マルティナスもリリーと同じ姿になって近寄ると、持ってきたタオルを湖で濡らした。
「はいこれ。どうぞ」
手渡されたタオルでまずは顔を拭っていく。
冷たく濡れた感触は余分な熱をすうっと取っていくようで心地がよい。
そのまま首元、肩、腕へとタオルを動かしていく。
「よいしょ……。うわぁ……」
腕を拭ったタオルを見てリリーは声を漏らした。
生地の白い部分が真っ黒になっていた。
ふと、リリーは思い出す。
物心ついた頃からモンスターと過ごしてきた。彼らと水場で遊んだこともあった。
ただ、人と一緒にこういうことをした経験はほとんどなかった。
「ふぅ~。生き返る~」
リリーは隣にいるマルティナスに横から目をやる。
村の人たちの年齢は高く、彼女のような若者はいない。
背は高く、水に浸けている足も長い。
きめ細かい綺麗な白い肌。細身の体格だが引き締まった筋肉と割れた腹筋。
そして体中には隠された傷跡がいくつも見えた。
特に前髪で隠れていた顔の右目には、頬にかけて斜めに刻まれた古傷が晒され、見ているだけで痛々しくなる。
全身から溢れ出る力強さ。赤く染まった瞳と髪がその威風を際立たせていた。
「…………」
一方で自身の体と見比べる。
自分の体格はまだ幼く胴や腕、足はかなり細い。
彼女と比べてみて未熟な身体に思わず顔が赤くなる。
首を横に振りながらタオルで一心に前の部分を拭いていった。
「背中は大変でしょ? 私がやってあげる」
前の部分を終えたのを見て、マルティナスが声を掛けてくる。
リリーは頷きタオルを差し出す。
それを一度、水で濡らすとリリーの背中に当てた。
「ん……っ」
背中に伝わる冷たい感触に声が漏れる。
タオルが上下に動く。
擦れる感覚が心地よく、顔が緩んでいく。
幻想的な夜の湖も相まって、表情がとろけるようだった。
「……いつもの湖と全然違う」
ふと、リリーの口から言葉が漏れる。
「ん? リリーちゃんはやっぱり、村の外に出たことってない?」
「お爺ちゃんとの約束でダメって……」
「そっか……」
「でも、楽しいことはいっぱいありました。バンディちゃんと冒険したり、お友達と湖とかで遊んだり。お花を探したり、山にいってみたり……。暗くなる前に帰ればお爺ちゃんがおいしいご飯を作って待ってくれました。みんな優しくて、お手伝いしたら喜んでくれて。お外のこと、気になってたけどみんな優しくて楽しかった」
「うん」
「それで、ゴーストちゃんたちがラティムを見つけて、お話したらお友達になって……でも」
「……うん」
「“あの人”たちが来て、それで、それで……」
言葉が途切れる。小さな背中が震え、嗚咽が漏れ始めた。
平和な日常が壊された。
それでもラティムを守るために懸命に振舞った。
小さな体と心で辛い気持ちにずっと耐えてきた。
だが、それを受け止めるには彼女はまだ幼すぎる。
辛い感情を抑えていた心が決壊していく。
頬を滴る涙がそれを物語っていた。
「うぅ……。お爺ちゃん……みんな……」
祖父、村の人たちは今どうなっているのか。
自分はこれからどうなってしまうのか。
疑われているラティムを守ってあげることはできるのか。
何をどうすればいいのか。
今のリリーにその答えは全くわからない。
溢れる涙は、どれだけ拭っても止めどなく流れてくる。
「──よく頑張ったね」
穏やかな声と共に、マルティナスは背中からリリーの首元に優しく腕を回して抱いた。
大人の手がそっと小さな頭に添えられた。
温もりがじんわりと、全身に染み渡った。
「リリーちゃんは本当に頑張った。偉いよ」
「…………」
「大変なことも、辛かったこともあったね。でもね、もう大丈夫だから」
「…………」
「村の事とか、ラティム君の事とか。これからは私たちに任せていいんだよ。だからね、今はたくさん泣いていいから……」
「……っ。あぁ……。ああああっ。うわああああっ!!」
リリーは泣いた。声が枯れるほど大きく。
幼い少女に圧し掛かっていたものを振り落とすように。
肩を震わせながら泣く声に、湖の水面は呼応するように静かに波打つ。
マルティナスは彼女の気が済むまで、この小さな背中をいつまでも抱き続けた。
◇ ◆ ◇
「落ち着いた?」
「うん……」
「全く、どんだけ溜め込んでたの……」
焚火の前でリリーはマルティナスに顔を拭かれていた。
目元は腫れ、泣きすぎたせいで頬が痺れて口もうまく動かせない。
彼女に呆れながらも拭かれている気分は心地がよい。
「これからはね、辛いことがあったら私たちに頼りなさい」
「はい……」
「……ふふっ」
「……?」
「いやね、私に妹がいたらこういうことをしてあげられたのかなって。そう思ったの」
「妹……」
ふと、昔のことを思い出した。
以前、祖父が自分を「お爺様」と呼ばせようとしていたことを。
記憶を浮かべながらマルティナスを見上げて呟いた。
「お姉さま……?」
「…………」
鎮まる空気。湖が波打つ音が大きく聞こえる。
「……? 変……ですか?」
「…………アリ、ね」
「え?」
「いや、その……正直かなり嬉しい。ごほん……。ねぇ、もう一回それ言ってみてくれない?」
「……お姉さま」
「…………」
言われた通りにリリーは呼んでみると、再び空気が静まり返る。
潤いを帯びた瞳が上目遣いでマルティナスに向けられ、堪らず頬が緩んでしまう。
咄嗟に口元を手で隠しながら顔を横に逸らす彼女に、リリーは戸惑った。
「……あ、あの、やっぱりやめようと……」
「いや、いい。そのままでいいから。そうね、私もこれからは"リリー"って言おうかな。そうすれば姉妹っぽいでしょ?」
「……っ! はい!」
「そうだ、いいこと思いついた!」
マルティナスは持ってきた袋の中から櫛を取り出すと、後ろに回って青い髪を梳かしていく。
「こういうのしたことある?」
「ううん。初めて!」
「そうなんだ。こういうのはね、女の子にとって大事なことだからね。……そういえば髪の色が青って珍しいかも」
「そうなんですか?」
「大体が黒色か茶色、もしくは金色ね。私みたいなこういう色っていうのはあまり見ないかも」
「それじゃあ、私たちはお揃いですね!」
「……たしかに。珍しい者同士ってことで、もっと姉妹っぽいわね」
「えへへ……」
「さて、と──」
リリーの髪を梳かし終わると、予備の髪留めを使って後ろ側を結んでいく。
柔らかく緩い低めのシニヨン。
マルティナスもハーフアップに加えて同じ形を作り上げる。
湖畔を覗くと水面に映し出される二人の姿。
お揃いの髪が波紋の中で揺れていた。
ただリリーよりもマルティナスのほうがボリュームがあり、そのおかげで姉妹感が際立った。
「うん。我ながらいい感じ」
「ありがとう。お姉さま!」
出来上がりに二人は顔を見合わせて笑いあう。
重苦しかった気持ちは波音と共に湖畔に溶けていった。




