杖比べ
◆
突然だが女狐のことは劣等として見ていない。
なぜならば母上が女狐を非常に警戒しているからだ。
はっきり言ってどうみても劣等に見えるのだが、おそらく俺の関知しえない何らかの警戒すべき要素があるのだろう。
実際は母上の杞憂なのかもしれないが、それならそれでよい。
完璧な母上も好きだが、完璧じゃない母上も好きだからだ。
ところで、その女狐だが──かわいそうに、駒には恵まれなかった様に思える。
なぜなら──
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「な、なぜ“火炎竜の大息吹”がッ……!」
劣等がそんなことを言いながら次の魔術を準備している。
そう、あれから無事に宰相からの言付けを受け取り、杖比べ当日と相なったわけだが。
杖比べで使う帝城脇の“錬魔場”で見せる劣等の魔術ときたら、毒餌を喰って死にかけた野良犬の内臓よりもひどかった。
オイゲンを名乗る劣等は思った以上の劣等──大劣等であったのだ。
“火炎竜の大息吹”とは根源魔術では中位に位置する攻撃用魔術だ。
鉄を溶かせる程度の炎を放射状に放つ魔術であり、火竜カリバーンの逸話より取り出した竜の炎──のはずだが、大劣等の放つそれはまあ銅の表面がせいぜい溶け出すかどうかといった程度の火力しかない。
鉛なら溶かせるかな?
わからん、スケールが小さすぎて考えるのが億劫だ。
これは根源魔術自体が力不足なのではなく、本人が力不足だからこの様な仕儀となってしまう。
「おのれ、小僧ッ! 何をしたッ!」
大劣等が顔を真っ赤にして叫んでいる。
なんと不細工な。
それにしても母上が来てくれればこんな億劫でなかったのに
サリオン公爵家の前当主とやらが会談をしたいと言って書簡をよこしてきたのだ。
それで今日は来れなくなってしまった──
「聞いているのか小僧! 何をしたっ!!!」
何をした、か。
まあ説明してやっても良いか。
杖比べは殺し合いではなく、尋常に魔術の業を競う紳士と紳士の対話だそうだから。
◆◆◆
「大した事はしていません。オイゲン様の放った“火炎竜の大息吹”──私はこれを解体したのです」
ハインが事も無げに言う。
「か、解体だと……? 何を寝言を……」
オイゲンは余裕を装うように肩をいからせるが、額から玉のような汗がこぼれている。
ハインはそんなオイゲンの言葉に軽く苦笑を浮かべた。
それが強烈な侮蔑の意であることは明らかだ。
観戦していた貴族の何人かはその空気を読み取り、ひそひそと話し合う。
──「オイゲン殿の面目は丸つぶれですな」
──「宰相殿にとっても大恥だわ。それにしてもかの御仁も貴族であるのだから、虚勢一つ張れないものでしょうか」
そんな囁きが錬魔場をかけ巡る。
ジギタリスはひどく冷たい表情を浮かべたまま、口を噤んでいた。
オイゲンはそんな周囲の反応に気づいたのか、ついに苛立ちを露わにし、杖を叩きつけるように振り下ろした。
「貴様っ、もったいぶった事を言うな! 何をしたか説明しろ! 私の火炎を掻き消すなど……!」
するとハインはほんのわずかに首をかしげる。
「“私の火炎”ですか。……まぁよろしい。では種明かしをしますと、魔術太祖マーリンの論に着想を得たのです」
マーリンの名を口にした途端、貴族の中には「マーリンか」「祖にして異端者のあのマーリンとは」と眉を顰める者もいた。
ハインはやや目を伏せて、さらりと語り始める。
「根源魔術は逸話をもとに力を引き出します。大昔の誰かの実体験や伝承、信仰心が魔術の根底に組み込まれている」
一度言葉を切って、ハインはわずかに笑みを浮かべた。
「ですが、この仕組みには瑕疵があります。なぜなら逸話や伝承には必ず“物語のオチ”があるからです。火竜が倒されるならば、その火竜の炎もまた御されねばならない。強力な魔術があるならば、それを打ち砕く逸話も必ずどこかにある。マーリンはこう提唱しました。『逸話はやがて他の逸話に駆逐される』と。つまり、火竜カリバーンの炎を扱おうとするならば、同じくカリバーンを討った英雄の伝説により破られかねないのです」
オイゲンは何やら呻き声を漏らしたが、ハインは構わずに続ける。
「が、私はもっと直接的に分解しましたが。マーリンの言う“多層結像論”を応用すれば、根源魔術のイメージ部分を徹底的に細分化し、燃焼それ自体を抑制する事も可能なのですよ」
ハインはあくまで淡々と話を締めくくる。
「つまり、根源魔術は神秘性が高いがゆえに、詠唱の裏側にある逸話ごと──すなわち、物語の幕引きまで引きずり込む。だからこそ魔術師の理解度や信仰度合いが絶対的に必要とされるわけです。そんな簡単な理屈も分からず、ただ炎を大きく燃やせば強いと思い込むような輩には、到底扱い切れぬ“火”なのですよ」
「く……そ、そんな……!」
オイゲンは全身をわななせる。
ハインはそれを見て小さく息を吐き、ほんのわずかに首を振った。
「オイゲン様がマーリンの論を誤りだと思うのも無理はありません。というより、魔術師の大半はそう考えてきたのでしょう。『魔術師たる者、神秘を語るべし』と。だから魔術太祖マーリンが自らの魔術を'解き明かそう'と試みたことを、否定する者は多い。ですが私はマーリンに敬意を払っています。彼は心底“魔術師”であったからだ」
傍で聞いていた貴族の一人が思わず呟く。
──「……十五歳にして、マーリンの時代に思いを馳せるなど……」
──「アステール公爵家にはとんでもない子息がいたものだ」
そうした囁きが、錬魔場全体に広がる。
宰相ジギタリスは微動だにしない。
しかし、その瞳の奥に宿るものは明らかに怒りだ。
怒りの矛先はハインなのか、あるいはあまりにも体たらくなオイゲンなのか──それは当人にしか分からない。
ハインはオイゲンのほうを向く。
「さて、次は私の番でよろしいですね?」
オイゲンは答えられない。
歯を食いしばり、額には脂汗が滲んでいる。
ハインはふっと目を細めたあと、人差し指を立てた。
「それでは……」
指先に、小さな火がともる。
ごくありふれた魔術の初歩──「最初の火」と呼ばれる、根源魔術で最初期に学ぶ低級魔術。
それを見た途端、オイゲンは逆上したように目を剝いた。
「『最初の火』……? 小僧ッ、貴様、そんな低級魔術で私を馬鹿にする気か!」
しかし、ハインは答えない。
指先に灯ったわずかな火は、周囲の者から見てもそれほど危険な代物には見えなかった。
だがすぐに考えを改める。
小さいはずの火がみるみるうちに膨れ上がっていったからだ。
「暗黒の時代、神々から人間がこっそりと火をもらった逸話がありますね。……私はそこに宿る意味をとても大事に思っています。人間が初めて手にした火。それは生存のための熱、生活の希望であり、魂を灯す炎の始まりでした」
ハインが囁くように語ると、炎はますます膨張していく。
最初は指先に納まっていた炎が、いまやハインの頭上を覆うほどの火球となる。
「ひ……!」
オイゲンが息をのむ。
彼の知る“最初の火”は、せいぜいろうそく程度の火力しかないはずだ。
だが今、その炎は竜でも一撃で焼き尽くしそうな勢いに膨れ上がり、天井近くまで昇っている。
「できるのです、本来は。逸話というものを理解し、意味を噛み締めれば──こんなものは、誰でもね。炎をただ炎として使うのではなく、本質に寄り添うのです」
錬魔場の観覧席のあちこちで悲鳴や歓声が入り混じる。
──「な、なんという巨大な火……!」
──「天井が焼かれてしまうのでは……! 早く防御結界を張れ!」
慌てる声が錯綜するなか、ハインは静かにオイゲンへ視線を戻す。
「オイゲン様、あなたも副魔術師長ならわかるはずです。魔術とは本来、いくらでも可能性を秘めている。逸話や信仰をうのみにするのではなく、“読み解く”ことで力を引き出せる。にもかかわらず、あなたはそれをしない。神秘を尊ぶふりをしながら、根源魔術を単なる力の源泉としか考えていない。私はそういった“啓蒙が足りない輩”が嫌いなのです」
オイゲンには返す言葉がなかった。
「さて、この火をどうするか。杖比べとは互いに魔術の業を見せ合う場、つまりあなたはこの炎を受け止める義務がありますよね? 受けてくださいますか?」
「そ……そんな……」
オイゲンはがくりと膝をつく。
喉がからからに乾き、皮膚が熱気に炙られる。
まともに受け止めたら命はない。
だが逃げ場はない。
自分で言い出した杖比べだ。
それをいまさら放り出すなど、帝国副魔術師長の立場がないどころか、宰相ジギタリスの顔に泥を塗るようなものだ。
「や、やめろ……」
オイゲンの声は、か細く震えていた。
「はぁ? やめろ?」
ハインはことさらに不快気に繰り返した。
「たのむ……やめて、ください……」
そんな懇願を聞き、ようやくハインは満足気に嗤う。
「やめるのですか? これは杖比べでしょう。私が魔術を見せている以上、あなたもそれを受け止め──」
「やめてくれッ……!」
オイゲンは崩れ落ちるように地面に手をつき、醜く歪んだ顔で懇願する。
「わ、わたしの、負けだ……。頼む、消してくれ……」
ハインは冷めた目をしてオイゲンを見下ろしていたが、やがて小さく肩をすくめる。
「……仕方ありませんね」
そう言ってくるりと人差し指を回すと、天井近くにあった巨大な火球がふわりと溶けるように消え失せた。
まるで何もなかったかのように、炎の残滓すら残らない。
「では、杖比べはこれで終わりということでよろしいですか?」
オイゲンはうずくまったまま返事をしない。
ただ顔を伏せ、途切れた呼吸を繰り返すばかりだ。
何も言えぬまま、何もできぬまま。
瞬く間に熱を奪われた錬魔場は、重々しい静寂に包まれた。
やがて高位貴族たちが次々と声を低くしながら立ち上がり、帰路へつく。
──「こりゃあ、宰相殿の面目が……」
──「オイゲン殿は副魔術師長としての威光を完全に潰されてしまったな」
そうした呟きの合間を縫うように、ハインは錬魔場を後にする。
多くの視線がその背中を追ったが、声をかける者はいない。
ただ、宰相ジギタリスだけはまっすぐオイゲンに目を向けたまま、その場に佇み続けていた。
無言、無表情。
怒りや失望といった感情もうかがえない、完全な虚無の貌である。
オイゲンはうなだれたまま、床を見つめている。
そして誰もいなくなった錬魔場に、二人だけが取り残された。




