だめです
◆◆◆
「だめです」
ヘルガは頭を抱えながら言った。
ハインはヘルガにとって最愛の一人息子だ。もちろん愛している──この世界のだれよりも。
文武両道、魔術の腕前も素晴らしい、性格だって生真面目で下々にも寛容だ
しかし欠点が皆無というわけではない。
それはおそらくはダミアンの影響なのか、時折ひどく不穏な冗談を言い出すのだ。
「冗談です、母上」
ほら、とヘルガは胸をなでおろす。
──ハインはかわいいけれど、ジョークのセンスはあまりないわね
師でもつけるべきかと思うヘルガだが、剣や魔術の師ならばいざ知らず、ジョークの師など見つかるのだろうか?
それにしても、とヘルガはジギタリスに憤慨した。
ハインはまだ子供だというのに、そんな子供に杖比べを挑むような事をする男を紹介したからだ。
宰相に抗議をしにいく、というヘルガをハインは止めた。
「母上、オイゲン様は私を弟子にしたいと仰っていました」
「なんですって!?」
驚くヘルガ。
そして、なるほどそのための杖比べか、と納得する。
弟子の魔術の腕前を知っていないと師は務まらないだろう。
しかしそれはそれとして、ヘルガはハインが心配だった。
「どうかケガをしないでちょうだいね、もし怖かったら断ってもいいのよ」
「いいえ。怖くありません……でも少し不安はあります。だから、私は、いえ、僕は……」
ヘルガはハインが自分にしてほしいことがあると理解した。
ハインが自分を私ではなく僕というときは、いつもヘルガに甘えたがっていた時だからだ。
ヘルガはハインを抱きしめ、「良いのです。なんでもいいなさい。ママがなんでもしてあげます」と言う。
「では……今日は一緒に眠っても良いですか」
ヘルガはそれを快くよく承諾。
ハインの成長、そして今後のためにも床を別にしているが、寂しくないわけではないのだ。
◆◆◆
ハインはここぞとばかりにヘルガに甘え倒した──といっても、不埒なことをしたわけではないのだが。
いや、不埒といえば不埒かもしれない。
「ママ」
そう言ってハインはヘルガを抱きしめて動かないのだ──胸の間に顔をつっこんだまま。
南方にはフォアラと言う灰色の、なんというか覇気のない面構えの獣が生息しているのだが、それに似ているかもしれない。
それにしても杖比べなんて、とヘルガは思う。
よくよく考えてみれば、弟子にとりたいからといっていきなりそんな事をしようと提案する師はどうなのだろうか?
──順序というものがあるはずよ
ヘルガはそう思う。
魔術師としての才を確認したいなら、そんな暴力的なことでなくてもほかにあるのではないだろうか。
もしや、とヘルガは勘を働かせた。
──ハインの才能に嫉妬しての所業かしら……
だとするならば到底許せる所業ではないとヘルガは怒気を高める。
「ねえ、ハイン。杖比べなのだけれど……」
そう言ってやはり危ないからとやめさせようとすると。
「ママ、実はそのことなのですがオイゲン様は実力を制限した上で杖比べに臨むそうなのです」
「実力を制限?」
どういう事だろうかと首をかしげるヘルガ。
「どうあっても僕が勝つようになっています、最初から。ただその上で“どう勝つか”が問われるのだそうです」
なるほどと納得する。
それならばあまり危険はないかもしれない。
「なのでママからもこの件をお知り合いの方々に広めて貰えませんか?」
「それは……構わないけれど、一体どうして?」
「逃げ場をなくすためです」
ハインはヘルガの乳にしがみつきながら、何か覚悟さえ感じさせる様子で宣言した。
「逃げ場?」
「はい。僕という魔術師の実力、性根が問われるという事に、いま僕はとても緊張していますし不安にも思っています──だから、当日逃げだすことがないように自分から逃げ場をふさいでおこうとおもいました」
それを聞いたヘルガは、なんという立派な息子なのだろうかと涙さえ浮かべた。
齢十五にして貴族としての在り様を十全に体現している!
「ああ、ハインっ……!」
感極まったヘルガがハインの頬、額を中心にキスの雨を降らせると、ハインはくすぐったそうに目を細めた。
ややあって、「あっ」とハインが小さく声を出す。
「どうしたの?」
ヘルガが尋ねると、ハインは「ちょっと……その、おしっこに……」といって布団を抜け出す。
「足元に気を付けるのよ」
「はい、ママ」
そう言うハインの目つきは、部屋を出る瞬間にだらしないフォアラのごとき駄獣めいたから一万人を生き埋めにしてもなんとも思わないような冷酷無比な独裁者のそれへと変わった。
◆
「フェリ。劣等のゴミカスが何匹か嗅ぎまわってるな?」
俺は暗い廊下でつぶやく。
すると──
──『はい、若様。手練れの斥候が3名。捕捉にやや手間取りました、申し訳ありません。まもなく処理にかかります』
そんなフェリの囁き声が届いた。
まるですぐ近くにフェリがいるような声の近さだが、実際に傍にはいない。
この屋敷は全域がフェリの監視領域なのだ。
「いや、良い。情報を持ち帰らせてやれ。どうせ女狐が雇ったのだろう」
こちらがあちらを見下している、舐めているという事を相手に知っておいて貰いたかった。
そうすればあの中年劣等は己の無意味なプライドのせいで引くに引けなくなるだろう。
あの中年劣等は人品は痰壺のそこにこびりつく汚物だが、劣等界隈の魔術師としては出来ているほうだ。
あるいは俺の偽装に気づくかもしれない。
仮に気づけば、間違いなく理由をつけて逃げるだろう。
そうなれば排除ができないではないか。
殺すだけならばともかく、女狐の有力な手駒である中年劣等を公的に排除するためには、それなりに恥をかいてもらう必要があるからな。
ただそれはそれとして、俺の感情としてああいう劣等は嫌いなので当初はぶち殺してしまうつもりだったが、母上から禁止されてしまったので仕方がない──生かす方向でいく。
──『かしこまりました』
「それと、あの女狐の依頼を安易に受けた劣等共は盗賊ギルドの構成員か?」
盗賊ギルドとは帝都に本拠を置く民間斥候組織である。
斥候働きをする者はとかく謂れのない差別を受けやすく、食い詰めるケースが少なくない。
そういった者どものの受け皿となるのが盗賊ギルドだ。
別に賊というわけではないのだが、斥候働き=賊働きだと勘違いする衆愚に対しての反発心でそのような名称にしているらしい。
この連中はかつてアステール公爵家への諜報活動関係の依頼を受けていたが、その際に少々手荒く歓迎してやった事がある。
すると盗賊ギルドのマスターから“もうその手の依頼は受けないから勘弁してくれ”と泣きが入ったので許してやったという経緯がある。
──『いえ、闇ギルドでしょう。彼らはあの日以来、我々には干渉してきません』
「そうか。なら良し」
一度許してやったにもかかわらずまた同じ愚を犯すなら容赦はするまいと思っていたが、分際をわきまえているようで結構だ。
目の前で肉を作ってやったのが効いているのだろうな。
「ああそうだ、情報収集以外のことをしようとすれば速やかに処理をしろ」
例えば窃盗。
この屋敷には俺の基準からみても価値のあるものが多く置いてある。
が、この屋敷のものはすべて母上の物だ。
それを盗もうというのならば、これはもう本人とその家族の命で以て償ってもらわねばならない。
──『かしこまりました』
「よし、あとは任せる」
そういって俺は母上が待つ寝室へと戻った。
大のほうだと思われたくないから早足で。




