そういうキャラ⑦(終)
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北の森は薄暗い。
常緑の広葉樹が空を覆い、地面には年中うっすらと霧が這っている。陽光は樹冠の隙間から細い筋となって降り注ぐのみであり、真昼だというのに薄暮のような陰鬱さが森全体を包んでいた。
アゼルとリゼットは獣道を辿って森の奥へと進んでいた。
冒険者の言葉を信じるなら、聖女エイラはこの森のどこかにいるはずである。不死王を斃した英雄にして、天教の信仰を捨てて「黒衣の神」なる存在を崇め始めたという奇妙な人物。その人物に会わねば次の動きが決められぬとアゼルは考えていたのだが──。
「なんだか、妙な雰囲気ですね」
リゼットが小声で呟いた。
彼女の言う通りであった。森の奥に進むにつれ、空気が変わってきている。木々の間から微かに香の匂いが漂い、地面には踏み固められた細い道が続いていた。人の手が入っている証拠である。
やがて二人は小さな開けた場所に出た。
そこには粗末な木造の小屋が建っていた。
小屋と呼ぶのも憚られるような代物である。丸太を組んで屋根を葺いただけの、およそ建築と呼ぶには程遠い構造物。しかし小屋の前には奇妙なものが立っていた。
木像である。
しかもド下手糞な木像であった。
これを作った人物の美的センスは皆無らしい。
ただ、人の形を模しているらしいことは辛うじて分かる。頭があり胴体があり手足がある。しかしそれ以上の情報を読み取ることは困難であった。顔の造形は潰れた饅頭のようであり、手足の比率は人体のそれを大きく逸脱している。腕が異様に長く、足が異様に短い。頭部に至っては胴体とほぼ同じ大きさであり、全体として見ると巨大な頭を持った奇形の小人のようである。
そんなその木像の前で、一人の女が祈りを捧げていた。
◆◆◆
銀色の髪の女であった。
膝と額を地面に擦り付け、両手を前方に投げ出し、全身で地に伏している。東方の蛮族が神に捧げる最上級の礼拝の形式であるらしいが、この大陸では滅多に見られぬ姿勢である。
女は全裸とさほど変わりはない。一応は布らしきものを巻き付けてはいるが、あちらこちらが擦り切れ、見えるべきでない部分が見えてしまっている。まあ一言で言ってしまえば薄汚れた乞食女だ。
ぼそぼそと祈りの言葉が聞こえるが、その内容も何やら胡乱だ。
「……黒衣の御方よ、世界を滅ぼし再生せし少年神よ、どうか哀れな僕に慈悲を垂れ給え……」
声は切実であった。狂気じみた熱を帯びてはいるが、その奥底にあるのは純粋な信仰心である。彼女は本気で祈っているのだ。あの下手糞な木像に向かって。
「……御身の黒き衣の裾に触れることすら叶わぬこの身なれど、どうか、どうか……」
アゼルは困惑した。
困惑するしかなかった。
不死王を斃した英雄がこれである。天を仰いで神に感謝を捧げるでもなく、民衆の喝采を浴びて凱旋するでもなく、森の奥の粗末な小屋の前で下手糞な木像に向かって土下座している。これが聖女エイラの現在の姿であった。
「あの……」
リゼットが声をかけようとした瞬間、女がぴくりと動いた。
ゆっくりと顔を上げる。土で汚れた額、涙の跡が残る頬、そして──異様な光を宿した碧眼。
「……どなたですか」
声は穏やかであった。
「俺はアゼル。こっちはリゼット。あんたがエイラか?」
アゼルが率直に尋ねた。
女はゆっくりと立ち上がり、法衣の土を払った。その所作は優雅であり、かつて高貴な教育を受けていたことを窺わせる。
「はい。私がエイラです」
女は──エイラは静かに頷いた。
「そして黒衣の神に仕える──使徒!」
最後の部分だけ張られた声にはやけに力が込められており、リゼットなどはかわいそうに、びくりと肩を跳ね上げている。
そんな肩をまるで「大丈夫か」と言わんばかりにナチュラルに抱きすくめるアゼル。
こうしてこの男は無意識のうちに女をコマしてきたのだ。
◆◆◆
エイラは二人を小屋の中へと招き入れた。
小屋の内部は外観以上に粗末であった。藁を敷いただけの床、丸太を並べただけの壁、天井から吊るされた一本の蝋燭。家具と呼べるものは木の切り株を加工した粗末な椅子が三脚あるのみである。
しかし壁には奇妙なものが掛けられていた。
黒い布である。
ただの黒い布ではない。よく見ると布の表面には何かが描かれている。金糸で刺繍された紋様──それは人の姿を模していた。黒衣を纏った小さな人影。顔の部分には二つの赤い点が縫い付けられており、それが眼を表しているらしいことが辛うじて分かる。
「黒衣の神の御姿です」
エイラが恭しく説明した。
「少年の姿をした神。世界の終わりに現れ、あらゆるものを滅ぼし、そして再生させる御方。私はこの眼で見たのです。黒衣の神の御力を」
「……どんな神様なんだ?」
アゼルが尋ねた。
エイラの眼が輝いた。待ってましたとばかりに語り始める。
「黒衣の神は私を救ってくださったのです。私が絶望の淵にあった時、御身を現し、敵を滅ぼし、そして去っていかれた。あの御力、あの慈悲──神以外の何者でありましょうか」
黒衣の神。少年神。世界を滅ぼし再生させる存在。
アゼルは黙って聞きながら、何かが引っかかるのを感じていた。喉に小骨が刺さったような感覚。だがそれが何なのかは分からない。
「黒衣の神は世界の終わりに再び現れます」
エイラは恍惚とした表情で続けた。
「その時、あらゆるものは滅び、そして再生する。私はその日を待ち続けているのです。黒衣の神が再び現れ、この穢れた世界を浄化してくださる日を──」
世界の終わりとは何だろうか。
アゼルには心当たりがあった。自分が知っている「前の世界」において、確かに世界は一度終わりかけた。魔王との最終決戦。あの時、世界は滅亡の瀬戸際まで追い詰められ、そして辛うじて救われた。
しかしこの世界ではまだ魔王は現れていない。
ということは、エイラの言う「世界の終わり」はまだ先の話であり、その時に「黒衣の神」とやらが何をするかは分からない。
「……そうか」
アゼルは曖昧に頷いた。
それ以上の言葉が出てこなかった。
◆◆◆
小屋を出ると、空は既に傾きかけていた。
北の森の薄暗さの中で、わずかに差し込む陽光が赤みを帯び始めている。夕暮れが近い。このまま森に留まれば夜になってしまう。
「帰るか」
アゼルがぽつりと呟いた。
「え?」
リゼットが振り向いた。
「不死王は死んだ。エイラにも会った。俺がここに来た目的は一応達成された」
不死王打倒はあのよくわからないエイラが既に達成してしまっていた。自分は完全に蚊帳の外であった。
「でも、よく分からないことばかりだったな」
アゼルは空を見上げた。
黒衣の神。少年神。世界を滅ぼし再生させる存在。
何かが引っかかる。
だが今のアゼルには、その正体を突き止める気力がなかった。
「なんだか、凄く疲れた」
アゼルは心の底からそう言った。
疲れていた。
肉体的な疲労ではない。精神的な疲労である。不死王を斃すために遥々大森林までやって来て、着いてみれば不死王は既に死んでおり、斃したのは謎の「黒衣の神」であり、その神の事はよくわからない。
なにやら自分が酷く無意味な事をしている気がしてしまって、さすがのアゼルもちょっと疲れてしまっていた。
「帝国に帰ろう」
アゼルは歩き出した。
リゼットが慌てて追いかけてくる。
「あの、アゼルさん」
「ん?」
「私も……一緒に行っていいですか?」
アゼルは足を止めた。
振り返ると、リゼットが不安そうな表情でこちらを見ていた。
「帝国を見てみたいんです。薬草の勉強をしたいですし、それに……」
リゼットは少し言い淀んだ。
「もう少しアゼルさんと仲良くなりたくって──」
そんな告白めいた言葉にアゼルは──
「いいよ」
と、至極あっさりと答えた。
リゼットの顔がぱっと明るくなつ。
「ありがとうございます!」
アゼルは再び歩き出した。
背後からリゼットの軽い足音がついてくる。その足音を聞きながら、アゼルはぼんやりと考えていた。
帝国に帰ったら何をしようか。
とりあえず腹一杯飯を食いたい。
それから風呂に入りたい。
それから──。
それから先のことは、帰ってから考えればいい。
アゼルはそう結論づけて、足を速めた。




