21話
「おいくそアンジェ、起きろ」
目を覚ますと両肩が重い。よく見れば右肩にはジョルジェが僕に寄りかかってすぅすぅと寝息を立てており、左肩にはデリッカがしがみついて寝ていたのだ。
「んで、右頬はくすぐったくないか?」
と、ラバトはニヤニヤしながら僕に訊く。蚊にでも刺されたのだろうか? 何となく気になって手のひらで頬をこする。
「いや、どうした?」
「どうもしねぇよ、くそアンジェ。それよか腹減った、う○こ行きたい」
「……おいくそエルフ。女性が言っていい言葉じゃねぇだろ?」
「じゃあなんだ? お花摘みしたぁーいって言えばいいか? やりもしないくせにお化粧直したぁーいってかわい子ぶって言えばいいのか? あたしン家はそんな気の利いた事を言う家柄でもないんだぜ?」
「そんなことより、女の子が、その……」
さすがの僕でも言葉にするには憚れる、気後れする。
「あのなぁ、人間喰ってれば、ケツからひり出てくるもんなんか一つしかねぇ。そんな言葉の一つに目くじら立て嫌悪してどうする、くそアンジェ」
酒瓶を傾け、ラバトはふぅと溜息をついた。「ただな、カオリル先生はう○こしねぇぞ」
「はぁ? あれだけ喰って飲んでるのに?」
「カオリル先生は『アイドルはう○こしないよ』って言ってるが、妖精ヴィヴィアンだもん。人間じゃねぇから」
「はぁ、そういえばそんな設定でしたね、カオリル先生は」
「設定じゃねぇよ、本当にう○こしねぇんだよ!」
「んたっく、先程から黙って聞いてたら……、レディが何を口走ってるんですの、ラバト先生!」
僕の左横でラバトを睨みつけるデリッカが居た。
「んー? デリッカちゃんはう○こせんの?」
「んな! わ……、あ……、そ……、しませんわよ!」
「あぁー便秘期かぁ。そん時は温野菜食べてな、お腹をこうやって「の」の字に撫でると……」
「馬鹿にしないでよ下賤!」
「だーれが下賤だこの金髪くるくるパーマ!」
と、デリッカとラバトは取っ組み合いを始める。
「おいお前らやめろ! ラバト嬢、……漏れるぞ?」
僕がそう云うと、便意を思い出したのかお尻を抑えてデリッカから離れた。
「デリッカ君申し訳ない。このデリカシーのないちんちくりんのせいで不愉快な思いをさせて」
僕が頭を下げる。誰がちんちくりんじゃーと顔を真赤にしてまだ騒いでるが放っておこう。
「前々から思ってましたの。ラバト先生はもう少し綺麗な言葉を使えないものかしら、と」
デリッカはポシェットからハンカチを取り出すと鼻を覆う。
「んだとー? 綺麗なう○こ! これでどうだボケー!」
「ラバト嬢、うっさい!」
「くそアンジェのくせに怒ったー」
「怒ってません、叱ってるんですよ」
これだけ騒げば右隣で寝てたジョルジェも起きたようだ。僕の右肩に隠れるように様子を伺っている、よく見えないが怯えた表情を浮かべてるのだろう。
「それにしても。アンジェ先生も同じ教職員とはいえ、少しはお付き合いというのを考えたほうがよろしいですわよ?」
とデリッカは溜息を付きながら僕に言った、ハンカチは鼻を覆ったままである。あまりにも失礼な言動や行動にいい加減僕はかちんと来た。
「デリッカ君。それ、どういう意味で言ってるんだ?」
「え? お判りになりません? いつでもどこでも人の目なんか気にせずに酒を飲む。しかも瓶から直接飲むなんて下賤のすることですわ。決してレディの振る舞いではありません。それに周りの許可も取らずに喫煙する。灰殻をそこらへんに捨てないだけマシですが、普通ならレディの振る舞いでもありませんわ。それに人前で………って言うなんて! どう見ても考えてもただの下賤です!」
と、ラバトを批判する。それを聞いてラバトは顔を真赤にしつつも口を開かなかった。
デリッカの言い分は間違いではない。間違いではないが納得はいかない。
「さっきから下賤下賤って言ってるが、デリッカ君はラバト嬢の家柄を聞いたことがあるのか?」
「ないわよ、こんな行動言動則の輩なんて下賤か貧民階級しかありえませんわよ」
「ということは……、デリッカ君の想像の産物ってことだな」
「想像の産物……ですって!?」
「だろ? じゃあデリッカ君は初等学校も終えてない、定義上の『貧民階級』と会ったことがあるのか? 中街だと貧民階級なんて五番街の裏通りの奥か下水溝にしかおらんはずだ。それに本当の貧民階級層とは……、う○こだなんて言わん」
僕は息を呑む。次の一言をいうには勇気が要った。
「シャイッセと言うはずだ」
馬車内の空気が凍る。そりゃそうだ、小さい頃から『人前で言ってはいけない言葉』の一つと叩き込まれるからだ。しかも人に向かって『シャイッセ』などと言えば侮辱罪で一撃逮捕案件だ。
それに、初等学校を終えてない定義上の『貧民階級』はこの帝国での闇の部分だ。
この帝国は初等教育は学費や給食が無料のため、学校にさえ来ればお腹いっぱいご飯が食べられ、そして誰でも規定単位を取れば卒業証書を貰えるのだ。しかし家庭の事情、特に親が不就労者だった場合親と家族のために初等教育を受けるべき子どもがモグリで不法就労をする。
随分前も書いたかもだが、始祖様ことギュース・ド・カルグストゥスは教育の重要性を理解して学制令を出している。しかも労働基準令も学制令とリンクするよう作られており、
「労働者たるもの初等教育修了者に限る(家内労働者含む)」
と記載がある。
つまり、まともな就業先は初等教育を修了しなければこの帝国内には無いのだ。『風俗嬢でも必要条件であり初等教育を修了してない子女を色宿は雇ってはいけない』と法令に例示列挙されているのだ。そして貧民階級は初等教育を修了していない者を定義している。
僕は学院に居た頃、アルバイトの一つが『夜間学校の講師』だった。
まともに就業したいなら初等教育修了取得、出来れば中等教育前期課程(三回生修了程度)が必要なので大都市では夜間学校がある。なおシュトレーメにも東街にそれはある。
そのアルバイト講師時代、とにかく彼らの言葉遣いの悪さや発想の酷さは辟易としたものだ。締め付けトルク量について説明してた時なんて『簡単に言えば、突っ込んだ時に気持ちいい風俗嬢かどうかってことだな』と臆面もなく言って爆笑するような彼ら彼女らだからだ。そんな彼ら彼女らに比べたらラバト嬢はそこまで酷くはない、下品だが。
「詳しい内容が内容だから差し控えるが、夜間学校の生徒たちと比べたらラバト嬢は上品過ぎるな。人を下賤呼ばわりしたり貧民階級だと断罪するほうがレディにあるまじき行動だと僕は思うのだがな」
僕は溜息をつく、そしてラバトを見ると「嬢の昔話、してやったら?」と言う。
「デリッカちゃんが聞きたいなら言ってやる、つまんねぇ話だがな。……だが、他言無用で頼む」
「……はい」
★ ★
なんか騒がしいなぁ思ってたら、アンジェ先生とデリッカちゃんとラバト先生が言い合ってました。どうやらラバト先生を下賤だと言ったからみたいです。そう言えばデリッカちゃん、合宿中もずっとラバト先生の事を『下賤のちび女』と言ってましたもんね。
でもさー、デリッカちゃんがそう言うの、なんとなく解る。だっていっつもアンジェ先生とラバト先生、一緒じゃない? 嫉妬しちゃうし勘違いもしちゃうって。
それよりもなんでう○こ連呼してるの? あ、ちょっとトイレ行きたくなったかも? あ、私はいつも快便ですよー、ラフェルンから『毎日出てたらめんどくさくない?』って言われましたが、毎度毎度トイレで独り言と会話するラフェルンのほうがめんどくさいと思うけどなぁ。
『シャイッセと言うはずだ』
うひゃー、アンジェ先生の過激発言! 官憲さーん、ここに過激派がいまーす!
『嬢の昔話、してやったら?』
『デリッカちゃんが聞きたいなら言ってやる、つまんねぇ話だがな。……だが、他言無用で頼む』
と、唐突に始まりましたラバト先生の昔話! いえーパチパチ。
そんな気持ちで聞いてましたが、まずラバト先生、エルフ族なんですか!?
しかも名前がむっちゃ長い! ラクティシュール? ラクティス? ラスティクシュール? なんか物語でエルフ族は本名が長いから頭文字を取って通名にするとは知ってましたが、まず名前が長いですよね。
で、中間名のバルパンプンは幼名なんですよね、で、小さい頃に悪い神様に連れて行かれないよう『汚い名前』が付けられると物語にも書かれてます。今度どういう意味だったか聞いてみようっと。
最後の家名がトゥルリーセン……。やば! 超やばです! だって始祖物語や帝国噺に出てくる戦闘エルフ族の家名じゃないですか! ん? ラスティクシュール・トゥルリーセン……? ぶぅー!! 超やばの階乗ですよ! いえ、三乗根? 『血濡れの猟犬』じゃないですか! 実在したのは知ってましたが、まさかの身近に本物がいました! ちなみに百年前の講談ではラスティクシュール・トゥルリーセンを『一人千殺の猛虎』と例えられてます、豆ね。
そして法力暴走事故……。ん? それ知ってます!
「ラバト先生!」
私はむくりと起き上がると、今まで寝てたと思われてたようで皆が驚いてます。
「おぉっ、ミノンちゃん、起きてたんか!」
「はい! ちょっとう○こしたくなりまして!」
一瞬の静寂……。
「おいおい、ミノンちゃん。女の子がう○こなんて言うもんじゃないぞ」
と、ラバト先生に言われました。いやいや、さっきからあんたが連呼してたじゃないですか、やだぁ。
「大丈夫です! これぐらいならきっとアンジェ先生もラバト先生で慣れてると思いますので!」
と私は胸を張って言い切りました。
「慣れてません! 乙女がそんなこと言うもんじゃありません!」
アンジェ先生に一瞬で否定され、叱られました。すげぇ恥ずかしいじゃないですか。
「で、その法力暴走事故で……キューポラ・セントレアって生徒、知ってます?」
「キューポラ? あぁ……、キュッピーかぁ、知ってるさ……」
「どんな子だったか覚えてます?」
「あぁ。女なのにすごく背が高くてな。あの事故の前に婚約が決まったんだって喜んでて……、でも、あたしのせいでそれも全部ぶち壊して……」
ラバト先生が俯くと、涙を流してるのが私の角度からよく見えました。
「そのキューポラ、私の祖先なんですよ。曾祖母のおばあちゃん」
え、そう言って涙でぐちゃぐちゃにした顔のラバト先生が私を見ました。
「そ、そうなの?」
「はい。曾祖母からあの事故の話は聞いてますよ」
キューポラ婆ちゃんはあの時の法力学の先生の提案に乗り、全員で力を合わせてぶっ放したところ暴走事故が起きた……。ここらへんはよく語られる昔話と同じです。
「でもね、キューポラ婆ちゃんはあの事故で片足を失う大怪我をしましたが全然恨んでなかったんですよ」
「そ、そうなの……?」
「えぇ。キューポラ婆ちゃんは直ぐに学校を辞めましたが、婚約者とすぐに結婚したんですよ。この時の話がチョー感動話なんです! 聞きます!?」
片足を失ったキューポラ婆ちゃんはこんな身体を人様に晒せられなって退学して家に引きこもったんです。そして婚約破棄も相手の家に勝手に通告したんですって。もうひとりで法力学の先生を恨みながら一生涯生きていこうと思ってたら、婚約者が家に飛び込んできて婚約破棄を無効にしてくれと言ってきたんですって。
私はどうせ家事もなにも出来ないし人前にこんな姿を晒すこともできないから無理ですと追い返そうとしたそうです。でもその婚約者、家事や掃除は全部僕がやるから君は僕が帰宅したときに笑顔で迎えてくれるだけでいいんだよと言ったんですって。
「え、なにそれ、その婚約者。頭おかしいんじゃない?」
デリッカちゃん……、いや、デリッカがなんか言ってますが無視無視。むしろ、なぜ奥さんが全部家事をしないといけないの? なんか法的論拠あるんですかー?
「やっぱ素敵な純愛ですよね……」
とジョルジェちゃんがうっとりしてます。そうでしょそうでしょ? それが愛なんですよ!
「じゃあ、キュッピーは……」
「曾祖母の話では結婚後に訓練のおかげで擬足を付けて杖を突けば一人でなんでもできるようになったんですよ。それに昔……、四番街に『呑瓶亭』って飲み屋あったの覚えてません?」
「知ってる知ってる、安くて杖突いた背の高い皺くちゃのママが……え?」
「それキューポラ婆ちゃん」
ラバト先生の目がカッ開くと、すごい勢いで涙を流してます。
「そっか、あたし、キュッピーに会ってたんだ。よく飲みに行ったなぁ。安いしツケ払いも許してくれたし話も面白いし……。あはは、やっぱ人間族とあたしらは生きる世界が違うな。私なんて全然変わらないのに、キュッピーがババアになって、かつその子孫が目の前に居るんだもんな……」
「その曾祖母が言ってました。『ツケ二ヶ月分の三十ハンズ、まだ払ってないよ!』って!」
一瞬の静寂、そして貨車は爆笑に包まれました。
なお、呑瓶亭はもうありません。その後継店は伯母がやってる『呑平』で、よくカオリル先生が来るそうです。
★ ★
貨車が止まり、休憩と馬の交換でさと御者に言われ降りることに。午砲前だったが昼食となった。
食堂で好きなもの食べていいわよ奢ってあげるとルーチェが言うので皆が皆めいめいに好きなものを頼む。僕は鳥ハムサンドセットと、新聞を頼んだ。
この合宿時、ずっと新聞を読んでなかった。きっとあのルーチェの屋敷にはどこかに家人が居たのだろうが、どうやって彼らに新聞を頼んだら良いのか分からなかったって理由もあるのだが。
しばらくしてサンドイッチとサラダとコーヒー、そして昨日の日付ですがと断りが入った新聞を持ってきてくれた。
コーヒーを飲みつつ新聞を開く。
「ねぇアンジェ先生、そんな文字ばかりのもん読んで面白いですか?」
とホットケーキを咀嚼しながらジェイリーが訊いてきた。
「文字ばかりって……。漫画みたいに絵ばかりの新聞だったら分厚くなるだけだろ?」
新聞から目を離さずに応える。
しばらく読み続けながらサンドイッチを口にして、僕はコーヒーを吹いた。
『氷結の薔薇姫、出奔からそろそろ一ヶ月、未だ足取りつかめず』
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