11話
翌日、僕は指示された通りカルセリ接骨院で診療を受けることとなった。頸の痛みはある程度引いたが首から肩のあたりが痛い。
「はい、アンジェさんどうぞー」
接骨院の奥から野太い声が聞こえたので診察室へ入る。
「はい、アンジェさんね……、あぁ、昨日リガン道場で転倒した方でしたか」
「えぇ、昨日はご迷惑をおか……、てか先生」
「はい、何か?」
「なんちゅう恰好してるんですか」
素肌の上から白衣を羽織っただけの初老男性が椅子に座っていた、なお着用しているのはブーメランパンツだけだ。これは指摘しない方が失礼に当たるだろう。
「え? これですか?昔からですよ。……それで、痛む肩は両方ですかねぇ」
「いやいや、スルーしないでくださいよ」
「まぁあとで理由は判ると思いますから……、で、痛む肩は両方ですかね」
「え、はい。ちょうどここら辺から……」
と僕は自分の体を指さして説明する。先生はふむふむと聞いてから、
「昨日頭から転倒されたと伺ってます。娘シュバインヴィのカルテにもそのように書いてありますからね。きっと転倒時にそこら辺負担が掛って痛むんだと思うんですよ」
と言うと、看護師さんを呼んだ。はーいとやってきた若い看護師に自身の白衣を脱いで渡した。脱がなくても判ってたのだが脱いだら筋肉ダルマそのものである。しかも小麦肌でテカテカしている。
「せ、先生、何してるんですか!」
「えっとね、アンジェさん、ふっ! ここの筋肉が、ふっ! 衝撃によってダメージとなり、ふっ! ここに痛みが走ってるんですよ」
と先生は筋肉をムキッとさせては看護師に指差させて説明するのだ。しかも時折看護師が『肩メロン! キレてるよ! 土台が違うよ!』と叫んでいる。
「と言うわけで、私は患者さんにどの骨や筋肉に異常があるかを解りやすく見せるために、こんな格好なんですよ、ははは」
なるほどね、よくわかりません。人体模型じゃダメなんですかね。
「人体模型? あれは駄目ですよ、患者さんが感情移入できませんから」
すごい論理だなこの先生、さすがシュバンヴィの父だ。
「テーピング処置で大丈夫だと思います、服脱いで背中見せてください」
と先生が言うと看護師が手際よく服を脱がせる。処置はそんなに時間が掛からなかったのだが、首から肩、背中、腰とテーピングだらけである。
「先生、テーピング貼りすぎじゃないですかねぇ?」
「そう思うでしょ? じゃあ、一つずつ筋肉とテーピングについて説明しますね」
看護師がテーピングの一本を指でなぞっている。
「いま看護師さんが触ってくれたところは、ここの筋肉、そしてふっ! ここの筋肉に繋がって……」
先生は再びポーズを決めながら説明するのだ。
「いいですか? すべての筋肉は繋がってるんです。ですからその痛めた頸、肩の筋肉をサポートするためにテーピング処置をしてるんです。なお僕は身体の自己修復力による治癒を考えてます。人間の体は自然と治そうと努力しますからね。アンジェさん、痛みが早く引く方が良いですよね。このテーピング療法はその自己修復と早期治療の良いとこ取りなんですよ。しかもテーピング処置療法は安上がりですし、保険屋も患者さんも嬉しいですからね。で、僕は筋肉の痛みを薬草なんか塗って効くとは思ってません、ははは」
と、すごくいい話をしながら先生はいちいちポーズを決め、看護師が『ナイスバルク!』と叫んでいる。校医シュバンヴィの実家だから油断はしてなかったが、こう斜め上の変人が出てくるとは思わなかった。
なおテーピング療法のおかげだろうか、貼ってる間は痛みが嘘のように消える、ただ貼ってる場所が少しかゆいが。先生が言うにはヴィンチ町にも兄が経営してる接骨院があるそうだ。カルテの写しを渡されたので、もし合宿中に痛みが走るようなら伺ってくださいと説明された。意外と親切である。今回の治療費については活動保険が下りるみたいなので会計は不要だったが、試しに聞いたところ初診料込みで二百ハンズ程度(三割負担)らしい、すごく安い。
接骨院から出て隣のリガン道場へ行く。キュリルが道場の掃除をしていた。
「あらアンジェ先生いらっしゃい、身体大丈夫でした?」
とキュリルが訊く、昨日はご迷惑をおかけしましたと頭を下げる
「大丈夫ですよ、それよりもちゃんとカルセリ接骨院行ってきました?」
「えぇ、稽古は問題無いそうです、ただ先生がちょっと……」
そう僕が言うと、キュリルは症状や治療方針を判りやすく説明してくれますよねと言う。
「あぁやって筋肉をむきっと見せて説明してくれますからね、解りやすいですよね。あの若先生の筋肉を見たくて通うファンの子もいるんですよ」
「そ、そうなんですね……。しかし看護師の掛け声が気になっちゃって……」
「あぁー、ヨハネちゃんでしょ? シュバンヴィちゃんの姉」
えー、あれ、やっぱり姉妹だったのか! 似てるなぁ思ってたけどそうだったんだ。
「ちなみのヨハネちゃんも白衣を脱ぐと若先生と同じムキムキなんですよ、女性患者は骨と筋肉の説明は若先生かヨハネちゃんかで選べますから」
やっぱりあの家族、おかしいわ、うん。
「昨日の今日ですから、先生は見学してた方が良いですわよ。あまり無理をしちゃだめだと思うんで」
と言うキュリルの弁に従って、今日の出稽古は隅っこで見学となった。
その日の剣闘術会の出稽古は皆が白熱していた、しかし僕はその中に入れない。忸怩たる思いで稽古を見学する。あとラバトも昨日の件で相当反省しているのかシュンとしいて心此処に在らずだ。
「なぁラバト嬢、どうしたよ」
「アンジェ先生。昨日熱くなりすぎちゃって、やっちまったからさ」
「まぁ仕方ない、あんなの事故みたいなもんだよ。別にふざけてやってた訳じゃない。まぁ直前のラバト嬢はまじでキモかったけど」
「あのさーアンジェ先生よ、あたしも一応乙女、キモい言うなへこむわ!」
「ふふ、そんな感じがラバト嬢っぽいぞ」
僕はそう言うとラバトの頭をぽんぽんと撫でる。
「子ども扱いすんな、ばーかばーか!」
真っ赤な顔をしたラバトに向こう脛蹴られた、けっこう痛い。
夕刻の鐘が鳴る。七番街の『鳥と星』に入るとすでにカロリーナ達が来ていた。
「お待たせしました、先生たち」
「あなたがアンジェ先生ですか、お話はかねがね伺っております、ささっどうぞ」
カロリーナの兄・カルヴェリが席を促す。
このカルヴェリ、カロリーナと非常に似ていた。事前に話を聞いてなければ双子だと思っていただろう。顔つきも中性的で背丈もカロリーナとあまり変わらず小柄、馬を扱ってる上で小柄なのは有利らしいが。
「オーダーは鳥で通してありますが、アンジェ先生は問題ありませんか?」
「えぇ。鳥は好物ですから大丈夫ですよ、ただお酒だけは……」
「妹から伺ってますから大丈夫ですよ。ははは、お酒が飲めないとは勿体ないですね」
そう言うとカルヴェリは、出されたワイングラスに入ったエールを灯りに当てて色などを確認してから嗅ぎ、飲む。
「んー、やっぱ夏になるとエールが酸っぱくなりますね」
「あー、やっぱ酸いでやすか? 酒神ヴァカッシュ様は夏、嫌い言いませなぁ」
話を聞いてたシェフが厨房から帽子を取って頭を下げる。
「いえいえ、大将が悪いんじゃないんですよ、気にしないでくださいな」
カルヴェリがそう言うと、僕に向き直り、にやりと笑う。
「さてと今から、酒類学の真面目で楽しいお話を始めましょうか」
「アンジェ先生は、お酒ってどうやってできるかわかりますか?」
抽象的でも良いんでアンジェ先生はどう思います、とカルヴェリが訊く。
「いや、あまり考えた事は無いんですよね。秋になるとあちらこちらでやってるワイン造りは見たことがある程度ですんで」
僕の実家があるイオニアは醸造ワインの産地でもある。実家でもブドウ畑をいくつか所有しており、秋になると収穫祭を兼ねたワイン祭りがあちらこちらで行われる。郷紳階級の我が家は所有する土地のワイン祭りでは当主の名代として何度か訪れたことがある。その際に採れたブドウを乙女たちが桶の中で踊りながら素足で潰し、その果汁を樽に詰めるとワインになる……ぐらいの認識だ。
「なるほどなるほど。実はお酒ってブドウなどの果汁に含まれる糖分を酵母というものが分解してできるんですよ。その酵母ってのは微生物なんです」
「微生物……、ってことはすごく小さな生き物って事ですよね」
と僕が訊くと、カビやキノコなど菌の仲間ですよとカルヴェリは応えた。
「ちなみに公共衛生令ってご存じですか? リーフェス四世肝煎りのあの法律」
「えぇ、手洗いしろとか整理整頓に心がけろとかってあれですよね」
「あれで疑問に思いませんでいた? なんで手を洗うのって」
そうだ、前にラバトが石鹸業者との癒着で出来た法律だとぶつくさ言ってたのを思い出す。その話をカルヴェリに言うと、はははと笑う。
「確かにそう思われますね。ではこれを見てください」
カルヴェリは鞄からシャーレを取り出す、中はカビっぽいものがいくつか生えてる。
「次兄ぃ、食堂でこんな汚いもん出さないでよ」
カロリーナが窘める。確かに食事をする場には不適切なものかもしれない。
「あはは失礼、でも蓋をしてあるから大丈夫ですよ。ちなみにこれ、しっかりと石鹸で洗ったカロリーナの手から採取した菌なんですよ。あとこの菌を顕微鏡を使って拡大したスケッチがこれです」
「ちょ、ちょっと! なおの事そんなもんを出さないでよ! 私が不潔みたいじゃない!」
そうカロリーナは憤懣やる方なく苦渋に満ちた顔で文句を言う。しかしカルヴェリは、相変わらずはははと笑いながらこう続けた。
「さすがに僕の菌を見せつけられたら食欲も失せるでしょうが、こんなかわいい妹の手の菌だったらちょっとは愛おしく感じません?」
「いや……、その……」
カロリーナは非常に綺麗な方だが、その手から採取した菌に愛おしさは感じられない。言い淀む僕を見てカルヴェリはムッとした顔をしてこう言った。
「アンジェ先生、僕のかわいい妹に何か御不満でも?」
「いえ、そういう訳じゃ」
「他にもカロリーナの口や髪の毛から採取した菌とかいろいろ……」
「次兄ぃ! もうやめて!」
「そうか? せっかくアンジェ先生にカロリーナの菌のすばらしさを……」
「余計なことしないで! ほんと、次兄ぃは菌の事になると暴走しちゃうんだから」
僕はふと思う、きっと菌の事じゃなくて妹の事で暴走してるのではなかろうか、と。
前にラバトがフェアラインスの事を拗らせたブラコン姉言ってたが、カルヴェリはきっと『拗らせたシスコン兄』なのでは、そう思わざるを得ない。
「こほん、これは失礼した。これ以上続けるとカロリーナがまた一週間ほど口を利いてくれなくなりそうだからね、ははは」
そう言いながらカロリーナ菌が詰まったシャーレを鞄に仕舞うと、別のシャーレを取り出して説明をする。
「と言う訳で、僕達の目に見えないものが世の中にあるというのを理解してくれた上で今回のエルフ酒から抽出したものがこれ……、酢酸菌ですね。実はこれ、空気中にもぷかぷか浮いてたりする常在菌でね、まぁどこにでもいるんですよ。なお料理で使うビネガーも、ワインを開栓しておけば酢酸菌がアルコールを分解することで出来るんですよ。他にもこれは腐敗菌かな? いろんな雑菌が溢れてますね」
「と言うことは僕が作ったエルフ酒の失敗は、酢酸菌などが原因ってことですか」
「まぁそうなりますね。はっきりとした原因としては手順がいい加減過ぎたと言っておきますが」
そう言ってカルヴェリはシャーレを仕舞い、次はノートを引っ張り出した。
「これはかつて妹が翻訳したエルフ酒のレシピで、ここに材料の下準備が書いてありますが……、ちゃんと実践しましたか?」
カルヴェリが差し出したノートには僕が持ってるのと同じく『もじゃ毛虫の木などの原料を綺麗に水洗いし、陽に当てて乾燥させ、清潔な瓶に詰める』と書かれている。
「この水洗いして陽に当てる、清潔な瓶に詰める、これらは消毒と言って出来うる限りの酢酸菌や雑菌を取り除くのを目的としてるんです。あと原料の蒸留酒も酒精が弱すぎる、保管場所の環境が悪すぎた、それらの悪条件が重なって酢酸菌などが活発化しやすかった。僕はそう考えてます。……そうだ、僕の後輩にベンジスって男が居て、酵母の研究者だったんです。良かったら彼と共にもう一度挑戦してみませんか」
カルヴェリはそのように提案する。そのベンジスという男はホーヒェリン村で小さなパン屋を営んでおり、天然酵母などの研究を今も続けているという。なお彼と娘が作るサンドイッチは絶妙と評判だとカルヴェリは言った。でも、ホーヒェリン村ってどこかで聞いたことがあるのだが思い出せない。
「彼には面白い話があるって僕から手紙を書いておきますよ。みんなで美味しいエルフ酒を作ってみましょう」
「それにしてもなんか大事になってきちゃいましたね。物置で見つけた本から始まったのに、いつの間にか研究会になってますもの」
そうカロリーナが言うとカルヴェリは笑いながら、酒の肴になる話を楽しむのも酒類学の面白みなんですよと応えたのだ。なるほど、酒の肴になる話か。
「それよりもアンジェ先生にお尋ねしたいことがあるんですよ」
とカルヴェリは襟を正すと僕を見据えてこう訊いた。
「僕の妹とはどういう関係なのかね?」
「ちょっと次兄ぃ! 何言ってるのよ」
顔を赤らめてカロリーナは言う。そして僕ら二人の関係についてずっと問い質されたのだった。
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