09話
僕が担当する夏季補習は滞りなく終了した。
修了試験はデリッカ以外は希望者全員に受けてもらった。なお試験レベルは元々の想定にして。
結果としては、ジョルジェとデリッカ、あと一人の女学生は満点。ミノンとジェイリーは落第点ギリギリだった、何人かの女学生は落第点だったが。まぁ成績に反映することは出来ないので笑いの種にしてくれとは言ったが。
もちろんながら僕の想定では、殆どが満点を取ると思ってたのだがな。
ようやく夏季休暇の予定が立ったので、領主館にて合宿所の手続きを取るために出向く。
「え? どっか遊びに行くの? 一緒にいこうよ!」
と、頼んでもないのにルーチェが付いていくと言い出したのだ。
「まぁいいけど、あんまり人様に迷惑かけるなよ?」
と言ったら、人をなんだと思ってるのよーと言う。
よく言うよ、全く、というか僕の周りって人に迷惑をかけても気にしない女性陣が多い気がする。
フェアランスを筆頭に、カオリルナッチにラバトにジェイリーにキュリルに……と、きりがない。
「実はなルーチェ嬢……」
僕は前に会った事やキュリルから聞いた話をルーチェにした。それをふむふむと聞いてたルーチェがニヤリと悪戯っぽく笑い、
「じゃ、敢えて身分証出さずに政務役人の本性を引きずり出してあげましょうよ」
と言う、なんて素敵な笑顔だろうか。獲物を狩る肉食獣の顔だった
★ ★
はいはい今日もつまんない仕事をこなしますよーっと。
帝都の学校は出たけど、就職先がこんな片田舎の政務役人。本当ならもっとマシなところでキャリアを組みたいわよ私だって。でもさ、いい働き口は全部帝立学院の青瓢箪共が掻っ攫ってくから私達みたいなのはこんな糞みたいな仕事しか残ってないのよ。たかだかちょっとばかりお勉強ができるからってこれは漫然たる差別よね。
はぁやだやだ、こんなんならとっとと適当なの見繕って結婚、専業主婦でもやってればよかったわ。
うわぁーなんか来たわ、なに? あの女、幸せそうな顔して! 結婚なら登記所行けよ。腕なんか絡めちゃって、見せ付けてんの? ふざけんなよ。
んたっく、まぁあいつらいじめて暇でも潰すか、こんなんで給料出るならありがたいわよね。すげぇ安月給だけどさ、はぁ嫌んなる。
★ ★
領主館に出向き、敢えて身分証を見せずに手続きを取ったところ案の定政務役人の無礼ぶりが発揮された。別室に通され書類一式を机に広げて僕はなるべく丁寧に説明してたのだが、僕が政務役人に説明してる途中で何度も机を蹴られたのだ。
その現場を見てない者なら足を組み替えた時に当たったという言い訳が通じるかもだが、選りに選って僕らの前でしてくれた。ルーチェの眉間に皺が寄り、耳たぶの上を指で掻く。相当イライラしているな、ルーチェの仕草で判る。
「ですから、剣闘術会の夏季合宿を行お……」
「だからさー、書類出せって言ってんの解んねぇの兄ちゃんよぉ?」
「ですからその書る……」
「それならさっさと出せよ、クズが!」
政務役人は机を蹴り上げて僕の手から書類を奪い取る。
そろそろ我慢の限界だ、ルーチェが。
「んー、あんた、字、汚ねぇ」
「…………」
政務役人の一言にさすがの僕もカチンときた、これでも帝立学院時代は字が綺麗で有名だったんだけどな。
「申し訳ありません、両親の教育が足りなかったみたいで」
と僕は慇懃に謝ることにした。
「本当だよ。どーせ中等学院ぐらいしか出てないんでしょお前……、私なんて帝都の高等学院出てるっちゅーの! その面見てりゃバカだって見てわか……」
政務役人が喋ってる途中でルーチェが立ち上がると徐に机を思いっきり蹴り上げた。
「あんたさぁ、黙って聞いてたけど、今までシュトレーメ市民に対してそんな舐めた行政サービスしてんの?」
と、言い放つ。
「ヴァルガッシュ卿をぶん殴る御用向きが出来て良かったわ、おめぇに感謝したる」
そういうと、ルーチェは耳たぶを触りながら席を立つ。この時の仕草をしてる時は、完全にキレてる証拠だ。サーベルをぶら下げてたら抜刀してるかもしれない。
「あ、あんたね……、わ、私は政務役人よ! 下賤のものがヴァルガッシュ卿をぶん殴るだなんて不敬だし、それよりも私に対しても無礼だわ!」
と政務役人は吠える、それを見てルーチェは冷淡な眼差しを投げかけて
「ふーん、下賤で悪かったわねぇ」
と、まずは身分証の裏書を見せつけた、そこにはリーフェス四世直筆の裏書と玉璽まで押されている。それを見て政務役人の表情が完全に凍り付いた、どういう身柄なのかは政務役人も気付いたのだろう。ルーチェはその身分証を政務役人に投げつけると
「下賤のものなんで手癖が悪いのかしら、飛んじっちまったや。拾って下さいます?」
と冷え切った表情で言い放った。政務役人は震える手で身分証を拾い上げた。
『王宮警備隊副隊長 ルーチェ・リングィナ』と書かれた身分証を。
さすがにこんな片田舎で本名が書かれてる身分証は使わなかったみたいだが。
「まことに申し訳ありませんでした!」
ルーチェの怒りは天元突破していた。政務役人ごときの土下座では許す気が無かったのか、ヴァルガッシュ卿を呼べと怒鳴り散らす。もちろんここに駐在してる訳じゃないので中街のトップに当たる執行代理人を筆頭に領主館全職員が土下座して怒りを解こうと努力している最中だ。
「申す訳が無いの? おかしくない? 私が黙って聞いてりゃ下賤だの低学歴だのバカだの言ってくれたじゃん、この小娘。ねぇ、お前、言ったよなぁ? アンジェリカにバカ面とか字が汚いとか、なぁ?」
「…………はい」
「声小せぇなぁ! 私の耳が遠いの? それとも、低学歴の私やアンジェリカのお言葉はお宅さんの脳みそには届いておりませんかねぇ?」
「…………いえ」
「てめぇの脳みそに早よぉ届くよう、そこの執行代理人経由の速達で送ったろうか、おめぇ!」
「………………」
もう良いだろ、僕はルーチェの肩を掴んで止めた。
「ルーチェ、いい加減もう辞めろ、政務役人が泣いてる」
「はぁ? 絶対許さんよ? 政務役人は言わば大事な臣民に向けた国家の顔なんよ? そんな申す訳が無いから許しますだなんて、パパが許しても私が許す訳ないじゃん」
「本当に、ルーチェ様のお怒り御尤もで……」
「おい! 御尤もって何よ執行代理人様よぉ。あんたどういう教育してんの?」
「い、いえ……教育は執行次官が」
執行代理人が横で土下座してる次官に顔を向ける。執行次官は頭を床にこすりつけて声なき声を出してたが。
「ふーん、執行次官の管理監督責任は、執行代理人は一切保有してない、うん、私バカだけどよーく判った。じゃあ今すぐヴァルガッシュ卿呼ぶね」
ルーチェが法力通信具で王宮に連絡して呼び出してもらったが、どうしても遠方に居るために今日中には来れないという申し出があったそうだ。しかし家令がたまたま北部ヴィンチ町で監査をしており、馬宿をいくつか経由して早馬を飛ばしてやってくる、と言われたそうだ。
自分で呼べるなら、ヴァルガッシュ卿を呼べはあんまりだと思うが。
しばらく幾刻が過ぎた頃……、
「本当にお待たせいたしました、ヴァルガ……、ん? おや? あなたたち、アンジェ君と……じゃなぁい?」
その家令たるや、かつての帝立学院の学長・ジャニスだった。空気を読んでか、ルーチェの呼称は避けた。
「あれ、学長何してんの? ……ってかここではルーチェとお呼びくださいませ、学長」
とルーチェが小声で言う、ジャニスは静かに頷くと
「承知致しました。ところでルーチェ様、この者共はどうしましょう?」
と訊く。役人たちに冷え切った目を投げかけると吐き捨てるように言った。
「もういいわ、下がらせなさい。んたっく、ヴァルガッシュ卿は親子揃って昔っから嫌いだったけど、下々の連中もクソだったか」
「ははっ、やはりそう思われますか、激しく同意ですわよ。ささ、皆様! 物理的にクビになりたくなかったら直ぐにお下がりなさい!」
全員が退出してから、三人で溜息を付く。
「殿下にアンジェ君、超お久しぶりじゃなぁい? 元気してたぁ?」
ジャニスが昔と変わらずぶりっ子ぶった仕草で言う。
「ふふ、学長も元気そうじゃない。少し筋肉落ちた?」
「そんなことないわぁ? 今も大豆パワー頂いて鍛えてますもの」
そう言うと腕まくりをして力こぶを魅せつける、相変わらずのムキムキぷりだった。
しかし、説明せずとも皆も判るだろう、この元学長・ジャニスはいわゆる『オネェ』だ、背も高くガチムチだが。
学長時代のジャニスと言えば学生とフランクに接し、よく飲みに連れ歩いてくれる人だった。見た目はガチムチオッサンだが心は乙女でかわいいもの大好きな御仁。そのたくさんいる学生の中でもジャニスは僕の悪友・ジンを大いに気に入っていた。ジンはタダ酒にありつけならと、よくジャニスと友人らで夜な夜な繁華街に繰り出していたのだ。そんなジンとの接点、人間関係から僕やルーチェとも顔なじみだ。
学院を早期定年退職してから数年、久方ぶりに見るジャニスは、今も変わりなく元気そうだ。
「はぁー久々に腹立ったわ。学長は悪くないのに呼び立てちゃってごめんなさいね」
「いいえ殿下、こういうときこそ貴人たる義務がございますわ。……しかし私が来て良かったのかも? もしヴァルガッシュの糞坊やが来てたら、今夜までに殿下たちの前に色んなプレゼントが届けられるわよ? 政務役人の一族郎党の頸と共に」
ジャニスは長煙管を取り出すと、葉を詰めて着火魔法で煙を燻らせた。
「執行代理人などの処分について、殿下は腹案はあるかしら?」
「学長に任すわ。本人たちが猛省してるならもう一度やり直す機会を与えてあげて」
「承知よ、殿下」
ジャニスはふぅーと煙を吹く、昔からジャニスの吐き出す煙はシトラスミントの香りだ、煙草の臭いがしない。
「でも、あの政務役人は絶対許さないわよ。市中引き回して断頭台送ってやろうかしら……」
「ふふ、もお、殿下ったら。アンジェ君はそんなこと望んでないぞ」
ジャニスはルーチェにウィンクを飛ばす。僕もその意見には賛成だ、こんなことで物理的に首を飛ばしてたらただの恐怖政治だ。しかも、三方に載せられた頸を持ってご笑納ください言われても扱いに困る。
「もぉ、殿下ったらまだまだ乙女ね」
「うっさいなぁ、もう!」
と、ルーチェは顔を真赤にして叫んだ。
「ところでジャニス学長、貴族家の家令をなさってたんですね」
と、僕が訊くとちょっと縁があってね、と事情を説明してくれた。
このヴァルガッシュ卿と言えば、先代は美術骨董蒐集家だったらしく後先考えない私財浪費で一度破産したのだ。銀行からの支払不履行のニュースは国内を走り回った程だからだ。
リーフェス四世はこの貴族家の無様なスキャンダルについて、彼とヴァルガッシュ卿には実は浅からぬ縁があったらしい。そのため彼は政府介入すべきだと言ったのだが、家のあれこれにまで国家から口を出されたくないと思ったのか、それとも彼との浅からぬ関係を慮ったのか、当主交代と借金は完済すると言って政府介入の申出を突っぱねたのだ。その財政建直しのキーパーソンとして早期定年退職していたジャニスが呼ばれたという。ただしジャニスの専攻は美術史学なんだが。
蒐集品は処分して債権者には支払猶予を求め、領地経営を健全化する。言葉にすれば簡単なことだが相当苦労したのだろうと想像は付く。ただ筋肉は衰えてない。
「せっかくヴァルカッシュ卿をぶん殴る口実ができたと思ったのにぃ」
ルーチェは繰り返す。国家と同一視される王族がそんな事言うもんじゃないぞと窘めたが
「アンジェリカさぁ……。前の当主ってお祖父様とはチェス仲間だったの。んでその勝敗で私を賭けたのよ? あの時お祖父様が勝ったからよかったものの、負けてたら今の当主の、あのハゲ散らかしたチビデブの嫁よ? ばっかじゃない? ふざけないでよ! だからパパも私もあの家が嫌いなの!」
と涙目になりながら言う。それは先代のマイヤス二世に言うべきなのでは……?
「それでもだ。ルーチェ嬢の一言は国家の一言と捉えられてもおかしくはない。今回は偽名だったからそこまでの騒ぎにはならんだろうが、もしリーナ様が名乗りをしたらあの場にいる全員が自刃する可能性も考えろよ」
と僕は言うとルーチェのこめかみあたりを人差し指で軽く突いた。ルーチェは下唇を噛んで俯いてる、きっと言い足りないことがあるのだろうがそろそろ大人の自覚を持ってほしい。
「ところでアンジェ君に殿下、今日はどのようなご用向で領主館に来たのかしら?」
ジャニスが笑顔で僕らに訊いた。すっかり用件を忘れてた。
結局、ジャニスの手により利用申請はあっさり通って無料でも構わない事になった。ついでにリガン道場の合宿使用申請も通してもらった。他にもあれやこれやサービスを付けると執行代理人には言われたが、それならこれほどの高待遇な市民サービスを皆にすればいいんじゃなかろうかとはお伝えした。
むしろ今更になって態度を改めるのは白々しさを通り越して哀矜でしかない。
「ごめんな、なんかドタバタになってしまって」
「ほんとよ、せっかくのデート台無しじゃない」
領主館へは朝入ったのに、すでに夕刻の鐘が響いてた。
「台無しもなにも自分からぶち壊しに行ってよく言うわ」
僕はルーチェの頭をこつんと指で弾いた。
「いっつぅー、アンジェリカがまた暴力振るったー、さっきからコツコツと叩いてぇー」
ルーチェが僕の肩をぽこぽこと叩く仕草をする。
「判りました、ワカリマシタ! 何か食べに行こうさ」
「わーい、アンジェリカ大好きー」
「うっせぇ、心にないこと言うな」
「ぶーぶー、ぷっぷくぷー」
「お、ちょうど循環馬車居たわ、乗ろうか」
「うん、いいよ」
僕達は乗合馬車で西街七番街まで行く。
相変わらず中街までは乗客が居ない、橋を渡って西街に入ると増えていく。
「いらっしゃーい、アンジェ先生と……、新しい彼女?」
「はーい、アンジェリカの彼じょッ!」
下らない事を言おうとするルーチェの後頭部を軽く突いておいた。
「違います、職場の同僚です」
これは最近赴任してきた帝立学院時代の同期なんだとリルツァに紹介した。
エルちゃんは? と訊く。
「さっきアンジェ先生見えたからまたトイレ、たぶんんーこ」
また息を切らせてエルツァが奥から飛び出してきた。
「リル姉のバカ! もう、信じらんない。先生いらっしゃーい。……あら? ん? え? うそ! ひょっとして……氷結の薔薇姫殿下……?」
エルツァが口元を両手で隠しながらルーチェの顔を覗き込む。
「あー。よく似てるって言われるわねぇ」
ルーチェは露骨に目を逸らせ、引きつり笑いを浮かべた。
「ですよねぇ! 氷結の薔薇姫殿下がそんなリネン生地のお召し物なんか羽織るわけないですもんね」
「そ、そうなの、かな……?」
時々思うのは、ルーチェって嘘が苦手だよな。学院時代もプライベートでリーナ殿下ですよねと詰め寄られると冷や汗垂れ流しながらあわあわするし。いまのを見て、これで本当に潜入捜査できるのかふと疑問に思ってしまう。
「そうそう! アンジェ先生ちょーっと待ってて? リル姉ぇ、コーヒーか何か出してあげて!」
エルツァが店の奥へ消える。
「アンジェ先生と、ルーチェさん。コーヒーにします? それともお酒が良いです?」
とリルツァが訊いたので、ルーチェはお酒で、と応える。
「今日のお勧め、トマトラガー。アンジェ先生はコーヒーだよね」
と、メニューを胸元から出す。
「一つ聞いていいか? なんで酒のメニューは胸元なんだ?」
と僕が訊くと、リルツァはお色気大作戦と言う。
「でもこれは見せブラ、ロリコンにおすすめ」
「いやー、そんなん見せつけられても……」
「男はけだものだもの、アンジェ先生は違うん?」
んー、返答に困る、なんて答えた方が良いんだろう。
「あのね、リルちゃんさぁ。アンジェリカってそういうお色気大作戦にも感じないほどこれって鈍チン男だから、止めた方が良いよ」
と真顔でルーチェは言った。
てかねぇ、昔こんなことが……、とルーチェは帝立学院時代の野外研修の話をする。それを聞き終わったリルツァは大きなため息をついてこう言った。
「アンジェ先生、タマ無し疑惑」
「女の子がそんな言葉、使うもんじゃないよ」
僕はリルツァに思いっきりデコピンすることにした。
「アンジェせんせー、おまたせー」「い……、いらっしゃいませ」
ん? 僕は顔を挙げるとエルツァとジョルジェが立ってた。
「お? あれ? ジョルジェ君、何してんのよ……」「あらー、ジョルっちなにしてんのよー」
僕もルーチェも二人して驚く。なにせ綺麗にメイクし、つけまつげに髪もいつものお下げからツーサイドアップに。しかもエルクーァの制服に袖を通しているのだ。
「ジョルちゃんがね、先生にかわいいところ見せたいって前に言ってたから……」
「そ、そんなこと言ってません! そ、そんな、はしたない……」
涙目になるジョルジェの頭に自然と手が伸びる。ジョルジェはいつものことと頭を傾げるのでなでてあげる、目を細めるジョルジェ。
「そうか? かわいいぞ? なぁルーチェ先せっ……」
と僕が彼女の顔を見ようとしたら机の下で向こう脛を思いっきり蹴飛ばされた。
「もー、アンジェリカって最低! そんなに鼻の下伸ばして! このえっちっち!」
ルーチェの機嫌が直るまで、トマトラガーを三杯要した。
何を話しかけてもうっさいボケ、黙れぽんこつと言われ続けたのだった。何気にひどくねぇか、ルーチェって。
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