07話
学院内の剣闘術道場に着いたので道着に替えて中に入る。
「はい、今日から夏季休暇です。剣闘術は皆さまと協議し多数決した結果、満場一致で暑い夏も木剣振り回すことになりました。合宿が終わってからの稽古をどうするかは後々決めるとして……暑いなほんと」
道着の胸元を開けてパタパタさせながら僕はそう言うと、本当に暑すぎておっぱいがくっつくんですよとラフェルが返す。皆の目線はラフェルの胸元に行ったがジェイリーは表情が消えた。
「嫁入り前の淑女がおっぱいなんて口走らない、もう少し別の表現しなさい。てかそんな事言わせないでくれ、僕がつらい」
そう伝えると、先生は少し気にしすぎなんですよとマリが言う。いや、乙女なんだからちょっとは気にしてほしい、そう伝えた。
「で、実を言うと今日から剣闘術会を見学したいという子が来ました。一回生のデリッカ・ホワイ君だ」
と、僕はデリッカを呼んでみんなに紹介する。
「彼女はフィオライゼ剣術を嗜んでたそうだ。聞けば古式剣術の一つでこの剣闘術の基になった剣術の一つらしい。みんな、仲良くしてやってくれ。んでデリッカ君、ラフェル君が主将でジェイリーが指導官だからよろしく頼むな」
「えぇ、ラフェル先輩にジェイリーさん、よろしくお願いしますわ」
二人に握手するが、ジェイリーとは一切目を合わさないデリッカだった。ジェイリーもあえて目を逸らしていた。相変わらずこの二人は何かとかち合うな。
「あとついでに、この剣闘術会に僕よりマシな指導者が来ました、ルーチェ・リングィナ先生です」
「はいっ! 剣闘術は教士二級でっす! よろしくねー!」
さっきまで人の事をバカだの鈍ちんだの馬に蹴られろだの好き放題言ってくれたが、機嫌を直してくれただろうか。なお、教士二級はリガン道場のホルヘやキュリル師範代と同じ級数持ちである。そんなことを知らないみんなはおーっと一様に驚きを隠せない。
ただしデリッカだけは目つきが良くない。
今日の補習授業を見てたらデリッカにとってルーチェは天敵以外の何物でもないだろうが。
あとジョルジェとミノンの目線が氷点下だが。
「じゃあいつも通り稽古するから、まずはストレッ……」
「はいストップ。アンジェ先生に質問。ストレッチって何するの?」
突然止めて質問を始めるルーチェ。みんなが不思議そうな、一部は怪訝そうな顔してルーチェを見つめる。
「ん? 昔からやってる、股関節や肩や膝を伸ばして止めて呼吸するってやつ」
といつもやってるのを説明するとルーチェは手を交わらせてバツマークを作り「ぶー」と言う。
「そういうのを静的ストレッチというんだけどね、実は故障リスクが高まるみたいなの」
そう言ってルーチェはこのストレッチの有害さを説明し始めた。どうやらこの静的ストレッチを行うと筋肉がリラックス状態になりすぎるために事故のもとになると最近の研究で解ってきたそうだ。
「むしろ稽古後にすると効果的なんだって。だから稽古前は体操などの動的ストレッチを行う方が故障リスクが下がるんだって」
なるほど、それは勉強になる。昔から言われてたことを何も考えずにやってたが、新しい研究ってのは理にかなってるなと思った。
「だから関節をグイグイギューンとする運動するから、皆はある程度間隔開けて」
相変わらずルーチェは擬音語で話を進めようとする癖は治らない。ルーチェはデリッカを見やると、
「デリッカちゃんは今日、道着無いよね? 私の予備があるから貸してあげる」
とルーチェは言う。
「あ、ありがとございます」
デリッカは素直に借り受けようとするが、「アンジェ先生に見られても平気なぐらいかわいいのつけてるならそのまま制服でもいいわよ」と余計なことを言い、デリッカをイラつかせていた。「ねぇ今日はしましま? 水玉?」と言い出したので教育的指導として出席簿でルーチェの頭を叩いておいた。木剣の方がよかったかな。
ルーチェが見本となって僕らは真似をする。リザードストレッチというトカゲっぽい動きを取り入れたストレッチは大変だった。
「はい、しっかり反動つけて十回ね! グイグイギューンだよ!」
と言って見本を見せるが日ごろの運動不足が祟ってるのだろう、色んな関節がギシギシ言う。みんなも辛そうだ。
「私たちの隊はこういうトレーニングは毎日やってるの。でもね、時々ストレッチだけでケガする文官もいるけどさ!」
と言う。確か帝都の文官も月に一回は剣術指導があるらしいと聞いたことがある。
「え? ルーチェ先生って軍人さんですか?」
思わぬ発言にラフェルが訊く。僕はあちゃーと思ったが、
「ん? あー、わたし、昔帝女隊に居たわよ」
と言ってのけた。
「げ、あの地獄の帝女隊に?」
ラフェルどころかジェイリーも青い顔をする。
その帝女隊とは『帝国女子教育隊』という女性専用の教育訓練隊だ。しかしその内容は男性も泣き出すほどで、毎度のごとく脱走者が出ると言われている。しかも一度入隊したら一定期間を終えるまで辞めることが認められないし、脱走してもすぐに『キツネ狩り』という脱走者確保隊によって捕獲されるのだ。そして隊に戻されてからは、その班は連帯責任として地獄特訓を再度受けさせられるのだ。 逃げたら皆に迷惑が掛かる、しかも逃げ切た試しがない。
ただしそんな地獄話ばかり聞くのに入隊希望者は非常に多いと聞く。それは帝女隊を出た子にはご褒美として国からの手厚い保護があり、職業軍人になる、別の業界に再就職する、結婚する、などには一切苦労しない。しかも除隊後の進路が結婚の場合は持参金となるよう多めの退職金が出るのだ。
なお僕の一番上の姉は帝女隊に入ってからは士官として職業軍人となり、いまもどこかで奉職しているらしい。
「帝女隊って、泣いたり笑ったり出来なくなるって本当ですか?」
とジェイリーが訊く。
そんなことないわよ、みんな笑顔で訓練受けてるわよ、とルーチェは言った。
それって心が壊れ掛かってるのではと思うが、あえて言わない。
「ジェイリーさん、もし帝女隊に興味があるならすぐに言ってね? いつでもすぐにブチ込めるから」
とルーチェが親指を立てながら笑顔でとんでもないことを言うので、ジェイリーはものすごく青い顔を震え上がっていた。
というかブチ込むなんて表現するなよ、ルーチェよ。
「さてと、身体が温まってきた? デリッカちゃん、私ってほら胸小さいじゃん、あなたじゃ胸元キツキツかもしれないけど我慢してね」
とルーチェは言う。
いえ、大丈夫ですと言ってるが胸元をかなり気にしている。
まぁ道着はひもで縛るタイプだからある程度調整できるので胸の大小で道着が変わることはないが。
「あとねデリッカちゃん、今度から稽古に入るときは運動用ブラをつけると良いよ。すれて痛いから」
とルーチェが続け、後ろからデリッカの胸に手をやる。
声ならぬ声を出して身をよじり、今にも噛みつかん表情でルーチェを睨みつけていた。
「じゃあ、ここからはアンジェ先生たちのやり方に従うわ。もし私が必要なら言ってね? いつでもすぐに一肌脱ぐから」
と、またくだらないことを言って道着の胸元を見せた。
ただしちらりと見えたのはさらしだが。
「じゃあ、ジェイリー君、いつも通りで頑張ってくれ。僕はデリッカ君を見たいと思う」
防具を一通り身に纏ったデリッカの横に立ち、道場備品の練習用木剣を手渡した。
「とりあえず木剣持ってみて? たぶん僕らと同じ持ち方だと思うが」
と言い、構えを取ってもらったところデリッカの木剣の持ち方など問題はない。
「すり足できるかな? 足さばきと言う流派もあるけど」
と言うと、デリッカはすっすっと動けていた。これなら今から特別に何かを教える必要は無いだろう。あとは打込稽古をしたときにどれだけ動けるか、足がバタバタしないかを見ればいいだろう。
「デリッカ君、ちゃんとできてる。少し僕と打込稽古してみるか?」
「はい先生、お願いしますわ」
そう言い、お互い打ち合ってみることにした。
打込自体はジョルジェやラフェルと同じぐらいの鋭さで変な癖が付いてる訳でもない。この剣闘術の木剣に慣れたら充分な戦力となるだろう。
「デリッカ君、楽しいか?」
と聞いたら、防面から覗くデリッカの目が柔らかく見えた。
ひとしきり剣闘術の木剣や防具に慣れてもらったので、みんなと合流させることにした。デリッカを混ぜてあげて欲しいとジェイリーに言うと、了解の合図をくれた。
「はい、今から一対一で打込稽古をしたいと思います。ランダムで相手決めますので、ばしばし打ち合ってくださいね」
とジェイリーがいうと、ルーチェが私も入りたいと言うのでくじ引きで決めた組に別れていく。
四組、一人見学の九人で打込稽古を始めた。
ランダムなので誰に当たるかはわからないが、ルーチェはデリッカやジョルジェやミノンと当たるとまず何か話しかけてから激しく打ち合っていた。それを終えてから三人は「ルーチェ先生には絶対敵わない」と涙目になりながら僕に言うのだった。
どんな声を掛けてたかは、知らない。
打込稽古の相手はルーチェ先生でした。
この人、なんかすごく嫌いです。
アンジェ先生の事をアンジェリカーって昔から知ってるみたいに言うのも腹が立つけど、もっとイライラするのはベタベタし過ぎなんです。
そっと腕に抱きついてみたりとか、恋人じゃないんだからそんなことはいけないと思います、はしたないです。
そんなルーチェ先生ですが、打込稽古の前に話しかけてきました。
「ジョルジェちゃん、私の事、嫌いでしょ?」
えぇ、すごく嫌いですと思いっきり睨みつけて応えました。そしたらニッコリと微笑んで
「じゃあ決闘しない? 私と打込稽古って形で勝負。有効打ひとつでも入れられたら、アンジェリカとベタベタしない。そのかわりあなたが木剣を落とされたら、あなたの負け。私の言うことしっかり聞く、どう?」
と私に勝負を持ち掛けてきました。
なにそれ、木剣さえ落とさなければ引き分けですよね。なら引き分けだった時の条件も決めさせて下さいと言ったら、
「あら、じゃあジョルジェちゃんが木剣を落とさなかったら勝ちでいいよ。ジョルジェちゃんの言うこと何でも聞いてあげる」
と言ったのだ。
なにその自信、にこりと微笑むルーチェ先生に全力でぶち当たることにしました。
結果ですか? 木剣を叩き落とされましたよ。
きっといつでも叩き落せたのでしょうね。
自分からは一切仕掛けて来ずに私にだけ打ち込ませてきて、それを余裕綽々で打合いをかわしてましたから。
前にアンジェ先生から教えてもらった『木剣落とし』をしましたが、『木剣落とし返し』を食らいました。じゃあ『木剣落とし返し突き』を繰り出したら、叩き落されました。
あとあと知りましたが、この『木剣落とし』の開発者がルーチェさんだって。
稽古の後、ルーチェ先生に誘われてデリッカさんとミノっちと四人で五番街のケロリーヌってお風呂に行きました。
しかも貸切風呂でした。ルーチェ先生すごいな! 貸切風呂って高いのに。
湯舟に浸かりながら疲れをほぐしてたらルーチェ先生が
「ねぇ、あんたたち、アンジェ先生の事好きでしょ?」
と言い出したのです。
デリッカさんもミノっちも顔を真っ赤にしてました、きっと私もそうだったのだと思います。
やっぱりこの二人もそうだったんだ。
「じゃあ勝負に負けたあんたたちに命令ね?」
そういって頬笑を浮かべるルーチェ先生。
……私たちはその命令に従うことにしました。
その命令の内容?、秘密ですよ。
が、ルーチェ先生はとことん大人で私たちがとても子どもなんだなと思いました。
あと、ルーチェ先生は実はアンジェ先生とは中等学院から同じだと知りました。
今の私と同じ年からずっと一緒に居たのなら、あれだけ仲良くても仕方ないですよね。
で、ルーチェ先生もアンジェ先生のこと好きなんですかってミノっちが訊いたら、そうよと応えてくれました。
でもあの鈍ちん男は十五年以上も私の気持ちに気付かないのよ、気付いて貰えると思うだけ時間の無駄よと言ってました。その通りかもしれません。
ルーチェ先生は結婚なさらないんですの、とデリッカさんが訊いてましたが、そればっかりはタイミングじゃないの?と言ってました。
タイミングさえ合えば出会ってすぐにでも結婚しちゃうもんだし、逆に合わなかったらずるずると今の関係が続くんじゃない、と言ってました。
ということは、アンジェ先生とルーチェ先生の関係もそのタイミングですかと私が訊いたら、それは違う、アンジェリカ自身が私と結婚する気が無いのよと言ってました。
ミノっちが言ってました、結婚って何だろうねって。
それは好きな人と一緒になって、家と家名を夫婦で守りつつ、子どもを生み育てて、一家皆幸せになることじゃないのってデリッカさんが言ってたけど、ルーチェ先生はもっと高次元のものよと言ってました。
帰りに三番街のアイスクリームをご馳走してくれました。
お風呂上がりのアイスはおいしかったです。
私はチョコミント味が好きなんですが、ルーチェ先生はこんなもん歯磨き粉の味でしょって言ってました。
そういうルーチェ先生はチョコチップ味でした。
お姉さんぶった先生なのに、味覚はおこちゃまなんですね。
帰り道にデリッカさんと話をしました。
この人は私の事、嫌いなのは知ってます。
が、さっきのお風呂で判りました、私と一緒なんですよね。
「いままでごめん、ジョルジェ」
と言ってきました。
「気にしてないです」
と応えました。
そこから会話はありませんでした。
わだかまりが取れるまで少し時間が掛かると思いますが。
なんで私の事を昔から嫌ってたんでしょうね。
参考文献
島津製作所HPのコラムより
https://www.shimadzu.co.jp/breakers/column/column07.html
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