06話
「なぁ……。僕の仕事を邪魔しに来てるんなら帝都に帰ってくれないか?」
教室を出て廊下に移った僕はルーチェにそう言い立てた。
「ここでは僕はこの学院の先生なんだ。で、この学院の学生ってのは言わばお客さんだ。それを蔑ろにしてるなら教壇なんかに立つ資格なんぞ無いぞ」
最初はにこやかにしていたルーチェも、僕のあまりにも憤然と言い放つので顔色がどんどんと抜け落ちていく。学生から信を失った先生ほど残念な生き物は無いんだぞ、と言うと僕は校舎を歩く。
「ちょ、ちょっと待ってよアンジェリカー」
僕はあまり感情を表に出すことを好まない。相手は嫌な思いをするだろうし、後々になって僕自身がそれ以上に嫌な思いを感じたくないからだ。だけど今回のはルーチェの悪ふざけが過ぎてると思っていた。
「だからごめんって、謝ってるでしょ?」
「それなら、是非とも生徒たちに謝ってほしいもんだな。特にデリッカ君にだよ。氷結の薔薇のリーナ様を信奉してる彼女は、実はこんなあんぽんたんな女だったと知ったらどれだけ失望するか」
「判ったわよー、もー」
そう言ってルーチェは僕の腰に抱きつき、頭を背中に擦り付ける。
「判ったならくっつくな、腰にしがみつくな、そして背中を頭でぐりぐりするな」
ルーチェを引き離すと、いい加減にしろと僕は言う。
「昔やったら許してくれたじゃない!」
「もう昔と違うんだよ、いつまで学生気分なつもりだよ」
僕がそう言って歩き出すと、ルーチェは立ち止まって憮然とした顔で立ちすくむ。どうしたと訊くと何もないわよと言う。でも僕は知ってる、昔から彼女がこうやって俯いて下唇を噛むって仕草をするときは何かを強く主張したい時だ。
「何か言いたいことあるんだろ? まぁ座れよ」
渡り廊下に置いてあるベンチを指すと、ルーチェはそっと腰掛けた。外は悪天、シュトレーメは既に雨季に入った。
「ん……、あのさ、アンジェリカが先生やってるの見てさ、私、すっごくむかついたの」
しばらくしてから一言一言、言葉を絞り出していった。
「アンジェリカって、私らが学院を卒業してもさぁ、研究のためにずっと残ってたでしょ。私やジンとか皆はあちこちに旅立っていったけどさ。だからさぁ、アンジェリカ見てるとさぁ、いつも学生気分に帰れてね、すっごくうれしかったんだよ。でもさ、今じゃかわいい女の子たちに囲まれてキャッキャ言われて、完全に先生やってるじゃん、うらやましいなと思ってたのがさ、どんどんとむかむかしてきたのよ。で、ちょっと意地悪したらアンジェリカのことだから昔みたいに叱ってくれるとって思って……」
「……なぁ、リーナ様さぁ……」
「……なによ。ここでそんな名前で呼ばないでよ」
「あぁごめん、じゃあ……ルーチェ嬢、相変わらず子どもっぽいところは変わらんのな」
「なっ! ちょっと、誰が子どもよ!」
僕の一言にルーチェは顔を赤くして立ち上がる。
「子どもじゃねぇかよ、人の仕事を見て僻んで意地悪してって、まんまガキじゃねぇかよ」
「もー! アンジェリカのばかー!」
途中から涙をぽろぽろと流して叫ぶルーチェ、いや皇女殿下であるリーナを見て、こいつはいつまで経っても子どもなんだなとつくづく思った。子どものように振る舞い、子どものようにすねて、子どものように泣く。僕と同い年なんだぞ、そう思いながら。
「でー。君は臨時講師としてここに来ているくせに、僕の所には一切挨拶にも来ず学院長からは事後報告として書類一枚が上がってきただけという、僕は何の臨時講師かよく分からない、それで渡り廊下でアン先生に慰められているルーチェ先生、でしたっけ?」
結局、僕らの様子を教頭レオスに見つかってしまい、今は説教を食らっている。最初はどこの部外者なんだと言っていたが、ルーチェが裏書がある身分証を見せたところ、やれ挨拶が無いだのそんな話は知らないだの、あれやこれやと話を行ったり来たりである。仕舞いには前はカオリル先生で次は新人の謎先生ですかアン先生とも嫌味を言われている。とにかく同じ話を何度も往復しているため、いい加減勘弁してほしいなと思っている。そっとルーチェを見ると憮然としたまま立っており、きっと無我の境地に入っていて話を一切聞いてないのだろう、これは昔からの彼女の癖だ。
「ところでルーチェ先生、ルーチェ先生!」
「は、はいー?」
「ちゃんと聞いてるのかね! 君の出身学校はどこなのかねっと聞いてるんだよ!」
「はい、帝立学院です! 証明書は持ってきてますのでお出し出来ます」
「え? 帝立学院だと! ってなんだ、……とアン先生や学院長と同じというのかね!」
「はい! レオス・ドリーヴ教頭と同じ帝立学院ですよ。専攻は理論理学で担当教授はファルス・ド・ヴルームでした!」
そう胸を張って堂々と言うルーチェに、レオスは徐々に奥歯からぎしぎしと音を立てるほど顔をしかめる。それを知ってか知らずか涼しそうな顔をして「レオス教頭は専攻と担当教授って聞いても良いですか?」とさらに付け加えたのだ。
「くっ…、も、もういい! この件は学院長とじっくり話し合う必要があるな! もう帰っていい!」
と言うと学院長ヴィルムからの報告書を荒々しく掴んで職員休憩室から出て行った。
しばしの無音、誰かの溜息の音で空気が緩み、ようやくミモーゼンが声を出す。
「ははは、ルーチェ先生、でしたっけ? お見事! レオス教頭にも動じない、なかなかの大型新人が来ましたね」
と言うと、さらに空気が緩んだのかいくつか笑い声が響く。
「でー、ルーチェ先生って何を担当するんですか?」
ミモーゼンなど教職員が僕たちの周りに集まってきて聞いてくる。
「主に理系科目と礼法の補助教員です、今の所、秋から先生たちの授業の援護をする予定ですわ」
と言う。それは助かりますねとミモーゼンとカロリーナが言う。
「これからもよろしくお願いしますわ」
と笑顔でカーテシーをするルーチェだった。いまいち素性の分からない謎教員が皆から受け入れられた瞬間だった、これも一つの潜入捜査の手法なんだろうか。
「なぁ、アンジェ先生、ちょい面貸してぇや」
僕らは道場へ行こうとルーチェと歩いてたところ、渡り廊下の手すりを直してたラバトが僕に声を掛けてきた。その渡り廊下のベンチでカオリルナッチが横になって涼んでいた。悪天だがその場所は雨に当たらないらしい。
「あ、ルーチェ先生? あんたはちょい待っててなぁ」
と言うと僕はラバトに引っ張られてカオリルナッチの所に連れていかれた。
「なぁアンジェー先生さぁ……」
「カオリル先生、起きてたんですね」
「まぁな、ちょい二日酔いだけど」
ゆっくり起き上がり、軽く頭を振って溜息を付くとあの子カルグストゥス家の子でしょ? と言った。僕はとぼけようかとも思ったが、目の前の二人は読心が出来るし迷いもなく言いのけたのだ、下手に嘘をついてもすぐバレるだろう。素直に答えることにした。
「あぁ、よく分かったな」
「判るも何も、あの子ずっとルーチェ・リングィナって名前を心の中で唱え続けてるんよ。自分の名前って何度も何度も心ン中で唱えるもんか? そんなの密偵か間諜ぐらいしかおらんやろ」
とラバトが言う、密偵も間諜も同じような気がするが。カオリルナッチも続けて
「かなりぶっきらぼうな様を演じてるけどあの子から醸し出される高貴さは本物ね。そんなことに気付かないほど私、衰えてないわよ。しかもかなり丁寧に礼節を叩き込まれてる。あと、なんとなくギュース公に似てるのよ」
と言った。ギュース公とは建国者である始祖様を指している、この二人は何かと建国史に絡んでるから彼女を見て何かを感じ取ったのだろう。
「まぁギュース公の血が混じってる平民なんて臣籍降下した子孫たちがあちこちに居るから何とも思わないけどさ、あそこまで濃厚なのは珍しいからカマかけたのは事実ね、それにしてもカルグストゥス家の血族か」
とカオリルナッチはまぶしそうに空を眺める。日差しなんかここしばらく全く無縁だ、どんよりとした雲としとしと降りしきる雨しか見えないだろうが。
「そういえば、アンジェ先生ってカルグストゥス家の封蝋された手紙、しょっちゅう届いてたけどあの娘っこと文通してたのか?」
とラバトが訊いた。そういえば学院に届けられたものはラバトがすべて特殊法力で安全確認した上で教職員たちに配り歩いてる。
「あぁ。学院時代から仲は良かったからな」
「ふぅん……、ッ!」
ラバトはそう鼻を鳴らし、ふと振り向く。横に居た僕も振り向くとルーチェが立っていた。
「ねぇねぇアンジェリカー、どうした? カツアゲ?」
「いやいや、今夜あたりにでもルーチェ先生の歓迎会やろうかって話してたのよ」
とラバトが言う。先生、いけるクチかい? と、にやりと笑って手で飲むジェスチャーをするとルーチェの表情がぱぁっと明るくなる。
「いいんですか? ラスティクシュール・トゥルリーセンさん」
「いい飲み屋が五番街にあるんだよ、もしお暇なら今夜行かんけ?」
とラバトが嬉しそうに言う。あと、あたしの事はラバトと呼んでくれと続けた。
「ラバトさんありがとう! カオリルナッチさんも一緒に行きます?」
「もちろんよ! 今夜はアンジェ先生の奢りなんだからね!」
今の今まで二日酔いで寝てた人のセリフじゃないと思うが。元気そうな顔を見てると、ようやく酒が抜けてきたのだろうか。あと僕が奢るんですか。
「わぁーい、中街の名物たくさん食べたいですー!」
夕刻過ぎに僕らは呑平で集合することとなった。
あの二人を見送ってから、じゃあ剣闘術会の稽古でも見に行くかいって僕が訊くとルーチェが眉根を寄せ真剣な顔をして言った。
「アンジェリカ、少し聞きたいことあるんだけどさ」
「ん? トイレならもう少し先行って右だぞ」
「違いますぅー! まぁ後で行くけどさ! それよりあんた、どこまで気付いてるの?」
何のことだよ? 振り返ってルーチェと向き合う。
「まずさ、あのラバトさん、あれ、エルフでしょ!」
「あー、よく気付いたなあ。自称エルフのチンチクリンだぞ」
「真面目に聞いてよ。トゥルリーセンって破却のエルフ一家じゃない。しかもラスティクシュールって、ずっと始祖様と転戦し続けてた斬込隊長、『血濡れの猟犬』でしょ?」
「そうなんだ、詳しいな」
「私の話、全然聞く気ないでしょアンジェリカ」
「うん、悪いな。だってラバト嬢はラバト嬢だ。きっと過去に色々あったんだろう。でもな、ラバト嬢は今を楽しんでる。それでいいじゃないか」
ラバトの手は血に濡れてるのは、過去の話でいろいろと聞いてきてる。始祖様が脱糞した話や砦を取られた話など笑いながら言ってるが、きっと戦役では敵味方関係なくたくさんの血が流れたのだろう。時々見えてしまう首筋や胸元、手首近くまでの刀傷刺傷痕がどれだけ凄惨な修羅場を潜ってきたかなんて想像が付く。彼女はまるでそれを隠すかのようにこの暑い夏場でも長袖の作業着を羽織っているのだ。
それだけでなく戦役後に復員してここで教鞭を取っていた頃には法力暴走事故も起こしてる。彼女は今もずっと反省と悔悟の念をもって生きている。ある日、酔っぱらったラバトがこう言ったのだ。
法力暴走事故の際に助かったが顔の怪我が元で相手から婚約を解消され、嫁の行先を失った女学生が居たそうだ。賃金から少ないながらも毎月慰謝料を払い続けたある日、一通の手紙を受け取ったそうだ。そこには、結婚して私にも赤ちゃんを授かりました。婚約を解消された時はラバト先生を一生恨んで生きていくと心に決めたけど、今は幸せです。あの事件の事はもう恨んでませんから、もうこれ以上自分を責め続けないでください、と書かれていたという。それは今も大事にしているという。
「アンジェリカがそういうなら気にしないけど……、あとルヴァンティクシュール・コンフィルマンディン・トゥルリーセンさんて」
「あぁ、ルコト姉さんね、ラバト嬢の大好きな姉ちゃんだよ。法力学のテキストを書いてる人だったな」
「魔弾の法撃手、ルヴァンさんよね」
「そんなかっこいい二つ名があるとか、カルグストゥス叙事詩だっけ? あれって実話なのか?」
「実話を基に作られてるし、演劇でもよく使われてる題材じゃない。少しは世間に興味抱きなさいよ」
「んーわかった」
僕の気のない返事に溜息を付いて、ルーチェは続ける。
「話は変わるけど、あんたってどんだけ気付いてるの?」
「さっきも同じ質問したけど、人をどれだけ鈍感だと思ってるんだよ」
「これ以上ないぐらい鈍感じゃない! アンジェリカって女学生たちの気持ちと、全然感じてないでしょ?」
「気持ち?」
「はい鈍感! アンジェリカってやっぱ鈍感、はい終わったー」
「勝手に話を終わらせんでくれ。なんだよ本当に」
なんか非常に馬鹿にされた気分で溜息が出る、同じタイミングでルーチェも溜息を付いたのだが。
「まずねぇ、デリッカさんでしょ? その向こう側に居たジョルジェさん、ミノンさん、この三人の名前を挙げて気付いたことは?」
「ん? ジェイリーが居れば剣闘術会ってワードが繋がるけど……、なに?」
「ほんとに気づいてないの? あんたってとことん女に恥をかかせるタイプの人種なのね」
「答え何?」
「自分で考えろバカ! この鈍ちん! 馬に蹴られて吹っ飛んじゃえ!」
ルーチェはぷりぷりして歩いて行き、すぐに肩を怒らせて戻ってきた。
「で、トイレってどっちだっけ?」
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