05話
今日から楽しい夏季補習一日目だ。
貴重な青春をこんな無駄な時間で費やすなんて! と長期休暇前で悪友ジンはそう言ってた。それなら日ごろから勉強すればいいものを。僕は経験したことがないのだが夏季補習は殺伐としているという。本来なら楽しい休暇を楽しんでるはずなのに、何が悲しくて過去にやった授業なんか再度受けなきゃいけないんだと思うだろうし。まさに『貴重な青春を!』 である。しかし、この夏季補習一日目は、他の担当教科のそれとは違い非常に楽しそうな空気を醸し出していた。
「出席取りますね、デリッカ・ホワイ君」
「はい、ですわ」
「以上です、それにあとは自由参加の方々ですね」
はーいと十人の声が響く。その中にはジョルジェやミノン、ジェイリーも居る。ジョルジェのように異常なほど志の高い子もいれば、残念ながら麗人剣士・ミノン目当てってだけの学生もいる。今回はデリッカ以外は自由参加と言った手前、理由如何で弾き出すのも違うだろうか。
「なお自由参加の方々も授業での質問は自由です。ただし入退室は授業進行の妨げになりますので原則できません、お手洗いの方は事前に済ませて下さいね」
はーいとみんなの声が響く。
「あと……、本日からこの学院の臨時講師として赴任してきました……」
「ルーチェ・リングィナです! 帝立学院卒でぇ、ここのアンジェリカとは……、もぉ!」
何言ってるんだこいつと思いながら、僕の腕を抱くルーチェを胡乱な目で見やる。何人かの女学生はヒューと口笛を吹くが、どう見てもデリッカやジョルジェ、ミノンの視線は氷点下、ジェイリーはなんか面白いのが来たなぁというわくわくした目て見ていた。
「えっと、……あ、はい、ルーチェ先生、下らん事言ってないで。あと人の左手に巻き付かな……」
「ちょっとルーチェ先生でしたっけ? なんでアンジェ先生にベタベタくっついてるのよ! 離れなさい!」
早速デリッカがルーチェを指さして糾弾する、まぁそうなるだろうなと思ったが。ジョルジェもミノンもうんうんと頷いてた。
「しかも、アンジェリカですって? 先生の名前はアンジェです! そんなことも解んないのに何ぶりっこぶってるのよ、年齢ぐらい考えなさいよ!」
とデリッカが追撃をする。あちゃー、そこまで言うなよ。
「えー? 私、これでも、二十四よ? ここのカロリーナ先生と同じ年なんだからー、ぷっぷくぷー」
とルーチェが言う。いや、あんた、僕と同じで帝歴二百五十五年生まれだろうに、どさくさに鯖読むなよ。
「か、く、……せ、アンジェ先生! この人今すぐ追い出して! 邪魔です!」
デリッカが涙目になりながら僕に訴える。仕方ない、僕だってここでは教師だ、やらなきゃいけないことがある。出席簿をルーチェの脳天に思いっきり振り下ろした。
「ガッ!」
「はーい、ルーチェ先生はペナルティ一回目です。次おふざけしたら退場ですからねー」
「いっ痛ぅー!」
「そしてルーチェ先生、デリッカ君にしっかりごめんなさいしてね。ここは淑女養成学院ですよ」
「ご、ゴメンナサイ」
ルーチェは涙目になりながら謝りカーテシーをする。僕からも不愉快な思いさせてごめんみんなと謝り、しらけ切った空気を無視して白墨を手にする。
「まず前回の定期試験で間違いが多かったのを選び、テキストに沿って話していきます。もちろん解らないところがあったら挙手をしてくださいね、いくらでも答えらえれる範囲で真摯に答えます。逆にここらへんを理解せずに放っておくと、秋からの授業で本当に涙目になりますので要注意ですからね」
と言いながら、試験で間違いが多かった所をテキスト順に書き上げていく。
「はい。まず運動の三法則についてだが、これちゃんと言える人おるかー?」
そう言うと手がぱらぱらと挙がる、デリッカは堂々と胸を張って手を垂直に上げた。ジョルジェは嬉々として手を挙げ、ミノンは耳のあたりで顔を赤くして手を挙げる。ジェイリーは顎の下あたりに手を挙げてよそ見だ、きっと知らないだろうな。
「よし、一番先に手が挙がったね。はい、デリッカ君」
「ふん、第一法則の慣性法則、第二法則の運動方程式、第三法則の作用反作用法則、ですわ!」
髪を掻き上げながら堂々と胸張って言う。
「はい正解、まぁ物理を勉強するなら一番最初に覚えることだな。なお、こんな問題を間違えたって奴がこの中に二人もいるってことを、皆に伝えておくぞー」
「え? こんなの間違えたくせに補習を免れたのが居るんですの?」
デリッカが鋭い目をして言う。あぁ、デリッカ君よ、悲しいことにそうなんだと僕はため息を付きながら言った。きっと運動方程式って単語が出てこないからだろうか、市井乙女の人気小説『恋の連立方程式』と書いたのが二人居るのだ、まぁあの二人だが。
「くれぐれも運動方程式だからなー」
と、間違えたミノンとジェイリーに向かって言う。ちょっとあんたらーとくすくす笑う声が聞こえる。この二人ならきっと受け狙いでなく純粋に間違えたのだろう、頭が痛い。それを聞いてミノンは顔を真っ赤にして俯く。
「はいせんせー」
ん? 誰が言ったんだろう、手を挙げてる人が見当たらない。まさかと思ってルーチェを見ると嬉しそうな顔をしてしっかり手を挙げてた。
「はい、ルーチェ先生。手短にお願いしますね」
「はーい! ねぇアンジェリカ先生さぁ、質量と重量の違いって何?」
「ん? 質量と重量?」
「そーそー。この運動に第一から第三の法則があるのは今言ってたけど、その中に出てくる質量って、重量と何が違うのー?」
そうルーチェが言う。ふむ、確かに僕は質量や重量の話は授業で詳しくはしてないかもな。
「はい、すごく良い質問ですね。では、この中で質量と重量の違いを言える人は居るかい?」
と僕が訊くと、直ぐにすっと手を挙げたのはジョルジェだけだった。それをちらっと見やったデリッカはムッとして手を挙げる、対抗心だろうか。あとミノンが顔を赤らめて相変わらず耳のあたりに手を挙げ、ジェイリーは見えるか見えないところに手を出しているが完全に目を逸らしている。たぶん、ジェイリーは知らずに手を挙げているな。他に挙げてる学生は居ないようだ。
「よーし、まずは補習参加者のデリッカ君。重量と質量の違いは何だと思う?」
「どちらも重さなんですが、重量は重力と関係あるんじゃありません?」
「お、デリッカ君よく勉強してるね、すごいぞ。じゃあ手を挙げた人を順番に当てていくな。まずはジェイリー君、重量と質量の違いは?」
「ほひっ?」
よそ見をしていたジェイリーは目を見開いて変な声で返事をする、きっと当てられると思ってなかったのだろうか。教室中の視線が彼女に集中する。徐々に紅潮していく彼女は、口をぱくぱくさせて言う。
「え! はっ、あっ、あの、体重は重量で、お砂糖の袋は質量です!」
しばらくの沈黙の後、皆がどっと笑う。なにそれー、ジェイリー馬鹿じゃないのー、と周りから色々と聞こえる。ジェイリーの顔はさらに赤くして額に鼻頭に汗を浮かべていた。
「はい、ジェイリー君お疲れさん、素敵な答えだな」
ジェイリーが大きく溜息を付きながら着席すると、隣に座るミノンが頭をなでる。疲れたよーという声がこちらにも聞こえる。
「じゃ、最後に真打ジョルジェ君、言ってみて?」
ジョルジェは小さな胸を張って立ち上がり、
「はい! 質量は物質の動きにくさを示す度合いで慣性の大きさです。重量は物体に作用する重力の大きさの単位です」
と、淀みなく一気に言い立てた、まるで機械人形の演説のように。
「うん、ジョルジェ君、まるで専門書のような答えをありがとう、完璧だ。座っていいよ」
と言うと、胸元で小さなガッツポーズ両手で作って座る。皆からすごいという声がいくつか上がる。
「とまぁ、色々と意見を聞いたけど、みんな実は正解なんだ」
教室中にえーっと声が響く。「ジェイリーのお砂糖が質量も、正解だ」と付け加えて。
「いいか? 質量と重量って言うから、なんか違うものなのかと思うだろう。厳密には違うんだが現在の条件では同じなんだ。例えば僕が持ってるこのテキスト、仮に質量を二カンヌだったとしよう。こうやって机に置いても二カンヌの質量だ。これを小さなリスさんが押して動かすと仮定する、その力(F)がこのテキスト(m)にどんな動きの変化(a)するか……、なんか聞いたことある単語が並ぶだろ? デリッカ君」
「はい! 運動方程式ですわね! F=maです」
「そうだ。ということで、テキストの重さ、つまり質量を『動きづらさ』と言ったジョルジェ君は大正解なんだ。まぁ実際には摩擦係数などの損失も掛かってくるが、それは秋以降の話だ。頭の片隅に置いといてくれ」
僕はポケットから飴玉を出すとデリッカとジョルジェの机に置いた。
「はいご褒美、味わって食べなさい」
「ありがとうございますわ、アンジェ先生」
デリッカは席を立つと綺麗なカーテシーをして、再び座る。ジョルジェも立ってカーテシーをするのだが、なんかぎごちない、ちょっとかわいい。
「じゃあ重量とはなんだ? それだが、デリッカ君やジョルジェ君が言ってた重力との関係、大正解だ。なお、ジェイリー君の体重も正解だぞ」
「わーい! 先生わたしも飴玉ちょうだい!」
「そういうこと言うと次からやらんぞ、もう」
そう言って飴玉を机に置いて頭を撫でてやる、うにゃーと言うジェイリー。ミノンの目線が冷たいが気にしない。
「この世界は球体だが実は真球じゃないんだ。だからすべての場所の重力加速度、実は一定じゃない。だが便宜上は九・八コーリン毎瞬二乗と標準単位化はされてる。なお、この重力加速度は等価原理によって質量による差は無い。例えば真空中なら空気抵抗がないからな、鳥の羽も王冠も同じ九・八コーリン毎瞬二乗だ。だから真空中という条件なら同じ高さから同時に落とせば同時に着地するぞ」
ここまででわかるかジェイリー君と聞いたら、はい、王冠を毎日かぶってたら肩が凝りそうですねと言う。そうなのかとルーチェに振り向いたら目線を逸らされた。そうか、ここではリーナじゃないんだったな。
「つまり、この机の上のテキスト、二カンヌに重力加速度九・八コーリン毎瞬二乗が常に掛かってるからな、重力単位系として『二カンヌ重』、または『二C・f』って表現になる訳だ。じゃあ仮に重力が無くてこのテキストがぷかぷか浮いてたらと仮定したら、テキストの重量は? ではミノン君」
突然当てられて目を見開くミノン。真っ赤な顔をしてきょろきょろしながらのそのそっと立ち上がると「ゼロですか?」と言う。
「よし正解、さすがミノン君、飴玉あげる」
「ありがとうございます、アンジェ先生」
ミノンはカーテシーをしてから頭を傾げてる。
「ん? 座っていいぞ」
え? あ、はい……と言ってミノンはおずおずと座った、そしてすごく睨まれた。
「仮に重力の影響を受けておらず、ぷかぷか浮いてたら重力加速度は発生してないからな、重量はゼロになる。しかし物質としての動きにくさがあるから質量は二カンヌのまま。これが質量と重量の違いだ。みんな、わかったか?」
そう言うとはーいとみんなの声が聞こえる。
「なお、さっきのジェイリー君が言ってた、お砂糖の袋が質量なのも正解なんだ。と言うのも、説明する過程がちょっと面倒くさいがな」
と言いつつ説明をする。
この国では計量令という法律があり、二年に一回計量機器の公的定期検査が義務付けされている。この際に秤に検査員が規定分銅を載せて規定誤差内かを検査することになっているのだが、この計量令での重さの物理量は『質量』と記載されているのだ。だから秤で計るという行為では重量も質量も混同しており今も曖昧なままだ。しかも市中で『重さ=重量=質量?』という認識は変わってないし直す気もないらしい。表現の変更をすると混乱するというより、あまりその点にこだわっていると『あの人ちょっとアレな方かしら?』と思われるので誰も言い出さない、のかもしれないが。
「と、ここまでが質量と重量の違いだ。他に質問ないかー。じゃあ次の話行くぞー」
補習一日目が無事に終わり、テキストなどを片付けているとデリッカが僕の所へ寄ってきた。
「アンジェ先生、本日はありがとうございますわ」
そう言うと僕もにこっと微笑んで、最初のアレは本当ごめんなと言った。
「いいえ、私の淑女の端くれなんですの……。そんなつまらないことなんかにいちいち気を留めませんわ」
と、ちらっとルーチェを横目で見やりながらデリッカは言う。
「そかそか、なんかわかんないとことかあったか?」
デリッカにそう訊くと、僕の顔を見据えてこういった。
「……あの、……剣闘術会って、まだ入れますの?」
かなり大きめの声だったからだろう、デリッカの宣言にはぁ?って声が教室のあちらこちらから上がった。しかしそんな声にめげることなくデリッカは続けた。
「私、これでもフィオライゼ剣術っての、やってましたの。先生もご存じかしら?」
フィオライゼ剣術、正直聞いたことが無い。なんて返事をすればいいのか。
「いや、ごめん。浅学ですまんな……」
軽く謝罪をしながら言うと、横でニコニコして立っていたルーチェが口を挟む。
「フィオライゼ剣術ってまた随分と古風なのやってたのね。私、判るわよ? 使うのは剣闘術よりかすこし長い両手剣だし、どちらかと言うと突きか叩くが多い剣術よね」
とルーチェが僕の腕に絡まりつつ言う。それを見てデリッカがルーチェをキッと睨み、
「ルーチェ先生、アンジェ先生にべたべたしないでくれません? ここは淑女養成学院ですの。殿方にそんなべたべたするなんてはしたないとママから習わなかったんですの?」
と、語気を荒げてデリッカは言う。
それを聞いてルーチェは、ママからそんなこと一度も言われてないわよ? と、顎に人差し指を付けながら虚空を見つつ答える。
「まぁ! なんて躾のなってない家なんでしょう! それじゃそこらの野犬と同じですわよ! 淑女たるもの、帝都に凛と咲く氷結の薔薇姫ことリーナ殿下みたいにあるべきですわ!」
と顔を赤くしてルーチェに強く言い通したのだった。
そういえば前にデリッカはリーナを信奉する乙女だった事を思い出す。僕の教科書を虫眼鏡で焼いてぼや騒ぎになった件についてはしばらく質問攻めに遭ったものだ。そのポンコツは僕の横に居るが。
「んー、がんばるー」
ルーチェはあまり相手にしてる様子は無い、まさに気のない返事をするだけだった。本当にふざけた先生だことと言うデリッカに、
「剣闘術会の入会についてだが、一度道場に体験に来るか? そこから決めると良いよ」
と、応えるのが僕の精いっぱいだった。
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