01話
2022年11月11日、一部文章を修正しました。
ウィヒャフを迎えた。
どこの宗教でも主神は太陽を指しているので宗旨は違えどウィヒャフは全国民が祝う祭りだ。
主神が現世に長くいると言われるこの夏至は、主神が一番強く顕現する日と見なされている。
国内には白夜となる極地は無いのでどこも日は暮れる。
そしたら自治会毎に焚火を熾して子どもたちの模擬結婚式を行うのだ。
で、この模擬結婚式が祭り開始の合図とするのだ。
この子どもたちの模擬結婚式は豊穣を願う風習でどの自治会でも広く行われている。
僕は小さい頃にフェアラインスとした。
その当時は同じ初等学校に居た幼馴染のチカとしたかったなぁと思い出す。
しかも一緒にしようねと約束までしたのに。
残念ながら花嫁役はフェアラインスに奪われたが。
うっきうきのフェアラインスを見てやはり女性は花嫁に憧れるんだと思ったものだ。
そのチカは今では子どもが六人もいる肝っ玉母さん、僕の事は覚えているだろうか。
このウィヒャフではポルセという腸詰を焼くかトマトスープに入れて食べるのだ。
去年の秋に仕込んだ腸詰を食べきるのが目的らしい。
でもきっと、大人たちが酒の当てとして食べ始めたのがきっかけだろうと思っている。
僕は焼いたポルセのトマトソース掛けが好きだったなぁ。
ウィヒャフを迎えたので街中は一週間の休みとなる。
この前の事から休みの前まで何度かジョルジェとは顔を合わせたのだが、すこしくすぐったい気持ちでいっぱいだった。
逆に彼女は僕の顔を見た瞬間に真っ赤に染まり、何かを話そうと口をぱくぱくさせ手足もバタバタさせるが、結局何の言葉も紡ぎだせずジェイリーが甲斐甲斐しく通訳するのだ。
まるで酸欠の金魚だとカオリルナッチが例える。
顔が合わせずらくとも仕事なので僕は気にしないように振る舞った。
きっと麻疹みたいなもんだと言い聞かせて。
この一週間の休みが明けて暫く経ったら定期試験だ。
僕はこの期間を問題作りに費やした、授業を受けてる生徒たちの習熟度を測るためにも、なるべく良い問題を作ってあげないと。
「で、これが物理法力学の試験? ほぼ全員落第するぞこれ」
とカオリルナッチが言う。
「そうです? テキストを読み込んで少しでも考える力があれば誰でも解けるはずですよ、これ」
と僕は応えたのだが、カオリルナッチは一つ溜息を付いて続けた。
「いやいや、難しすぎるよこれ」
何枚かの紙を取り出して僕の前に置き、
「去年までは物理学と法力学が分離してただろ? その時の試験問題がこれだぞ」
とカオリルナッチがすっと差し出したそれを見れば初等学校の算術問題程度のものが並ぶ。
「この学校はなぁ、アンジェ先生が思ってる程の優秀な子なんてあの狂犬デリッカたんとアンジェ先生大好きジョルたんだけだぞー?」
と言った。
「ジェイリーってキュリルの娘のくせに私の授業では成績良いのよね。でもあのキュリルの娘だからたぶん、この程度のレベルでも爆死するわよ」とも。
そこまで言うのならと剣闘術会の出稽古でリガン道場へ行った際、ジェイリー達一回生組に試作問題を解かせてみたのだ。
カオリルナッチの予言通り見事に爆死。
ジェイリーなんか「先生、何ですかこれ!」と涙目になりながら言う。
「おいおい、この問題なんて豊穣神月の十八日に説明してるぞ、授業でそのまんま例題として出してるんだぞ?」
「覚えてるわけないじゃないですか! 大体なんですか、この運動三法則って! 知る訳ないじゃないですか!」
「それは一番最初の授業で説明してる! 慣性法則と運動方程式と作用反作用法則だろうが。知る訳ないなんて言うな!」
と僕は頭を抱えた。
「ミノン君は大丈夫だよね……?」
と、ミノンを見ると涙を流して泣いてた。
「せんせぇ……、私、『恋の連立方程式』しかわかりませーん!」
と言う。
その『恋の-』は、最近市中の乙女たちにとても人気がある恋愛小説だそうで。
合言葉は『ラブみたいでラブじゃない』らしいのだが、それならもうゼロではなかろうか、ジュードポムではないが。
ジョルジェを見ると、相変わらず顔を赤くして口をぱくぱくさせて頭をガンガン振って頷いてた。
見せてくれた答案は満点だった。
よく出来てるよといい頭をなでると、さらに顔を真っ赤にして口をぱくぱくさせる。
ちょっと面白い。
それを見てミノンはむーっとふくれっ面をする。
撫でて欲しかったら満点取れと言っておいた。
「お前らぁ、少しはジョルジェ君を見習え。というかお前らってちゃんと授業聴いてるよなぁ?」
と訊くと、ジェイリーは当たり前じゃないですかぁと応える。
「運動に矢印引く意味ぐらいは解りますよ!」
「じゃあ聞くが、なんで引くんだ?」
「引かないとアンジェ先生に叱られるからです!」
僕、もう逃げ出していいよね?
去年の問題レベルを出してお茶を濁してもいいよね?
いい加減、付きたくはなかったが大きなため息をする。
「ミノン、お前は授業聴いてるよね?」
と訊くと、うんうんと頷き頭をなでて欲しそうに傾ける。
デコピンをしたらまたむーっとふくれる。それ流行りなのか?
「てかジェイリー、あんた本当に脳みそ筋肉なんじゃないの?」
と母キュリルが話に入ってきた。
「娘がバカで本当に申し訳ありません、こんなもんすぐ解けるでしょ……」
と問題用紙を見た瞬間に表情が凍った。
目も見開き口も半開きだ。
「え? ママ、すぐ解けるの?」
澄み切った目をして訊くジェイリーにキュリルは意識を取り戻し、うんうんと頷いて
「私の時代、物理って習わなかったからわかんないわね」
と言ってのけたのだ。
「師範代、お言葉ですが、あの当時にもちゃんと物理はありましたよ」
「ねぇねぇママ、早く解いて?」
「ここでは師範代といいなさい! では先生、また! おほほほほほほほ」
そう言うと涙目になりながら逃げるように離れていった。
この親子はやはり似てる。
なおホルヘに至っては何の話か察してるようで近づきすらしなかった。
「ところでジェイリー、お父さんの具合は大丈夫なんか?」
聞けば、ウィヒャフで飲んで踊ってる際に再び足を折ったそうだ。
ただし今回は膝で手術を要するため中街中央病院に入院している。
「あのバカはもう放っておきます。祭りのたびに酔って骨折ってるんですから。道場はなんとかママとホルヘさんとで……あれ?」
ジェイリーが腕組みをして頭を傾げた。
「あれ? 道場の門下生、増えてない?」
キュリルは夫が入院中のために師範代として腕まくりして道場を守り、家業が暇なときはホルヘも手伝っている。
そのおかげか門下生が少しずつ増えているのだ。
それに昨今、剣闘術に密かなムーブメントが来ているようで、今日も体験入会をする子たちを先輩門下生が面倒を見ているのだ。
木剣を危なげなく振る様、気合の入った掛け声、木剣の打ち合う乾いた音が響くこの活気は非常に良い。
「ねぇ先生、あのバカなんか要らんかったんじゃない……?」
「僕に訊かんでくれ」
「師範代」
「あはは、アンジェ先生、ちょっとぉーあたし御用が……」
キュリルに声を掛けようとすると逃げ出してしまう。
ようやく捕まえたら物理は嫌なんです重力が怖いんですと意味不明なことを口走っていたので、夏季休暇中の合宿地の話をしにきたと伝えたら表情をキリッとして、
「そういうことなら先に申し出てくださいませ」
と言い放った。どんだけ勉強が嫌なんだろうか。
前にジョルジェが言ってた北部ヴィンチ町の合宿施設の話をしたら領主館で手続きすると格安で借りれますよと教えてくれた。
「アンジェ先生って教職員証あるじゃないですか。あれ見せると口頭で手続きできるんですよ」
「そこまで手厚いサービスしてくれるんですね」
「私たちみたいな市中の道場だと申請書や計画書、活動保険証券を用意したりと大変なんですよ。しかも正規料金取られますし、たまに袖の下まで要求されるんですよ。何度、政務役人をぶん殴ろうと思ったかわかんないぐらいですわよ、おほほ」
殴ったらだめでしょうに。
まぁ身分証を出すまでの慇懃無礼ぶりを思えばいらっとするかもしれないが。
それより袖の下を要求する政務役人はどうかと思う。
なお領主館は現在ウィヒャフ休暇のためお休みだ、明けにでも手続きをしてこようか。
「でもね先生。きっと今もでしょうけどザントバンクは定期試験で落第点を取ると補習の上に再試験を受けないといけないんですよ? 下手すると夏季休暇が消え失せますので注意してくださいませ」
とキュリルは言った。
しまったその件を失念していた。
「あぁ、カオリルババアとひと夏をずーっと狭い教室で過ごしたのは本当にいい思い出だったわぁ」
遠い目をするキュリル。安心してください、本心、透けて見えますよ。
ウィヒャフ休暇のあとは放課選択が出来ないのでメンバー全員の防具類を道場に預かってもらうことになった。
預かり賃としてキュリルからジェイリーたち全員の落第点回避を厳命されたが。
なお、僕は三回生のラフェルたちには実践法力学とストリバ語、教養の物理学も担当している。
まだ陽の高い時間帯に出稽古が終わったので道場で解散となった。
領主館前でラフェルとミノンと別れ、六番街前でマリとパティが手をつないで帰っていった。
七番街までジョルジェを送る。
「全員の落第点回避か。なかなか厳しい条件じゃない?」
三回生の成績で言えばラフェルとマリが優良だが、パティは落第点が多くて毎度の長期休暇を補習と再試験に費やすそうだ。
パティだけなら何とかなるかもだが、一回生ではジェイリーとミノンも抱えている。
「ジェイリー君とミノン君を何とかしつつパティ君対策、どうすればいいと思う?」
とジョルジェに訊いてみた。
僕がじっと見ると徐々に耳が赤くなり、口をぱくぱくさせて「べ、勉強会」と言った。
「勉強会か。僕も協力できるところは頑張るから、みんなで落第点回避頑張るか」
と答えた。
ジョルジェはうんうんと頷き、合宿、と言った。
しかし剣闘術会のメンバーが落第点回避しても他の誰かが落第点を取ったら補習があるのでは。
「ジョルジェ君はそんなに合宿したいん?」
と訊いたら大きくうなずいた。
そうか、ぜひともやろう。
七番街の鳥と星でジョルジェと別れ、元来た道へ戻る。
学院に戻ろうと思ったのだがコーヒー豆がそろそろ心許ないのでエルクーァへ向かう。
まだまだ陽も高く涼しい風が吹いてて気持ち良かったのでお店まで歩いていくことにした。
循環馬車が走る大通りまで戻ってトロボ川に架かる石橋を渡って七番街まで歩く。
街はウィヒャフの片付けも終わっているのだが祭りの余韻が未だ感じる。
胡桃材の扉を開け、カランカランと乾いたドアチャイムが鳴る。
「アンジェ先生いらっしゃい」
「リルちゃん毎度、今日はどんなお勧めあるの?」
「はい、たぶんアンジェ先生が来ると思ってたんで樹上完熟コーヒー豆用意!」
と、カウンターからごそごそと紙袋をいくつか取り出した。
今日は二百ハンズですよと言われたのでグストゥフ銀貨を渡す。
「ところで、エルちゃんは?」
「ん、さっきアンジェ先生が来るの見えたからトイレ行った。たぶんんーこ」
「違うバカッ! 先生ようこそ!」
はぁはぁと息を切らせながらエルツァが奥から走ってきた。
「どんな豆を用意します?」
「エル、まつげ……」「エルちゃんその顔……」
「ん? 変?」
と、レジの横に掛かってた鏡を見て声にもならない声で絶叫し、また奥へ走っていった。
「エルの大人計画大失敗」
「アンジェ先生お久しぶりです」
綺麗にメイクし直したエルツァが戻ってきたのはしばし経ってからだった。
夕刻前の閑暇した時間だったためリルツァ一人でも店は回ってたが。
「お、おぅ。お邪魔してるよ」
リルツァお勧めだというウィラー産コーヒーを愉しんでる。
「その、えっと、そのコーヒー旨いでしょ?」
「うん、柔らかい苦味とふんわりとした甘みが良いですね」
「でしょ? でもね、リルは焙煎に悩んでたのよ。普通にやると雑味ばかり主張するって言って。だから火加減から焙煎時間から乾燥時間からと何度も試行錯誤しててね。仕舞いにはブレンドベースにしようかって思ってたみたい」
「へぇ、リルちゃんの力作かぁ」
「難産の末に生まれたって言ってた」
相変わらずリルツァは難解な表現をするな。
「豆以外にも頼みごとがあって。ちょっと付き合ってもらえる?」
と言うと、エルツァが頬を朱に染める。
なんです?と訊いてきたのでこれを見てほしいんだと試作問題を見せる。
最初はすごくがっかりした顔をしていたが、読んでいくうちに表情がきつくなっていく。
「これけっこう難しいですわね。高等学院の受験問題ですか?」
眉間にしわを寄せながら返してきたので、これ夏季休暇前の定期試験の試作なんだと伝えた。
「無理でしょこれ。私やリルも落第点は取らないでしょうけど、かなり難しいと思います」
「そっか、難しいか。テキスト読んで理解力があれば出来ると思ったんだがなぁ」
「ここの部分を切って、これを問うのはどうですか?」
エルツァは試作問題に書き込みをする。
「これ以上を問うのは酷ですよ」
と言いながら。
「いやいや、慣性法則を問うのに重力加速度を計算から外してどうするんだよ」
「算術で三角関数もまだあやふやな子たちに正接定理聞くなんて、何をさせようとしてるんですか」
「そこが物理学の肝だよ。観測者から見て……」
「ねぇアンジェ先生、これ捕まえてきた」
リルツァが何かを引きずってきた。
「覗きの現行犯。この子、先生の知り合い?」
よく見ると、ジョルジェが顔を青くしてそこにいた。
改行などして読みやすさを追求してみました。
感想、もしございましたら気兼ねなくお書きくださいませ。おっさんの励みになります。
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