帝歴284年・春 19話
2022年11月11日、一部文章を修正しました。
「では今日もお疲れ様、かんぱい」
ミモーゼンが音頭を取りグラスを掲げる。
僕らもそれを真似た。
値段の割には豪華でお得感のあるお店だとミモーゼンが言ってた通り、若い人やお酒を飲まない人には良いお店かもしれない。
「そういえばアンジェ先生ってシュトレーメの人じゃなかったですよね」
と、ボリスが訊く。「僕は帝都から少し離れたイオニアが出身ですよ」と応えた。
イオニアは帝都から馬車で一日のところにある田園地帯だ。
少し足を延ばせば小さな漁村や都市もあるので海産物も食べられる、そんな土地柄だ。
「でしたら、このエビ豆を召し上がってみてください」
とボリスが勧めるので、手を伸ばす。
このエビ、トロボ川にしかいないんですよ、と。
甘辛く炊いた豆に小エビを加えたもので、シュトレーメ中街の郷土料理らしい。
「小さい頃、これが食卓に出てくるとそろそろ夏至祭かって思うんだよね」
とミモーゼンが言う。
「私はシュトレーメから少し離れたところの馬宿ですから、あまりなじみが無かったんですが……これお酒に合いますよね」
とカロリーナはワインと共に食べていた。
「そうなんだよ。しかもこのワインはクヴェリだ」
ミモーゼンはグラスを掲げた。赤と言うより黒に近い色をしている。
「浅学で申し訳ありません、クヴェリって何ですか?」
と僕は訊いた。
ミモーゼンは一つ咳ばらいをし、東街の名産ワインだよ、と続けた。
東街はワイン醸造が古くから盛んな土地柄で醸造方法も凡そ他の地域と全く違う。
クヴェリという大きな卵型の甕を地面に埋めてその中でワインを熟成するのだ。
しかも圧搾したブドウ果汁やブドウの皮、茎、種などを入れ、自然に任せて醸造するのだ。
しかもそのブドウ自身も東街の固有種のため他のワインとは一線を画す出来となるのだ、とミモーゼンは解説する。
「かの独裁者、ジルジャン公やセイビアン伯、マイネル・パイステ女王も愛した歴史的銘酒なんですよ」
「ジルジャン公って三千年近く前の王ですが、その方も愛したんですか?」
と、僕が訊く。
ミモーゼンは再び咳ばらいをし、「クヴェリは八千年の歴史があるんですよ」と応えた。
過去に東街の外れにある遺跡からブドウの種と大量のクヴェリが発掘され、当時の遺物などから約八千年前のものであると同定されたという。
それだけクヴェリワインの歴史は深いらしい。
「そういえば、西街はポムバサーも有名なんですよね」
と僕が言うと、
「私もポムバサーは好きなんですよ。背伸びしたい子どもみたいで変ですかね」
少し酔いが回ったのか、ほのか朱に染まったカロリーナがコロコロと笑いながら言った。
「えぇ、ポムプリゾニエールも千年ぐらいの歴史がありますね。よく初恋の味とか言いますよ」
とミモーゼンは応えた。あら素敵とボリスが言う。
まぁ僕は飲めないんで、その初恋の味がどんなものかは確かめられないんだが。
「ミモーゼン先生、お話が盛り上がってるところ申し訳ない。今日珍しく岩山羊のチーズが入ったんですよ。良かったら先生たち、クヴェリと共に召し上がってみてくださいな」
とシェフがクラコットと共に持ってきてくれた。
岩山羊とはこのシュトレーメ南にあるシュハラ山地にのみ生息し、岩場の苔などを主食にする固有種の山羊らしい。
飼育はされているがそこまで数は多くないので幻のチーズと呼び声高い一品なんだとシェフが説明する。
「今日はなんて運のいいんだ僕たちは! 岩山羊のチーズなんて帝都じゃトキュー白金貨を出しても食べられませんよ!」
とミモーゼンは興奮気味に言った。
お酒が回ってるのであろうか、ミモーゼンは舌好調である。
「アンジェ先生も是非召し上がってみて下さい」
とボリスに言われて一つ食べてみる……、美味しい。
ワインが好きなフェアラインスはきっと喜ぶだろうと思った。
「良かったら、アンジェ先生もクヴェリを飲んでみませんか?」
「ごめんなさい、僕、本当に飲めないもんで」
「本当に残念だ、あぁ残念だよアンジェ先生」
とミモーゼンは仰々しく言った、飲めるのなら試してみたいんだけどね。
「ところでアンジェ先生、我々はこうして時々食事会をしてるんですよ」
とカロリーナは言った。
そうみたいですね、なんか皆さんがよく集まってる感じ、見て取れますよ、と僕は応えた。
「で、良かったらアンジェ先生も私たちの仲間に入りませんか?」
「ボリスさん、仲間、ですか?」
「えぇ。私たち、教職員組合なんですよ」
前にカオリルナッチが、考え方が少し特殊なところだと教えてくれたあの組合だろうか。
「アンジェ先生は、カオリル先生やラバトさんと仲良くされてる風に見受けられますから、僕達の組合について少しは話は伺ってるかもしれませんがね」
とミモーゼンは言ったので「いえ、ほとんど聞いてないですよ」と応えた。
「私たち、ザントバンク教職員組合はいくつか目標を掲げているんですよ、そのうちの一つは……」
少し溜めて言った。
「象徴君主制への完全移行なんですよ!」
「この国の政体は専制君主制だ。と言っても憲法も議会も存在し、憲法でも制限に関する項目があるので制限君主制と表現しても良いのかもしれない。が、その制限が非常に緩い。君主は貴族や議会たちより優位にあるし、議会で決まった法令に対する拒否権もある。政治学者は外見的立憲君主制と呼んでいるが、忖度してそんな言い方をしているのだろう。ただ幸運なことに凡庸な君主がしばらく誕生していないのでこの国はある程度まとまっている。が、今後もボンクラ君主が登場しないとは限らない。国力がまだ誇ってる今だからこそ、象徴君主制に移行すべきなんだ」
そうミモーゼンは言った。
「もし国力が落ち目になったらどうする? 隣の国に戦争を吹っ掛けるのか? そうしたら徴兵制が復活するではないか!」
……ん? どうしてそうなった?
「私たちはかわいい生徒たちを戦地に送り出してはいけない! そう思わないかね、アンジェ先生!」
んんんっ? 象徴君主制の話までは理解できた、が、後半から話が全く繋がらない。
突然戦争ってワードが湧いて徴兵制がセットになる。
なんだろうこの風が吹いたら桶屋が儲かる話は。
「戦争なんかしちゃいけないんだ、うん」
なんか独り言のように呟くミモーゼンだが、この話は突っ込んでいってはいけない、地雷原だ、そんな気がしてならない。
「私たちの教職員組合、政治勉強会は時々開くんですけど、本来は教職員の待遇改善と楽しく飲みましょうっていう互助会みたいなもんなんですよ」
と、ボリスは言った。
確かにこの国の労働組合令には政治活動を主とする組合は、組合活動の範囲内の行動と言えないから認められていない。
ただし政治活動だったとしても「労働者の労働条件の維持改善、その他の経済的地位の向上を目指して行うもの」であり、「それが組合の自主的・民主的運営を施行する意思表明行為だと評価できる場合」は、正当な組合活動と認められる、とされている。
なおこの前、学院長ヴィルムから貰った就業規則の服務規程項目に「学院内での政治活動禁止」があった。
この国では十五歳から結婚も出来るが参政権も得るのだ。
つまり大人と認められる。
なお剣闘術会ではマリが十五歳なので結婚も選挙も可能だ。
そんなうら若き『大人になりたての子たち』が多いこの世界、学院秩序維持の見地から就業規則による政治活動を禁止する定めは合理的、と定められている。
「私たちの会に入るかどうかはゆっくり考えても良いですよ。一緒にまた岩山羊チーズ、食べましょ?」
とボリスが言った。
戻ってから換気法具を回して本を読んでいたら魔法具が鳴り、カオリルナッチが遊びに行っていいかと言ってきた。
明日は安息日だから別に良いですよと伝えるとカリナと遊びに来たのだ。
もちろん二人ともワインをぶら下げて。
「ね? 考え方が特殊って意味、分かったでしょ?」
「えぇ、途中まで言ってることは判りましたが……」
「んたっく、そんなセンシティブな事を言ってるから今じゃ二人しか居ないんじゃない」
「え? ミモーゼン先生と、カロリーナ先生とボリスさんですよね」
「カロリーナたん、あの人入ってないわよ?」
え? そうなの?
「カロリーナたん、お酒が好きだから付いてってるだけ。あとミモーゼン先生とボリスたんは婚約してるわよ? 来年結婚するんだったかな?」
そうなんだ、へぇー。
「で、ボリスたん、結婚してもここで働くんだって。教職員組合を存続させるために」
そっか、労働組合令では組合成立要件の一つに二人以上って定めがあったはず。
と言うことは組合存続のために共働きってことか。
「まぁ飲み友達が欲しいんなら、カロリーナたん的立場で居たらいいんじゃない? もしくは、カロリーナたんを狙ってるなら……」
「狙ってるってなんですか」
「いっつもカロリーナたんと話してるとき、鼻の下伸びてるわよ!」
カオリルナッチはぷいっと横を向くとワインをラッパ飲みし始めた。
「あらー、カオリル先生拗ねちゃった」
「拗ねてない!」
「ほーら拗ねちゃった」
カリナがいじったばかりに本当に拗ねてしまい、カオリルナッチがいつも通りに床に転がる。
「私ね、アンジェ先生が来てから学院が楽しくなったと思うんですよ」
とカリナは言った。
「だって、愛されキャラじゃないですか」
「なんですかその愛されキャラって」
と僕は訊き返した。
「私はアンジェ先生が来た時から小さな変化があればいいなと思ってたんです。でもまさかここまで大きな化学変化が起きるとは思わなかったんです。今までラバトさんやカオリル先生がこんなに誰かと話してるところって見たこと無いんですよ? 他にも剣闘術会の子たちも稽古だけでなく学校内外でもイキイキしてますし、カロリーナ先生もわざわざ馬を借りてきてまでして苦艾を取りに行ったり。学校の授業だって時々見学してるんですけど楽しいですよ」
とカリナは言った。
「みんなから愛されてるから、物語が一つ一つ動き出すんですよ」
「僕、実は先生になるって聞かされた時は正直嫌だったんですよ。ですけどなんか今、不思議と楽しいんですよね。帝立学院に居た時よりなんかウキウキしてる自分が居ますよ」
「いいじゃないですか。陰鬱としてるよりも明朗だったり快活だったりしたほうが長生きしますよ」
そうカリナは言った。
ひょっとしたら僕は毎日研究室でじめじめしてたのかもしれない、そうだとしたら研究室の空気を一人で悪くしてたのかもな。
「今日は良い日ですね、そういう時は飲みましょう」
そう言ってカリナは飲んでた。
「ねぇ、アンジェ先生」
床で一人、寝転びながらいじけてたカオリルナッチがむくりと起き上がり、僕を見て言った。
「私も岩山羊のチーズ食べたい!」
その後食べたい食べたいと駄々をこねて床を転がり回るのを見て、これも化学変化ですかとカリナに訊いたら、目線を合わせてくれなかった。
感想、もしございましたら気兼ねなくお書きくださいませ。おっさんの励みになります。
もし誤字脱字がございましたらご報告くださいませ。すぐに訂正いたします。




